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怖気ついたら何も変わらない。

非国民という言葉は、日中戦争以後に、戦争に協力しない者、協力が不十分な者、果ては生活に不満を漏らす者などに使用されました。

不満を抑圧するための各種標語が唱えられたのも、そのころです。

「贅沢は敵だ」「足りぬ足りぬは工夫が足りぬ」「欲しがりません勝つまでは」などがありました。

戦時体制に順わない者や具体的に反戦を唱える者は近隣住民から「非国民」呼ばわりされ、迫害されることもあったといいます。

いまでは、非国民という言葉は、相手に投げかれられるより、自虐的に使われることが多いと言う声も聞きます。

 自分が体制に順わないことを強調するため、などですね。

「非国民」という言葉は、半ば冗談めかして、スポーツなどの国際試合で自国の代表を応援しなかったり、試合自体を見なかったりする人などを揶揄して言われることも最近ではあるようです。

英語では、非国民という言葉に当たるのは、非愛国者を意味するUnpatrioticだそうです。

ちなみに、Traitorも使用される場合があるが、裏切者・反逆者・国賊・売国奴といった意味となるといいます。

 いずれにしても、あまりいい言葉ではありませんね。

 今回は、何を言いたいの。

「贅沢は敵だ」「足りぬ足りぬは工夫が足りぬ」「欲しがりません勝つまでは」、これに似た風潮、いまの日本にありませんか。

いつ終わるともしれない、出口の見えない、経済の低迷が続く中、人々の意識は節約志向に向かっていませんか。

節約自体は、結構なことです。

 限りない資源を、大切に使うのは、良いことですからね。

だが、何のための節約でしょう。

 将来に対する不安のために、決まってるでしょ。

これは、一人一人にとっては、切実であり、合理的選択と言えます。

けれど、一人一人が、物を買わなくなり、買うときも1円でも安いものばかり買おうとしたら、どうなります。

 売る人は1円でも安く仕入れようとし、売る人は1円でも安くしないと売れなくなりますね。

生産業者や納入業者は、しょっちゅう言われるそうです。

「消費税税分まけてくれ」

結果として、利益を削って国や地方に納める羽目になるそうです。

消費税は売り上げにかかる税なので、たとえ利益がなくとも売り上げがある限り納めなければなりません。

そのしわ寄せは、労働者に来ます。

仕事があれば良い方で、その仕事さえ、賃金水準の低い国々に流れる事さえあるわけです。

そういう人を相手にする商店も、消費税を価格に転嫁できません。

とはいっても、大手は薄利多売でなんとか利益が出ます。

中小零細は、そうはいきません。

消費税は、更なる歪みを生んでいます。

納入業者の価格を買い叩いて安く仕入れた上に、輸出品は消費税を免除されるばかりか、戻り税まで受けられると言います。

輸出業者は、消費税率が上がるほど、戻り税が大きくなるので税率を上げて欲しがるわけです。

 一人一人の節約志向は、社会全体で纏まると賃金引き下げ圧力に転化する。

 輸出業者は安く仕入れた上に、戻り税の恩恵をたんまり受けている。

輸入する方の消費者は、良い物が安いのはうれしいが、競合する製品を作っている業者と労働者は、たまりませんよね。

 日本から、貧困を輸入しているようなものですね。

昔の日本もそうだったかもしれないけれど、ヨーロッパでは良い物は直しながら長く使う文化は今でもあるようです。

 じゃあ、ヨーロッパの人たちは、日本製品の品質に納得できるなら、多少高くても買ってくれる。

数は、多少減るかもしれないけど、極端に上げなければ売り上げ自体はそんなに落ちないかも知れないですね。

 節約自体はいいことだけれど、同じように使えるなら安い方が良いとばかり言ってて良いかということですね。

本当の節約とは、コストパフォーマンスを考えることでは、ないでしょうか。

今持っているものと近い値段で、もっと良い物が買えないかと探すのも賢い選択では、ないでしょうか。

似た価格帯でも物によっては、品質ばかりか、機能や性能でも向上している場合は多いです。

要らない機能のないぶん安いものを選んで、浮いた予算で欲しいものや必要なものを、買う選択も当然ありますね。

節約、節約で委縮しがちな消費は、このような発想の転換を一人でも多くの消費者がしてくれればそれだけでも、多少は上向きます。

 全消費者が発想の転換をしてくれればいいですけど。

ワーキングプアに陥っている人には、無理は言えないですけど、少しでも条件のある人は発想を変えて欲しいですね。

 聖書やコーランにも、余裕がある人は、余裕を無い人を助けなさいと言う教えがありますね。

聖書やコーランを知らない人に、そこまで求めるのは酷でしょう。

経済が改善の方向に回りだすきっかけは、政府が作ってくるのを待ってるうちに国が終わりかねないのが、残念ながら今の日本でしょ。

 それなら、国民は自衛するしかない。

攻撃は最大の防御ですよ。

政府が無策なら、国民が自分から景気改善策を取るしかありません。

その一つが、国民1人当たり1日1円のプラスαの小さな贅沢をしよう、ということです。

