« 2012年9月 | トップページ | 2012年11月 »

2012年10月

薄毛を透かすとヨーロッパが見える?

ちょっと興味深い記事が、週刊ポスト2012年11月2日号で掲載されていました。

NEWSポストセブンのHPから、紹介しましょう。

イギリス 裁判官のカツラ廃止、法服簡素化で7000万円削減
2012.10.26 16:01
http://www.news-postseven.com/archives/20121026_151092.html?utm_source=twitter&utm_medium=social&utm_campaign=%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%80%80%E8%A3%81%E5%88%A4%E5%AE%98%E3%81%AE%E3%82%A%E3%83%84%E3%83%A9%E5%BB%83%E6%AD%A2%E3%80%81%E6%B3%95%E6%9C%8D%E7%B0%A1%E7%B4%A0%E5%8C%96%E3%81%A77000%E4%B8%87%E5%86%86%E5%89%8A%E6%B8%9B

 日本の成人男性の薄毛人口は約1000万人。

そのうち、ざっと10人に1人がカツラ愛用者といわれる。

ここでは、そんなカツラーだけでなく、誰もが知っておいて損のないカツラ・トリビアを3つ紹介しよう。

■イギリスの裁判はカツラが義務
 イギリスでは17世紀以来、裁判官らに法廷での白いカツラ着用を義務づけている。

法廷の威厳を保つための伝統だが、「時代遅れ」という声が挙がり、2008年から一部地方で民事裁判に限って廃止された。

同時に法服も簡素化され、当時のレートで年間7000万円の経費削減効果があった。

 しかし、刑事裁判については、被告人から裁判官の人物特定が容易になってしまうという理由で、現在もカツラが着用されている。

■欧米と日本で異なるカツラ意識
 アメリカやヨーロッパにもカツラはあるが、日本のものほど精巧ではなく、着けっぱなしにして数か月で使い捨てるのが一般的。

また使っていることを隠したりせず、オープンだという。

これには、それぞれの国の薄毛率が関係あるようだ。

 主な国の成人男性の薄毛率調査によると、ドイツ41%、フランス、アメリカ39%、イギリス36%と半分近くが薄毛。

 一方日本は、アジアトップではあるものの26%。

薄毛は4人に1人と少数派であるため、日本ではこっそり使う精巧なカツラが発達したのかもしれない。

■元は同じ会社の同僚!
 日本のカツラ市場で過半数のシェアを握るアデランスとアートネイチャー。

実は創業者は同じ会社の同僚で、いまはなき名古屋の女性用カツラメーカー、ボア・シャポーの社員だった。

昭和40年代にそれぞれ独立し、当初は個人商店としてスタートした。

私が注目したいのは、ここです。

主な国の成人男性の薄毛率調査によると、ドイツ41%、フランス、アメリカ39%、イギリス36%と半分近くが薄毛。

一方日本は、アジアトップではあるものの26%。

薄毛は4人に1人と少数派であるため、日本ではこっそり使う精巧なカツラが発達したのかもしれない。

日本と欧米の間に見られる、さまざまの類似点を挙げてきた私としては、見逃せません。

 そういえば、薄毛は26%で4人に1人と少数派とはいっても、アジアトップとありますね。

家族性地中海熱、家族性アイルランド熱、高IgD症候群HIDSなど、主に欧州人種で発症している遺伝病は、日本にも見つかっています。

秋田美人の美白の謎を探っていくと、白人の血が入っていないとここまで白くならないという、指摘もありました。

秋田犬、さらには、北海道犬にまで、ヨーロッパとの接点が見えてきました。

秋田美人の顔も、典型を探るとミロのビーナスに近くなると言います。

 体格も、良いですよね。

縄文時代の遺跡から見つかるオオヤマネコを追跡すると、ヨーロッパからアメリカ経由の可能性が見えてきました。

 アメリカからは、イギリス人とアイヌの双方に似ているフランスとスペインの鏃を伴った古代人骨が、でてますよね。

日本の神話は、太陽神を中心とした三神構造で、動物神を含む八百万の神々という、古代エジプトとの共通点があります。

けれど、散りばめられている神話はギリシャとの類似が言われることの方が多いです。

日本人の足も面白いことに、エジプトタイプが多数を占めるが、二位がギリシャタイプ。

 三位は、スクエアタイプですね。

エジプトに似た構造の神々の世界であるのに、神話はギリシャ。

エジプトタイプが足の多数を占めるのに、二位がギリシャ。

 そう見ると、面白いですね。

 日本とヨーロッパ、それも、旧ローマ帝国領の地域と、妙に似てる気がしませんか。

北欧からも、日本に親近感を持っている民族が見つかるので、旧ローマ帝国領に絞らないほうが、良いように思いますがね。

 一つの記事だけ見てると、単なる話のネタで終わるけど、情報を集めると、ここまで話題って広がるのですね。

アデランスとアートネイチャーの創業者が、同僚だったとは驚きました。

 驚くのは、そっちですか。

おかしいですか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

聞きたい声…。

神の名において人々にメッセージを伝える権限を与えられた者が、いわゆる預言者であるのでしょうか。

ならば、それ以外のものは神の声は聞こえてないのでしょうか。

こういう会話を聞いたことがあります。

聖書にありますね。

蛇の様に賢くないといけない…。

まさにその通りですね。

私も賢くなれればいいのですが…。

この蛇とは、神の息、神の声としての蛇でありましょう。

では、“蛇のごとく賢く”とは、“神のごとく賢く”でありましょうか。

人がどんなに頑張っても、“神のごとく賢く”とはいかないでしょうね。

では、どういう意味なのでしょうね。

神の似姿として作られ、神の声を授けられた、存在としての自分に気づくということなのでしょうか。

となると、人はみな預言者なのでしょうか。

最初の人アダムは、神の息、すなわち神の声を授けられたがゆえに預言者とされるそうです。

妻であるイブは、アダムの分身として作られたといいます。

アダムとイブの子孫は皆、基本的には預言者としての能力は授けられていると言えるのかもしれないですね。

イエスは言われます。

 神の国はあなた方のうちにある。

神に授けられた神の声に目覚めよと、イエスは言われたのだとしたら。

もし、神の声に気づけた分だけ賢くなれるのであれば、少しでも多く、神の声に気づけるようになりたいものです。

猫は人に似てるとよくいわれるから、猫にも聞こえるでしょうかねえ…。

神の声…。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

諦観

諦観とは、諦は、インドの原語「चत्वारि catvāri サットヤ」で真理、明理ということです。

「諦」は通常「諦(あきら)める」と読み、仕方がないと断念したり、思い切ってその状態を受け入れたりする、という否定的な意味あいで使われるが、本来の意味は「あきらか」「つまびらかにする」です。

とくに、良くない状態を思い切って受け入れると言う意味での諦観は、解釈が非常に厄介なところがあります。

観は、ミルということです。

諦観というのは「アキラカニ、真理ヲミル」ということなのです。

そこから、諦視とも呼ばれ、本質をはっきりと見きわめることという意味になりました。

「世の推移諦観する」などというときは、この意味で使われています。

また転じて、あきらめ、悟って超然とすることをも指すようになりました。

「諦観の境地」という場合、悟って超然とする境地ということです。

悟りは、覚りとも書きます。

知らなかったことを知ること、気がつくこと、感づくことです。

一般には、物事の真の意味を知ったり、理解したり、感づいたり、察知したりすることを言います。

「悟りが早い」という場合は、この意味で使っています。

仏教用語としては、迷妄を払い去って生死を超えた永遠の真理を会得することの意味で使われます。

そこで、「悟りの境地に達する」という言葉は、「諦観の境地に達する」とほぼ同じ意味で使われることになります。

悟りは、サンスクリットでは「 बोधि bodhi ボーディ 」で、日本語では「菩提」「開眼」「開悟」「成道(じょうどう」とも言います。

「覚悟」「証(しょう)」「修証(しゅしょう)」「証得(しょうとく)」「証悟(しょうご)」「道(どう)」などの別称もあります。

開悟とは、悟りを開くことで、心の迷いが解けて、真理を会得することです。

成道とは、成仏得道の略で仏になるための道を会得することです。

悟りを開いた者を「buddha ブッダ」といい、漢字で音写し「仏陀」「仏」としたり、「覚者」と意訳したりします。   

諦観と悟りに共通する意味は、正しく、完全に知ることです。

諦観と悟りは、ともに、物事をその本質まで、正しく、完全に知ることをさし宗教的、哲学的に用いられることが多いです。

特に「悟り」については、一般に、物事の本質を知ることの意で用いられます。

一方「諦観」は、本質をはっきり見きわめることの他に、あきらめ悟るの意でも用いられます。

仏教では、諦観は四聖諦(しせいたい)という形で展開されます。

四聖諦は、四諦とも略され、サンスクリット語ではcatvāri āryasatyāni(चत्वारि आर्यसत्यानि)と記されパーリ語でcattāri ariyasaccāniとも呼ばれます。

