« 2012年10月 | トップページ | 2012年12月 »

2012年11月

中国や韓国との「歴史認識」問題を想ってみた。

中国側は「歴史認識」、「歴史認識」、といいます。

でも、わたしには、どう「歴史認識」していいかわからんことがあります。

この問題は、事実存否や規模などを巡って現在でも議論が続けられています。

当時日本側は支那事変と呼んだ日中戦争初期の1937年(昭和12年)に、日本軍が中華民国の首都南京市を占領した際、約6週間 - 2ヶ月にわたって何があったかということです。

いわゆる南京大虐殺、多数の中国軍捕虜、敗残兵、便衣兵及び一般市民を不法に虐殺したとされる事件のことです。

この出来事を、中国では南京大屠殺と呼び、欧米ではNanking AtrocitiesあるいはRape of Nankingと呼ぶのです。

日本では単に南京虐殺、南京事件とも呼ばれます。

南京事件という呼び方は、不法殺害の他に暴行・略奪・放火も含めて事件全体を論じる場合によく使われます。

わたしも場所については記憶があいまいながら、上司の命令で無抵抗の捕虜を大勢斬首した人の体験談は聞いたことがあります。

だから、このとき南京で、捕虜などに対する虐殺のような不幸な出来事が多少あったとは想像します。

でも出てきた一連の資料は、「中国が主張する30万人説」は誇大なことを指し示すものばかりと言うのです。

中国側が、この事件による犠牲の数や実態を歴史に即して直視する気があるのかどうか、疑問なのです。

韓国もまた、「歴史認識」、「歴史認識」、というのです。

しかし、「歴史認識」を言うなら朝鮮半島に近代を持ち込んだのは誰です。

功罪がある、それは認めるけれど、日本統治時代ではないのでしょうか。

「親日派」、と言われる人々は、日本統治によってもたらされた近代を祖国に定着させるべく努力してきた存在ではないでしょうか。

彼らの貢献なくして戦後朝鮮の近代化はあったかどうか、彼らは直視してるのでしょうか。

さらに、半島で生まれながら長年にわたって顧みられなかったハングルの普及したのも、日本統治時代です。

朝鮮半島が、日本にもたらされた大陸文化にどれほどの貢献をしたかです。

朝鮮は日本にとって、大陸からの文物や人材の経路であったばかりでなく、たくさんの文物や人材がもたらされた、地域であったあったことは認めます。

百済、新羅、高句麗からは、大勢の亡命者もきました。

しかし、日本で花ひらいた数々の文化を、あれもこれもみんな朝鮮起源と名乗るのはいかがなものでしょう。

その朝鮮起源と主張するものは、大半がもっと西方に起源を遡れるものであることに目をつぶる「歴史認識」はまともな議論と呼んでいいのでしょうか。

新羅など、ローマとの強いつながりが見られると言います。

日本と中国、朝鮮が大人の関係に立とうとするなら、こういう「歴史認識」も正されて欲しいと私は願うのです。

日本と中国、ほんとに難しい関係ですよね…。

本当に正しい歴史認識が両者の間で行われるのは、無理なんでしょうか…。

安倍総理のときなど靖国参拝をあいまいにしただけで、手のひらを返したように、訪中、訪韓が実現しちゃうなんて、その前にあった靖国騒ぎはなんだったのでしょうね。

訪中、訪韓が実現した陰には、北朝鮮の核問題があったと言う指摘は、当時も出ていたけれど。

 ま、中国に政治的意図があるいうこっちゃね。

 靖国問題をつくりだして。

中国、韓国ともに国内をまとめ政権支持を高めるためのスケープゴートが欲しかったのでしょうかね。

 中国は内憂があるとき、それを押さえ込むために外患に目を向けさせるように、いつもも舵をとってきたでしょ。

