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2012年6月

勘違いは時にトンデモナイことになる。

日本非破綻論者の間違いは、バランスシート拡大説と言う人がいます。

「国が借金を増やせば、同時に国民の資産も増えるので、借金が資産を越えることはない」と言う議論を「会計学を知らない人が聞けば、そうなのかと納得してしまうかも知れません」と言って間違っているとするのです

国家の借金が増えれば、バランスシートの貸方に借金が掲載されると共に、借方では国民の貸付金という資産が生まれます。

この点で両者は一致します。

しかしバランスシート拡大説といって批判する人は、あくまで借金を借りることが「成立した後」の話と言います。

日本国民の個人金融資産は約1400兆円ですから、国民が1500兆円国債を買うことは出来ないと主張します。

デパートの商品なら、現金が無くてもクレジットカードで買えるが、国債は後払いやリボ払いで買うことなど出来ないと言う指摘は確かに事実です。

だが、国の借金は、担い手である国民の金融資産よりも大きくなることなど、ありえないというのはトンデモナイ勘違いなのです。

金融機関は返済された金の使い道がない限り、延々と国債を買わざるをえないのです。

 つまり延々と借り換えが続く。

ここを無視した議論が、金融資産の規模を超えて国債を発行できないという意見なのです。

国債には償還日があります。

そして過去に発行した国債の償還日には金融機関に返済することになります。

金融機関は使い道のない巨額資金の返済されても迷惑な場合、国債の借り換えをするしかありません。

金融資産規模を超えて国債を買えないと言うのは、ここを無視した議論なのです。

膨大な残高と言うが、金融機関にそっぽを向かれて行き場のない資金が積み重なっているのです。

 言ってみれば、失業したお金がこれだけある。

国債発行残高は大きいと言うが、金融機関に使い道がないと受け取りを拒否された資金がこれだけダブついていると見ることもできるわけですからね。

 積み上がった残高を減らすには、市場を元気にするしかない。

行き場失っている資金に、仕事をさせるには市場に出すしかありません。

それには消費を拡大するしかなく、消費を拡大すれば投資が増え、融資先が出来るので、ダブついていた資金の働き先が確保できます。

個人消費を潰す消費税増税しろとわめくのは、救いがたい大馬鹿ですよ。

マタイの福音書7章7から10節にはこうあります。

求めなさい。そうすれば与えられます。

捜しなさい。そうすれば見つかります。

たたきなさい。そうすれば開かれます。

だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。

あなたがたも、自分の子がパンを下さいと言うときに、だれが石を与えるでしょう。

また、子が魚を下さいと言うのに、だれが蛇を与えるでしょう。

やってはいけない消費税増税をやるのは、パンを求めて石を、魚を求めて蛇を、与えられるようなものです。

1%の増税で増える収入が2兆円だの2.5兆円だのと言うのは、これは真っ赤な嘘です。

税率が上がれば上がるほど、1%当たりの増収は激減していきます。

しかも、内需の減少により、所得税や法人税など、他の税収が落ち込むという弊害も確実に起こります。

実際に1997年に消費税が3%から5%に上げられた時、消費税収は1兆円も増えなかったうえ、所得税や法人税が減少し、トータルの税収は3.8兆円も減ったという、歴然たる事実があります。

     消費税  所得税   法人税   合計
1997年 7.46兆円 20.71兆円 13.50兆円 41.67兆円
1998年 8.42兆円 17.42兆円 12.02兆円 37.87兆円

日本の国債は、今出ているものは自国通貨建てしかありません。

外国政府の保有分もあるが、微々たるもので、ほとんどは日本国内で消化されています。

 言い換えれば、失業して働き先を求めている資金が膨大にある。

金融機関に投資や融資をする気を起こさせる政策こそ必要であり、消費を促す政策が必要です。

それには、思い切って国債の日本銀行引き受けで組んだ予算を、国民の安心と、整備が切実に求められるインフラストラクチャーに投じることです。

新規に作るのはもちろん、更新時期を迎えるインフラストラクチャーは山のようにあるはずです。

そしてこの政策はぶれずにやり切る決意を、政府が示せばいいのです。

 安心と仕事の確保が出来れば、消費は動き出す。

原発の廃炉も、気の遠くなるような長期戦なので、これも雇用創出に有効です。

そうやってGDPが増えれば、税収も増え、国債の償還も容易になります。

 膨大な国債の発行残高は、一転して、膨大なGDPに変わっていく。

発想の転換が、必要なんですよ。

追記

「日銀に国債を買わせると、ハイパーインフレーションになって破綻する」と、脅す人がいます。

ハイパーインフレーションとは、月に物価上昇率が50%、年では13000%に達することと定義されています。

ちなみに、政府発行通貨もハイパーインフレの要因とされるが、まだ中央銀行がなかった明治初期は政府紙幣が発行されていたが、物価上昇率は最高が明治5年の9.97%、最低は明治10年のマイナス10.4%でした。

日本銀行創立のきっかけは、明治10年2月の西南戦争によるインフレーションだが、その時でさえ物価上昇率は、高いとはいえ14%を超える程度だったのです。

ハイパーインフレーションになる事態が、いかに大変かわかりますね。

2011年末の時点で、日本銀行の保有する国債は67.6兆円、国庫短期証券は24兆円、合わせて90兆円近いお金を市中に出してるはずなのにインフレーションになるどころか、デフレーションはどうにもとまらない状態です。