釈迦が悟りに至る道筋を説明するために、現実の様相とそれを解決する方法論をまとめた苦集滅道の4つを言います。

諦とは「真理」という意味であり、四聖諦とは「4つの聖なる真理」の意です。

苦諦(くたい、duHkha-aaryasatya)とは、苦という真理です。

人生の厳かな真相、現実を示します。

「人生が苦である」ということは、仏陀の人生観の根本であると同時に、これこそ人間の生存自身のもつ必然的姿されます。

このような人間苦を示すために、仏教では四苦八苦を説きます。

四苦とは、生・老・病・死の4つです。

これに、愛する対象と別れねばならない「愛別離苦」(あいべつりく)憎む対象に出会わなければならない「怨憎会苦」(おんぞうえく)求めても得られない「求不得苦」(ぐふとっく)最後に人間生存自身の苦を示す「五陰盛苦」(ごおんじょうく)、または「五取薀苦」(ごしゅうんく)を加えて「八苦」と言います。

非常に大きな苦しみ、苦闘するさまを表す慣用句「四苦八苦」はここから来ています。

集諦(じったいduHkha-samudaya-aaryasatya)とは、苦の原因という真理です。

集諦とは、苦が、さまざまな悪因を集起させたことによって現れたものであるという真理、またはこの真理を悟ることを言います。

集諦とは「苦の源」、現実に苦があらわれる過去の煩悩をいうので、苦集諦といわれます。

「集」とは招き集める意味で、苦を招きあつめるものが煩悩とされます。

この集諦の原語は「サムダヤ」(samudaya)であり、この語は一般的には「生起する」「昇る」という意味であり、次いで「集める」「つみかさねる」などを意味し、さらに「結合する」ことなどを意味します。

その点、集の意味は「起源」「原因」「招集」いずれとも解釈できます。

苦集諦とは "duHkha-samudaya-satya" とあるので、「苦の原因である煩悩」「苦を招き集める煩悩」を内容としています。

具体的には貪欲や瞋恚(しんに)、愚痴などの心のけがれをいい、その根本である渇愛(かつあい)をいいます。

これらは欲望を求めてやまない衝動的感情をいいます。

さて、仏教において苦の原因の構造を示して表しているのは、十二縁起です。

この十二縁起とは苦の12の原因とその縁を示しているので、十二縁起より、苦とは12の原因のシステムという事になります。

12個集まってそれ全体が苦なので、「無明」も「渇愛」も、苦の根本原因であり苦集諦です。

滅諦(めったいnirodha-aaryasatya)、苦の滅という真理です。

「苦滅諦」といわれ、煩悩が滅して苦のなくなった涅槃の境地を言い、いっさいの煩悩の繋縛(けばく)から解放された境地なので解脱の世界であり、煩悩の火の吹き消された世界です。

苦の滅があるということを認識すること、すなわち苦の滅の悟り、または苦の滅を悟ることを滅諦というのです。

諸法皆空という言葉で言われているように、森羅万象全ての法、すなわち諸法はすべてこれ空であって、実体のあるものではなく、因と縁から成り立っているものとされます。

苦は縁であり、縁はたとえば心や行いなどの因を変えることによって変わりうるという悟りとも言えます。

道諦(どうたいmaarga-aaryasatya)とは、苦の滅を実現する道という真理です。

「苦滅道諦」で、苦を滅した涅槃を実現する方法、実践修行を言い、これが仏道すなわち仏陀の体得した解脱への道です。

その七科三十七道品といわれる修行の中の一つの課程が、サンスクリットでआर्याष्टाङ्गो मार्गो(aryaaSTaaGgo-maargo)と記される八正道(はっしょうどう)です。

「八聖道」とも「八支正道」とも言うが、『倶舎論 』では「八聖道支」と記します。

『倶舎論 』は『阿毘達磨倶舎論』の略で、仏教哲学の基本的問題を整理したものです。

八正道とは、正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定の、8種の徳です。

釈迦が最初の説法において説いたとされ、涅槃に至る修行の基本となります。

四聖諦では、「苦の原因」から「苦」が生じ、「苦の滅を実現する道」から「苦の滅」に至るというように、それぞれ順序が逆転しているので、4つの真理は、前半の2つと後半の2つで二分することができます。

つまり、集諦から苦諦が生じ、道諦から滅諦が生じると言うわけです。

それぞれ「遍知」、「滅除」、「成就」、「修習」という課題が付随しています。

遍知とは、苦は「知り尽くすべきもの」ということです。

滅除とは、苦の原因は「滅するべきもの」ということです。

成就とは、苦の滅は「実現すべきもの」ということです。

修習とは、苦の滅を実現する道は「実践すべきもの」ということです。

初転法輪とは、釈迦はさとりを得た後、ヴァーラーナスィーの鹿野苑において、初めて五比丘のために法を説いたことです。

仏教の教義を法輪といい、その法輪を初めて人々の前で回転させたと言うわけです。

 法輪、つまり、仏の教えには始めも終わりもないということでしょうか。

 もしそうなら、イエスのアルファでありオメガであるに、近いですよ。

確かに、似ていますね。

初転法輪の時、この四諦を説いたと言われ、四諦は仏陀の根本教説であるといえます。

 仏の教えの根本を明らかにし、人々を苦しみから救う。

 天の神である御父の教えの根本を明らかにし、救済の計画を成就します。

 ここでも、仏陀とイエスは似てますね。

四諦は、応病与薬という風に例えられるから、私は癒しが必要な人のために遣わされたと言うイエスに通じるものが見えますね。

 イエスも自分の教えを薬に例えていますからね。

四諦は、釈迦が人間の苦を救うために説いた教えです。

医者が、患者の病気の何であるかをよく知り、その病源を正しく把握し、それを治癒させ、さらに病気を再発しないように正しく導くようなものだと言われています。

初転法輪において釈迦は、まず迷いの現実が苦であることと、その苦は克服しうるものであることを明らかにしました。

すべてを苦と受け取らせる原因は、「煩悩」であることを明らかにしたのです。

 イエスも、肉体を持つことからくる様々な制約が、人々を悩ませ、苦しめていると説きますね。

しかし、仏陀もイエスも、人は肉体を持ったままで救いの境地に至れると説きます。

仏陀は、苦は、苦として外にあるのでなく、我々がそれをどう受け取るのかで変わってくることを説いています。

この煩悩を正しく処理すれば、苦に悩まされない境地をうるが、その道こそ、いっさいの自己愛を捨て、他に同化することにあるので、その根本は自己の本姿に徹することであるというのです。

本来、執着すべきでない自己に執着することこそ、苦の原因なので、この「苦」を滅して涅槃の世界に入る方法こそ「仏道」なのです。

 これは、イエスの言う、神の似姿としての人の本来のあり方に目覚め、自らの想いの上に神の想いを置くことを求める事と、基本的に同じでしょうね。

 聖書もまた、神の言葉を人が歩むべき道としているでしょ。

そうなると興味深いのが、大乗の四諦に対する解釈です。

大乗の『大般涅槃経』の四諦品では、通常の四諦に新しい大乗的な解釈を加えた、涅槃の教理的な四聖諦を説いています。

苦聖諦とは、この世の苦を明らかに徹見(てっけん)し、如来常住の真理を会得すること、常住の法身を信じないことが生死の苦の根源であると知ることです。

徹見とは、すみからすみまで見とおすこととか、ありありと見えることということです。

 如来常住の真理は、聖書でいう神は生きておられると言う考えを連想しますね。

 常住の法身を信じないことが生死の苦の根源というのも、イエスによって成就する救いを信じて御霊による導きを受け入れれば神の助けを得られるとする聖書の教えと似てますね。

集聖諦とは、苦の根源は煩悩妄執であることを徹見し、それに対して如来の深法は常住にして不変易であり、窮まりないと證知すること、非法を先とし正法を断滅することが生死の苦悩を受け集める原因であると知ることです。

 ここも、一切の苦悩と迷いはサタンの誑かしからくるとする聖書に近いようにみえますね。

滅聖諦とは、苦の原因である一切の煩悩を除き、苦を滅する事が悟りの境地をさします。

如来の秘密蔵を正しく知り修智すれば、煩悩があってもよく除く事ができ、衆生の一人一人が自己に内蔵する如来蔵(仏性)を信ずる一念が苦を滅するということです。

 サタンと立ち去れと、毅然と言い切れる信仰をもち、神の救いと導きを聖霊によって受けるなら、安らぎを得られるとする聖書の教えを、ここでも、連想できますね。

道聖諦とは、仏道修行を通して仏法僧は差別無く一体である一体三宝と解脱涅槃の常住不変易を知り、修習すること、如来が常住不変易であるから、三宝の一体、解脱は涅槃経の2つも常住不変易であると知ることです。