 国内で不満が爆発しそうな時、人民の怒りを国外に向けさせる。

 そのために共産党幹部にとってはこれからも「歴史認識」は必要不可欠なことなんでしょ。

 解決してもらっちゃ困るんじゃないなかろか、なんて勘繰りたくもなります。

尖閣問題の背景は、資源目当てだけじゃないってことでしょうね。

 資源が欲しいだけなら、日中関係を良好にすれば、輸入できますからね。

市場経済導入で格差問題に直面、不満を日本に転化ってことだと、迷惑な話ですねえ。

歴代政府の、第二次大戦のときアジアでやってきたことに対する歴史認識が、摩擦を生んできた側面はあるにしても。

 でも、日本が戦場にしてきたのは、東南アジアもそうでしょ。

 細かい歴史的展開に、差はあるにしても。

 中国や韓国ほど、反日はないですよね。

東南アジアが反日で荒れたのは、戦後の一時期だけでしたね。

 私の大学には、中国と韓国からの留学生が多かったんですけど、彼らは、ほとんど日本画か窯芸を専攻してました。

 そちらの方が本場じゃないの?って思ったりしましたが、留学してまで、学びたいものがあるんでしょうね。

磁器では、中国は景徳鎮、韓国は昔栄えた白磁や青磁、古典絵画では、中国は南画、宋画、韓国は中国のカーボンコピー作品、どちらも今はそれらをなぞってるだけということなのでしょう。

それに対して日本では日本画や窯芸はいまでも伝統を守りつつ変貌し続けてる、ということなのかもしれないですね。

尖閣については、中国の近隣諸国との間の、島々を巡る摩擦の一環という側面もあると言う声もあります。

それだけに、歴史を客観的に見て説得力のある議論を展開することが、大切ということでしょうね。

どんなに大変で時間がかかっても、粘り強く対応するしかないでしょう。

短気を起こせば、緊張激化と最悪の場合、紛争や戦争まで行きますからね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

下戸と耳垢と徐福?

以前、日本人の遺伝子解析で、アイヌ民族と遺伝的に最も近いのは沖縄出身者で、次が本土出身者と判明したという結果を見ました。

 メディアの報道では、本土出身者と韓国の近さを言ってましたね。

ところが、プレスリリースには、韓国人や朝鮮人は集団としては本土人と同じクラスターに属するとあるのでしたね。

総合研究大学院大学
プレスリリース概要
『日本列島3人類集団の遺伝的近縁性』
http://www.soken.ac.jp/news_all/2719.html

下戸の比率の差から見れば、ルーツは近縁かもしれないが、人種としては別系統ということになります。

 記事は明らかに、同じクラスターに属すると言う言葉の意味を勘違いしていることになりますね。

弥生人は朝鮮半島経由の可能性があるし、新羅・百済・高句麗からの亡命人はいるけど、明らかに今の半島人とは傾向が違うことは、日本人と韓国人や朝鮮人との顔を見比べれば違いは一目瞭然ですよ。

ついでにいうと、イスラエルで失われた十支族探しをしているアミシャブが大きな関心を日本には寄せているが、韓国に関心を寄せた話は聞いたことがないです。

 調べた結果、日本の民俗にかなり旧約時代のイスラエルに似たものがあることを確認したようですね。

神社と古代イスラエルの幕屋や神殿との構造の類似、それは、神職の服装や、清めの塩、賽銭箱のあること、神輿とアーク、鳥居とヤキンとポアズの二本柱など、細部にも見られます。

さらに、鏡餅と種入れぬパンなど、過ぎ越しの祭りの類似、諏訪大社にアブラハムとイサクの故事とそっくりな祭りがあること、これは、守屋山とモリヤ山など奇妙な類似まであります。

