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有識者という言葉を考えてみた。

有識者という言葉があります。

学識のある人とか、見識の広い人、という意味ですね。

じゃあ、学識とはどういう事かです。

 学問と見識、または、学問上の知識と見識ということで、特に、学問を通じて得た高い見識を指して、言いますね。

つまり、つまり、有識者とはどういう人たちか理解する鍵は、見識や知識という事ですね。

では、見識とはなんでしょう。

 識見とも呼ばれ、物事の本質を見通すすぐれた判断力、または、それに基づくしっかりした考えですね。

 気位の意味でも使われ、自分の品位を誇りに思い、それを保とうとする心の持ち方を指す場合もあります。

もう一方の、知識とはなんでしょう。

 文字通り、知ること、ですね。

 認識・理解すること、または、ある事柄などについて、知っている内容を指します。

 ほかにも、考える働き、とか、知恵の意味でも使いますね。

 哲学の用語としては、確実な根拠に基づく認識や客観的認識を指す言葉として使うでしょ。

 智識と書くのは、仏教用語であると示す場合が多いですね。

 仏法を説いて導く指導者とか、善知識を意味するでしょ。

 対象を外界に実在すると認める心の働きを、指す場合もありますね。

 あるいは、堂塔や仏像などの建立に金品を寄進することや、寄進する人や寄進する金品の意味で使うこともあるでしょ。

 寄進するものを、知識物と呼んだりもしますね。

知識に関連の深い言葉に、記憶がありますね。

 過去に体験したことや覚えたことを、忘れずに心にとめておくこと、または、覚えていた内容、ですね。

 心理学では、生物体に過去の影響が残ることや、過去の経験を保持し、これを再生・再認する機能の総称でしょ。

 最近では、コンピューターに必要なデータを蓄えておくことも、記憶と言いますね。

そして、記憶には、短期記憶と長期記憶があります。

伝言やちょっとした用事は短期記憶、繰り返し使うであろうことを覚えることや繰り返したことで長く忘れないでいることは長期記憶ですね。

では何のために記憶するかと言えば、当たり前だけど、使うためです。

記憶をちゃんと使えれば知恵があるとなるが、短期記憶の場合は覚えていたことを忘れずに実行するだけなので、知恵があるとは言えないでしょ。

 忘れないで実行した、それだけですね。

 もちろん、忘れたらいけないけど。

知恵がある、という言葉は長期記憶をちゃんと使えれば言えるでしょうか。

 覚えた通りやっただけでは、記憶力が良いとしか、言われないですね。

 逆に、短期記憶でもちゃんと応用できれば、知恵があると言えるでしょうね。

それなら、知恵があれば知識があると言えるでしょうか。

 以前にどうやったか覚えていなければ、知識があるとは言えないでしょうね。

ただ、覚えていたことを話したり書きだしたり実行できるだけでは、まだ、有識者とは言えないという事ですね。

 長期記憶を応用できなければ、有識者とは言えない。

でも、一般常識を使いこなすだけでは、知識人とは言えないでしょ。

 知恵があるとは言えますけどね。

 知恵として使いこなせる長期記憶である、知識が豊富であるけど。

知識の水準が高いとか詳しい内容を知っている人で、それをちゃんと使いこなせる人を、知識人と呼ぶわけですね。

 教養があるという事で、教養人とも言いますね。

だが、教養人をすべて有識者とは言わないでしょ。

 教養とは、本来の意味は、教え育てることですね。

何のために、教え育てるかですね。

 社会生活を営む上で必要な文化に関する広い知識を、身に着けるためですね。

 知恵があるだけの人との差は、文化に関する広い知識がある、という点ですね。

 文化に関する広い知識を得るために学問をした人が、知識人ですね。

 幅広い知識があり、精神の修養などを通して得られる創造的活力や心の豊かさ、物事に対する理解力がないと、知識人とは呼ばれないでしょ。

 知識を深めたり活用する手段としての学問・芸術・宗教などの精神活動を、している人が多いですね。

ようするに、知識人は幅広い知識を持っているので、コメンテーターとしては呼ばれても、有識者としては呼ばれないでしょ。

有識者として呼ばれるには、何らかの学問の分野に詳しくないといけないでしょ。

 だからと言って、ある分野の専門家がすべて有識者とも、呼ばれないですね。

専門外の人、特に、一般の人にもわかりやすく説明でき、しかも、いろんな角度からの質問に応えられないと、有識者とは言えないでしょうね。

 どれだけ、一般常識があるかも、問われる。

一般の人たちと、意識や認識のずれがある人を、専門分野に詳しいと言うだけで有識者として企画や会議に呼んでいないか、私たちも気を付けてみないといけないでしょうね。

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コメント

3.11の際の原発の様に 大きな出来事が起こると 「有識者」といわれる方々が集まり、色々と発信しますが 発信するのみで 責任ある言葉として発していないのではないか、発した内容の責任については どのように考えているのかと思わせる発言を多く耳にする様に感じ、ネットで「有識者」を探していたところ此の記事にあたり<ナルホド>と思いましたのでコメント致しました。

投稿: | 2013年5月14日 (火) 08時55分

なるほどと思っていただき、ありがとうございます。

投稿: cova | 2013年5月14日 (火) 10時22分

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