デフレーションは、お金の休業状態と言えます。

インフレーションは、お金のオーバーワークと言えます。

いまは、お金に仕事を与える必要があるのです。

なお、国債発行を続けることを妨げる要因は、2つあります。

1つは金利で、返せる見込みがある範囲で高い分には魅力でも、返せる見込みに不安があれば、買い手はつきません。

もう一つがインフレ―ションで、お金は市場で忙しいので休んでる暇がないから、国が強制的にお金を休ませないと国債は売れません。

この強制的にお金を休ませる手段が、公定金利引き上げです。

お金が休むと、デフレーションなのは先にお話しした通りです。

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慰安婦問題を考えてみた。

「従軍」慰安婦の問題でクレームがつく原因は、「従軍」と言う言葉を使ったことにあることを理解しなければならないでしょう。

 公的にない文字を入れるから苦情が来た。

公的記録に「従軍」慰安婦の記述がないこと自体は、多くの人が受け入れている事実です。

 慰安婦の存在は認めるが、従軍の文字はどこにもないわけですね。

 「従軍」慰安婦という言い方をしている人のほとんどは、公的記録にあろうとなかろうと、実態は「従軍」だった認識しているにすぎないわけですね。

日本軍の駐屯地に慰安宿があり軍が慰安婦の健康管理に注文を出していたことを理由として、「従軍」と言えるのかどうか考えた方が良いのでないでしょうか。

実際は「従軍」として認知も認識もされていないということは、駐屯地で営業していた慰安宿の業者は軍に「随行」「随伴」していたという認識だったかもしれないですね。

 「随行」「随伴」していた慰安宿ならあったが、「従軍」していたわけではなかったのではないか。

その意味では誤解を恐れずに言えば、「従軍」慰安婦は居なかったと言える可能性の方が高いでしょうね。

 「従軍」慰安婦と言うから、そんなものはなかったと言われる。

「随行」「随伴」していた慰安宿の業者に軍が慰安婦の健康管理で注文を出すのは、消費者保護のために業者に注文を出していたに過ぎないという認識だったのでしょう。

 だから「従軍」慰安婦と記した公的記録がない。

つまり、軍の駐屯地で営まれた慰安宿で働いた慰安婦の立場を「従軍」と認識するのは勝手だが、かっこ抜きで呼んではいけないのでしょうね。

 いわゆる「従軍」慰安婦というならまだしも、但し書きもかっこも外して言っては揚げ足取りの口実を与えるだけ。

そうなると次の問題は、「強制連行で無理やり慰安婦にされたのかどうか」ですよ。

あるいは、最近良く聞く「本人の意思ではない」として、それを強要したのは誰か、明らかにする必要があるでしょう。

 親なのか、慰安宿業者なのか、日本軍なのか。

さらに、彼女たちが働きに出た背景も調べられれば、良いのですがね。

難しいでしょうね。

 慰安婦の半数以上は、日本人だったと言う指摘もありますね。

貧しい地域では、しばしば娘の身売りがあったようです。

 日本では、かつて慰安婦だった女性が名乗り出られないのは、家や自分たちの恥を晒したくないという想いもあるのでしょうね。

日本は恥の文化です。

すでに高齢に達し、自らの過去に口をつぐんだままの女性たちは多いでしょうね。

 証言したら最後、地域にいられなくなり、生きていくことさえ思うようにならない現実の前にはどうしょうもなかった。

韓国人女性も、名乗り出た以上日本を悪者にして反日宣伝に利用されるのを覚悟しないといけないから、親や業者の強要であったとは、言えない立場に追い込まれている可能性は十分にありえます。

証言の内容が話すたびに食い違うという、指摘もあると言います。

 何年も前のことだからよく覚えていないのだろうとか、つらい記憶だから直視したくないのだろうとか、解釈する人もいますね。

だが、基本的な話の内容に矛盾が多すぎると、困惑する人もいるようですね。

 核心部分を隠すから、矛盾が出る。

 日本軍のせいと言い切れるなら、細かい間違えはあっても矛盾はでないでしょうね。

言うに言えない事情が、名乗り出た韓国女性にはありそうですね。

 事実がはっきりしない以上、誰も安易な妥協や謝罪はしない方が良い。

残念ながら、そのようです。

後味は、悪いですけどね。

追記

このブログ記事見つけました。

検証の必要ありと見ますが、一応紹介。

「韓国は在韓米軍に“慰安婦を提供していた」…ニューヨーク・タイムズが1面で報じるも朝日新聞は黙殺
http://spiritcat.blog.fc2.com/blog-entry-163.html

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アーモンドと薬師如来?

旧約聖書には二種類のナッツが出てくるが、そのうちひとつがアーモンドだと言われます。

 もう一つのナッツは、イチジクですね。

今回は、アーモンドに注目したいです。

原産はアジア西南部で、現在では南ヨーロッパ、アメリカ合衆国、オーストラリアなどで栽培されており、アメリカ合衆国のカリフォルニア州が最大の産地です。

 栽培されている土地のほとんどは、日本人の起源との関連を考えてきた地域ですね。

 オーストラリアも、南太平洋の島々の延長線上で、見ても良いのかも知れないですね。

 日本人の桜好きは、こんなところに起源があったりして。

確かに、そっくりな花ですからね。

日本では、小豆島などで栽培されています。

 小豆島は、オリーブ栽培でも知られますね。

アーモンドの学名はPrunus dulcisだが、Amygdalus dulcisの別名でも知られる、バラ科サクラ属の落葉高木です。

 だから、花は桜によく似ているわけですね。

アンズ、モモやウメの近縁種だが、アーモンドの果肉は薄く、食用にならないです。

日本では3月から4月にかけて、葉のない枝に、サクラとよく似た白色・桜色・桃色の花弁の端に小さな切込みの入った花をサクラ同様一斉に咲かせます。

7月から8月の頃に、実が熟します。

ただし花柄が非常に長いサクラの花と違いアーモンドは花柄が非常に短く、枝に沿うように花を付けるため、桜色・桃色の花の品種の場合は一見モモの花のように見えます。

アーモンドの和名は、ヘントウ(扁桃)、ハタンキョウ(巴旦杏)あるいはあめんどうです。

和名の一つであるあめんどうは、江戸時代にポルトガルを通じてこの実が持ち込まれたことからきているといいます。

ポルトガル語のアメンドアamendoaが転じて、アメンドゥ、もしくはアメンドースと呼ばれていたそうです。

ついでにいうと、英語ではアーマンドalmond、フランス語ではアマンドAmandeと呼ばれるアーモンドの語源は、古代ラテン語のアミグダラamygdala、古代ギリシア語のアミダグレーに由来します。

アーモンドから採ったナッツも、アーモンドと呼ばれています。

アーモンドの樹高は、約5メートルになります。

果実が自然に落下することはないので、実の収穫の際には樹を「ツリー・シェイカー」と呼ばれる機械で揺さぶって実を落とします。

日本では果実が熟す時期が梅雨時に重なるため、果肉が割れた時点で収穫を行わないと腐敗したり虫に食われたりします。

アーモンドには甘扁桃であるスイート種と苦扁桃であるビター種があり、食用にされるのはスイート種です。

スイートアーモンドには100以上の品種があるとされるが、食用とされる主な品種は、ノンパレイユ(Nonpareil)、カリフォルニア(California)、カーメル(Carmel)、ミッション(Mission)、ビュート(Bute)などです。

