千島列島を取り巻く歴史を考えてみた。
日本政府の言う北方四島、つまり択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島の島々は日露和親条約のときの国境です。
日本とロシアとは安政元年(1855年)の日露和親条約において、国境を千島列島(クリル列島)の択捉島(エトロフ島)と得撫島(ウルップ島)との間に定められたが樺太は日露混在でした。
この時点に戻せと言う議論では、あまりに非現実。
日本政府自身は、樺太には触れていませんけどね。
でも、この時代は樺太の日本人とロシア人の雑居が、現実だったのです。
それで、線引きは非常に困難だったのです。
サンフランシスコ講和条約で千島列島を放棄したが、日本政府の見解では放棄した千島列島に択捉国後を含んだいわゆる北方領土は含まれないと説明されます。
このさい放棄した千島列島の定義として、樺太・千島交換条約第二款によるクリル列島とはシュムシュ島からウルップ島とされていることを根拠の一つとすることがあります。
しかし、この文言解釈による主張は、条約として効力の無い日本語訳文をもとにしており、複数の学者がフランス語正文からはこのような解釈は成り立たないとの指摘を行っているといいます。
村山七郎の『クリル諸島の文献学的研究』(1987年8月)や、和田春樹が1987年5月と1988年5月と1988年11月に『世界』(岩波書店)で展開した議論、また、長谷川毅の『北方領土問題と日露関係』(2000年)などはその例だそうです。
なお、第7回衆議院外務委員会で、当時外務省条約局長であった西村熊雄政府委員はこう説明していました(国会議事録第7回衆議院外務委員会7号昭和25年03月08日発言者番号141)。
「明治八年の交換條約で言う意味は、いわゆる日露間の国境以外の部分である千島のすべての島という意味でございましよう。ですから千島列島なるものが、その国境以北だけがいわゆる千島列島であつて、それ以南の南千島というものが千島列島でないという反対解釈は生れないかと思います」。
この説明は国内的に1956年2月に正式に取り消され、その後は「北方領土は日本固有の領土であるので、日本が放棄した千島には含まれていない」としています(国会議事録第24回衆議院外務委員会4号昭和31年02月11日(発言者番号5-23))。
だが、政府の言い分に一貫性も国際的な道理もないことは明らかでしょう。
ロシアが日本政府の北方領土の言い分を無視するのも、当たり前すぎますね。
なお、日本政府が返還実現を事実上諦めている千島列島は、日本とロシアとの間の平和的交渉によって結ばれた条約によって日本領となった島々です。
千島列島が正式に日本領となった 樺太・千島交換条約 は、明治8年(1875年)5月7日に日本とロシア帝国との間で国境を確定するために結ばれた条約です。
千島・樺太交換条約や、署名した場所からとってサンクトペテルブルク条約と呼ぶ場合もあります。
ちなみに、日本共産党はこの樺太・千島交換条約を根拠にしてウルップ島以北を含めた全千島の返還をソビエト連邦および現在のロシア連邦に要求しています。
1874年3月、樺太全島をロシア領とし、その代わりにウルップ島以北の諸島を日本が領有することなど、樺太放棄論に基づく訓令を携えて、特命全権大使榎本武揚はサンクトペテルブルクに赴きました。
榎本とスツレモーホフ(Stremoukhov)ロシア外務省アジア局長、アレクサンドル・ゴルチャコフロシア外相との間で交渉が進められました。
樺太での日本の権益を放棄する代わりに、得撫島(ウルップ島)以北の千島18島をロシアが日本に譲渡すること、および、両国資産の買取、漁業権承認などを取り決めた樺太・千島交換条約を締結したのでした。
千島・樺太交換条約が結ばれるきっかけは、樺太の雑居状態から来た、さまざまな不都合でした。
その中に、戦争は入ってない。
紛争の段階に止まっていたのであって、戦争にまでは発展していません。
というより、戦争にまで発展する事態を避けるために締結された条約が千島・樺太交換条約だったのです。
日本にとっても、本格的な日露戦争はぜひとも避けたかったのです。
幕府にとっては、帝国ロシアは、とてもかなう相手ではありませんでした。