 日本の人口は減少に転じたとはいえ、まだ、1億2千万人以上いますね。

国民1人当たり1日1円のプラスαは、最低でも1億2千万円以上になるでしょ。

 1年なら、365億円以上が動く計算ですね。

 乳飲み子や、寝たきり、ワーキングプア、など参加が期待できない人もいるけど。

 実際には、1円のプラスαどころか、10円や100円のプラスαになるだろうから、均せば国民1人当たり1日1円のプラスαに十分届きそうですね。

なにも、要らないものを買ってくれというのではないのです。

要るのものや、欲しいものを、無理しない範囲でちょっぴり奮発して欲しいのです。

それも一過性ではなく、定着させてほしいのです。

文化面の生活の充実も心がけて、物心ともに、豊かになって欲しいのです。

 こんな記事もありますね。

 国の負債は最大の1042兆円 10年度末、3年連続更新
 http://www.47news.jp/CN/201205/CN2012052801002188.html

 財務省は28日、政府全体の資産と負債の状況をまとめた2010年度の「国の財務書類」を発表した。

10年度末の負債は前年度末に比べ23兆3千億円増の1042兆9千億円で、3年連続で過去最大を更新した。

 借金である国債の発行で財源不足を穴埋めしたため、負債が増えた。

負債のうち、国債を含む公債残高も過去最悪で、38兆1千億円増の758兆7千億円だった。

 道路や堤防などの有形固定資産に現金や預金、有価証券などを加えた資産は、21兆9千億円減の625兆1千億円。

負債が資産より417兆8千億円多く、債務超過の状態だった。

債務超過分を日本の人口1億2千万人で割ると、1人当たり約4百万円という金額は、確かに大きいです。

けれど考えてください。

1日当たり約1万1千円弱でしょ。

 この金額、肩にずっしり来ますよ。

それに、1042兆9千億円で、3年連続で過去最大を更新したとまで言っていますね。

でも、怖気づいたら、増税論者の思う壺に嵌りますよ。

国民1人当たり1日1円のプラスαは最低でも1億2千万円以上、1年なら365億円以上が動く計算でしょ。

1円のプラスαでこれですよ。

これが毎年動いてごらんなさい。

これをわれ先に取り込もうとする投資は、起きると思いませんか。

 年365億円以上の市場に、投資が加わればもっと規模は膨らみますね。

 しかも、これは最低限の見積もり。

新たな雇用が生まれたりすれば、さらに、市場規模は膨らみ、GDPは増大することは期待できるでしょ。

 国債残高の対GDP比は、確実に下がる。

日本の国債発行残高は対GDP比でかなり高いと指摘する人はいるけど、金利は長期にわたって低迷していて、簡単に上がりそうもないでしょ。

個人向け復興国債、期待したほど売れてないという報道もあるけど、国債への先行き不安が大きいと騒がれているからです。

 なまじ金利を上げても返済に不安があるから売れないから、金利を上げる話も出ない。

金利が上がらないのは、デフレ基調に原因があると主張する人もいます。

だったら、デフレ脱却したら金利は上がるのか、ですよ。

自国通貨建て国債で大半が、国内で保有されている限りある程度大きくても問題ないから金利は低いままという見方も出来ます。

でもいずれにしても、比率は下げるにこしたことはないでしょ。

 多くの人にとって、不安要因ですからね。

政府の行動を待てないなら、国民が動くしかないでしょ。

求めよ、さらば与えられん。

尋ねよ、さらば見出さん。

門を叩け、さらば開かれん。

すべて求むる者は得、尋ねる者は見いだし、門をたたく者は開かれるなり。

マタイによる福音書の、7章7節から8節にある言葉です。

救いを求め恐れず行動するものは、その道が理にかなうなら、必ず目的に辿り着けるはずでしょ。

結果を見なければ信じないと言う人は、道理を本気にしない人でしょうね。

聖書にこの件があります。

ヨハネの福音書20章です。

26 八日後に、弟子たちはまた室内におり、トマスも彼らといっしょにいた。戸が閉じられていたが、イエスが来て、彼らの中に立って、「平安があなたがたにあるように」と言われた。

27 それからトマスに言われた。「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じるものになりなさい。」

28 トマスは答えてイエスに言った。「私の主。私の神。」

29 イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」

私は、祭司でも預言者でもありません。

だから、自分の言葉を絶対とは言いません。

あなたは、自分で確かめてください。

 私たちが、自分たちの消費で経済を変えるのに、政府の財政出動を待つ必要はないですね。

財政のないことを理由に、増税しか考える事しかできない人を待つのは時間の無駄です。

 彼らは何かにつけて、民間活力だの、民で出来ることは民へなどと、言いますね。

だったら、民間活力で、経済を再び浮揚させようではないですか。

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