 如来が常住不変易であることは神の子イエスが世の初めからおられること、一体三宝は父と子と聖霊の絶対三神をほうふつとさせますね。

あきらめ、悟って超然とすることをも、諦観というようになったが、この、あきらめ悟る内容が、問題なのです。

 良くない状況でも仕方がないと言って受け入れれば良いと、言うわけではない。

周囲を変え、状況を変えるために、まずは自分が変わる必要があるわけです。

 その変わり方も、問題なのでしょ。

悟るとは、迷いの反対で、真理、すなわち、法に目覚めることなのです。

 ただ、解釈すればいいのではなく、変革の視点に立って物事の根本から理解しなければならない。

仏法であれば仏、聖書であれば神の、指し示された道に戻すため、近づけるために、どう判断し、祈り、求め、行動するか、問われると言えるでしょう。

悟りは初期仏教から部派仏教あたりまでは究極目的であり、悟るためにさまざまな修行が説かれ実践されます。

部派仏教(ぶはぶっきょう)またはアビダルマ仏教とは、インドを中心に釈迦の死後百年から数百年の間に分裂・成立した20の部派の総称で、分裂以前の仏教を「初期仏教」あるいは「原始仏教」といいます。

仏教の悟りは、智慧を体としています。

凡夫が煩悩に左右されて迷いの生存を繰り返し、輪廻を続けているのは、それは何事にも分別(ふんべつ)の心をもってし、分析的に納得しようとする結果であるとします。

輪廻の迷いから智慧の力によって解脱しなければならない、その方法は事物を如実に観察することで実現します。

これが真理を悟ることであり、そこには思考がなく、言葉もないとされます。

 一切の先入観や誤解や偏見や憶測や期待とか願望を排し、ありのままを見、ありのままを聞き、ありのままを受け入れるということですね。

 思考や言葉がないのではなく、その物事自体が語る内容を率直に受け止め、自分や人の考えで歪めるなということでしょうね。

大乗経典では、それ以前の教義と峻別するために「覚り」を超えるものとして「阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい、原語Anuttara samyaksaMbodhi)」「無上正等正覚(むじょうしょうとうしょうがく)」を措定しています。

悟りの意味の違いが宗教・宗派の違いであるということもできるが、般若経などでは、「覚り」と「悟り」は別のものとして使い分けられているなど、混乱して使われています。

 客観的な姿と、心に反映され理解や解釈された内容とは、どんなに近づけようとしても、所詮は別物だから、般若経のように「覚り」と「悟り」を区別する場合がある。

「覚り」は感覚で受け止めたばかりの外界に対する未処理の情報、「悟り」は理解や解釈を加えた外界に対する処理済みの情報、という風に分けて考えた方が良いのでしょうね。

 だから、二つの表記法がある。

後で触れるけど、覚りには、また、別のサンスクリットが対応する場合がありますよ。

 一般に問題になるのは、外界に対する認識の違いだから、外界に対する処理済みの情報を意味する悟りが、使われる。

釈迦は多くの哲学者や宗教家の教えを受け、苦行にも専念したが悟りを得られなかったと言いますからね。

 結局どの解釈も、部分的な真理は含んでいても根本で間違っていた。

そこで今までの修行法をすてて、尼連禅河(にれんぜんが)で沐浴し身を清め、村娘スジャータから乳粥(ちちがゆ)の供養を受けて河を渡り、対岸のピッパラ樹の下で坐禅をして禅定に入ったのです。

その禅定がしだいに深化し、三昧の中で「三明」が顕れ、真理を悟ることができ、釈迦は悟った者である覚者、すなわち「ブッダ(仏陀)」になったのです。

三明とは、不思議な力である神通力で「宿命智・天眼智・漏尽智」を言います。

三明に「神足通・他心通・天耳通」の三つを足して六通になり、末法の世の中を正法に回らすことが出来ます。

 なんだか、父と子と聖霊みたい。

 ヨハネに洗礼を受けたイエスに、御父の声が聞こえ聖霊が舞い降りた光景が浮かびました。

 仏陀となった釈迦自身は預言者と見れば、三人の天使の訪問を受けたともとれるが、父と子と聖霊の臨在かもしれないとみたら、間違えですか。

神はどんな名で呼ばれようとも、ただ、一人ですから。

この悟りの境地を「涅槃(ねはん)」といい、それは「寂静(じゃくじょう)」であるとされ、煩悩が制御されているので、とらわれのない心の静けさがあるということです。

 御霊に包まれて得られる安らぎ、ということですか。

 初期仏教には、御霊を授けられる高位の神権者がいたのでしょうか。

可能性は、有り得ますね。

また、悟りを求める心を菩提心といいます。

悟りを求める点では部派仏教も大乗仏教も共通であるが、自分のさとりを追求する部派仏教の場合、声聞(しょうもん)は四諦(したい)の教えを聞いて修行し、縁覚(えんがく)は十二因縁を覚ってそれぞれ解脱するとします。

「覚り」と訳す場合、部派仏教の旧訳(くやく)ではサンスクリット語「vitarka」に対応します。

vitarkaは「尋」とも訳し、対象を推しはかって分別する麁(あら)い心の働きをいいます。

一方、細かい心の働きを「vicaara」といい、旧訳では観(かん)、新訳では伺(し)と訳します

vitarkaとvicaaraは対になって用いられ、ともに定心(じようしん)を妨げるが、禅定の深まりによって消滅します。

 外界の情報は、受け入れたばかりのときは混とんとしているので理解や解釈の迷いを生じるが、関係が見えてくると心の中に形が定まって定着するということでしょうか。

大乗経典では「覚り」は「bodhi」の訳で「菩提」と音写され、覚り、もしくは覚りの智慧を表します。

古くは「道(どう)」「意」「覚意」などと訳されました。

 初期仏教は宗教というより、哲学に近かったと聞いたことがあります。

 覚りと悟りの使い分けは、認識論の問題を考察していた可能性はあり得ますね。

 それに対して、大乗仏教は聖書に近い内容がかなり入り込んできますね。

大乗仏教では、覚りについての解釈は、初期仏教の哲学上の認識論的考察に比べて、宗教的性格が強くなっているのかも知れません。

 預言や啓示との関係も、出てきているかもしれない。

預言や啓示が、大乗の聖典の記述にどう反映されたかですね。

大乗では、覚りには神による導きや諭しへの気付きという意味も込められたかも知れないですね。

「菩提」「道」「意」「覚意」と訳され、覚りの智慧を表したわけですから。

大乗仏教では自分の悟りは他人のさとりを前提に成立するという立場から、六波羅蜜(ろくはらみつ)という利他行を実践する菩薩行(ぼさつぎょう)を強調します。

 どのような諭しや導きを受けたかを、交流し合い、教え合って、より深く、より高く、経典を理解しようとしたのでしょうね。

悟りは、固定した状態とはされません。

悟りの行は、自利と利他の両面を願って行動し続けることであり、自らの悟りに安住することなく、悟りを求める人々に実践を指導するために活動し続けた釈迦の姿が想定されています。

活動していくことに悟りの意味を求めているのが、大乗以降の仏教における菩薩の特徴です。

そして菩薩の悟りは声聞や縁覚と違い、究極最高のものであるとして「阿耨多羅三藐三菩提」「無上正等正覚」、あるいは単に正覚と呼ばれます。

 実践によって、理解と確信をより確かにしていこうと言うのですね。

 教会でいうところの、証しを日々の営みや教えの実践から得る、ということに似てますね。

諦観についていえば、現実を正しく見て、何についてどう教えや諭しや導きを受けるかが、問題でしょうね。

神仏のご加護を、神仏の御心に従う事で受けようとするか。

神仏のご加護を、今の自分と自分を取り巻く状況を前提として受けようとするか。

今の自分と自分を取り巻く状況を前提として、神のご加護を受けようとするのが今の状況に対する諦めとすれば、神仏のご加護は気休め程度にしか得られないでしょうね。

ただし、自分の想いではなく神仏の御意志を優先させてくださいと祈るなら、今は耐えるしかないので仕方なく現実を受け入れている私を憐れみ支えてください助けてくださいと祈るのなら、気休め以上のご加護が得られるかもしれません。

この苦い盃を退けてくださいと祈りながらも私の気持ちよりあなたの気持ちを優先させてくださいと祈って、十字架に赴く決意を固められたイエスの諦観は、やはり、神仏の御心に従うことを選択の余地なしと受け入れたことなのでしょう。

諦観、奥が深いです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

光冷却。

レーザーで気体原子を、冷却できます。

液体ヘリウムを使った希釈冷却機でも、到達できない極低温にまでも、ものの数秒で気体原子が冷却できるのです。

到達できるのは、1µk、つまり、絶対零度より100万分の1度だけ高い温度なのです。

気体分子のレーザー冷却は、1980年代からものすごい勢いで研究が進み、1997年にはノーベル物理学賞の受賞対象になっていますよ。

 なぜ、気体原子を冷やすのですか。

原子を気体状態のまま冷却すると、物質、この場合は粒子の波動性が強く表れてくるからです。

粒子性と波動性の二重性の発見は、量子力学成立のきっかけを作ったと言っても良いことがらです。

この二重性は、光に始まり、電子、中性子と、続き、今ではほとんどの基本的な粒子に見つかっています。

この二重性は、どの大きさまで見出せるかが次の課題になり、最近ではルビジウムやナトリウムなど多くの原子で確認されています。

また、量子統計性と呼ばれる粒子の本質に関する検証にも、レーザーの冷却技術は使われています。

その成果の一つが、1920年代に予言され、1995年に実現した原子気体のボーズ・アインシュタイン凝縮です。

多数のボース粒子が、一つの量子状態を占めることで現れる物質の状態です。

ボソンとも呼ばれるボース粒子とは、力や相互作用に関連する仕事をしている粒子くらいに思っておいてください。

ボース粒子とは、スピン角運動量の大きさがプランク定数 hを円周率π2倍で割った値の整数倍の量子力学的粒子である、なんていってもぴんとこないでしょ。

ついでにいうと、物体を構成する役を主に荷なっているのが、フェルミオンとも呼ばれるフェルミ粒子です。

スピン角運動量の大きさがプランク定数 hを円周率π2倍で割った値の半整数(1/2, 3/2, 5/2, …)倍の量子力学的粒子、なんていってもぴんとこないでしょ。

