« アルメニア | トップページ | ペトログリフと神武天皇? »

歌の起源を想像してみた。

節をつけて声を出す行為は、歌とも唄とも記されます。

また、口で奏でる行為には、詩や謡とか吟と書く場合もあります。

 ほかにも、詠、咏、哥などいくつかありますね。

ただ、大まかにいえば二通りにわけられるようですね。

 詩や謡や吟は、言葉の持つ旋律を引き出していく。

 歌や唄は、リズムとでも言うものを持っている。

詩や謡や吟は、朗読の延長線のうえにあると言えるでしょうね。

それに対し、歌や唄は、拍子がある、あるいは、拍子がとれる。

これは、おそらく歌や唄の起源に原因があるようです。

歌は、祝詞を入れた器を木で打つ形である可を重ねた哥(カ)に人が口をあけて立つ形である欠を、合わせた字なのです。

そして、唄もまた、宗教に起源があります。

 口に貝で唄、貝は貨幣にも使われた子安貝でしょ。

子安貝は、呪器(じゅき)にも用いられました

唄は、呪器に用いられた子安貝と口なのは、呪術の呪文がもともとの意味だったわけですね。

だから仏教には、説法や供養のために唄う唄師(唄士)がいるわけです。

唄に、唸るような歌唱法が多いのも、呪文が起源だからかも知れません。

 歌に拍子があるのは、祝詞を入れた器を打つ音に合わせたから。

 唄に拍子があるのは…。

子安貝を笛にしていたから、かも知れないですね。

 子安貝の笛を、息継ぎをしながら吹いた。

 その息継ぎに合わせていたから、拍子がある。

詩が、言に寺なのも、宗教と関係があります。

詩は、もともとを辿ると呪誦(じゅよう)でした。

甬(よう)は、いろいろな意味があります。

貴人の通行や食料の輸送に用いた両側に壁などで目隠しをした道や、敷石を敷いた道。

雇われ人。

液体や穀物を量る升。

釣鐘を吊るす紐、あるいは、鐘。

呪誦の誦は、おそらく、鐘を突くように、言葉を繋いでいくさまを表したのかもしれません。

 そういえば、誦は、節回しをつけて声に出して言うことを指しますね。

 転じて、何も見ないでそらんじることをも、言うようになった。

のちに、詩は、心に感じたことを韻律に基づいて言葉や文字で表すものに変化していきます。

 そういえば、即興詩人と呼ばれる人々も、ヨーロッパには、いましたね。

謡は、本来、祭肉を供えて祈ることでした。

つまり謡もまた、呪術に由来するのです。

なお、無伴奏で歌うから、謡というという説もあるようです。

 でも、民謡という場合、伴奏がつくことが多いような。

楽器なしでも、歌うことがよくあるからでしょうね。

 楽器なしでも歌うというのは、鳴り物入りの歌や唄とは起源が異なるから。

そうかも知れないですね。

 ヨーロッパでも、単旋律、無伴奏の宗教音楽であるグレゴリオ聖歌が、有名ですね。

 グレゴリオ聖歌もまた、神前に捧げものとして、祈りの気持ちを込めて歌う。

 あれもまた、謡なのですね。

ちなみに、教会で聖歌が歌われるようになったのは、マタイによる福音書に由来するようですね。

このような記述があります。

26:26 彼らが食事をしていると,イエスはパンを取り,それに対する感謝をささげてからそれを裂いた。弟子たちに与えてこう言った。「取って,食べなさい。これはわたしの体だ」。
26:27 杯を取り,感謝をささげてから,彼らに与えてこう言った。「あなた方は皆,この杯から飲みなさい。
26:28 これは新しい契約のためのわたしの血だ。それは罪の許しのため,多くの人のために注ぎ出されるのだ。
26:29 だが,本当にはっきりとあなた方に告げるが,わたしの父の王国においてそれを新たに飲むその日まで,わたしは今後ブドウの木のこの産物を飲むことはない」。
26:30 賛美の歌を歌ってから,彼らはオリーブ山へと出て行った。

ただし、どのような詩をどのような旋律で歌ったかは、記されていません。

 初期の十二使徒による教会では、いうまでもなかったのでしょうね。

そのようですね。

教皇クレメンス1世やテルトゥリアヌス、アレクサンドリアのアタナシオス、エゲリアなどの記録にも、初期キリスト教で賛美歌が歌われていたことがみえるといいます。

 初期キリスト教会の讃美歌は、どのようなものだったのでしょうね。

それを、きちんと伝えていないことからいって、本当にエルサレム教団を引き継いでいるか、怪しい気はしますね。

 エルサレム教団がこだわった、ユダヤ教の風習も伝えていないですしねえ。 

吟は、口を狭めて嘆くことでした。

 じゃあ、吟の起源は、宗教に関係ない。

そうとも、言いきれないのですねえ。

これが。

聖書にも、頑なになった人々のことを神の前に嘆く場面がしばしば登場するのです。

また、聖典の朗唱の風習は、コーランだけでなく、聖書にも記されています。

それに、感嘆という言葉があるように、感情を込めて声を発することも、嘆くと表現するのですよ。

 吟もまた、聖典の朗唱に起源がある。

可能性は、ありますね。

詠や咏は、水が流れるかのように勢いをつけて歌うさまを、表します。

 まさか、これも宗教が関係してるとか。

流れのように、長さを感じるものは、息や風の象徴とみられるようですね。

 そして、風や息は、神の声の象徴でもある。

 じゃあ、歌は、ことごとく、宗教に由来ですか。

どうも、そのようですね。

|

« アルメニア | トップページ | ペトログリフと神武天皇? »

文化・芸術」カテゴリの記事

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

音楽」カテゴリの記事

民俗」カテゴリの記事

聖書・コーラン」カテゴリの記事

イスラエル・ユダヤ」カテゴリの記事

言葉」カテゴリの記事

ヨーロッパ」カテゴリの記事

コメント

はじめまして。
このブログの歌の起源について 考えてみたというページをみて、とても興味深く思い、感動しました。

現在、大学生で声楽専攻です。もうすぐ卒業論文を提出したいと思っていますが、テーマは祈りと音楽というものです。その中でcova nekosukiさんのこの「歌の起源を考えてみた」の文章を引用させていただきたい思っています。
漢字から歌の起源をひも解いていく発想と、『確かに、なるほど。』と思えるこの文章に心ひかれました。
論文の内容としましてはcova nekosukiさんの考えとともに、さらに調べていき、まとめていきたいと思っています。

そして、教授に相談したところ、もし、よろしければ、お名前を教えていただきたいのです。

突然の連絡申し訳ございません。
もしよろしければ、今週中に載せました上記のメールアドレスまで返信をお願いします。


投稿: 西室 旭 | 2014年1月 2日 (木) 22時30分

それは構いませんが、メールアドレスは、どこにありますか?

投稿: cova | 2014年1月 2日 (木) 23時03分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 歌の起源を想像してみた。:

« アルメニア | トップページ | ペトログリフと神武天皇? »