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言動に責任を持つとはどういうことか考えてみた。

SankeiBiz(サンケイビズ)で、この記事を見つけました。

【Dr.小池の日本を治す!】

http://www.sankeibiz.jp/macro/news/120426/mca1204260500000-n1.htm

2012.4.26 05:00

 ■野田政権の「愚かで、無意味で、破壊的な経済政策」

 消費税増税法案が国会に提出され、世論調査では「増税反対」の声が6割をこえるようになりました。
野党はもちろん、政権与党の中からも公然と反対の声が上がる始末。
「デフレの中で消費税を5%も引き上げれば、日本経済は破綻するのではないか」という不安が広がっています。

 ◆1997年「9兆円負担増」の教訓は

 かつて日本は、痛苦の経験をしました。
97年の消費税増税など、橋本内閣による9兆円の負担増で、くらしと景気をどん底に突き落としたことです。
このとき以来、日本は「成長が止まった国」となり、今に至るまで浮上できていません。
ましてや野田政権の「一体改革」は、消費税増税分だけで13.5兆円、復興増税や年金削減など合わせて20兆円を超える負担増ですから、その影響は計り知れないものがあります。

 97年の大失政の責任について、その後の国会(2005年2月27日の衆議院財務金融委員会)で取り上げた議員がいました。

 この議員は、「一挙に増税路線に政府がシフトした後の惨たんたる日本の経済の状況を私も肌をもって感じた」と述べ、当時の政府を厳しく追及します。

 総選挙で落選し、97年当時は「浪人」中だったこの方の事務所は、千葉県の船橋市にあったようで、当時の様子をリアルに語っています。

 「5階建てのビルで3階に入っていました。1階の布団屋はつぶれ、2階のマッサージ屋は夜逃げし、4階、5階もみんな倒産という中で、辛うじて自分の事務所が維持できたというのが奇跡に近いなと思っているぐらい厳しい経済状況でございました」

続けて、この議員はイギリスのタイムズ紙に出た論文を読み上げます。
「この増税政策は、1930年のスムート・ホウリー関税法以来、先進資本主義国で行われたもっとも愚かで、もっとも無意味で、破壊的な経済政策といわれることになろう」

 そして、容赦なくたたみかけるのです。

 「まさに、国民経済に与えた影響を含めると、それぐらい厳しい総括が必要だったろうと私は思います。当時の閣僚として、大臣はどのように総括をされているんでしょうか」

 このきびしい追及をした議員が野田佳彦氏です。
ちなみに、追及されたのは当時の財務大臣、谷垣禎一氏。
皮肉なものです。

 この追及はまことに筋の通ったものでした。
そして、この主張に照らせば、いま野田さん自身がやろうとしていることこそ「もっとも愚かで、もっとも無意味で、破壊的な経済政策」にほかなりません。

 ◆中小企業への深刻な影響

 とりわけ、雇用の7割を支える中小企業にとって、消費税増税は文字通り「破壊的」な政策となります。
中小企業にとって消費税の一番の苦しみは「転嫁できない」ことです。
仕入れ価格には消費税を上乗せされますが、多くの場合、販売価格には消費税を上乗せできません。

 昨年、中小企業4団体--日本商工会議所、全国商工会連合会、全国中小企業団体中央会、全国商店街振興組合連合会が、「中小企業における消費税の転嫁にかかる実態調査」を行っています。
「消費税が引き上げられた場合、販売価格に転嫁できるか」という設問に対して、売上高1億円を超える企業でも50%、1000万円から1500万円の小規模企業では、71%が「転嫁できない」と答えています。

 石沢義文・全国商工会連合会会長は、「(消費税)5%分もの負担がしわ寄せされれば、中小企業の利益は吹き飛ぶ。廃業が増え、国や地方の税収も逆に減るのではないか。中小事業主は消防団や祭りなど地域活動の担い手でもあり、地域の崩壊すら招きかねないと懸念している」(『毎日新聞』)といいます。