フェルミ粒子には、基本的には、ボーズ粒子のように多数の粒子が、一つの量子状態を占めることはできません。

さまざまな基礎研究が出来るレーザーを使う気体原子の冷却にたいする、物理学者の期待は大きいといえるでしょうね。

 一般にレーザーを使う場合、基本的には燃やすとか溶かす目的で使うのではないですか。

確かに、金属を溶接したり、繊維を切断したり、手術でメス代わりに使うことさえ、あります。

光電効果で、どういうことが起きたか、覚えていますか。

 波長の短い光ほど、電子は勢いよく飛び出しました。

波長を長くしていくと、どうなります。

 どんなに光を強くしても、電子は飛び出さなくなります。

その場合の、電子は、どうなります。

 電子は、その場で振動するだけになります。

 飛び出すだけのエネルギーでなければ、光は熱に変わるだけです。

 光のエネルギーは、電子の熱エネルギーに変わっただけです。

光電効果のとき、光に、どのようなことが起きていると思いますか。

 波長が短いほど、電子は勢いよく飛び出しますね。

 それは、波長の短い光ほど、あたかも重い玉のように振る舞うからでしょ。

それだったら、波長が長い光でも、電子は出る可能性がありませんか。

 波長の長い光は、壊れやすい玉のように振る舞っている。

光は、壊れてますか。

 光は、あたかもバネのように振る舞っている。

そう見るのが、自然じゃありませんか。

バネは、反発力によって、ぶつかった相手を飛ばすこともできるが、衝撃を吸収することもできます。

 波長の短い光ほど反発力の強いバネのように振る舞い、波長の長い光ほど反発力の弱いバネのように振る舞う。

反発力の弱い、あるいは、反発力の低い素材は、衝撃吸収性の高い素材として、クッションや寝具に使われますよね。

 そういえば、低反発の枕、最近よく見かけますね。

低反発の素材でも、ちょっと反発力を高めると適度な硬さのクッションや枕になるでしょ。

 あれ、まるで、自分の体に合わせたオーダーメイドの枕やクッションのような、快適さですね。

低反発枕の良さは、寝返りを打っても、ちゃんと頭をその位置で支えてくれていることです。

一度使うと、もう手放せないですね。

つまり、適度な低反発力は、衝撃の吸収力があるわけです。

 それって、光の波長を適度に長くすると、電子や原子の動きを吸収できるということになるわけですね。

 低反発の枕やクッションのように。

光の波長を長くしていくと、まず、光の運動エネルギーの吸収から主に始めると考えられます。

 ぶつかった電子や原子は、ある程度よろけるけど。

さらに、波長を長くすると、今度は、電子や原子の運動エネルギーを吸収し始めると、当然、想像できるでしょ。

 ちょうど、衝突の衝撃を上手に吸収できる車体やエアクッションの開発みたいな感じですねえ。

歩行者などを包み込んで、保護できる車体の研究者もいるようですがね。

余談ですけど。

実際にも、レーザー光による気体原子の冷却は、周波数を厳密に制御して行います。

さらに、磁場なども使うと言うけれど、これは、気体原子に上手に光を当てられるようにしていると見て良いでしょう。

量子力学成立のきっかけとなった光の研究では、回折や干渉などで実際に波動性が観測されています。

波長による衝突の力の差は、ニコルス放射計や光電効果で知られていました。

だが、これくらいは、バネとの類推で説明できると言えます。

光の粒子性は、輻射の研究によってこれまでの仮説から現実へとなったといえます。

 つまり、光は小さなバネと見てよくなった。

だとしたら、量子力学の粒子性と波動性の二面性から、量子とは小さなバネのような存在であるというモデルを考えてもいい気はしますね。

 殻モデルと液滴モデルの中間と見た場合、あたかも、バネのように振る舞う…。

弾力性と剛性の両立と、波動性と粒子性の両立から言って、もっとも近いのはバネのように思えるのは勘違いでしょうか。

どこまでも、近似的なモデルとして、ですが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

神を見失っていないか思い返すべきかも。

ムスリムの大半は、イスラム圏に住んでいます。

イスラム圏以外に住むムスリムは少ないのです。

ムスリムではないもので、イスラム教について多少でも知る者が、ムスリムに対する誤解を解くためにできることは、あまりに少ないといえます。

そもそも、ムスリムではないもので、イスラム教について多少でも知る者自体が、圧倒的に少ないのです。

そして、この目的のために遣える手段も、時間も、多くありません。

だが、これだけは言っておきたいのです。

コーランの神は聖書の神と同じであることを。

たとえ今多くのムスリムが聖書を読んでいなくとも、です。

聖書で、イスラムの考え方や行動の指針の基本はわかるのです。

いま、ムスリムに見える否定的現象の多くに、ムハンマドは責任がないとはっきり言いたいのです。

むしろ、自分の言葉をちゃんと理解するには聖書を読めと言ってるのですから。

コーランしか読んでいない現在のムスリムは、ムハンマドを誤解しまくって、おかしな方向に走っているのと見て良いでしょう。

ムスリムの社会で起きている否定的な現象の大半は、ムハンマド以前の時代の遺物と言って良いかもしれません。

女性の教育の権利を訴え、「パキスタン・タリバン運動」のメンバーに頭を撃たれて重傷を負った14歳の少女マララ・ユスフザイさんが、治療のため英国へ搬送などという事態は、ムハンマドは嘆くでしょう。

聖書の中には、女性が神の言葉を伝え民を導いた記録があるのです。

例えば、士師記には女預言者デボラがイスラエルをさばいていたと言う記述があります。

これは士師記第4章に載っています。

他の箇所にも、神に反した者へのさばきに女性の手が使われる場面もあります。

コーランしか読まない今のムスリムが、大きな脱線をせずに済んでいるのは、コーランが優れた聖書の解説書だからです。

しかし、所詮は解説書であり、最も基本的なことである神の与えた言葉の本文は聖書に書いてあるのです。

だから、ムハンマドは聖書を読めと言ってるのです。

もちろんムハンマドも、預言者です。

そして、コーランも神の言葉です。

聖書の実践指南という側面が強いけど。

アブラハムとイサクとヤコブの系譜でないため、ユダヤ教徒やクリスチャンは彼を勘定から外すけど。

ムスリムのつまづきの多くは、聖書を読まない事によります。

確かに、聖書とコーランには細かい食い違いがあると指摘する声はあります。

それでも、私は断言します。

コーランは極めて優れた聖書の解説書であることを。

聖書を理解する上で、大いに助けとなる書であることを。

だが、解説書に過ぎないことは当のムハンマド自身が知っていました。

だから、聖書を読めと言っていたのです。

クリスチャンを名乗る者の多くが、旧約聖書をイエスによって廃されたと誤解して読んでないと聞きます。

だが、イエスも弟子たちも、依拠した聖典はほかならぬ旧約であるのです。

イエスは旧約でなされた預言の成就者であり、旧約の教えの簡潔にして要領を得た解説者でもありました。

旧約を読まずにクリスチャンを名乗り、主よ主よとこれ見よがしに叫ぶ者をイエスは喜ぶでしょうか。

ムスリムの特質などと言われていることの多くは、旧約にある神の教えの実践なのです。

だが、旧約を読まない者は気が付かないでしょうね。

新約だけ読めばいいと勘違いしながらクリスチャンを名乗るものに、コーランだけ読めばいいと勘違いしている現在のムスリムを笑えるでしょうか。

イエスは神を見失うなと諭したのです。

旧約を読まない者同士が、相手を笑えるでしょうか。

イエスは、敵でさえ愛し彼らのために祈れと言ったはずですよね。

ムハンマドは、イエスを特別な預言者と言いました。

ユダヤ教は、イエスを受け入れていないのです。

イエスは、旧約の救世主にかんする預言を、ほとんど成就したにもかかわらず。

ムハンマドは、イエスを受け入れました。

つまりムハンマドは、新約と旧約を読めといっているのと同じであるといえるでしょう。

悲しいことに、今のムスリムはここが分かっていないようです。

聖書を読まないムスリムはイエスは認めるが、預言者としか思っていないのでしょうね。

ムハンマドは嘆くだろうと、同情したいですね。

イエスは神を見失うなと、諭します。

多くのユダヤ教徒、キリスト教徒、ムスリムは、この言葉の意味をもう一度かみしめた方が良いと感じるのはおかしいでしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ノーベル賞に思う。(主に科学分野)