山伏の姿も、古代イスラエルに似た姿があります。

日ユ同祖論で検索すれば、いろいろ出てくるけど長くなるからこのくらいにしておきます。

日本の下戸の割合は、アルコールから体内で出来るアセトアルデヒドの分解酵素で比べると、中国の方が韓国より近いということですから。

 酒豪分布をみると、北海道、東北、九州、沖縄に多く、中部、近畿に少ないとなるのでしたね。

そこで、徐福が日本に来たとされる年代と、縄文から弥生への移行時期と、中国から日本への民族大移動があった可能性がある時期の、奇妙な重なりに注目しました。

2500年前から2000年前の500年間、徐福が来たと見られるおおよそ、2300年前くらい前のあたりなのです。

 中国山東省の調査結果でしたね。

ここで、一度取り上げながら、あまり顧みてなかったデータがあることを思い出しました。

耳垢の乾式と湿式の分布です。

乾式が最も高いのは京都、次いで岐阜、大分、愛媛、福井……。

逆に最も低いのは岩手、次いで沖縄、広島、宮城、山梨……。

耳垢の乾型は西日本で特に多いという傾向。

乾型は近畿地方で圧倒的に多く、さらに四国北部、九州東部へとつながる臨海地域にも集中。

乾型遺伝子の出現率が最も高いのは中国北部やその周辺で、たとえば中国山西省や韓国大邱市は100%です。

 山東省と山西省は、ともに中国北部で、地理的にも黄河周辺という共通点が見られますね。

それに、遺伝子から見た縄文と弥生、下戸の分布、耳垢の乾式、これらの分布は、当然と言えば当然かもしれないけど、面白い位重なって見えるでしょ。

 弥生人の、中国から韓国経由で、日本に来た可能性がさらに見えてきましたね。

ここに、徐福伝説が朝鮮半島にもある事実を重ねると、より、現実味を帯びて見えますね。

 九州東部と言えば、神武天皇の高千穂宮伝承地は、宮崎県にありますね。

徐福伝承は、九州にもありますね。

 どちらかと言えば、西部よりは東部の沿岸と言って良い地方に多いでしょうか。

鹿児島から、佐賀まで、名乗りを上げているけれど、西部はないようですね。

 縄文や弥生、下戸に、耳垢とあるけど、どこまで重なりますかね。

大雑把な傾向として、重なって見えるかどうか、だけでも資料の欲しいところです。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

聖書に複数見られる神の表記について考えてみた。

面白いことに、旧約聖書には、 神を表す言い方に“(エロヒム)אֱלֹהִים”と“(ヤハウエエロヒム)יְהוָה אֱלֹהִים”があります。

 あと、“(ヤハウエ)יְהוָה”が単独で記される場合もあるでしょ。

なお“יְהוָה”をエホバと呼ぶ宗派もあるが、ここではヤハウエで通します。

子音だけが書かれているので、読みに両方の説があるのです。

創世記でいえば、第1章はほとんど“אֱלֹהִים”なのに対し、第2章では“יְהוָה אֱלֹהִים”という表記が出てきます。

“(ヤハウエ)יְהוָה ”は旧約時代のイエスの名前です。

イエスと御父の関係について、新約のヨハネ第1章1節にはこうあります。

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。

ここでいう言葉とは、御父の預言者であるイエスのことです。

創世記第1章で御父エロヒムの指示を受けたヤハウエが天地を創造し、それを見て御父は満足して良しとされたと見ることが出来ます。

解釈の注意が必要なのは、創世記第2章以降に出てくる“(ヤハウエエロヒム)יְהוָה אֱלֹהִים”です。

これを連名と見るのか、ヤハウエ一人と見るのか、ということです。

 エロヒムの別名とは、到底見ることはできないですよね。

ここは、ヤハウエと見ることの方が自然でしょう。

そうなるとなぜ、連名の形をとるのかとなります。

イエスは神の言葉であって、天の神である御父の預言者の権限と能力を行使している限りにおいて、神と同格ということです。

権限と能力は、権能と略されます。

さらに、神の権能は神権と略すことが出来ます。

そうみると、“(ヤハウエエロヒム)יְהוָה אֱלֹהִים”はこのような解釈ができそうです。

天の神である御父の神権者ヤハウエ、あるいは単に、神権者ヤハウエ。

旧約には神を表す言葉として、複数形の“(エロヒム)אֱלֹהִים”の他にも、単数形の“(エロハ)אֱלֹהִ”や“(エル)אֱלֹ”が出てきます。

そして、この単数形の“(エロハ)אֱלֹהִ”と“(エル)אֱלֹ”は、しばしば一つの文章で使い分けられるのです。

“(エル)אֱלֹ”には、神の他にも、力とか能力という意味があります。

この力とか能力を、権能と解釈することも可能でしょう。

 そうなると、単数形の“(エロハ)אֱלֹהִ”をヤハウエ、“(エル)אֱלֹ”を権能とみて、ヤハウエの権能とか、ヤハウエの神権と見ても良いということでしょうか。

複数形のエロヒムを御父と見れば、あえて単数で記す以上御父以外を考えるのは自然でしょうね。

一つの文章、あるいは、ひとつながりの文章で、“(エロハ)אֱלֹהִ”と“(エル)אֱלֹ”が出てきたら、ヤハウエの権能とか、ヤハウエの神権と解釈して訳したほうが原文の意図に近いかもしれません。

これは、イエスは人と天の神である御父との仲保者であるとする位置付けと、矛盾しません。

 イエスの昇栄と、関係ありそうですね。

神権を行使する側から、神権を授ける側に回るということも、イエスの昇栄の一つの側面と言えそうですね。

 御父の立場は、確かに、神権を授ける側であって、神権を行使する側ではないですね。

永遠の成長ということからすれば、御父という立場もまた神権であって、さらにその上の方が居られるのかも知れないけど、私たちはそれを知り得る立場にはありません。

言えることは、人が目指すべき神権の当面の目標は、御父のようになるということのようですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

