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稲荷と弁才天は水で繋がる?稲荷とキリスト?その4

稲荷神社で気になるのは、鳥居の色や、狐だけではありません。

 祀られ方、ですね。

境内社として祀られる場合、合同庁舎ならぬ合同祠とでも言いたくなるような祀られ方は、稲荷にはほとんど見られません。

 合同の祠に祀られる可能性が少ないのは、今まで見た限りでは、稲荷神と弁才天、そして宗像神でしょうね。

稲荷神は、合同の覆い堂に祀られることはありました。

 稲荷神がほかの神と合祀されている場合は、ありますけどね。

稲荷神は、複数の扉を持つ合同の祠に祀られているのを見た記憶は、まだありません。

全部の神社を巡ったわけではないので、断言はしませんが。

この、祀られ方が気になったきっかけは、大宮の氷川神社を参拝した時です。

覆い堂に納めて祀られた、稲荷神社に気づいたのです。

それまで街中で、何度も見かけた稲荷神社だけど、覆い堂に収められているかどうかまで、考えたことなどなかったのです。

大宮氷川神社で見た、稲荷神社の覆い堂の大きさは、それくらい衝撃的でした。

 それ以来、稲荷神社を見かけるたびに、どのように祀られているか気になったわけですね。

そうやってみると、普段見慣れていたはずの稲荷神社が、覆い堂に収まっていたことに気づきました。

 意外なほど、覆い堂に納められた稲荷神社があるわけですね。

他の神社でも、覆い堂に収められている場合はありました。

でも、見かける覆い堂は、たいてい稲荷神社なのです。

稲荷神社と覆い堂、この関係を考えているうちに、忘れかけていたことがあったと気が付きました。

大宮氷川神社で見た稲荷神社は、覆い堂との間の空間に、十二支が祀られていたのです。

 覆い堂の方にばかり気を取られ、十二支の方は見落としていた。

不覚でしたね。

弁天堂は、山の上や狭い路地裏に祀られる場合を退けば、たいていどんなに小さくても池があるのです。

いいかえれば、弁天堂は水が傍にない場合でも、水の象徴さえ傍にあれば良いとなるでしょうね。

 山は天に近いが、天は水に配される。

 地面で周囲に池を作らない場合でも、なにか、水の象徴があれば良い。

稲荷神社と水の関わりを考えたことがあるけれど、面白いことに、稲荷神社はしばしば弁天堂の傍らに微妙な位置関係を保ちながら、祀られるのですよ。

 まるで、弁天堂の水担当と、言いたげ。

水は天に配されるので、稲荷神社は弁天堂の水担当である以上に、弁天堂を天空の祠であると示唆しているのかも知れません。

 弁天堂は天空の神社といえば、厳島神社のときも、そう感じましたね。

弁天も興味深いけれど、今回は深入りしません。

つまり、稲荷は天空に関係する神社でもありそうなのです。

 その天空に関する神社と思える稲荷に、十二支…。

 十二支と言えば、方位に関係ありますね。

農耕神としての稲荷は、風向きよりも、風の吹く季節に関わりがあるでしょうね。

そして、季節と言えば風よりも雨でしょう。

風は、よほど強いか乾いているかでないと、問題にならないです。

 稲荷神社では、十二支は、方位よりも季節に関係している。

月日や時刻など、広い意味では時間や時期と言えるでしょうね。

 時間と言えば、月神ですね。

さらに、月神と言えば、水を掌る存在ですね。

 大宮の氷川神社で、稲荷神社の十二支は、稲荷は月神であると暗示していた。

そうかもしれません。

ネズミを捕ってくれる益獣としての狐は、昼も見かけることが多いとはいえ、基本的には夜行性です。

月と狐は、夜で結びつき、月と夜は陰で結びつき、陰は天と結び付くので、天で結びつくと見ても良いかもしれません。

 月と狐は、夜と天で結びつく。

 だから、狐は天の使いという位置付けになるのですか。

 狸も、月とは天と夜で結びつきそうだけど、ネズミを捕る以上に作物を荒らす害獣と見られるから、天の使いとは見られなかった。

狸も興味深いけど、残念ながら今回は深入りしません。

 十二支を周囲に祀るために、単独の祠である必要があった。

 どうして、十二角形の祠にしないかですね。

作るのが大変なのと、四辺に三つずつ祀ればすむことでしょう。 

 よく指摘されますよね。

 稲荷(INARI)はINRIに音が似ている。

 稲荷はINRIの当て字であるという説を唱える人もいる。

INRIとは、“IESVS NAZARENVS REX IVDÆORVM”の略です。

INRIとは、古典ラテン語で、“イエス ナザレの人 ユダヤの王”という意味です。

イエスは、御父や聖霊とともに絶対三神として祀られています。

 そして、四辺に三つずつって、符牒合いすぎませんか。

そうですねえ。

しかも、十二と言えば、イスラエルの支族の数であり、イエスの弟子の数でもある。

 でも、今の時点では、イエスは天に隠れていらっしゃる。

 月は陰に配されるので、陰の状態のイエスは、ヤハウエのときと似た状態ですよね。

そして、稲荷神社は秦氏が氏神として祀っていたと言われます。

 これでは、秦氏にユダヤ人キリスト教徒説が、出ても仕方ないですねえ。

そうなりますねえ。

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コメント

黙示録14章2
「私は天からの声を聞いた。大水の音のようで、また、激しい雷鳴のようであった。……」

水も関係ありそうですね。

投稿: | 2012年7月17日 (火) 00時00分

イエスも水のパブテスマ受けていますね。

投稿: cova | 2012年7月17日 (火) 07時29分

水は仏性。酒は神性。
だとするなら弁才天はその両方を兼ねていると言えるのでしょうね。
稲荷の“異成り”を、水の気化や液化などの状態変化や、“醗酵”を表すと見做すなら、そこに関連性はできますね。
ただ“変異”は水や酒に関してだけではなく千差万別に起こるので、「稲荷と関連しているのでは?」という視点で見ると、あらゆるものが関連しているということになってしまい、気が遠くなるように感じます。

投稿: ハム次郎 | 2012年8月21日 (火) 11時44分

酒(しゅ)は主(しゅ)に通じ、部首は酉(とり)なので三に酉となって、絶対三神と酉=鳥を象徴とする聖霊を伴うとされるとなると、符牒が合いすぎますね。

さらに、イエスは最後の晩餐でブドウ酒を自分の血の記念として弟子に分けていますね。

実際には教会では、聖餐式には聖別したパンと水を使いますが…。

そこまで深読みしないでも、酒はお神酒として祀られるわけですし。

水と仏性ですか。

漏れなく衆生を救うために指に水かきのような膜があるという説は、確かにあります。

いなりを異成りと見るのは、面白いですね。

ゴルゴダの丘の死は、不死の体を復活によって得るためでもあったという解釈もできるので、その意味では異成りという見方もできそうですね。

イエスの復活による不死の体への転換は、やがて来るすべての人の復活による不死の体を得ることの予型とみる解釈もあります。

人は不死の体になった後で神の国に行けるか永遠の地獄に行くか裁かれると言います。

もっとも、永遠の地獄行きを言い渡されるのは、神を受け入れた後で背教した不心得者だけという話もあるようですが…。

いずれにしても、神に叱られる生き方をしたら何らかの形で地獄を体験させられる可能性はありそうです。

投稿: cova | 2012年8月21日 (火) 15時12分

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