ノーベル賞をとる研究は、半歩からせいぜい一歩先行く研究ではないでしょうか。

どうしてそうなるかと言えば、生前に受賞が原則だから。

その人が生きている間に結果が出る必要があるから、どうしても二歩も数歩も先を行く研究は割を食うことになります。

余り先を行く研究は、十分に理解されなかったり、検証が容易でなかったりするのです。

アィンシュタインは有名な相対性理論ではなく、光電効果で受賞しました。

実際には、光電効果の理論的解明が、評価されたわけです。

光電効果そのものは、知られていても、従来の理論的枠組みでは説明できなかったのです。

アインシュタインの凄さは、見つけた当人でさえ仮説と思っていたプランクによって導入された量子を、実在と見なしたことでした。

この発想の柔軟性が、新たな理論に導いたのです。

アインシュタインの相対性理論もまた、自由な発想が可能にした理論でした。

彼の相対性理論の預言は、思考実験によって導かれたのであって、実際の実験は当時は不可能でした。

理論によって導かれた現象は、誰もまだ現実には見ていなかったのです。

当のアインシュタインでさえ、彼の心の中と書き上げた式の中に、あっただけでした。

でも、彼の相対性理論は今では量子論と並ぶ素粒子研究の二本柱になっています。

残念なことには、アインシュタインの相対性理論は量子論と、今一つ、相性が悪いのです。

そのため、多くの研究者はこの難問の解決に取り組んでいます。

なにしろ光速度に近い現象は、相対論的事情を配慮しないことには解明できないのですから。

もちろん、アインシュタインの光電効果解明の恩恵に、今日も多くの研究者はお世話になってることは言うまでもありません。

光学と電磁気学の接点では、光電効果は大活躍なのですから。

ノーベル賞とる研究って、最前線であることも必要だが、それ以上にやはり基礎研究に近いことやってるのです。

基礎研究的要素が強いほど、応用分野も広がるのです。

それとやはり、オリジナリティも、当然ながらいりますよね。

それと、それが出来る環境も、必要かもしれないですよ。

環境ばかりは、いくら人数が居ようが、予算を積もうが、それだけじゃ無理でしょうね。

ノーベル賞とった本人は、ほとんどが知らせに耳を疑っているくらいですから。

周囲はすごいからあの人とってもおかしくないと思ってる、当人は、すごい人一杯いるじゃないのなんで自分がと驚いているのです。

そういう人がとるんですよね。

なんで我が国がとれないと焦る国がいるでしょ。

ノーベル賞は、とろうとしてとれたのではないですよ。

貢献したからとれたのにね。

あなた貢献した、と聞きたいですね。

ノーベル賞受賞者は、賞を狙って研究してないですよ。

知りたいから、これ分かったら面白いことになるぞとわくわくしてるから、誰かの役に立ちたいから、先陣を切りたいから、やってるのです。

周囲があれ凄いぞ、ノーベル賞級だと見るようになるのは、ある程度形になってからなのですよ。

そんなものなのですよ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

灰かぶり猫について改めて考えてみた。

ペローやグリムの残した『シンデレラ』よりも以前の17世紀の南イタリアで書かれた『Cenerentola(灰かぶり猫)』という作品もありましたね。

なおシンデレラは、ゼゾッラの名で登場します。

シンデレラは、ドイツ語のAschenputtelのほか、英語でCinderella、フランス語でCendrillon、イタリア語でCenerentola、などの名前で呼ばれています。

英語のcinder、フランス語のcendre、ドイツ語のAsche、イタリア語のcenere などはいずれも「燃え殻」「灰」を意味します。

なぜ灰かぶりと呼ばれるかについては、マタイによる福音書11章に、気になる記述があることに気づいたことも話しました。

灰をかぶることに関する、イエスの言葉が出てくるのです。

繰り返しになるけれど、少々長いが20節から24節を引用します。

20それからイエスは、数多くの奇跡の行われた町々が悔い改めなかったので、叱り始められた。

21「コラジン、お前は不幸だ。ベトサイダ、お前は不幸だ。お前たちのところで行われた奇跡が、ティルスやシドン行われていれば、これらの町はとうの昔に粗布をまとい、灰をかぶって悔い改めたにちがいない。

22しかし、言っておく。裁きの日にはティルスやシドンのほうが、お前たちよりまだ軽い罰で済む。

23また、カフェルナウム、お前は天にまで上げられると思っているのか。陰府(よみ)にまで落とされるのだ。お前のところでなされた奇跡が、ソドムで行われていれば、あの町は今日まで無事だったにちがいない。

24しかし、言っておく。裁きの日にはソドムの地の方が、お前たちよりまだ軽い罰で済むのである。」

私たちの知っているシンデレラの物語では、継母に虐げられてもじっと堪えているところから話は始まります。

 ところが、灰かぶり猫のゼゾッラは裁縫の先生は共謀して、ゼゾッラと不仲であった最初の継母を殺害する。

 十戒には、あなたは殺してはならない、とありますね。

 モーセは、事故で死なせたら罪に問われん無いが、恨みで殺したら死ななければならないと、戒めていたことを思い出しました。

 逃れの町について、民数記35章、申命記19章、ヨシュア記20章などにあるけれど、わざとではないのに死なせた場合だけ、逃れてよいはずですよ。

 本当に、マタイによる福音書による解釈で、良いんですかねえ。  

 不安になってきました。

カインとアベルの話を、覚えていますか。

 カインはアベルを殺しましたね。

神はアベルの供物に目を留めカインの供物は無視したので、カインは嫉妬してアベルを殺したのでしたね。

 ゼゾッラは、不仲であった継母を恨んで、裁縫の先生は共謀して殺してますね。

 細かいところに違いはあるけれど、動機は似ている。

創世記4章から、振り返ってみましょう。

9主はカインに言われた、「弟アベルは、どこにいますか」。カインは答えた、「知りません。わたしが弟の番人でしょうか」。

10主は言われた、「あなたは何をしたのです。あなたの弟の血の声が土の中からわたしに叫んでいます。

11今あなたはのろわれてこの土地を離れなければなりません。この土地が口をあけて、あなたの手から弟の血を受けたからです。

12あなたが土地を耕しても、土地は、もはやあなたのために実を結びません。あなたは地上の放浪者となるでしょう」。

13カインは主に言った、「わたしの罰は重くて負いきれません。

14あなたは、きょう、わたしを地のおもてから追放されました。わたしはあなたを離れて、地上の放浪者とならねばなりません。わたしを見付ける人はだれでもわたしを殺すでしょう」。

15主はカインに言われた、「いや、そうではない。だれでもカインを殺す者は七倍の復讐を受けるでしょう」。そして主はカインを見付ける者が、だれも彼を打ち殺すことのないように、彼に一つのしるしをつけられた。

主は、カインの言葉に神の怒りに対する恐れを感じ取られたのでしょう。

「知りません。わたしが弟の番人でしょうか」。

神の罰を恐れていなかったら、カインはとぼけたでしょうか。

 自分の行為を当然と思えば、開き直ったでしょうね。

 そして、神の怒りによって殺された。

けれど、カインは神に殺されると思って、必死に逃れようとした。

「わたしを見付ける人はだれでもわたしを殺すでしょう」。

死を覚悟したカインを憐れんだ神は、こう告げましたね。

「いや、そうではない。だれでもカインを殺す者は七倍の復讐を受けるでしょう」。

一方ゼゾッラは、不仲であった継母は殺したが、共謀しながら裏切った裁縫の教師の仕打ちには堪えました。

 復讐の機会を狙っていた、それとも、自業自得とあきらめた。

それは、わかりません。

言えることは、ゼゾッラが堪えるものとなったさまを灰かぶり猫と呼んだと、読める事だけです。

「これらの町はとうの昔に粗布をまとい、灰をかぶって悔い改めたにちがいない。」

この記述に、裏切り者となった裁縫教師の仕打ちに堪えたゼゾッラが重ねられたと見なければ、彼女にもたらされた救いは理解できないでしょうね。

妖精の鳩に貰ったナツメの木は実は魔法の木で、彼女は木の魔法によってきれいに着飾ってお祭りに参加して国王に注目される。

国王の従者に追いかけられたゼゾッラは、履いていたピァネッレを落としてしまう。

ピァネッレとは、17世紀のイタリアで履かれていた木靴のことです。

ゼゾッラは、魔法が祭りに参加するための一時的なものであり、時が来れば解けることを知っていたので焦ったわけです。

 魔法がばれたら、全てを告白しないといけない。

そのとき、自分たちに訪れる破局を、恐れたのでしょうね。

嘘に嘘を重ねて、その場を取り繕っても、発覚すれば更なる悲劇が待っていると知っていたのでしょう。

 神は、ゼゾッラはとことん神を恐れるものとなったと、理解していた。

おそらく、そうでしょう。

そうでなければ、ゼゾッラにとってのハッピーエンドはこの物語にないでしょうから。

 ゼゾッラは、何事もなかったかのように、元の日常に戻ったのでしょうね。

おそらく、そうでしょう。

そして、もと、裁縫教師であたった二人目の継母の仕打ちに堪えたのでしょう。

悔い改めたゼゾッラは、大公の娘としての気品とへりくだった者の持つやさしさを兼ね備えた美しい娘となって、国王の目に留まったのでしょう。

 悔い改めとへりくだりのたいせつさこそ、灰かぶり猫という題に込められたメッセージであった。

主人公の罪を犯した場面を除かれてしまったシンデレラの話は、へりくだりの大切さと堪えることの美徳を説く物語に変質してしまったといえるでしょうね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

シンデレラはなぜ灰をかぶる?