 消費税の増税によって、日本経済を支えてきた町工場や商店街が消える。
絶対にそんなことを許してはならないと思うのです。

                   ◇

【プロフィル】小池晃

 こいけ・あきら 1960年生まれ、東京都出身。東北大学医学部医学科卒。
東京勤労者医療会代々木病院などを経て参議院議員を2期12年務めた。

現在は日本共産党政策委員長。著書に「どうする 日本の年金」(新日本出版社)など。

私この記事に、聖書の十戒を思い出しました。

旧約聖書の出エジプト記20章3節から17節と、申命記5章7節から21節に書かれてあります。

長くなるが、出エジプト記の方から、20章1節から20節を引用します。

神はこのすべての言葉を語って言われた。

「わたしはあなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である。

あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。

あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水のなかにあるものの、どんな形をも造ってはならない。

それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない。
あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるから、わたしを憎むものは、父の罪を子に報いて、三、四代に及ぼし、わたしを愛し、わたしの戒めを守るものには、恵みを施して、千代に至るであろう。

あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。主は、み名をみだりに唱えるものを、罰しないでは置かないであろう。

安息日を覚えて、これを聖とせよ。

六日のあいだ働いてあなたのすべてのわざをせよ。

七日目はあなたの神、主の安息であるから、なんのわざをもしてはならない。
あなたもあなたのむすこ、娘、しもべ、はしため、家畜、またあなたの門のうちにいる他国の人もそうである。

主は六日のうちに、天と地と海と、その中のすべてのものを造って、七日目に休まれたからである。それで主は安息日を祝福して聖とされた。

あなたの父と母を敬え。これは、あなたの神、主が賜わる地で、あなたが長く生きるためである。

あなたは殺してはならない。
あなたは姦淫してはならない。

あなたは盗んではならない。

あなたは隣人について、偽証してはならない。

あなたは隣人の家をむさぼってはならない。隣人の妻、しもべ、はしため、牛、ろば、またすべて隣人のものをむさぼってはならない」。

民は皆、かみなりと、いなずまと、ラッパの音と、山の煙っているのとを見た。民は恐れおののき、遠く離れて立った。

彼らはモーセに言った、「あなたがわたしたちに語ってください。わたしたちは聞き従います。神がわたしたちに語られぬようにしてください。それでなければ、わたしたちは死ぬでしょう」。

モーセは民に言った、「恐れてはならない。神はあなたがたを試みるため、またその恐れをあなたがたの目の前において、あなたがたが罪を犯さないようにするために臨まれたのである」。

小池晃氏が野田佳彦氏の過去の言動を追求したのは、まさに現在の言動との間に、大きな矛盾があるからです。

野田佳彦氏の犯した誤りは、十戒のうち、これにあたるということでしょうか。

あなたは隣人について、偽証してはならない。

この戒めは一般に、嘘をついてはならない、と解釈されています。

嘘とは、事実と異なることを述べることです。

過去の言動を、言っていない、やっていないと言うなら、それは嘘、すなわち偽証にあたるでしょう。

だが、過去の言動は否定しないが、現状認識が変わった、あるいは、状況が異なる、と言って一貫性のないことの釈明をしたらどうなるでしょう。

マルクスの有名な言葉に、これがあります。

「この人たちが『マルクス主義者』なら、私は『マルクス主義者』ではない」

自分の過去の議論の結論だけをあげつらい、それに『マルクス主義』のレッテルを貼り、自らを『マルクス主義者』と名乗る人々を称した言葉です。

野田佳彦氏も、「私は『野田佳彦主義者』ではない」と釈明できるでしょうか。

これが偽証にあたるかどうかは、納得のいく説明を野田佳彦氏が出来るかどうかに、かかっているでしょう。

少なくとも、一貫性のないことだけは確かですから。

 マルクスは、マルクス主義者を名乗るなら、自分の過去の結論ではなくどのように考えたかをこそ真似て欲しいと思ったのでしょうね。

 同じ公式を用いても、異なる変数が入っていれば、答えは違うはずですね。

 日本共産党がマルクス主義やマルクスレーニン主義の呼称をやめ、科学的社会主義の名称を採用したのも、マルクスやエンゲルスやレーニンの思考が発展し変容していった以上、その延長線上に自分たちの自分たちの理論を築くべきと考えたからでしょ。

つまり、変容の過程を合理的にたどれるかどうか、ということですね。

 あの時は批判だけしていればいい一野党議員だったが、今は責任のある内閣総理大臣だという説明しかできないなら、ダブルスタンダード、いわゆる二枚舌すなわち嘘つきですよね。

十戒は、言うのは簡単だが、いざ行おうとすると、相当な決意、決心がいるということですね。

どのような状況下にあっても、謙虚に反省し、自らの言動を慎み、律していきたいものです。

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