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みどりごは緑?

信号の色は、どう見ても緑と黄色と赤ですね。

 でも、なぜか、青と黄色と赤と、日本では言いますね。

緑の黒髪という表現を、知っていますか。

いまでは、緑の髪といえば初音ミクを連想する若い人も多いかもしれませんが。

緑はもともと、みずみずしさを表す言葉でした。

現在では「嬰児」が一般的な表記となっている「みどりご」は、本来は「緑児」と書きます。

古く、「みどりご」は「みどりこ」と末尾が清音でした。

赤ん坊を「みどりご(みどりこ)」と呼ぶのは、大宝令で三歳以下の男児・女児を「緑」と称するといった規定があったことに由来します。

大宝令で「緑」と称するようになったのは、生まれたばかりの子供は、新芽や若葉のように生命力溢れていることから喩えられたからだそうです。

つまり、緑は、かつてみずみずしさの表現だったので、色としては、青でもあれば、黒でもありました。

 「おをによし寧楽(なら)の京師(みやこ)は咲く花の薫ふがごとく今盛りなり」

 この歌、気になるのですけど。

この歌の「青丹よし」は「あをによし」と書く場合もあるけど、実際の色は、周囲の緑と建物の丹色、つまり赤との対比と言われますね。

緑と赤というと、今ではクリスマスの色を思い起こすけど、古代日本では都の彩を表す色ですね。

 平安京はヘブル語に訳すとイスラエルになる。

平城京も、寧楽の京師と書くと、寧楽とは安楽の意で、平和の都を意味してこの字が当てられたと考えられていたのでしたね。

 それで、平城京もまた、イスラエルと見ることができるでしょ。

 そうなると、青丹よしの歌も、こう解釈できる。

 「おをによしイスラエルは咲く花の薫ふがごとく今盛りなり」

 緑と赤をイエスキリストの象徴と見ると、こうなる。

 「キリストのイスラエルは咲く花の薫ふがごとく今盛りなり」

みどりごといえば、イエスも神のみどりごという、言い方がありますね。

キリスト教で、イエスの色として緑を当てていることを想うと、奇妙な気分になりますね。

 そして、イエスを形容する場合には、しばしば永遠の神のみどりごと言ったりするでしょ。

子どもが大事な役割を演じる、童児祭祀と呼ばれる行事があります。

 その童児を指す言葉であるみどりごは、かつて緑子と書いたのは偶然ですかね。

昔から「七つ前は神のうち」といって七才までの子どもは、まだこの世にその命が定着していない状態であると考えられていました。

それで、昔は七歳未満の子は、今でいう戸籍にあたる人別(にんべつ)帳に載せませんでした。

祭りの中で、厚化粧の場合が多い特徴的な化粧をし、お揃いの、または決められた衣装を着た概ね小学生以下の少年少女が稚児と呼ばれる場合が多いのは、神の加護を期待したと見られています。

 七は、しばしば、神に関係する数と見られますね。

面白いことに、日本には常若の思想があります。

みどりごを、もともとは緑子と記したのは常緑を意識したとみれば、興味深い解釈が出来そうですね。

 童児祭祀の稚児は、常若の神の象徴でもあったと見ても良い。

そうなるかもしれません。

神のうちとされる稚児の祭祀への参加は、神の臨在の象徴という意味合いもあった可能性はありますね。 

 臨在していただく神の正体は、神のみどりごとしてのイエスだったりして。

 だから、みどりごとしてのイエスの象徴として、稚児は童児祭祀で大事な位置を占めることができる。

解釈としては、面白いですね。

日本の神社には、古代イスラエルの神殿との類似が指摘されることが多いですからね。

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