明治維新後の近代国家建設を急ぐ維新政府にとっても、国力の充実こそ急務でした。
ロシアにとっても、日露戦争は避ける必要がありました。
1856年にクリミア戦争が終結すると、ロシアの樺太開発が本格化したからです。
クリミア戦争は、1853年から1856年の間、クリミア半島などを舞台として行われた戦争です。
クリミア戦争は、フランス、オスマン帝国およびイギリスを中心とした同盟軍及びサルデーニャとロシアが戦い、その戦闘地域はドナウ川周辺、クリミア半島、さらにはカムチャツカ半島にまで及んだ、近代史上稀にみる大規模な戦争でした。
勢力が衰えつつあったオスマン帝国を巡る利権争いに原因を見るのが、日本国外では一般的です。
日本では、汎スラヴ主義を掲げるロシアのイデオロギーや南下政策がもたらした対立の一環であるとの見方が定着しているけど、世界の見方は違うのですね。
もちろん、汎スラヴ主義を掲げるロシアのイデオロギーや南下政策も、背景にはあるでしょうね。
ロシアでは、この戦争により後進性が露呈し、抜本的な内政改革を余儀なくされました。
外交で手腕を発揮できなかったオーストリアも、急速に国際的地位を失いました。
一方、国を挙げてイタリア統一戦争への下地を整えたサルデーニャや、戦中に工業化を推進させたプロイセンがヨーロッパ社会に影響力を持つようになりました。
また北欧の政治にも影響を与え、英仏艦隊によるバルト海侵攻に至ったのです。
この戦争によってイギリスとフランスの国際的な発言力が強まり、その影響は中国や日本にまで波及したのです。
なるほど、樺太開発に本腰を入れたいロシアにとって、日本との紛争は困った事態ですね。
ロシアにとっては、日本との紛争は早急に解決し樺太開発に専念したいと言う切実な事情があったわけです。
箱館奉行小出秀実は、樺太での国境画定が急務と考え、北緯48度を国境とすること、あるいは、ウルップ島からオネコタン島までの千島列島と交換に樺太をロシア領とすることを建言しました。
徳川幕府は小出の建言等により、ほぼ北緯48度にある久春内、現在のイリンスキーで国境を確定することとし、1867年石川利政・小出秀実をペテルブルクに派遣し、樺太国境確定交渉を行いました。
しかし、樺太国境画定は不調に終り、日露間樺太島仮規則にあるように樺太はこれまで通りとされたのです。
日露間樺太島仮規則では、樺太に国境を定めることができなかったため、明治に入っても、日露両国の紛争が頻発しました。
こうした事態に対して、日本政府内では、樺太全島の領有ないし樺太島を南北に区分し、両国民の住み分けを求める副島種臣外務卿の意見と、「遠隔地の樺太を早く放棄し、北海道の開拓に全力を注ぐべきだ」とする樺太放棄論を掲げる黒田清隆開拓次官の2つの意見が存在していたのです。
その後、副島が征韓論で下野することなどにより、黒田らの樺太放棄論が明治政府内部で優勢となったのでした。
日本側の、樺太に対するこだわりが、交渉を長引かせた。
長年営まれた現地の人々の生活がある以上、そう簡単には譲れないでしょ。
ロシア領になれば日本の住民たちは、ロシアに帰化するか、日本に撤退するか、選ばないといけません。
大国ロシアとの戦いは、時期が早すぎたから避けたかったのは事実ですよね。
後の日露戦でさえ、あれ以上長引かせるわけにいかないから、アメリカに仲介してもらって終戦に持ち込んだので負けなかっただけだったことを思えば、一つの英断でしょうね。
千島列島は、第二次大戦のような戦争で手に入れたわけでも、台湾や朝鮮のような植民地でもない。
サンフランシスコ講和条約2条c項で放棄させられた千島の扱いは、領土不拡大の原則に照らして不当と言えるでしょう。
ヤルタ会談での密約という日本が関与できなかった会合で、千島のロシアへの譲渡が決まったのは、領土不拡大の原則に照らして不当。
当然でしょ。
こういう、歴史を無視した交渉を続ける相手は、ロシアから見れば相手にしない方が得なのです。
何を言いだすかわからず、しかも道理がないのでは、そんな相手に譲歩したら国内は納得しないのは、だれが見たってわかるでしょ。
それもわからないようじゃ、外交する資格が疑われると言うのは、言い過ぎでしょうか。
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