マタイによる福音書11章に、灰かぶり姫という意味のシンデレラという名前に関連のありそうな、気になる記述があることに気づきました。

 

灰をかぶることに関する、イエスの言葉が出てくるのです。

 

意図をくみ取るために、少々長いが20節から24節を引用します。

 

20それからイエスは、数多くの奇跡の行われた町々が悔い改めなかったので、叱り始められた。

 

21「コラジン、お前は不幸だ。ベトサイダ、お前は不幸だ。お前たちのところで行われた奇跡が、ティルスやシドン行われていれば、これらの町はとうの昔に粗布をまとい、灰をかぶって悔い改めたにちがいない。

 

22しかし、言っておく。裁きの日にはティルスやシドンのほうが、お前たちよりまだ軽い罰で済む。

 

23また、カフェルナウム、お前は天にまで上げられると思っているのか。陰府(よみ)にまで落とされるのだ。お前のところでなされた奇跡が、ソドムで行われていれば、あの町は今日まで無事だったにちがいない。

 

24しかし、言っておく。裁きの日にはソドムの地の方が、お前たちよりまだ軽い罰で済むのである。」

 

粗布をまとい、灰をかぶってというのは、怠けることなく、高慢になることなく、現世の欲にとらわれることなく質素ないでたちで、日々の労働に励むということでしょう。

 

 粗布は謙虚さを、表すと言うのはその通りでしょう。

 

 灰をかぶるとは、日々の焼き尽くす献げ物の灰が神の声によってかかると言う意味もあるのでは。

 

確かに、和解や贖罪や賠償のための焼き尽くす献げ物から出た灰はある程度人々にかかるでしょうね。

 

風は神の声の象徴としても、使われますからね。

 

 『シンデレラ』は、「灰かぶり姫(はいかぶりひめ)」とか、「灰かぶり(はいかぶり)」という意味でしたね。

 

 この灰かぶりが、聖書で解けると言うのですか。

 

可能性は、ありますよ。

 

 『シンデレラ』の話は、グリム兄弟(Brüder Grimm) によってグリム童話に「No.21 Aschenputtel」として納められたものや、シャルル・ペロー(Charles Perrault) によるものが知られているでしょ。

 

 古くから広い地域に伝わる民間伝承で、中国にも楊貴妃がモデルと言われる「掃灰娘」という類話がある。

 

シンデレラは、ドイツ語のAschenputtelのほか、英語でCinderella、フランス語でCendrillon、イタリア語でCenerentola、などの名前で呼ばれています。

 

英語のcinder、フランス語のcendre、ドイツ語のAsche、イタリア語のcenere などはいずれも「燃え殻」「灰」を意味します。

 

さらに興味深いことに、ペローやグリムよりも以前の17世紀の南イタリアで書かれた『Cenerentola(灰かぶり猫)』という作品もありましたね。

 

なおシンデレラは、ゼゾッラの名で登場します。

 

 五日物語という意味のPentamerone(ペンタメローネあるいはペンタメロン)という、ナポリ方言で書かれた民話集に収められている話ですよね。

 

17世紀初めにナポリ王国の軍人・詩人であったGiambattista Basile(ジャンバティスタ・バジーレ)が、Gian Alessio Abbattutis(ジャン・アレッシオ・アッパトゥーティス)という筆名を用いて執筆した作品ですね。

 

 この民話集は、死後の1634年から36年に刊行されたのですよね。

 

1日目第6話として収録されたこの話は、ペローやグリムよりも古い形と考えられ、両者と異なる部分があるそうですね。

 

まず、シンデレラの一般的に知られている筋はこうですよね。

 

シンデレラは、継母とその連れ子である姉たちに日々いじめられていた。

 

あるとき、城で舞踏会が開かれ、姉たちは着飾って出ていくが、シンデレラにはドレスがなかった。

 

舞踏会に行きたがるシンデレラを、不可思議な力が助け、準備を整えるが、12時には魔法が解けるので帰ってくるようにと警告される。

 

その不思議な力は、話によって異なり、魔法使い、仙女、ネズミ、母親の形見の木、白鳩などが登場する。

 

シンデレラは、城で王子に見初められる。

 

12時の鐘の音に焦ったシンデレラは、階段に靴を落としてしまう。

 

王子は、靴を手がかりにシンデレラを捜す。

 

姉2人も含め、シンデレラの落とした靴は、シンデレラ以外の誰にも合わなかった。

 

シンデレラは王子に見出され、妃として迎えられる。

 

一方、灰かぶり猫は、こういう筋です。

 

主人公のゼゾッラと裁縫の先生は共謀して、ゼゾッラと不仲であった最初の継母を殺害する。

 

主人公は、裁縫の先生と父の大公を再婚させる。

 

継母となった裁縫の先生は、6人の実娘を迎えるとゼゾッラを裏切って冷遇する。

 

その後、父の大公が旅行中に継母の娘には豪華なお土産の約束をするが、ゼゾッラはただ妖精の鳩がくれる物が欲しいとだけ答える。

 

その後、大公が妖精から授かったナツメの木の苗を土産として与えられたゼゾッラはその木を大切に育てる。

 

ナツメの木は実は魔法の木で、彼女は木の魔法によってきれいに着飾ってお祭りに参加して国王に注目される。

 

国王の従者に追いかけられたゼゾッラは、履いていたピァネッレを落としてしまう。

 

ピァネッレとは、17世紀のイタリアで履かれていた木靴のこと。

 

斎日に国王が国中すべての娘を召し出して靴を履かせた結果、ゼゾッラだけが靴に合致して王妃に迎えられる。

 

継母の6人の娘たちがそのときの屈辱を母親に伝えたところで、物語の幕を閉じる。

 

灰かぶり猫と、題名にありながら、猫は登場しません。

 

 灰かぶりの名は、台所のかまどで灰をかぶりながら仕事をしているところからきたと、思われてきたのでしょうね。

 

 そして、灰かぶり猫というのも、温かさを求めて火を落としたかまどにはいって灰まみれになった猫のように灰まみれという、風に解釈できる。

 

でも、俗語ではしばしば、若い娘は猫に例えられますね。

 

 つまり、灰かぶり猫は灰かぶり娘の俗語表現と見ても良い。

 

そういう風に思われてきたから、誰も聖書と比べなかったのでしょうね。

 

 聖書の物語の壁画やステンドグラスが発展したのは、文盲が多かったから絵で説明するためだったとも、言われますね。

 

 それで、一般人の中で、聖書の灰かぶりに注目する人はいなかったのかしら。

 

聖書研究者で、一般の物語を研究している人は少ないし、一般の物語研究者で、聖書と比べようとする人も少ないでしょうからね。

 

わたしも、どうして灰かぶり姫なのかという疑問を持った目で聖書を開いたから、この記述に気が付いたのです。

 

一般に知られた物語では、灰をかぶって悔い改めるという言は、あまりしっくりきません。

 

ところが、より古い形と見られる灰かぶり猫では、ゼゾッラは殺人に加担してしまいます。

 

つまり、罪人に堕落したわけです。

 

 悔い改めが、必要になってしまったわけですね。

 

ゼゾッラは冷遇されるが、じっと堪えるわけです。

 

ようするにへりくだる者となったわけです。

 

聖書では、へりくだる事の徳を繰り返し説きます。

 

ゼゾッラは、おそらく粗布のように粗末な衣類だったでしょう。

 

さらに、灰をかぶったようになっても、こらえて働いたとみればどうでしょう。

 

 まさに、粗布をまとい、灰をかぶって悔い改めた、という聖書の記述に似てきますね。

 

そうみると、妖精の鳩がくれる物が欲しいというのも、仕返しの道具が欲しいのではなく、祝福と守りが欲しいということでしょ。

 

 妖精から授かってきたナツメの木は、魔法の木でしたね。

 

ナツメとは、ナツメヤシのことです。

 

ナツメヤシはギルガメシュ叙事詩やクルアーンに頻繁に登場し、聖書 の「生命の樹」のモデルはナツメヤシであるといわれます。

 

鳩、とりわけ白鳩は、聖霊の象徴として描かれます。

 

生命の樹は、アダムカドモンとも呼ばれ、人の後ろ姿とされるが、イエスの象徴として扱う議論もあります。

 

 鳩とナツメで、聖霊とイエスが暗示されている。

 