アーモンドの果実は、皮、果肉、核、仁からなります。

このうち食用にしているのは、仁の部分です。

仁が、生アーモンドです。

果肉と種子の殻を取り除いた仁を炒って、もしくは揚げて食用とします。

そのまま塩味をつけて食べるほか、スライスしたり粉末にしたものをコルマなど料理や、フィナンシェ、マカロン、アマレッティ、ヌガー、マルチパンなど洋菓子の材料にします。

 アーモンドの菓子って、チョコレートだけじゃないのですね。

種子を水につけてからアーモンドミルクを絞って、飲料とすることもあります。

イランでは、未熟果をホーレシュという煮込み料理に用います。

脂質を55パーセント含む他、ビタミンB2を多く含みます。

食品の中でも ビタミンEが最も多く(含有100グラム中約30ミリ・グラム)含まれています。

ビタミンEは活性酸素による体細胞や血管の酸化を防ぐ抗酸化作用があり、老化の予防に役立ちます。

悪玉コレステロールの酸化を抑制し、過酸化脂質の生成を防ぎ、心臓病や糖尿病の予防に役立ちます。

他に亜鉛、マグネシウム、カリウム、鉄などを多く含んでいます。

また、豊富な不溶性食物繊維を含み、腸の働きを活発にして整腸を促します。

有害物質やコレステロールを吸収し抑制する作用があります。

脂質の約7割は、一価不飽和脂肪酸のオレイン酸で、善玉コレステロールを維持し悪玉コレステロールを制御し酸化させない働きがあるポリフェノールを多く含んでいます。

その効用は紀元前から認められており、旧約聖書の中にも記述されています。

アーモンドの種子から絞ったアーモンドオイルは、料理に使われる他、キャリアオイルとしても用いられます。

キャリアオイルは、アロマセラピーにおいて、主に精油つまりエッセンシャル・オイルを希釈するための植物油です。

マッサージオイルを作る際に使われる二次的原料と言うことができます。

エッセンシャルオイルは基本的に非常に高濃度であって希少であり、原液のままでは強すぎて皮膚に直接使用することができないからです。

 実もオイルも健康に良くて、なんだか、オリーブを連想しますね。

 どちらも、聖書に出てくるし。

オリーブオイルも、キャリアオイルに用いられるオイルの一つですよ。

ビターアーモンドには青酸化合物であるアミグダリンが多く含まれるため、味が苦く、大量に摂取すると有毒です。

 それで、食用になるのは、主にスイート種なのですね。

ビター種には、鎮咳・鎮痙などの薬用、ベンズアルデヒドを多く含むため着香料、ビターアーモンドエッセンス、オイル(苦扁桃油)の原料として用いられます。

イタリアのリキュールアマレットの風味付けにも用いられます。

イタリアなど製菓材料とする国もあるが、アメリカ合衆国などビターアーモンドの種子の市販を禁じている国もあります。

ヘブライ語で「見張る」、「目覚める」という動詞を「サクダ」や「シャカッ」と言い、アーモンドはそれと同根で「シェケディーム」といいます。

現代ヘブライ語では、「シャケド」(שקד)といいます。

旧約聖書においてアーモンドは創世記、出エジプト記、民数記の3記、伝道者の書、エレミア書の2つの伝道書に合計9節の出典がみられます。

その象徴する所は多様で、豊かさ(多産)、神の祝福(約束、あるいは奇跡)、価値ある贈り物、神へ捧げる聖なる燭台、神の復活、目覚め(再生/春の訪れ)、神が見張っている事(神の目)と非常に宗教的には重要な要素を象徴しています。

「創世記」には乳香、蜜、香料などとともに、アーモンドが贈り物にされたということが書かれています。

モーセの兄アロンの杖はあめんどうの木で作られており、その杖が芽を出し花が咲いて実を結んだことからイスラエルの祭司族の祖となるレビが選ばれました。

そしてそのあめんどうの杖は、契約の箱の前に保存するようにと、旧約聖書民数記17章3節から10節に記述されています。

ここから、アーモンドの木は「神の承認、もしくは支持」を象徴すると言われています。

 アーモンドと神聖さといえば、アーモンドアイですね。

古代アメリカ文明でも、古代エジプト文明でも、アーモンドアイは登場しますね。

 それに、長江文明でも、アーモンドアイは注目されましたよね。

 長江文明の出土品の青銅の面のアーモンドアイなど、中南米文明と似ていますね。

マヤやアステカの翡翠珍重も古代中国から移民した名残、という指摘もありますよ。

余談だけど、翡翠という石は水の中に入れると輝きを発する性質があります。

南米の遺跡で発掘された遺体の身長は、2メートルあったそうです。

遺体のDNAからは 古代の中国から渡来したらしいとわかったといいますよ。

ちなみに、孔子の一族も長身だったそうです。

当時の貴人は亡くなった後、金婁玉衣に覆う風習がありました。

 金婁玉衣、翡翠を使った板を、金の糸で縫ったものですね。

博物館で見たことある人もいるでしょ。

 日本では、企画展でもないと、実物を見る機会はまずないでしょ。

 今では、ネットでも見られます、写真だけど。

便利な時代になったものですね。

 古代ラテン語のアミグダラamygdala、古代ギリシア語のアミダグレーが、アーモンドの語源というけど、どういう意味ですか。

諸説あります。

果実の種に刻み目(アミカエ)があったからそう名付けられたという説、アラビア語で「美しい木」を意味する言葉から来たという説が唱えられているようです。

 アーモンドは、古代から神聖視されていた。

 語源は、古代ラテン語のアミグダラや古代ギリシア語のアミダグレー。

 まさか、阿弥陀如来はアーモンド如来だったとか。

大乗仏教の如来の一つである阿弥陀如来の名は、梵名の「アミターバ」(अमिताभ Amitābha[amitaabha])、あるいは「アミターユス」(अमितायुस् [amitaayus])に由来します。

