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日本画と聖書?

日本画には、独自のジャンルがあります。

 美人画など、そうですね。

評判の美人を描くと言うより、女性の持つ美しさを描くのが、美人画です。

 だから、どこにでもいる母子が描かれることもありますね。

花、とりわけ桜も好んで描かれます。

 そういえば、小ぶりな美術館の企画展なら十分可能なだけの作品はありますね。

西洋絵画にも、花を描いた作品は多いです。

けれど、特定の花を何人もの人が競って描くということは、まず、ないようです。

 それだけ描かれながら、桜画というジャンルがあると言う人はいませんね。

多いのは確かだけれど、風景画の一つの題材にすぎないと見られているからでしょう。

 あるいは、春を描いた絵と見られている。

そうかも知れません。

春の訪れを描いたことを、桜は、見る人に知らせる目的で描きこまれる場合も多いです。

 春の喜びの表現でもある。

それは大きいでしょうね。

 桜は、昼だけでなく、月明かりの中で見るのも趣がありますね。

桜は、華やかさとともに、幽玄の美の表現でもありますね。

月明かりの下の桜も、しばしば、描かれます。

 月明かりの下の女性を描いた美人画も、意外とありますね。

そうそう、日本には月のある光景や月にまつわる習俗や風習を描いた絵も、多いですよ。

 月や月にまつわる習俗を描いた作品の企画展、どこかでありましたかね。

さまざまなテーマで描かれた作品が一堂に会して、面白いでしょうね。

 日本画のほとんどのジャンルが、網羅できたりして。

日本画の世界を一望できる切り口は、月かも知れないですね。

 月と言えば、陰陽では陰ですね。

そういえば、こういう言葉がありますね。

「秘すれば花」

世阿弥の芸論書「風姿花伝」にある言葉です。

「秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず」

秘めるからこそ花になる。

秘めねば花の価値は失せてしまう、という意味だそうです。

 一輪挿しというのが、ありますね。

 「梅一輪 一輪ほどの暖かさ」

 服部嵐雪の俳句ですよ。

 梅の花が一輪また一輪と咲くにつれて、気候も少しずつ暖かさを増すという意味だそうです。

一を聞いて十を知る、という言葉があります。

多くを語らずして全てを伝え、多くを聞かずして全てを知る、という関係が理想ということでしょうね。

一輪の梅が春の訪れや深まりを伝え、見る人もそれを知る。

それを粋と、いうのでしょう。

描くのも語るのも、相手が気づくようにしなさい。

それを越したら野暮、ということでしょうね。

 気づかせることは良いが、押し付けてはいけない。

 そう考えれば、当たり前なことを言っているわけですね。

「秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず」

当たり前なことはさりげなくしなさい。

大げさにしたなら、それはもはや当たり前ではない、ということなのでしょう。

 良いと感じたものを、大げさにせずに伝える。

 月明かりの元でも、というより、月明かりの元では、内に秘められた本質的な良さしか、伝わらない。

これ見よがしにするなという点では、聖書にこういう言葉があります。

わたしにむかって 「主よ、主よ」と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。

マタイによる福音書第7章21に、この言葉はあります。

 本質に辿り着けないものほど、これ見よがしに大げさにする。

 本質に辿り着けたなら、それは自然と内から表れてくる。

奥義は、特別なことをしろというのでも、特別なことを知れと言うのでも、ないのです。

当たり前なことを、さりげなくできるようになればそれで良い、ということです。

 基本をしっかり身に着けることが、必要。

 長所を伸ばせだの、短所を直せだの、言う前に基本をちゃんと身に付けろという事ですね。

基本がきちんと身に着けば、自然と短所は小さくなります。

短所が小さくなると言うより、短所と長所は裏表の関係なので、基本がしっかり身に着けば短所は長所に転じ、長所もさらに伸びるわけです。

 基本を身に着けている過程で、個性が消えて平凡に見える時期があるけど、そこを越すとさらに個性的になるのはそのためですね。

日本画は様式美の世界であるけれど、様式を使いこなした人の作品ほど個性的でしょ。

 美人画の女性たちは、女性本来の美しさを内面から輝かせた人たちであった。

 桜の美しさは、見た目の華やかさより、むしろ、内からにじみ出るような優しさを感じられるところにある。

 月もまた、愛されたのは幽玄の美以上に、優しさが好まれたからであった。

美人画、桜、月、日本画は基本的に優しさを描く題材を好んで描いたという事でしょうね。

 そういえば、美人画の女性たち、時代を遡るほど優しさを感じる作品が増えますね。

 あと、日本画と言えば、動物の中でも猫が多いような。

猫は、どちらかといえば浮世絵のほうが多いでしょうけど。

日本画と言えば、ひろくとれば絵巻物、屏風絵、襖絵、壁画などもはいりますから。

 あ、そうか。

 猫の企画展はほとんどが、浮世絵の美術館だった。

 でもね、猫も癒し系という事では、優しさを表現する題材でしょ。

 笑いをとったり、擬人化されたりもしてるし。

まあ、浮世絵も全体として優しさを感じる作品は多いですね。

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