中国は分裂前の古代国家か。

中国の多数派を占めるといわれる「漢民族」、じつはかなりあいまいな存在だというのです。

「漢民族とは何者か」

この問いに、答えるのはかなり難しいというのですよ。

古代を大きく引きずり続けた中国はまだ、近代的な意味の「民族」そのものが十分成立していないのかもしれないです。

この問題を考える前に、中国の歴史をおおざっぱに振り返ってみたいです。

その後の中国の歴史の主軸となる黄河文明。

黄河文明が萌芽する遥か前より栄えていた長江文明。

先秦時代といわれる三代、春秋戦国。

三代とは、夏・殷(商)・周。

春秋戦国は、都市国家の盟主どうしの戦いで、最終的に趙、魏、韓の三国が出来た。

秦帝国、秦王政は、他の6つの列強を次々と滅ぼし、紀元前221年には史上はじめての中国統一を成し遂げた。

漢帝国 、秦が滅びたあと、劉邦と項羽が争った楚漢戦争で、紀元前202年に劉邦が項羽を破り、漢の皇帝となった。

魏晋南北朝時代、後漢末期の184年には、農民反乱である黄巾の乱がおき、隋が589年に中国を再統一するまで、一時期を除いて中国は分裂を続けた。

隋帝国、江南・華北を結ぶ大運河を建設したり、度重なる遠征を行ったために、民衆の負担が増大したため農民反乱が起き、618年に隋は滅亡した。

唐帝国、618年に成立した唐は基本的に隋の支配システムを受け継いだが、907年、節度使の1人である朱全忠によって滅んだ。

五代十国、唐の滅亡後、各地で節度使があい争った時代。

宋、960年に皇帝となった趙匡胤により、この戦乱は静まったが、1279年広州湾の厓山で元軍に撃滅され滅びた。

モンゴル帝国、モンゴル高原の遊牧民を統合したチンギス・ハーンが1206年に創設した遊牧国家だが、1368年、紅巾党の首領のひとりであった朱元璋の立てた明によって中国を追われた。

明帝国、明朝ともいい、1368年から1644年にわたって中国を支配した中国の歴代王朝の一つ、大明と号した。

清帝国、清朝ともいい、1636年に満州において建国され、1644年から1912年まで中国を支配した最後の統一王朝。

民族という言葉は、実はかなりあいまいな使い方をされているのです。

大辞林と大辞泉の例を挙げます。

〔大辞林〕

「われわれ…人」という帰属意識を共有する集団。

従来、共通の出自・言語・宗教・生活様式・居住地などをもつ集団とされることが多かった。

民族は政治的・歴史的に形成され、状況によりその範囲や捉え方などが変化する。

国民の範囲と一致しないことが多く、複数の民族が共存する国家が多い。

〔大辞泉〕

言語・人種・文化・歴史的運命を共有し、同族意識によって結ばれた人々の集団。「騎馬―」「少数―」

一般に、中国の多数派である漢民族という場合、「言語・人種・文化・歴史的運命を共有し、同族意識によって結ばれた人々の集団。」 の意味であると思われるのです。

見ればわかるように、「文化的共同体としての民族」と「政治的共同体としての民族」がごっちゃになっているのです。

この「文化的共同体としての民族」は、欧州では“ethnic group”として扱われるようです。

いっぽう、近代国民国家の成立の背景となる「政治的共同体としての民族」は“nation”と呼ばれるようですね。

「文化的共同体としての民族」がもとになって、「政治的共同体としての民族」は生まれてくるのです。

その「政治的共同体としての民族」は、中国にはまだ十分育っていないと見たらどうでしょう。

歴史を見ればわかるように、中国には古代史のレベルの展開は豊富にあっても、中世史のレベルの展開はきわめて乏しいのです。

この、中世こそが、近代的な意味での民族を成立させるのに欠かせない歴史といえるのです。

そして、この近代的民族こそ「政治的共同体としての民族」である“nation”なのです。

古代国家は、“nation”にもとずく国家でないことは、中国史ひとつとってもわかっていただけるでしょ。

そのことも、「漢民族とはなにか」が見えにくくしている原因のひとつかもしれないです。

つまり漢民族は、「文化集団としての民族=ethnic group」であって、「近代国家の主体としての民族=nation」ではないとこが、中国の近代化を進める中でこれから大きく足かせになるかも知れないというわけです。