梵名の「アミターバ」は「無限の光をもつもの」、「アミターユス」は「無限の寿命をもつもの」の意味です。

これを漢訳して・無量光仏、無量寿仏ともいいます。

無明の現世をあまねく照らす光の仏にして、空間と時間の制約を受けない仏であることをしめします。

西方にある極楽浄土という仏国土を持ちます。

東方は、薬師如来が担当しています。

 でも、アーモンドアイが示すように、光とも関係があった可能性はないですか。

 それが神の光であれば無限の光であっても不思議ではないし、アーモンドアイの持ち主が神であれば無限の寿命であっても矛盾はないでしょ。

解釈としては面白いけど、うまく繋がりますかね。

 釈迦族には中東系という説が立てられるなら、関連がない方がおかしくないですか。

可能性は、否定できないですね。

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サークルダンス

集団で踊る場合、いろんなパターンがあります。

 ショーとして踊る場合もありますね。

今は、自分たちの楽しみとして踊る場合を、考えます。

社交ダンスのように、ペアを男女で組んで一定の様式で踊る。

もっとも、民族によっては、男女がペアを組まない場合もあるようです。

盆踊りのように、列を組んで踊る。

列を組んで踊る場合でも、一列に並んでその場で躍る場合もあれば、行列を組んで行進する場合もあります。

 行進の典型例は、カーニバルのパレードですね。

列を組んで踊る場合には、輪になって回る場合もあります。

今回は、輪になって踊る場合を考えてみたいです。

 輪になって踊るっていうと、「アヴィニョンの橋の上で」という歌がありますね。

「アヴィニョンの橋の上で」は、1501年に出版された最古の楽譜 『オデガドン』 に収載されているそうです。

もっとも古いシャンソン・フォルクロリック、つまり民謡で、有名な割に、作者はわかっていません。

この歌にあるアヴィニョン橋は、フランス南西部、プロヴァンス地方のローヌ河に面した古都であるアヴィニヨンに12世紀ごろかけられた石造りのサン・ベネセ橋のことだといわれます。

サン・ベネセ橋は、昔、羊飼いベネセが受けたお告げにより着工され、8年がかりで全長900メートル、22のアーチに支えられた橋が完成しました。

この「アヴィニョンの橋の上で」という歌は、橋が完成したとき、人々が歌って踊って喜びあったといわれています。

歌詞には橋の上でとあるが、橋の上は狭く、実際に人々が踊ったのは橋の下だったそうです。

17世紀後半の洪水で途中で切れてしまい、対岸に渡ることができなくなりました。

それでも、 フランス革命記念日である7月14日になると、現在でも、お祭りの夜には、人々が橋の下で踊り楽しみ、中世の面影を残しています。

 直しもしないが、壊しもしない。

 思い入れはあるが、狭いから直してまで使おうとは、思わないのですかね。

昔の作り方だから、わざわざ作り直しても、その技術はほかに使いようがないでしょうね。

今では喜びの表現や娯楽となった踊りも、もともとは神前奉納だったはずです。

回りながら踊ると言う点では、イスラム神秘主義の旋回舞踊として知られるトルコのスーフィーダンスのようなものもあります。

 円には、始めも終わりもないということから、無限の象徴という意味合いもありそうですね。

実際、輪である指輪には、神秘の力が宿るとした設定の物語はヨーロッパ文化圏にありますね。

 そういえば、婚約指輪には、宝石がない場合も多いですね。

 求婚で贈る場合には、多少奮発して宝石がついていることの方が多いのに。

終生変わらぬ愛の誓いを交わした証が、婚約指輪の本来の意味ですからね。

輪になって踊る様式は、日本では輪踊り、ヨーロッパ文化圏ではサークルダンスとして知られます。

輪になって踊る様式の歴史は、かなり古いようです。

 魔女の踊りなども、キリスト教によって悪魔に貶められた古くからの民族の神と輪になって踊る姿はしばしば描かれるようですね。

 悪魔は、魔女たちの踊りの中心に描かれることもあるような。

 それも、時代を遡るほど魔女の輪になって踊る絵は多い気がします。

輪になって踊る形式は、踊りの中でも最古である可能性も指摘されますからね。

古代ギリシャ、アフリカ 、東欧、 イスラエル、南スラブ 、アイルランドのケルト人、ブルトン、カタロニア(サルダーナ)、南アメリカや北アメリカインディアンなど、広範囲にみられるようです。

ちなみに、ブルトンとはフランス北西部のブルターニュ地方で使われているケルト系言語です。

ブルトンは大陸系のケルト語のゴール語ではなく、島嶼ケルト語に分類されます。

コーンウォール語やウェールズ語と近く、5世紀から6世紀にかけてブリテン島から流入しました。

 こうやって見ると、日本人のルーツを考える際に登場してくる地域が多いですね。

東欧も、ハンガリーのように日本に親近感を持つ国がありますからね。

 日本の盆踊りの輪踊りも加えると、中東から地中海世界やヨーロッパを巡りアメリカを経由した西回りのルートの存在が、浮き上がってきますね。

あるアフリカ人など、アフリカ的と思った名前が日本からも多く見つかって驚いていますからね。

 古代アメリカの、オルメカ文明の遺物である人頭彫刻など、一見アフリカ人風だけど、むしろ、南太平洋の人々に近く、日本でも似た顔の人いますからね。

文化の比較は、面白いことが見えて来ますね。

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お化けはちゃんと退治しましょう。科学者の常識とは?その3

今、この記事が世界をにぎわせています。

ニュートリノ「超光速」を撤回、計測に不備 名大など
2012/6/8 10:29
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG08013_Y2A600C1000000/?dg=1

 名古屋大学などが参加する国際共同実験OPERAのチームは8日、昨年9月に発表した「素粒子ニュートリノの速さが光を超えた」とする実験結果を撤回した。
見つかった計測装置の不備を直した再実験でニュートリノと光の速さに明確な差がなかった。
物質は光速を超えられないとする現代物理学の定説を覆すと波紋を呼んだ結果は、単純なミスによるものだったことになる。

 京都市で開催中のニュートリノ・宇宙物理国際会議で報告した。

 実験はスイスのジュネーブ郊外の欧州合同原子核研究機関(CERN)から、約730キロメートル離れたイタリア中部のグランサッソ国立研究所に向けてニュートリノを1万6000回発射。
到着までにかかった時間を測定し、速さを割り出した。