罪を犯したゼゾッラであるが、へりくだり悔い改めて、イエスの祝福を求める心の持ち主になっていたことが、妖精の鳩がくれる物が欲しいという言葉に表れたと見ても良いのかも知れません。

 

 そうなると、灰かぶり猫の、猫の解釈についても、考えないといけないですね。

 

イエスに従うものは、イエスのようになることが求められると、聖書は説きます。

 

 そして、猫はイエスのメタファー。

 

メタファーとは、全ての性質を用いて例えることです。

 

 そうなると、悔い改めたゼゾッラは、あたかもイエスのような境地にまでたどり着いたということが、猫という言葉でほのめかされている。

 

可能性はありますね。

 

 そうなると、シンデレラの物語の元を作った人はかなり聖書に詳しい。

 

どういう人だったのでしょうね。

 

中国にも楊貴妃がモデルと言われる「掃灰娘」という類話があるなど、古くから広い地域に伝わる民間伝承だそうです。

 

 楊貴妃と言えば、蜀の出身ですね。

 

蜀については、日本との繋がりを考えましたね。

 

なお、中国には他にも、民話に基づいていると思われる唐代の小説「葉限」などの類話があるそうです。

 

 楊貴妃は唐代の人、「葉限」という小説も唐代、民話の伝わった地域が気になりますね。

 

情報が欲しいところですね。

 

日本にもシンデレラとよく似た、作者不明の『落窪物語(おちくぼものがたり)』があります。

 

主人公は、中納言源忠頼の娘である落窪姫君です。

 

針子として家族の着物を縫わされ続けていたためか、裁縫が非常に得意です。

 

皇女である母と死別した落窪姫君は、継母のもとで暮らすことになりました。

 

出自は継母や義姉妹たちより遥かに高いが継母からは冷遇を受けて落窪の間に住まわされ、不幸な境遇にありました。

 

しかし、そこに現われた貴公子、右近の少将道頼に見出されて、姫君に懸想した道頼は彼女のもとに通うようになりました。

 

姫君は、継母に幽閉されます。

 

そこを道頼に救出され、二人は結ばれます。

 

道頼は姫君をいじめた継母に復讐を果たし、一家は道頼の庇護を得て幸福な生活を送るようになります。

 

シンデレラの物語は、ヨーロッパばかりか、中国、日本と広がっているわけです。

 

 原作は、中東で生まれたとか、想像できませんか。

 

 民族の伝承だったので、中東では民族の移動とともに廃れたとか。

 

どうなのでしょ。

 

シンデレラの話、結構謎が多いようですね。

 

追記

 

今回の話はこの記事の続きに当たります。

シンデレラと火車?

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

在原氏。

源氏と言えば清和源氏が有名だが、源氏姓を賜った一族は多いです。

嵯峨源氏にはじまり、仁明源氏、文徳源氏、清和源氏、陽成源氏、光孝源氏、宇多源氏、醍醐源氏、村上源氏、冷泉源氏、花山源氏、三条源氏、後三条源氏、後白河源氏、順徳源氏、後嵯峨源氏、後深草源氏、正親町源氏があります。

源氏姓の由来については、皇室と祖、つまり源流を同じくするという名誉の意味をこめて与えられたと説明されます。

だが、他に皇族に対して賜った姓としては、在原朝臣や平朝臣などがあるのです。

平氏は、源氏程一族は多くありません。

源平合戦で有名な桓武平氏のほか、仁明平氏、文徳平氏、光孝平氏があります。

源流を同じくするというなら、全て源氏姓で良いはずです。

さらにややこしいのは、源氏姓を賜った家系の中でも平氏姓を賜った例があることです。

ちなみに、皇族の出でありながら臣下に下るにはそれなりのわけがあります。

皇子皇女が増えることは、朝廷の財政を逼迫させる基にもなることから、早くに臣籍降下することが皇胤にとって子孫繁栄の道だったのです。

親王ながら皇位を望めない場合や、諸王にあって親王宣下を望めない皇族が自ら降下を求める場合と、朝廷から一方的に降下させる場合とがあります。

皇別氏族を取り巻く状況は、朝廷の財政事情と常に連動する要素が強かったといわれます。

土木で才を発揮した例の多い源氏、貿易で名を遺した平氏に対し、在原氏は今一つ特徴ははっきりしません。

 そういえば、清和源氏の祖となった多田満仲も武士の棟梁してだけでなく、沼地を開拓して広大なる田畑を造成し、河川を改修して農耕の拡大に寄与しと民からたたえられていますね。

武士でも源氏の流れと言われる人たちは、土木でも名を遺していますよ。

 それで、源は本来水源を意味する事から、治水をはじめとした土木の一族を掌握したことに由来すると言う説を立てましたね。

 平氏は、渡来人が平姓を名乗ることが多かったことから、渡来人を掌握したことに由来する可能性を探りましたね。

平氏が貿易で財を成した背景には、渡来人を活用したことがあるのではないかと見てきましたね。

在原姓については、仁平道明東北大学教授の『詩経』小雅「常棣」の中にある“脊令在原 兄弟急難”の句から取ったと言う説があるけど、それくらい掴みどころのない姓なのです。

在原氏には、平城天皇の第 1皇子阿保親王の子孫と平城天皇の第 3皇子高岳親王の子孫の流れがあります。

薬子の変に伴う平城上皇の失脚で政治的に困難な立場に置かれていたため、臣籍に降ることによって皇位継承の資格を放棄し、保身を図ったものと考えられるというから、在原姓は天から原に下るという意味合いもあったかも知れません。

在原氏は、土佐日記で有名な在原業平に見られるように賜姓後もしばらくは不遇の日々でした。

清和天皇の代には、在原氏の家運も上昇していきます。

有力氏族により大学別曹が形成されるようになると、在原氏も奨学院を創設し、子女の教育にあたらせたといいます。

 在原姓についても、武士の子孫がいるといわれるようですね。

上杉氏家臣であった長野業正・業盛父子は、業平の子孫とされます。

石田三成の盟友大谷吉継は、一説に行平の子孫ともいわれます。

尾張国知多郡に興る荒尾氏は在原姓を称し、尾張織田家の重臣である平手政秀を出した平手氏もその出自とする説があります。

ほかにも、関ヶ原東軍の総大将徳川家康の祖松平氏は、在原姓荒尾氏の裔と伝えます。

また、西軍の領袖大谷刑部吉隆も在原姓と伝えています。

在原姓の最も栄えた流れは、有名な在原業平の子孫です。

ついでにいうと、徳川家康はもともと松平家康と言い、この松平氏は業平の家系に繋がるという議論もあります。

業平の子孫の松平氏については、清和源氏義重流の子孫の血が入ったので源氏姓に改めたと系譜は伝えます。

徳川家康の旧姓の松平が、業平の子孫の松平であったなら、家康の言う源氏の子孫という主張は、一定の根拠が出てきます。

 さらには、徳川家康の出自である松平氏については賀茂氏の流れという議論もありますね。

天皇家の外戚としては、藤原氏があまりに有名だけど、この藤原氏は元を辿れば秦氏であったと言う声があります。

 藤原氏と言えば、藤の家紋で貴族の家系という印象が強いですね。

ところが、藤原氏からも神職は出ています。

さらに藤原氏からは、神職であったところから鎮守の杜にちなんで林や小林を姓にしたとみられる一族も出てます。

そして、林姓と小林姓は密接な関係が見られ、その林姓を辿ると賀茂氏が絡んでくるのです。

賀茂氏は秦氏であり、秦氏縁の神社が八幡宮です。

八幡宮の神職を務める中に、小林姓もいます。

 そういえば、天皇家は祭祀を掌る一族であり、代々禰子ですね。

林姓や小林姓と深い関わりがある賀茂氏はまた、天皇家の祭祀にも深く関与していると指摘されます。

父である平城天皇の失脚に伴う臣籍への降下という形ではあったが、祭祀を掌る一族に封じ込めるという意味合いが在原姓にあったとしたらどうでしょう。

 そういえば、神職の家からも武家は案外と出てますね。

戦国時代から江戸時代まで伊達氏に仕えた武士の一族であった片倉氏には、片倉氏の産土神社の由緒を持つ八幡宮片倉前社や、文正年間片倉氏が起こしたと伝わる片倉山神社があったが明治に入り諏訪神社に合祀され消失しています。

八幡宮片倉前社や片倉山神社の存在は、神職でもあった片倉氏のもう一つの側面を語っていると言われます。

肥田氏も、土岐氏庶流で代々武家として鎌倉幕府、室町幕府を支えた後、織田信長、明智光秀、豊臣秀吉、北条氏康、徳川家康の家臣として仕え、江戸時代には長崎奉行、勘定奉行などの旗本幕閣として徳川幕府中枢を支えるとともに、尾張藩、水戸藩、高松藩の家老を排出した氏族です。

