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性教育を考えてみた。

性教育で、真面目に質問しようとする人に対して、スケベ、いやらしい、淫ら、といったレッテル貼りをしたがる風潮が一部にあるそうです。

そのため、そういうレッテルを貼られたくないために質問をためらう雰囲気が漂うことになりがちなのだとか。

 そこをどうするかですよね。

人を馬鹿という人は自分が馬鹿。

人をスケベという人は自分がスケベ。

人をいやらしいという人は自分がいやらしい。

人を淫らという人は自分が淫ら。

人は自分を尺度に人を測りたがると言い返せば、反論すればするほど、しどろもどろになり、墓穴を掘るでしょうね。

 自分の言ったことが何を意味するか、ちゃんと解らせる有効な方法ですね。

 もちろん、答えに困って絶句することもあるでしょうけど。

カニは自分の甲羅に似せて穴を掘ると、昔から諺にありますよ。

聖書にも人を裁くな自分が裁かれないためだと言う戒めがあり、昔からの人をいさめる知恵だったようです。

 カニが自分の甲羅に合った穴を掘るように、人は自分に合った行動をする。

 真面目な人は真面目、スケベな人はスケベ、そういうことですね。

性教育は、人間関係を上手に築いていくための知識や知恵や情報を興味本位じゃなく真面目に考えることを、性についてもタブーにせずに学ぶことが、本当の目的じゃないでしょうか。

そこが、性教育を受けていない世代にちゃんと伝わってない。

 本当に、性教育が必要なのは、子どもたちより大人でしょうね。

子どもたちは、真面目に知識や知恵や情報を学んで帰宅するのに、大人はそれを自分が育ってきた時代の尺度で捉えるから、おかしなことになるわけでしょ。

 まさに、カニは自分の甲羅に似せて穴を掘る。

自分たちの世代は、スケベ、いやらしい、淫らといって、正面切って話題にしなかったからでしょうね。

性にまつわる知識や知恵や情報を、全て、性行為に結びつけて考える。

 人によっては、生理用品であるナプキンやタンポンと、避妊具を、こんないかがわいこと、淫らなことを教えるのかと言う人までいるそうですね。

 性器に触れるものや性器に関する話題、すべて淫らの一言で片づける。

どちらも、女性にとっては切実であり、男性にもちゃんと理解して欲しいから、男女一緒に学んでいるわけですよ。

無理解な人が、心無い、その上いかがわしい妄想たっぷりなことを言って、女心を逆なでしていますからね。

 女性だって、男性の体は女より単純だなんで思わないで、ちゃんと理解したほうが良い。

勃起一つとっても、ちゃんと理解するかどうかで、どう対応していいかわかるでしょ。

 急激な刺激で、折れることもあるそうですよ。

 朝、子どもが飛び乗って、折れた話もあるとか。

それだって、大事な情報ですよ。

病気は場所を問いません。

 当然、性器の病気もあるわけですよね。

そんなとき、子どもたちにちゃんと向き合って話が出来る環境を作る方法を教えるのも、性教育の役目ではないでしょうか。

 性を巡る人間関係を、きちんと作り上げるにはどうしたら良いか、それを一緒に考えるのも、性教育。

性行為は、何のためにあると思いますか。

 子孫を残すため。

だとしたら、性行為は、生まれないことではなく、生まれることを前提にして、営むべき行為ですよね。

 たとえ、互いの一体感を確かめたいためであって、今はまだ子どもが欲しくないから避妊具を使うとしても。

避妊具は、絶対ではないですよ。

そして、性行為は本来、子孫を残すための行為です。

 性行為をするなら、子どもが生まれることを前提にしなさいよと。

当然でしょ。

子どもが生まれるための行為でありながら、望んでも望んでも、生まれない人だっているわけですよ。

生まれてくる子どものために、あなたはどういう責任を取りますか、あなたはどういう責任が取れますか。

そう、問いかけるべきではないでしょうか。

生まれてきた子どもに親が責任取るのは、当然でしょ。

 両親が、揃って面倒を見る。

それは、社会的に何を意味しますか。

 結婚ですね。

 結婚して、二人で生まれる子供に責任を持つ関係をきちんと作る。

純潔教育なんて言うから、特定の価値観を押し付けるなと反発する人が出るけど、子どもが欲しいなら結婚しなさいということ自体は、当たり前でしょ。

犬を飼えば、一緒に行動できるようにしつけます。

猫は、基本的しつけはいらないとは言っても、乗って欲しくないところや爪をといでほしくないところは、覚えさせますよね。

子どもにも、人として生きていくうえでの最低限、必要なことは教える責任があるはずですよ。

 犬や猫でも食事は与える、まして子どもは当たり前。

犬や猫のブリーダーは、本来、群れで生きるための基本的しつけが終わるまで、新しく家族になる人の家には届けないのです。

 一番かわいい盛りだけど。

もちろん、写真とかは、見せますよ。

新しい家族に、自分の新しい群れとして馴染むためには必要だからです。

犬や猫でさえ、社会の一員としてのしつけがいるなら、子どもだって同じでしょ。

一人の人として、してはいけないことや、したほうがいいこと、すべきこと。

それをきちんと、まず、身近な大人である両親が教えるべきではないでしょうか。

その際、必要に応じて、性に関する知識や知恵や情報を親子で正しく学んで共有しあえるようになれたら家庭は円満。

 そのほかの学校の勉強も、なるべく子どもと一緒に学んだことを共有し合う方が良い。

仕事の関係で難しい場合でも、工夫次第で時間は取れるでしょ。

性教育は、もともと生き方教育を性をタブーにしないで行うことが出発点だったはずです。

 どうしていいか、迷ったら、原点に戻る。

迷ってとんでもない方向に行くよりは、良いでしょ。

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