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ペトログリフと神武天皇?

「ヘブライの館 2」
http://hexagon.inri.client.jp/

このサイトに、興味深い記事があります。

「日本人シュメール起源説」の謎
http://hexagon.inri.client.jp/floorA3F_hb/a3fhb301.html

まず最初に山口県下関市の西端、関門海峡を目の前にする彦島から、奇妙な模様=「ペトログラフ」を刻んだ石が次々に発見された。

解読を進めるにつれ、驚愕の事実がわかってきた。

なんと、それは、シュメールの古代文字だったのである。

更にこの後、ペトログラフは、九州北部と山口県西部の各地で相次いで発見された。

このペトログラフの発見のニュースは、日本国内よりも海外でより注目され、高く評価されている。

この山口県には、周防という土地があります。

周防は、かつて周芳と記されました。

つまり、この地はかつて「しゅうほう」と呼ばれていたのです。

それが、転化の過程で「しゅうほう」から「しゅうぼう」「すおう」へと変化していったのでしょう。

 丸唇音的に「しゅうほう」と発音されていたのが、平唇音化していく途中で巻き舌音となって「すおう」になった。

おそらく、そうでしょう。

そして、「しゅうほう」は、丸唇音では実際は、「しゅうほうる」と最後に巻き舌音のR音が付きやすくなることは以前見ました。

さらに、「しゅうほうる」は若干の平唇音化で容易に「しゅうめうる」に変化するのです。

 本来「しゅうめうる」が地名であった可能性のある土地に、古代スメルの文字がある。

 偶然にしては、出来過ぎですね。

同祖論が出るほど来ていない朝鮮半島からの人々に由来する地名がある以上、スメル渡来にちなむ地名の存在する可能性を否定する方が非科学的ではないでしょうか。

さらに、九州北部と山口県西部の各地で相次いで発見されたペトログラフが古代スメルの文字であるなら、面白いことになります。

 神武の東征は、まさに、九州北部から始まっているはずですね。

そして、神武は実在したとするなら、弥生時代の人物となることは、史学では定説と言って良いでしょう。

 天孫降臨の初代神武が、弥生人となるから、実在が疑問視されてきたのですよね。

だが、縄文時代はすでに、日本列島の半分を勢力下におさめた存在があったことは史実となりつつあります。

 縄文時代、長さの統一と、日常的交易があったのことも、史実となってますね。

言い換えれば、日本における度量衡の統一は縄文時代に、すでになされていたわけですよ。

 東日本を手中に収めていた勢力が縄文にあったなら、西日本を手中に収めていた勢力もまた縄文にあった。

二大縄文勢力の衝突が倭国の乱れであったとしたら、臺与とも記される臺與(とよ)は混乱に乗じて畿内に乗り込んできた弥生人に利用されたか、あるいは臺與が弥生人を利用しようとした可能性があります。

 臺與には、壹與(いよ)と言う説もありますね。

 邪馬台国最後の女王となった臺與の運命は、古代エジプト最後の女王であったクレオパトラと似ていたかもしれない。

 そういえば、古代エジプトの王位継承には神に仕える女性との婚姻が必要でしたね。

 祭祀の女王と政務と担当した男王、古代エジプトと古代日本は似てますね。

外反母趾になりやすい日本人が多いのは、エジプトタイプの足が原因という近年の研究と重ねると面白いですね。

 クレオパトラはギリシャ系、秋田美人の典型はミロのビーナス、臺與はどんな容姿だったのでしょうね。

縄文人の血筋は、アイヌが引いているとされます。

そのアイヌの生活文物に、古代イスラエルとの類似を指摘する声があるのですよ。

 じゃあ、臺與も中東的な顔だったかもしれない。

墓も骨も、不明だから想像するのは自由ですがね。

 弥生と縄文の間には、断絶と呼ぶには連続が、連続と見るには断続があるのでしたね。

これは、中東からの波状的移住を想定しないと、説明が難しいのです。

 弥生人もまた、中東に遡らないといけない。

世界的には、ペトログリフと呼ばれるペトログラフは、世界中で見つかり、日本にないはずがないと見られていました。

九州北部から山口県にかけてのペトログラブ発見は、その空白を埋めた報告だったのです。

 古代アメリカと古代日本のペトログリフは、古代アメリカ人と古代日本人の遺伝子的繋がりと重ねると、アメリカ経由の縄文人の道が見えてくる。

縄文土器は、日本とアメリカの双方で見つかりますからね。

 後は、縄文時代のペトログラフがもし見つかったなら、縄文人が太平洋を挟んでペトログラフの担い手であったとなりますね。

 まだ、見つかってないのでしょうか。

さあ、どうでしょう。

だが、弥生人とスメル古代文字であるペトログラフを結びつけて良ければ、縄文人にも可能性は出てきますね。

いわゆる魏志倭人伝、つまり、魏志東夷伝倭人条には、木を刻み縄をなうとあります。

 この木に刻まれていたものが、古代スメル文字だとしたら、残っている可能性は極めて低いですね。

日本は木が豊富にあるから、岩に刻まれてきたペトログラフは、木の文化に即して変容していたのかもしれないですよ。

 日本は焼き物に適した土も多いから、土器も、見直しが要りますかね。

そんな、ドキッとさせること言わないで下さいよ。

 縄文と弥生の間に見られる連続性の中に、ペトログラフがあったら面白いですね。

慎重に情報を、集めてみたいですね。

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