 昨年の発表ではニュートリノが光よりも1億分の6秒速かったとしていた。
結果が示唆する影響の大きさを考慮して、ほかの研究グループにも再検証を呼びかけた。

 その後、実験で使った全地球測位システム(GPS)衛星から精密な時刻情報を受信する装置で配線の緩みなどのミスが見つかり、測定が正確ではない可能性が高まった。
今年5月に不備を修正した上で2週間にわたり再実験を行っていた。

この記事で、疑問に思うのはここです。

今年5月に不備を修正した上で2週間にわたり再実験を行っていた。

何回、実験をやったのでしょう。

 追試の元となった実験は、こうでしたね。

 欧州合同原子核研究所(CERN)によると、ジュネーブ近郊のCERNから発射したニュートリノを730キロ離れたイタリアの研究所でとらえる実験を3年以上にわたり1万5000回実施。
その結果、ニュートリノが光より60ナノ秒(1億分の6秒)速く進むことを観測したという。

それだけ慎重に何度もやって、やっとニュートリノが光より60ナノ秒(1億分の6秒)速く進むという観測結果の再現性が確認できたのでしたね。

 言い換えれば、2週間にわたりというが、2週間では再現実験としては短すぎる。

元の報告は、3年に間に何回ニュートリノが光より60ナノ秒(1億分の6秒)速く進むという観測結果がでたと、指摘しているかは報道されていません。

 今回の実験については、研究チーム内でも正否への意見が分かれ、論文に名前を連ねることを辞退したメンバーがいる。

 この事実は、再現性があまりに乏しく、確認したと言い切るのは時期尚早と言えるほどの事例しかデータが取れていなかったことを物語っていますね。

出た結果はいずれも、ニュートリノが光より速く進む時間は60ナノ秒(1億分の6秒)という数値を示していたわけですよ。

発表に踏み切ったメンバーは、特定の数値に集中した結果に注目したと言って良いでしょう。

実験で使った全地球測位システム(GPS)衛星から精密な時刻情報を受信する装置で配線の緩みなどのミスというが、だったら、もっと高い頻度で異なる数値結果を出していたのではないでしょうか。

 高い頻度で異なる数値を出し、しかも、その数値にはばらつきがあったはずだと。

実際の実験では、60ナノ秒(1億分の6秒)という数値が繰り返し現れたが、その他の数値についてはばらつきの存在を報告していないように報道されています。

 これは、2週間や1ヶ月程度では、配線の緩みなどのミスは影響を与えてこなかったことを意味している。

これは裏を返せば、全地球測位システム(GPS)衛星から精密な時刻情報を受信する装置で配線の緩みなどのミスによって、実験結果は左右されていないとなりはしないでしょうか。

 ミスとして指摘されていることは、実験結果の信憑性は左右したが、実験結果を左右するほどの致命的なミスではなかった。

ニュートリノの超光速というお化けの正体は、別のところを探す必要があるでしょう。

 さもないと、研究者は再び素粒子の超光速というお化けに遭遇して、パニックになる。

 今度は、極めて慎重な研究者が、超光速お化けの餌食になるでしょうね。

その日は突然来るが、誰もその日を知らず、備えのないものは狼狽えるでしょうね。

 そして、波動こそがお化けの正体であったと、人々は受け入れざるを得なくなる。

そういう展開にならないよう、願いたいものです。

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カーニバルと盆踊り?

謝肉祭と訳されることの多いカーニバルは、もともとカトリックなど西方教会の文化圏で見られる、四旬節の前に行われる通俗的な節期です。

謝肉祭は、各国で次のように呼ばれます。

英語ではカーニヴァル(Carnival)

ドイツ語ではカーネヴァル(Karneval)、ファシング(Fasching)、ファストナハト(Fastnacht)

スペイン語ではカルナバル(carnaval)

イタリア語ではカルネヴァーレ(carnevale)

フランス語ではカルナヴァル(carnaval)

ポルトガル語ではカルナヴァウ(carnaval)

ハンガリー語ではファルシャング(farsang)

ポーランド語ではカルナヴァウ(Karnawał)

アイスランド語ではキョトクエズユハウティド(kjötkveðjuhátíð)