この問題で北京政府が無理すると、民族国家を求める動きが激しくなって中国はこれから分裂の可能性が深刻化することが心配されます。

 そもそも中国はその大きさからしても、ひとつの国家としてまとめるのには無理があると思うのですが。

 それに、「漢民族」と言う場合、いつもその対極に「少数民族」の存在があるわけでしょ。

 いいかえれば少数民族の存在ゆえに全土98%を占める漢民族がやっとその存在意義を認められるのであって、はて、実態となると、ないのかもしれませんね。

 少し違うかもしれないけれど、昔中国の友人が「中国人は12億粒の砂、絶対ひとつにはまとまらない」と自虐的に言っていたけれど、少数民族を除く中国人の民族意識ってどうなんでしょうね。

 漢民族自体、沿岸内陸での格差や、辺境他民族地域への浸出行為からして、存在そのものが(ethnic groupですら)怪しすぎますね。

 単に、People's Republic of Chinaが居所な人々に過ぎないのでは、と、思いつつあります。

 あれだけの人数をまとめるにはキチンとした政治とか、高いモラルが必要になるでしょ。

 数えられてないだけで、中国の山奥や秘境には、もっと人口が多く存在してるかも…なんて思っていました。

連邦になる場合、国家連邦か、連邦国家か、混乱なく変更できるのか、てな課題を抱えてしまうのです。

砂のような民といえば、アラブの遊牧民もそういわれる気がします。

漢民族は、現地では漢人といってるらしいです。

漢人をギリシャ語にして、中国語に戻すと漢教徒ともなるかもしれないです。

つまり、自らを漢人と思えば漢人になるということでは、ethnic groupといってもいいかもしれないです。

中国製の食品の安全性や、製品についてのモラルについての報道は、中国について疑問が増えちゃうものが多いなんて今ひとつ、いやですねえ。

 土地の広さ、人口の多さで大味になってしまうのでしょうかね。

そういえば、中国も、ロシアも、アメリカも、程度の違いはあってもどこか大雑把なことは、共通してる気はしますね。

 アメリカなんかは、ヨーロッパからの移民も、大勢いるはずなのに…・

ヨーロッパの国々は、日本とあまり変わらない面積なせいか、確かに繊細さはあるように感じます。

 中国まとめるって、北京市だけでも広いのに…。

 料理だって何種類もあるし…・

 すごく大変なことね。

中国は連邦制になるべき、という声もあります。

それも、仕方がない気はします。

けど、連邦制の採用は一歩間違えると、クルド問題を抱えるトルコやイラクなどから、よこやりが入る事も考えられるのです。

私はそれが心配なのです。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

聖徳太子と陰陽と鳥?

