「蛇のように賢く、鳩のように素直」について思いを巡らせてみた。
マタイによる福音書10章16節には有名な聖句があります。
「わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに羊を送り込むようなものだ。だから、蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい。」
創世記3章1節には、「野の生き物の中で最も賢いのは蛇であった」と書かれています。
その賢さを利用して、蛇はアダムたちを誘惑しました。
そのため、蛇を聖書における賢さの象徴として、マタイの福音書の聖句を解説する場合は多いです。
あるいは、サタンと結び付けて、神に逆らわせようとする目論見を見抜く賢さを持とうと言う話ですか。
だが、忘れてはいけないのが、毒蛇にやられた人たちを癒した青銅の蛇です。
この青銅の蛇は、イエスの予型と見られていますね。
つまり、蛇のような賢さとは、単なる賢さや、サタンの目論見を見抜く目を養うという、例えだけではない可能性があるのです。
神は、アダムとイブにこう言いました。
創世記2章16節と17節は記します。
「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。しかし、善悪を知る木からは取って食べてはならない。あなたはそれを食べる日に、必ず死ぬからである。」
神は、アダムとイブを挑発しているとも、見えますね。
食べるなと言いながら、わざわざ、善悪を知る木を生やすなんて。
もし、アダムとイブが「鳩のように素直」なだけなら、言いつけを守って善悪を知る樹から取って食べずに、何時まで経ってもエデンの園で裸のまま無邪気に暮らしていたことでしょう。
だが逆に、アダムとイブが「蛇のように賢く」振る舞うだけなら、自分たちの判断で善悪を知る樹から取って食べておきながら、裸のまま無邪気を装って神を欺いて死の運命から逃れようとしたかもしれません。
だが、神は、善悪を知らないで無邪気なのと、善悪を知ったうえで無邪気を装うのでは、どんなに上手に演技しても微妙な差があると気づくでしょうね。
子どもの描く無邪気な絵と、大人が描く無邪気な絵は、明らかに違う、それと似たようなものです。
アダムとイブが、自分の判断で神の言いつけに背いた上に、神を欺こうとしたなら、即座に見抜かれて滅ぼされたかもしれない。
だけど、アダムとイブが「蛇のように賢く」行動するなかには、善悪を知る樹から取って食べて死ぬより、エデンの園で永遠の命を楽しみながら無邪気な暮らしを満喫する方が気楽でいいと言う、選択もあるのでは。
生みの苦しみも、労働の苦労もなく、裸で気楽に暮らしているだけなら、神は「我々に似せて人を作ろう」という必要があったでしょうか。
エデンの園でライオンと鹿が並んで草を食べている横で、動物たちと楽しく遊ばせるためだけに、神は人を作ったのでしょうか。
しかも、生めよ増えよ地に満ちよ、ではお気楽に性行為を繰り返して生活の将来不安もなしに子だくさんになるだけ。
神は、全てを知っている自分たちと同じようになって欲しくて、似姿としての人を作ったのでしょ。
苦労無しの遊び人になって欲しい訳ではない。
ならば、神自らが、アダムとイブにこう言えるでしょうか。
善悪を知る木から取って食べて、私たちと同じように死に関して知る者になりなさい。
自分から食べるなと言った手前、神自身の口からは、言えるわけないでしょ。
そこで、蛇の出番となるわけでしょうね。
「あなたがたは決して死ぬことはないでしょう。それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです。」(創世記3章4節、5節)
この蛇は、神の妨害をしようとしたということで、妨げるものを意味するサタンとしばしば関連づけられます。
神は、自分の手を汚したくないし、アダムとイブに自発的に背かせて滅ぼしたくもない。
サタンのアダムとイブをそそのかす企みに気づき、また、アダムとイブが死を含む善悪についての知識を持たせたい神の意図に気づくことを信頼したので、神はあえて、見ない振りをした。
そう思うと、結構、神って、狡いですね。
悪巧みに長けていると自惚れているサタンの企みに騙されているようでは、神は務まらないですよ。
義を守り、貫くためには、悪に対して先手を打ったり、逆手に取るくらいの賢さがないとならないわけです。
素直でいるとは、あるがままを見、あるがままを受け止める、姿勢がないといけないのです。
さらに、義を尊び、悪を断固退ける姿勢も必要。
そうでないと、悪の狡賢さに無邪気に感心して、無邪気に真似をすることになりかねない。
だから、「蛇のように賢く、鳩のように素直」でないといけないわけでしょうね。
神が近づいたとき、アダムとイブは、木の間に隠れました。
「あなたの足音が園の中に聞こえたので、恐ろしくなり隠れております。わたしは裸ですから。」(創世記3章10節)
二人が神を恐れるものであると、確認できた神はその場で死に依って罰することをしませんでした。
だがイブには生みの苦しみを、アダムには労働の苦労を、死の運命とともに課しました。
けじめをつけないといけないからです。
一方で神は、裸でいることを恥じた二人を、そのことで咎めたりしてはいません。
その証拠に、神は二人に皮の衣を作って着せられたとする伝承もあるのです。
西洋の失楽園を描いた絵は、裸で追放されるアダムとイブを描くものが多いですね。
その方が、絵としてのインパクトが強いからですか。
おそらくそうでしょう。
ところで、アダムとイブは、死についての知識を得させる神の目的に気づいただけで、善悪を知る木から取って食べたと思いますか。
違うの。
人は、神の似姿として作られたということは、当然、不死だったわけでしょ。
死も含む知識を持つ必要があったから、善悪を知る木から取って食べたわけですよ。
永遠の生を手放して死を知るわけだけど、本来の不死に戻る必要がある。
神の計画には、当然、永遠の生を持つ体の復活が始めからあったと見る方が自然でしょ。
アダムとイブは、来たるべき救世主による永遠の生の体による復活を信じていたから、禁断の実を食べる決心がついた。
アダムとイブ、少なくともアダムは、神の息、つまり、神の声を託されて生を受けた生まれながらの預言者であったとみるキリスト教の宗派もありますよ。
アダムが預言者だったなら、来たるべき救世主による神の計画を、知ったうえで食べたことになりますね。
まさに、「蛇のように賢く、鳩のように素直」だったということでしょうね。
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コメント
ダニエル12:1
その時、大天使長ミカエルが立つ。彼はお前の民の子らを守護する。その時まで、苦難が続く
国が始まって以来、かってなかったほどの苦難が、しかしその時には救われるであろう。
お前の民、あの書に記された人々は、
投稿: | 2012年8月18日 (土) 12時31分
邪悪な王の企みを見抜き、天の神なる御父と主なるイエスの道を見失わずに歩む民は、救われるということでしょうかね。
投稿: cova | 2012年8月18日 (土) 19時54分