 肥田氏は、幕末には遣米使節一行として咸臨丸で渡米するなど明治にかけても活躍し新政府の下で文明開化に貢献してますね。

この肥田氏にも、面白い史実があります。

米田城主であった肥田氏の本当の姓は諏訪氏であり、諏訪大明神に仕える家柄だったことによると言うのです。

さらにこの諏訪氏には、小林姓も絡んできます。

この諏訪神社は、片倉氏縁の八幡宮片倉前社や片倉山神社が合祀されるという因縁が何とも興味深いです。

でも今回は在原氏を考えたいので、片倉氏には深入りしません。

 神職の家系にして武士も出したと言えば、小林氏もそうですね。

 忠臣蔵に出てくる吉良方の武士の小林平八郎も、親戚筋を辿ると神職を出していた家系に繋がるようですね。

さらに肥田氏を辿ると諏訪氏が出るが、諏訪氏を辿ると桓武天皇や清和源氏の源満快の名前も登場するのです。

 徳川家康の出自である松平氏については、賀茂氏の流れという議論がある。

 徳川家康の出自である松平氏については、在原業平の子孫の説がある。

 在原業平の子孫の松平氏については、清和源氏義重流の子孫の血が入ったので源氏姓に改めたと系譜は伝える。

 清和源氏の流れから諏訪氏が出、諏訪氏から肥田氏が出、肥田氏には藤原の出とされる小林氏が絡む。

 小林氏と賀茂氏は林氏を介して繋がる。

さらにいえば、家康が名乗った徳川姓は藤原氏との繋がりを意識したとも伝わります。

 藤原氏と天皇家の繋がりの深さは有名ですね。

藤原氏は元を辿れば秦氏であり、秦氏の中でも特に祭祀に深く関わったのが賀茂氏です。

在原氏と姻戚関係を結んだ源氏に縁の深い神社は、八幡宮ですよ。

 在原氏と神職の関係の深さが、源氏との縁を結び、源氏縁の八幡宮と在原氏の繋がりが深まり、在原氏と賀茂氏の繋がりが深まって誕生したのが松平氏だったのでしょうか。

そして、それを最大限に利用しようとしたのが、徳川家康だったと見ても面白いですね。

 在原氏を考えていたら、徳川家康まで行ってしまいましたね。

謎の多い在原氏を考えるには、周辺情報も貴重ですからね。

 そうそう、徳川家は江戸に結界を結んでいたなどという説もありますね。

そういう説が出るあたり、賀茂氏との関連が取りざたされる徳川家康らしいといえるでしょうね。

追記

在原氏の系図は藤原氏との関わりの深さを示しています。

【在原系図】
http://www.k2.dion.ne.jp/~tokiwa/keifu/keifu-ariwarashi.html

藤原氏と在原氏の関係は、在原氏を名乗る一族に藤井氏がいることや、武蔵の長井斎藤別当実盛の子孫は在藤氏を号するが本姓は在原であることにも、表れています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

アスクレーピオスとイエス?

アスクレーピオス(Ἀσκληπιός, Asklepios)は、ギリシア神話に登場する名医です。

ラテン語ではアイスクラーピウス(Æsculapius / Aesculapius)といいます。

長母音を省略してアスクレピオス、アスクラピウスとも表記されます。

優れた医術の技で死者すら蘇らせ、後に神の座についたとされることから、医神として現在も医学の象徴的存在となっています。

古代ギリシアにおいては、病院を「アスクラピア」と呼びました。

アスクレーピオスの子どもたちはいずれも医術にかかわっており、息子にはともに医学の知識に長け、トロイア戦争で活躍したマカーオーンとポダレイリオスが、娘には衛生を司るヒュギエイアや治癒を司るパナケイアがいます。

ヒポクラテスは、彼の子孫であるとも言います。

 ヒポクラテスやヒポクラテス派の最も重要な功績のひとつに、原始的な医学から迷信や呪術を切り離し、医学を経験科学へと発展させたことが挙げられますね。

皮肉なことに、ヒポクラテス自身の生涯はアスクレーピオスの子孫とされたことなど、さまざまな伝説に彩られていますがね。

杖にヘビの巻きついたところから蛇杖として知られる「アスクレーピオスの杖」は、医の象徴として世界的に用いられています。

アスクレーピオスは、アポローンとコローニスの子です。

コローニスはテッサリアのラピテース族の王プレギュアースの娘で、アポロンは一羽のカラスを使いとしてコローニスとの連絡係にしていました。

このカラスは言葉を話し、その羽は純白でした。

あるとき、カラスがコローニスの浮気を告げたために、怒ったアポローンはコローニスを矢で射殺しました。

このカラスの報告は道草を食っていた言い訳に付いた嘘だったという説と、カラスがうっかり者で早とちりをしたという説があります。

いずれにしても、アポローンはカラスを罰して言葉を取り上げ、白い羽を真っ黒に変え、このカラスの姿が現在のからす座です。

一説には、からす座のすぐ近くにコップ座があるにもかかわらず、そのくちばしは永遠にコップの水に届かないといいます。

コローニスは身ごもっていることを告げて死んだため、アポローンは胎児を救い出してケンタウロスの賢者ケイローンに養育を託しました。

この胎児がアスクレーピオスです。

ケイローンのもとで育ったアスクレーピオスは、とくに医学に才能を示し、師のケイローンさえ凌ぐほどでした。

やがて独立したアスクレーピオスは、イアーソーン率いるアルゴー船探検隊(アルゴナウタイ)にも参加しました。

その医術の技はますます熟達し、アテーナーから授かったメドゥーサの右側の血管から流れた蘇生作用のある血を使い、ついに死者まで生き返らせることができるようになりました。

アスクレーピオスはアテーナイ王テーセウスの息子ヒッポリュトスを蘇らせたといいます。

冥界の王ハーデースは、自らの領域から死者が取り戻されていくのを生老病死という“世界の秩序を乱すもの”とゼウスに強く抗議しました。

ゼウスはこれを聞き入れ、雷霆をもってアスクレーピオスを撃ち殺しました。

逆に収まらなかったのは、子を殺されたアポローンでした。

ゼウスに対して直接の非難はできなかったため、アポローンはゼウスの雷霆を作っていた巨人族で一つ目のキュクロープスたちを腹立ち紛れに皆殺しにしたといいます。

アポローンはゼウスに罰せられ、テッサリアのペライの王アドメートスのもとで羊飼いとして家畜の世話をさせられたといいます。

アスクレーピオスは、死後天に上げられてへびつかい座となり、神の一員に加わったとされます。

アスクレーピオスには、気になる点がいくつかあります。

まず、蛇の巻付いたアスクレーピオスの杖です。

 出エジプト記で、モーセが掲げた青銅の蛇もまた、癒しの蛇ですね。

癒しと蛇、似ていますね。

 アスクレーピオスの杖は、薬学のシンボルとして薬局の看板などに用いる国もありますね。

薬学のシンボルとしては、「ヒュギエイアの杯(ヒギエイアの杯)」が一般的ですけどね。

ヒュギエイアの杯とは、ヘビの巻きついた杯として表現される名医アスクレピオスの娘のヒュギエイアが持っていた杯です。

 聖書には、杯も象徴として登場しますね。

人の一生の象徴ととも言える形で登場しますね。

蛇は、しばしば、神の使いや神の声の象徴として伝承の中に登場します。

 神の使いや神の声の象徴とされる蛇の巻付いた、人の一生の象徴ととも言える杯を持つのが名医アスクレピオスの娘のヒュギエイアですね。

 どことなく、イエスの母となるべく聖別されたマリアを連想できますね。

それをいえば、杖の材料は木が多かったですよ。

 蛇の巻付いた樹は、生命の樹の、変形とされる場合はよくありますね。

生命の樹はアダムカドモンとも呼ばれ、生命の樹のアダムとはイエスのことであると指摘されたりします。

さらに、死者すら蘇らせたというあたり、聖書の預言者やイエスの奇跡が連想できます。

イエスは義の太陽と呼ばれるが、アスクレーピオスの父であるアポロンは太陽神です。

 危うく死から逃れるあたりも、展開こそ違うけど、アスクレーピオスとイエスは共通していますね。

死から逃れて、託されて育つ辺りはモーセにも似ていますよ。

 ケイローンとアスクレーピオスの関係は、洗礼ヨハネとイエスも印象が重なる部分はありますね。

アポローンを怒らせたカラスの言葉は、嘘だったと言う辺りもイブに嘘を言って罰せられた蛇と、妙に重なりますね。

 手足を失い地を這うものとされた蛇と、白かった羽が黒くされすぐ近くのコップに永遠にくちばしが届かないカラス、確かに不思議な対応が見えますね。

アスクレーピオスは、死後昇天し神となります。

 イエスは、死後復活する点は違うが、昇天して神である御父の右に居られる方とされますね。

アスクレーピオスの父アポロンは、羊飼いになります。

 羊飼いは、イエスの例えとして、あまりに有名ですね。

 巨人族で一つ目のキュクロープスたちの皆殺しと、ノアの洪水も対応してますかね。

さあ、どうでしょう。

 それにしても、アスクレーピオスとイエスは、比べると結構面白いですね。

なにかが、あるでしょうねえ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2012年9月 | トップページ | 2012年11月 »