2001年と、ずいぶんだけど、聖徳太子関連の文物を集めた展示をみました。

いまさらだけど、そのときの覚書をもとに話を展開してみたいです。

さすが、聖徳太子ですねえ…。

いやはや…。

またぞろ、仏画・仏像に奥深さを見た気がしたのです。

仏陀が四人の僧に囲まれるばかりか、その上に生命の樹の形を意識したとしか言いようの無い並び方で僧侶たちが描かれたものがあったです。

中には、仏陀の、四人どころか六人に囲まれたものもあったです。

四人ならメルカバー、六人と言えば六芒星としか言いようがないです。

六芒星とすれば、下向きの女性原理と上向きの男性原理の“和”であり、その中に立ち得るのは陰陽太極を連想させられる御父の御子であるのでしょうか

なぜ、御父に陰陽太極を連想させられるかというとです。

御父は、単数の神を表すエルじゃなく、複数の神々を表すエロヒムと呼ばれるからです。

エロヒムとエロス、なんとなく、音が似てるでしょ。

陽の御父と陰の御母で、エロスとかです。

なんとなく、思っちゃったのです。

でも、仏像でふっと思ったことがあるのです。

襞とか飾りに関してです。

仏教衣装で、肩から下げるタイプのものがあるのです。

それだけなら、古代ギリシャ・ローマだってってかです。

わざわざ留め金を使って下げているのです。

その位置は、ほぼ心臓の前です。

そこから腰にかけて、襞が広がっているのです。

十二支でいうと寅にあたる、旧暦なら一月に対応する、方向に見えるのです。

その目で見ると、半伽思惟像は右手を頬まで上げ、左手は左膝に乗せた右足の足首を押さえているから右手から左手にかけて右回りの流れが感じ取れそうなのです。

この右向きの流れは、十二支、暦、五行循環に共通しているのです。

聖徳太子展で、いろいろ陰陽道を連想するものを見たけど、ほかに目に付いたものがあるのです。

鳥なのです。

正確には、鳥を模した造詣なのです。

仏像がかぶっている冠の多くが鳥の形を模して、作られているのです。

さらに、ちょっと思いがけないものを見たのです。

四天王なのです。

それぞれのシンボルを持って、ただ立っているだけでこれといったポーズをとっていないのです。

かといって冠も特に鳥に似た形も、していないように感じられたです。

なにげなく、衣、それも袖の裾をさりげなく眺めてあっけにとられたのです。

四天王の体全体が、鳥の形をあらわしていたのです。

鳥仏師と呼ばれた鞍作鳥(くらづくりのとり)って、たしかこの時代の人…ですねえ。

なるほど、“鳥”仏師と言われるわけだと、妙に納得したです。

 鞍作鳥、鳥仏師といわれてましたよね。

 そういえば、正倉院御物の装飾も、やたらと鳥が目立つという声を聞いたことがあるのです。

 神社に鳥居、神輿に鳳凰、奉納舞にも鳥の飾りが目立つような…。

日本にもある、古代エジプトの太陽の船に似た絵にも鳥が乗ってるのです。

鳥に注目すると、面白いですね。

あ、それから、聖徳太子ご幼少の像も、たくさん出ていたのです。

ちょっと面白いものが、あったです。

中には、着せ替え人形になったのもあったのです。

写真だけだったけれども、その着せ替え人形に衣を着せた後、頭から上着を被せてあるのです。

これは後ろや横から眺めると、兎の形になるのです。

この兎は、もちろん、月の兎かも知れないです。

 聖徳太子は面白話がいっぱいですよね。

 懐かしい、日本史を思い出しました。

 確かに聖徳太子は、ご幼少のころの像が多いですね。 

 広隆寺見に行った時も、聖徳太子の幼少の絵がたくさんありました。

 「日の出処の天子」読んでて<厩戸の王子>って知りました。

 不思議です。

聖徳太子、確かにご幼少のころを表す像が多いです。

 釈尊の「天上天下唯我独尊」の像も、幼児像ですね。

 イエスは母子像という形で、幼児像が多いです。

日本には、泣き相撲や、稚児舞のような、童子祭祀は多いです。

仏やイエスの童子像や、童子祭祀とのなんらかのかかわりは、疑って良いかもしれないですね。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