四旬とはもともとは40日のことだが、日曜日を除いて40日を数えるので、日曜日をくわえると実際は46日となります。

日曜日はイエスの復活を記念する喜びの日なので、四旬節の40日にはカウントされないのです。

四旬節は、カトリック教会などの西方教会において、復活祭の46日前の水曜日(灰の水曜日)から復活祭の前日(聖土曜日)までの期間のことです。

なお、聖公会では「大斎節」と呼び、プロテスタントの教派によっては「受難節」と呼ぶこともあります。

四旬節では伝統的に食事の節制と祝宴の自粛が行われ、償いの業が奨励されてきました。

伝統的に、四旬節の節制は、祈り、断食、慈善の3点を通じた悔い改めの表明と解されます。

現在の多くの西方教会の教派では、神に対しての祈り、自分自身に対しての節制、さらに他人に対する慈善の3つが四旬節の精神であるとして教えられています。

もちろん、伝統的な考え方を否定するわけではないといいます。

現在でも一部の信徒たちが娯楽の自粛や慈善活動への積極的な参加を行っているそうです。

一方、東方教会の諸教派では、現在も、慈善の奨励や四旬節に固有な悔い改めを促す種々の祈りとともに厳格な食事の節制が行われます。

四旬節の日は、年によって一定ではありません。

復活祭は3月22日から4月25日のいずれかの日曜日なので、四旬節は2月4日から3月10日のいずれかの日に始まるのです。

四旬節は、正教会の「大斎(おおものいみ)」に相当します。

もっとも、正教会における大斎の始まりは、日曜日日没であることや、東方教会の復活祭の日付は西方教会と必ずしも一致しません。

ちなみに、教会暦は日没を一日の境目と捉えます。

そこで、日曜日日没から月曜日と数えるのです。

大斎と四旬節は、年によって1週から5週ほどのずれを生じていることなどにより、期間には相違がでてしまうのです。

 40は聖書では、ノアの洪水や、出エジプト、イエスの断食などで出てくる数字ですね。

四旬節の語源は、ラテン語の40を意味するクアドラゲシマで、元は初代教会で復活祭前に行っていた40時間の断食の事だったと言います。

四旬節は本来、復活祭に洗礼を受ける求道者のために設けられた期間だったのです。

復活徹夜祭には成人の洗礼を行うのが初代教会以来の慣習であり、受洗者たちも初聖体に備えて40時間断食を行っていました。

後に、聖金曜日から復活祭までとされたこの40時間は、6日間に延ばされ、さらに延びて6週間の洗礼準備が行われるようになったようです。

4世紀の終り頃のエルサレムでは復活祭前の7週間、毎週3時間の受洗準備が行われていたという記録があるそうです。

4世紀に入ってキリスト教が公認されると、受洗者の数が激増したため、従来、求道者のみに課していた復活祭前の節制の期間を全信徒に対して求めるようになったわけです。

これが四旬節の起源とされます。

四旬節中には厳格な断食をなすという習慣は、古代末期から中世にかけて確立したそうです。

肉はもちろん卵、乳製品の摂取が禁じられており、一日一度しか十分な食事を摂ることができないとされました。

 その四旬節の前の行事だから、カーニバルは謝肉祭と訳される。

そうなるでしょうね。

今日では、社会の変化により、西方教会においてはそのような厳格な実施は求められていないようです。

現代のカトリック教会における四旬節中の節制は、以下のようなものといいます。

まず、教会法1251条によって対象となるのは、18歳から60歳までの健康な信徒である。

教会法1253条は大斎の実施については各国の司教団の決定に従うよう書かれている。

基本的には大斎の日には一日一度十分な食事をとり、あとの2回は僅かに抑える。

大斎の日には肉を摂らないという小斎も同時に行われる。

現行のカトリック教会法では、毎週金曜日と灰の水曜日や聖金曜日に小斎を行うというのが基本的な形式だそうです。

カーニバルの語源は、一説によるとに13世紀のイタリア語などラテン系言語の「肉よ、お別れじゃ」という意味のカルネ・ウァレ(carne vale)に由来するといわれます。

ドイツ語のファストナハトなどは「断食の前夜」の意で、大斎である四旬節の断食の前に行われる祭りであることを意味します。

別の説には、謝肉祭は古いゲルマン人の春の到来を喜ぶ祭りがキリスト教の中に入ってきたと見るものもあります。

ゲルマンの農耕祭に登場する船を仮装した山車carrus navalis(車・船の意)が、カーニバルの語源と見るわけです。

もちろん、断食の前という意味の方が古いという研究者もいます。

ゲルマンの祭りが入ってきた当初は、一週間教会の内外で羽目を外した祝祭を繰り返し、その最後に自分たちの狼藉ぶりの責任を大きな藁人形に転嫁して、それを火あぶりにして祭りは閉幕するというのがその原初的なかたちであったそうです。

 今でも、大きな人形を燃やす祭りはヨーロッパにありますね。

 日本人にもゲルマンの血が入っていると言う人はいるけど、中に明かりを灯す、ねぶたやねぷたの人を描いた大きな山車は、時期は違うけど燃やす人形と起源は似ていますかね。

 ヨーロッパには、なまはげに似た風習もあるし、日本にもハロウィンを連想できる行事があるでしょ。

確かに、行列型盆踊りとカーニバルは、奇妙なほど雰囲気は似ているのですよ。

 目的が違うから、あまり比較されてこなかったけど。

祭りは本来、霊的な世界との交流や交信としてなされてきたことを想えば、時期や表面的な目的の差にとらわれると本質的な類似が見えなくなる点を見落としてしまうでしょうね。

 目的の違いも、無視してはいけないけれど。

仮装したパレードが行なわれたり、菓子を投げる行事などが行なわれてきたことから、現代では宗教的な背景のない単なる祝祭をもカーニバルと称することが少なくないようですからね。

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ドイツと日本の企業観の類似を考える。ドイツと日本 その2。

興味深い記事を見つけました。

コダックの経営破綻の背景には、日本やドイツとアメリカの企業観の差に原因があると言う考察です。

でも、私にはこんなところでも日本とドイツの精神文化の類似性が見られることの方に面白さを感じました。

なぜコダックは破綻したのか 日独とは違う企業観
2012.6.3 10:00
http://www.sankeibiz.jp/business/news/120603/bsg1206031001000-n1.htm

 写真フィルムの巨人、米コダックが倒れた。
一方、日本の富士フイルム、コニカは事業の多角化によって生き残りを図っている。
この明暗をわけた背景には日米における企業観の違いがあると筆者は説く。

 お国柄が反映された4社の縮退への対応

 この1月にコダックが日本の会社更生法に当たる法律の適用を申請したというニュースが伝えられた。

 このニュースは日本のビジネスマンを驚かせるものだった。
同社は、世界の写真フィルム産業のリーダー企業であった。しばらく前まで高収益の超優良企業だった。
このような会社が倒産するというのは日本ではありえない話だ。
ニュースを聞いて間違いではないかと思った人も多かったに違いない。

 写真フィルムはかつて世界で4社しか製造できなかった商品である。
アメリカのコダック、ドイツのアグファ、日本の富士フイルム、コニカの4社の寡占市場であった。
そのために、上位企業はかなりの利益を得ていた。
ところが、デジタル写真技術の進歩で、銀塩式の写真フィルムの需要は縮退してしまった。

 4つの企業の縮退への対応の仕方は、お国柄を反映してずいぶん異なっている。

 ドイツのアグファは、X線写真とその解析技術を深掘りし、プロ用の市場、医療用の市場というニッチを深く耕すことによって生き残りを図ろうとしている。
このような専門市場は大きくないが、技術が生み出す価値に対する対価を払ってくれる市場である。
規模を求めないドイツ的な対応だ。
日本のコニカは、写真機メーカーのミノルタと合併し、デジタルカメラや複写機など技術の幅を拡大し生き残ろうとしている。
同じく富士フイルムは、もともと事業の多角化をしてきた企業であるが、複写機、デジタルカメラ、電子部品・電子材料など、蓄積された技術の周辺で応用分野を広げる形での事業・商品の広範な多角化によって生き残りを図ろうとしている。

