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灰かぶり猫について改めて考えてみた。

ペローやグリムの残した『シンデレラ』よりも以前の17世紀の南イタリアで書かれた『Cenerentola(灰かぶり猫)』という作品もありましたね。

なおシンデレラは、ゼゾッラの名で登場します。

シンデレラは、ドイツ語のAschenputtelのほか、英語でCinderella、フランス語でCendrillon、イタリア語でCenerentola、などの名前で呼ばれています。

英語のcinder、フランス語のcendre、ドイツ語のAsche、イタリア語のcenere などはいずれも「燃え殻」「灰」を意味します。

なぜ灰かぶりと呼ばれるかについては、マタイによる福音書11章に、気になる記述があることに気づいたことも話しました。

灰をかぶることに関する、イエスの言葉が出てくるのです。

繰り返しになるけれど、少々長いが20節から24節を引用します。

20それからイエスは、数多くの奇跡の行われた町々が悔い改めなかったので、叱り始められた。

21「コラジン、お前は不幸だ。ベトサイダ、お前は不幸だ。お前たちのところで行われた奇跡が、ティルスやシドン行われていれば、これらの町はとうの昔に粗布をまとい、灰をかぶって悔い改めたにちがいない。

22しかし、言っておく。裁きの日にはティルスやシドンのほうが、お前たちよりまだ軽い罰で済む。

23また、カフェルナウム、お前は天にまで上げられると思っているのか。陰府(よみ)にまで落とされるのだ。お前のところでなされた奇跡が、ソドムで行われていれば、あの町は今日まで無事だったにちがいない。

24しかし、言っておく。裁きの日にはソドムの地の方が、お前たちよりまだ軽い罰で済むのである。」

私たちの知っているシンデレラの物語では、継母に虐げられてもじっと堪えているところから話は始まります。

 ところが、灰かぶり猫のゼゾッラは裁縫の先生は共謀して、ゼゾッラと不仲であった最初の継母を殺害する。

 十戒には、あなたは殺してはならない、とありますね。

 モーセは、事故で死なせたら罪に問われん無いが、恨みで殺したら死ななければならないと、戒めていたことを思い出しました。

 逃れの町について、民数記35章、申命記19章、ヨシュア記20章などにあるけれど、わざとではないのに死なせた場合だけ、逃れてよいはずですよ。

 本当に、マタイによる福音書による解釈で、良いんですかねえ。  

 不安になってきました。

カインとアベルの話を、覚えていますか。

 カインはアベルを殺しましたね。

神はアベルの供物に目を留めカインの供物は無視したので、カインは嫉妬してアベルを殺したのでしたね。

 ゼゾッラは、不仲であった継母を恨んで、裁縫の先生は共謀して殺してますね。

 細かいところに違いはあるけれど、動機は似ている。

創世記4章から、振り返ってみましょう。

9主はカインに言われた、「弟アベルは、どこにいますか」。カインは答えた、「知りません。わたしが弟の番人でしょうか」。

10主は言われた、「あなたは何をしたのです。あなたの弟の血の声が土の中からわたしに叫んでいます。

11今あなたはのろわれてこの土地を離れなければなりません。この土地が口をあけて、あなたの手から弟の血を受けたからです。

12あなたが土地を耕しても、土地は、もはやあなたのために実を結びません。あなたは地上の放浪者となるでしょう」。

13カインは主に言った、「わたしの罰は重くて負いきれません。

14あなたは、きょう、わたしを地のおもてから追放されました。わたしはあなたを離れて、地上の放浪者とならねばなりません。わたしを見付ける人はだれでもわたしを殺すでしょう」。

15主はカインに言われた、「いや、そうではない。だれでもカインを殺す者は七倍の復讐を受けるでしょう」。そして主はカインを見付ける者が、だれも彼を打ち殺すことのないように、彼に一つのしるしをつけられた。

主は、カインの言葉に神の怒りに対する恐れを感じ取られたのでしょう。

「知りません。わたしが弟の番人でしょうか」。

神の罰を恐れていなかったら、カインはとぼけたでしょうか。

 自分の行為を当然と思えば、開き直ったでしょうね。

 そして、神の怒りによって殺された。

けれど、カインは神に殺されると思って、必死に逃れようとした。

「わたしを見付ける人はだれでもわたしを殺すでしょう」。

死を覚悟したカインを憐れんだ神は、こう告げましたね。

「いや、そうではない。だれでもカインを殺す者は七倍の復讐を受けるでしょう」。

一方ゼゾッラは、不仲であった継母は殺したが、共謀しながら裏切った裁縫の教師の仕打ちには堪えました。

 復讐の機会を狙っていた、それとも、自業自得とあきらめた。

それは、わかりません。

言えることは、ゼゾッラが堪えるものとなったさまを灰かぶり猫と呼んだと、読める事だけです。

「これらの町はとうの昔に粗布をまとい、灰をかぶって悔い改めたにちがいない。」

この記述に、裏切り者となった裁縫教師の仕打ちに堪えたゼゾッラが重ねられたと見なければ、彼女にもたらされた救いは理解できないでしょうね。

妖精の鳩に貰ったナツメの木は実は魔法の木で、彼女は木の魔法によってきれいに着飾ってお祭りに参加して国王に注目される。

国王の従者に追いかけられたゼゾッラは、履いていたピァネッレを落としてしまう。

ピァネッレとは、17世紀のイタリアで履かれていた木靴のことです。

ゼゾッラは、魔法が祭りに参加するための一時的なものであり、時が来れば解けることを知っていたので焦ったわけです。

 魔法がばれたら、全てを告白しないといけない。

そのとき、自分たちに訪れる破局を、恐れたのでしょうね。

嘘に嘘を重ねて、その場を取り繕っても、発覚すれば更なる悲劇が待っていると知っていたのでしょう。

 神は、ゼゾッラはとことん神を恐れるものとなったと、理解していた。

おそらく、そうでしょう。

そうでなければ、ゼゾッラにとってのハッピーエンドはこの物語にないでしょうから。

 ゼゾッラは、何事もなかったかのように、元の日常に戻ったのでしょうね。

おそらく、そうでしょう。

そして、もと、裁縫教師であたった二人目の継母の仕打ちに堪えたのでしょう。

悔い改めたゼゾッラは、大公の娘としての気品とへりくだった者の持つやさしさを兼ね備えた美しい娘となって、国王の目に留まったのでしょう。

 悔い改めとへりくだりのたいせつさこそ、灰かぶり猫という題に込められたメッセージであった。

主人公の罪を犯した場面を除かれてしまったシンデレラの話は、へりくだりの大切さと堪えることの美徳を説く物語に変質してしまったといえるでしょうね。

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