たまには政治に文句言います。

議員が身を切るなら、歳費削減受け入れじゃないでしょうか。

違いますか。

定数削減は、少数意見切捨てに繋がりませんか。

違いますか。

ここを、一緒くたにして平気な人が、メデイアで得意そうな顔して、話してませんか。

違いが判ってないのでしょうか。

そんな人を、よくも堂々と登城させると思わないでしょうか。

そういうこと、思ってないのでしょうか。

違いが、わかってないなら、一から勉強し直して欲しいですね。

異論ありますか。

もし、違いがわかっているのに、わざと混同しているなら、悪質じゃないでしょうか。

違いますか。

どっちにしても、登場させているメディアの側の見識を、疑った方が良くないでしょうか。

違いますか。

議会の定数削減に賛成してる人、自分は多数派と思ってるわけなのでしょうか。

自分の意見は議会で通ってると、思ってるわけでしょうか。

通ってないなら、あなたの声は議席に届いてない少数派ではないでしょうか。

定数減ったら、余計に少数派の代表は議会から消えるのでは、ないでしょうか。

分かっているのでしょうか。

もし、あなたが今の政治に不満なら、あなたの声は政治に届いてないのでは、ないでしょうか。

違いますか。

それって、あなたの気持ちに近い議員は議会で少数派か、まったくいないかどっちかじゃ、ないでしょうか。

違いますか。

定数削減したら、さらに少数派は議席失うのでは、ないでしょうか。

違いますか。

さらにあなたの気持ちが政治に届かなくなるのでは、ないでしょうか。

違いますか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

だれに感謝すべきか想ってみた。

感謝する心の大切さをいう人は少なくないです。

でも、反発する人も少なくないです。

なぜ。

反発したくなる心情もわからんではないです。

どうせ、下心があるんだろ。

恩着せがましいやつは嫌い。

確かに、なにかのたくらみをもって接して来る者は多いでしょうね。

というか、何のたくらみもなしに近づかない者の方が少ないでしょうね。

とすれば、近づいてきた動機が問題ですね。

あなたをある方向に、仕向けたいと言う訳ではないでしょうか。

あなたの向きたい方向と異なる方へと誘導されるときは、どうです。

あなたが向こうとしているのは、今向くべき方でしょうか。

そう向くべき方なら、それを妨げる下心は退けるべきでしょうね。

でも、もしそうでないのに気がついてないのをさとしてくれたなら。

気がつかせてくれたことに、感謝した方が良いのではないでしょうか。

では、しようとする方向へと助けてくれることはどうでしょうか。

あなたを利用したいだけなら、どうでしょうか。

わたしはあなたの道具ではないと、腹が立つでしょうね。

純粋にあなたを助けたいとしたら、どうでしょうか。

ありがたく、受ける方がいいのではないでしょうか。

どちらがあなたによってくるでしょうね。

向くべき方からあなたを退け、あなたを利用しよう者。

向くべきほうにあなたを導き、あなたを助けようとする者。

反発するべきはどちらで、感謝するべきはどちらでしょうか。

判断は、案外難しいのではないでしょうか。

答えを簡単にする方法は、ただ一つではないでしょうか。 

あなたが向くべき方を向いていることでしょうか。

正しい方かどうか、さとしてくださる方の声に耳を傾けることでしょうか。

この世界に、その方はおられるでしょうか。

おられるとしたら、その方は神でしょうね。

永遠の過去から永遠の未来へ、すべての者を正しく導こうとし続けておられるお方でしょうね。

その方に気づけてこそ、真に感謝すべき導きに出会えると言えるでしょうね。

感謝の大切さを言う人たちは、素直な人たちでもあるでしょうね。

え。

素直になるべき神は、だれ。

すべてを知り、すべてを語り、すべてを愛する、無邪気な心のお方、永遠の過去から、永遠の未来に生きておられるお方でしょうね。

わたしだって、発展途上です。

自分自身への戒めとして、話しているのです。

考えて欲しいから、話してるのです。

自分の考えや行動を、自分で決めるのが基本なのは確かでしょうね。

見返りを求められても、必ずしも期待に応えられるわけじゃないでしょうね。

第一、応えて良い見返りかどうかも問題でしょうね。 

そもそも、応えないからと腹を立てる者さえいるから、始末が悪いですよね。 

ならば、そういうやっかいな者に関わらない方がよいでしょうね。 

“類は友を呼ぶ”とはよく言うでしょう。

寄られては困る相手に、関わりたくないと思ってもらえる生き方が必要でしょうね。

本当に寄って欲しい相手に寄ってもらえ、絶対寄って欲しくない相手に倦厭される、そういう生き方を求めて探っていきたいのです。

| | コメント (7) | トラックバック (0)

猫と犬に引かれた先はエジプト?

これまでにも、何回か触れてきたけどアイヌ語では猫を“チャペ”と呼ぶようです。

“チャペ”は、ローマ字だと“Chape”となるのでないでしょうか。

これを“Chap”と書き換えて見ます。

こう書いてみると、妙なことに気づくのです。

猫は、英語で“Cat”、フランス語で“Chat”、ドイツ語で“Katze”、オランダ語で“Katten”、ロシア語で“Koshika”、イタリア語で“Gatto”、スペイン語やポルトガル語で“Gato”、ハンガリー語で“Macska”などです。

 以前、フランス語との類似に注目したけど、綴りだけ見れば英語の“Cat”も何となく似てますね。

“ねこ”の呼び方はヨーロッパ全体を通して、明らかに一つの語源から、展開しているのが見て取れるでしょ。

 そういえば、エジプトでは、猫を“マウ”とも“オッタ”とも呼んでましたね。

今ではもっぱら、“オッタ”を使うようですね。

 ということは、“マウ”の方が古いのでしょうかね。

エジプシャンマウという、ネコ種の名前に名残をとどめているだけのようですね。

 そうなると、“オッタ”と猫を呼んでいた人たちが、ヨーロッパにもたらし、転化によって各国語に変化したと見て取れますね。

驚くほど、発音の雰囲気や綴りが似てますからね。

 こうやってみると、アイヌ語の“チャペ”はフランス語に近いことがよくわかりますね。

そういえば東北弁なまりまくりのシャンソン歌手、今は亡き淡谷のり子は、ある番組で、なんでシャンソンでなまらないのかと訊かれるとこう答えると言ってましたね。

“東北弁とフランス語は発音が似ている”と…。

 でも、語順は似てないのは、面白いですね。

語順まで似ていたら、もっと早くみんなが気が付いたでしょうけどね。

 英語も、アイヌ語の“チャペ”に綴りだけ見ると微妙に似てるけど。

こうしてくらべてみると、改めて、アメリカのケネウィックから出たアイヌとイギリスに二股かけた古代人骨とともにフランスやスペインの様式の鏃が出た意味が、大きいとわかりますね。