 それと比べると、コダックは、企業買収という形で事業の多角化を図ったが、社内技術の深耕や幅の拡大にはそれほど熱心ではなかった。
その背景には、企業の多角化に関するアメリカの投資家の否定的な態度がある。
アメリカの投資家は、企業が事業を多角化しても投資効率が改善されることは少ないと考える。
多角化するぐらいならそのお金を投資家に還元すべきだと考える。
投資家は、自らのポートフォリオを組み替えることによって、もっと効率的に多角化ができると考える。
企業は余剰なキャッシュを持つべきではないし、事業は集中化すべきだと考える。
こうした投資家の意向を大切にしたコダックは、事業の多角化に慎重にならざるをえなかった。

 米国に見られる企業観「企業用具説」とは

 こうした投資家の意向を考えると、コダックの経営は単純な失敗だったと結論できない。
儲かっているときは、それを投資家に配分し、儲けられなくなれば、速やかに市場から退場すべきだと考えるアメリカの投資家の期待通りの経営だ。
日本の経営者にとって、企業倒産は深刻な失敗だが、アメリカでは、倒産は日本ほど深刻な問題とはとらえられていない。
その背後には、ドイツや日本とは違う企業観がある。
日本やドイツでは、企業は人々の共同体であり、それを存続させることが経営者の責任であると考えられているが、アメリカでは、企業は投資家が利益を得るための用具にすぎず、その価値がなくなれば、市場から退場したほうがよいと考えられている。
存在意義を失いかけた企業を存続させようとするのは無駄な努力であり、その努力は、ゼロから企業をつくることやよい企業をさらによくすることに使うべきだと考えられる。
そちらのほうが努力の効果は大きいからだ。
企業の内部にある技術も同様である。
衰退しつつある企業が、その関連分野で技術の応用を考えるよりは、それを社会に還元することによってもっと高収益の機会を見つけるべきだと考える。

 日本やドイツに見られる企業観を、経営学では「企業制度説」という。
それに対するアメリカの企業観を「企業用具説」という。
投資家だけを考えれば、企業用具説が正しいと考えられるべきだが、なぜドイツや日本で企業制度説のような企業観が生み出されたのか。
ドイツの場合には、ワイマール共和国時代に台頭した産業民主主義のイデオロギーが、その背後にあるといわれている。
日本の場合はどうだろうか。2つの背景がある。1つは、従業員や取引先などの利害関係集団との長期取引の約束である。
もう1つは、明治の半ばごろの資本主義の成立以来、日本に存在した反営利主義のイデオロギーである。

 企業制度説に従っている日本の経営者は存続を重視する。そのために経営の安定化を図るような戦略が採用される。
事業を集中化すれば、もっと高い利益率を得ることができるのに、経営の安定化のために事業の多角化を図る企業もある。
将来への種まきである。

 写真フィルムと同じような縮退に直面した他の産業でも、日本企業は生き残りを志向してきた。
かつては天然繊維の紡績産業やレーヨン産業も、技術進歩に伴う需要の縮退を経験している。
造船業は、国際競争力の低下によって、市場の縮退に直面した。テレビ市場が縮小してしまった家庭電器産業もこのような縮退に直面している。
 企業制度説に従っている日本の経営者は存続を重視する。
そのために経営の安定化を図るような戦略が採用される。
事業を集中化すれば、もっと高い利益率を得ることができるのに、経営の安定化のために事業の多角化を図る企業もある。

 これらの産業でも、日本の企業は存続を重視してきた。
イギリスでは、紡績企業は消滅してしまったのに対し、日本の紡績業やレーヨン産業の企業は生き残っている。
われわれは、このことをよいことだと考えているが、米国流に考えれば、ほかの用途に使えばもっと大きな価値を生み出していた経営資源を、将来の成長機会の乏しい企業の存続のために使ってしまっているという意味で問題だと考えることができる。
企業が倒産するのは、経営資源を外に吐き出すという意味で社会の生産性を高めるという機能を果たしている。

 アメリカにはこのような議論をさらに進めて、つぶれてもよいという特性こそ、株式会社のメリットの一つだという極端な主張をする人々もいる。
株式会社という制度があるからこそ、企業はリスクテーキングができるというのである。
企業用具説だから出てくる考え方だ。

 興味深い見方ではあるが、このようなやり方は、リスクテーキングのつけを他のステークホルダーに持っていくという意味で株主のモラルハザードを誘発するという問題がある。
しかし、そのような企業観を持つ投資家がいるということをよく知っておかねばならない。(PRESIDENT Online)

日本やドイツでは、企業は人々の共同体であり、それを存続させることが経営者の責任であると考えられているという類似点が指摘されています。

 企業制度説ですね。

 その一方で、ニッチを深く耕すことによって生き残りを図ろうとする規模を求めないドイツ的な対応と、経営の安定化のために事業の多角化を図り将来への種まきをしようとする日本的対応という、文化の差も注目していますね。

歴史が生み出した民族性の差は、仕方がないですよ。

むしろ、ドイツの場合のワイマール共和国時代に台頭した産業民主主義のイデオロギーと、日本に存在した反営利主義のイデオロギーを、比べて見たいですね、

 企業は営利だけのために存在するのではないという発想を共有している点が、日本とドイツの面白いところですね。

聖書のマタイによる福音書第4章4節には、イエスのこの有名な言葉があります。

人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる。

モーセにも類似の預言があり、申命記第29章5節に載っています。

あなたたちはパンを食べず、ぶどう酒も濃い酒も飲まなかった。それは、わたしがあなたたちの神、主であることを、悟らせるためであった。

どちらも、食べる事より神の言葉に従う事の方がより重要であると言う意味であり、人は少しくらい食べないでも死なないが神の言葉に背けば必ず死に至るという意味でもあります。

日本やドイツの企業観の背景には、企業は利益のためではなく、人々の役に立つためにあるという価値観があるように思えます。

そして、それは極めて聖書の価値観に近いように感じられるのです。

 アメリカの企業用具説には、同じアメリカ生まれの思想であるプラグマティズムと、共通するところがありそうですね。

プラグマティズム自体は、pragmatisch というドイツ語に由来する実用主義、道具主義、実際主義、行為主義とも訳されることのある言葉です。

ところが、プラグマティズムという思想はイギリス経験論を引き継いで生まれました。

プラグマティズムは、経験不可能な事柄の真理を考えることはできないという点を、イギリス経験論と共有しています。

物事の真理を実際の経験の結果により判断し、効果のあるものは真理であるとするもので、神学や哲学上の諸問題を非哲学的な手法で探求する思想なのです。

企業用具説は、企業は実用的である限りにおいて存続できるが、その実用性とは利益を上げることであるというわけです。

そして、利益は出資者のものであり、出資者に利益を生まなくなった企業は潰し、その経営資源は新たな実用性、すなわち利益を生む企業に投入すべきというわけです。

ここには、生産活動より祈りが大事であり、祈りのための時間を生産活動で失うのは馬鹿らしいとするピューリタン的発想があると言えます。

 思考は結論を得るための道具に過ぎないから、思考の価値は有用性で決めればよい。

 有用性のある思考が良い思考であり、真理即ち有用性とみて、有用性さえ確認できれば思考の探求なんてものは打ち切り、その時間を祈りに使おうと言うわけですね。

しかし、何のために祈るのでしょう。

救いを得るためだけでしょうか。

 祈りとは、救いだけではなく、神の教えの真意を得るためであるということですか。

思考の効率性だけを求めるなら、神の言葉の真意に思いをはせる時間を割くより、祈りが大事なのでしょうか。

 本末転倒ですね。

本末転倒に陥りやすい議論だからこそ、リスクテーキングのつけを他のステークホルダーに持っていくという意味で株主のモラルハザードを誘発する危険性もあるわけですよ。

 リスク分散という名のもとでリスクを拡散させることになった手法を編み出した金融商品も、結局はリスクテーキングのつけを他のステークホルダーに持っていくという発想から生まれた。

失敗しそうになったら、さっさと切り上げて次を考える。

アメリカはやり直しが容易な社会と言われるが、その裏には、発想の切り替えの早さもあるが、モラルハザードのリスクもあるわけです。

 日本をやり直しのしやすい社会にするのも良いが、アメリカ社会の持つモラルハザードしやすさは、持ち込まない工夫がいる。

そういう事でしょうね、

 日本やドイツには、労働と祈りを対立させない価値観がある。

そうかも知れません。

カソリックにも祈りと一体となった労働を重視した修道院を多く作ってきた歴史があるし、日本の仏教にも作業と一体となった修業を重視した寺は多くあります。

ドイツはプロティスタントを生んだ国でもあるが、祈りと一体となった労働を重視した伝統は失わなかったと言う事かも知れません。

 ドイツの日本への親近感は、異質な文化圏に囲まれた歴史の中で、世界の中で仲間を探したいという彼らの切実な思いの反映かの知れない。

その日本に対し、ゲルマンの血が流れていると見る人たちがいるのは、面白いですね。

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輪踊り

集団で踊る様式の一つに、輪踊りがあります。

 輪踊りと、日本でいえば、連想するのは盆踊りですね。

 盆踊りと言えば、行列型や行進型と呼ばれる、阿波踊りやおわら風の盆などもありますね。

この行進型や行列型は、一方向に進んで戻ってこない場合を言うべきで、道路の端で折り返して回ってくる場合は輪踊りの一種と見るべきという意見もありますけどね。

阿波踊りにも小さな踊りの輪が出来ろことが多く、この小さな踊りの輪も輪踊りと呼ばれます。

興味深いことに、行進型の典型として知られる阿波踊りやおわら風の盆は、いずれも笠踊りでもあります。

 そういえば、笠踊りで輪踊りはあまり聞かないですね。

被る笠ではなく、差す傘を持って踊る傘踊りもまた、行列型や行進型が多いです。

笠や傘を持って踊る起源は、おそらく風流踊り(ふりゅうおどり)でしょう。

風流踊りとは、15世紀から16世紀にかけて全国で踊られた芸能です。

お盆に踊られるため、事実上の盆踊りであったといえます。

事実上というのは、盆踊りとは呼ばれていなかったからです。

風流踊りという呼び名も、学術用語です。

当時は、盆の躍りとか盆の風流などと呼ばれていました。

風流踊りは、風流拍子物の造り物を中心の中踊りに取り入れ、外側に側踊り(がわおどり)と呼ぶ輪踊りを伴いました。

おわら風の盆などは、この盆の風流がおそらく語源でしょう。

風流踊りは、16世紀には、京都で盛んに催行されたといいます。

特に経済力を蓄えて勃興した京の町衆が、風流踊りの大きな担い手となりました。

豊後大友氏、阿波三好氏など有力な戦国大名が風流踊りを城下に招聘し、地方への風流踊り伝播に一役買ったそうです。

風流踊りは安土桃山時代にいよいよ盛んになり、その様子はいくつかの「洛中洛外図」にいきいきと描かれています。

豊臣秀吉の追悼となる豊国廟祭礼の際にピークを迎え、江戸時代になると衰えました。

実はこの風流踊りに、笠踊りや傘踊りの起源をみることができるようです、

かつて風流踊りでは、輪踊りの中心に中踊りがあり、風流拍子物の造り物を取り入れていました。

その風流拍子物とは、霊の依り代となる笠や造り物でした。

その後音頭が中心に立つようになっても、臼や笠などの依り代が併置されることが多かったのです。

今では、輪踊りの中心には音頭や囃子の乗る踊り櫓が位置することが多くなっています。

さらに、娯楽の要素が強まり、宗教的意味合いは薄れています。

輪踊りでは廃れていった風流拍子物の系譜は、行列型や行進型の踊りに引き継がれていったようです。

 そういえば、行列型や行進型のほとんどは、笠や傘、あるいは何らかの山車などを伴いますね。

行列型や行進型は、むしろ、カーニバルに近いと言えるかもしれません。

 盆の躍りとも、風流踊りは呼ばれていた。

 そういえば、行進型には躍動感を感じることが多いですね。

 行進躍りとか、行列躍りとか、記したくなる。

ねぶたの跳人(はねと)など、まさにそうでしょ、

一方、輪踊りはサークルダンスの系譜に属する可能性が高いと言えます。

 風流踊りが、輪踊りと行進型に分裂していったのは、もともと起源を異にする踊りの混合だったから。

そうかも知れません。

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