 特徴を抑えて書いた縄文人の顔が、フランス人女性にそっくりさんがいる男性タレントに激しく似ていて、しかもその縄文人も女性の顔でしたね。

男の顔は母親に似ることが多いとは聞くけど、描かれた似た顔がどちらも女性って、出来過ぎでしょ。

 でも、アイヌの生活文物が古代イスラエルに似ていて、イスラエル人は一時エジプトにいたでしょ。

“ねこ”は、エジプト語で“オッタ”、フランス語で“Chat”、アイヌ語で“チャペ”ですね。

 丸唇音から平唇音への変化が原因で、発音が変化したと見て、エジプト語からフランス語への転化は説明できそうですね。

フランス語からアイヌ語へは、こうしてみると、わずかな差に見えますね。

それに対しアイヌ語の犬は“セタ”で、ローマ字表記は“Seta”ですね。

面白いことに、古代エジプト語で犬は“セセム”だったそうです。

 現代エジプト語では、どうなのでしょ。

さあ、そういえば。

 調べてない。

うかつでしたね。

 でも、“セタ”と“セセム”、こうやって見るとほとんど変わってないことに驚きますね。

犬は、英語で“Dog”、フランス語で“Chien”、ドイツ語で“Hund”、オランダ語で“Hond”、ロシア語で“Sobachka”、イタリア語で“Cane”、スペイン語やポルトガル語で“Perro”、ハンガリー語で“kutya”などです。

つまり、ヨーロッパの言葉で言うと西欧の言葉に案外近い呼び方なのです。

 犬の呼び方でも、フランス語は比較的近くないですか。

 よくみると、“いぬ”のほうも“セセム”から転化していったと感じられそうですね。

 新人と呼ばれるクロマニヨンの名称が、発見されたフランスの地名に由来することをあわせて考えると、興味深いですね。

クロマニヨンも後期旧石器時代だから、ケネウィック人とともに見つかったフランスとスペインの様式の石器と、基本的には矛盾しないと見て良いでしょうね。

 定説で考えている時期との差の問題があるから、猫や犬との間に見える接点は偶然にしか感じ取れないかも、知れないけど。

特に問題となるのは、猫でしょうね。

ただ、2004年8月、キプロス島のシルロカンボス遺跡(shillourokambos)からおよそ9500年前の、人間の遺骨から距離が40センチしか離れていない猫の遺骨が発見されている点は注目して良いでしょう。

人間と共に埋葬されたこと、貝殻や磨かれた火打ち石、斧などの人工装飾品も同じ場所に埋められていたことなどから、この猫は偶然人間の墓場に迷い込んだのではなく、意図的に埋葬されたものだと考えられています。

後期旧石器時代は4万から1万3千年前と見れられているけれど、およそ9500年前となるとどちらも推定の域を出ない年代である事を思えば、ほぼ重なると言って良いかもしれないですよ。

ちなみに発掘された猫の遺骨は、現代のイエネコよりはリビアヤマネコに近い骨格をしていたといいます。

クロマニヨンは、主流派の学説ではそのまま現代人へと遺伝的に繋がっているとされています。

そして、現代人、特に欧州の人種とよく似ていると言うから、キプロス島の遺骨をクロマニヨンでなかったと判断する方が困難でしょう。

縄文時代は、年代でいうと今から約1万6,500年前というから紀元前145世紀から約3,000年前つまり紀元前10世紀、地質年代では更新世末期から完新世にかけて日本列島で発展した時代です。

約1万6,500年前から約3,000年前といえば、クロマニヨンとも十分重なります。

世界史では、中石器時代ないし新石器時代に相当する時代なので、後期旧石器時代は直前に当たり、日本でさらに発展させたと見ても問題はないでしょう。 

 味の好みは、日本とエジプトはほとんど変わらない。

 宗教の基本的構図も、太陽神を中心とした三神構造で、しかも動物神を含む多神教であることまで似てる。

 日本人の足で最も多いのは、エジプトタイプ。

さらに、犬や猫の呼び方まで、アイヌとエジプトで似ている可能性があるでしょ。

 特に犬。

顔立ちまで、濃い顔の人たちは日本とそっくりな可能性が大きいとくれば、日本とエジプトを親戚関係ありと見ないわけにいかないですね。

 トンカラリン遺跡と、大ピラミッドの内部構造の類似まで、吉村作治教授は指摘してますよね。

日本の神社建築は、建築様式を秦氏が持ち込んだとはいえ、あまりに古代エジプトに構成が似てます。

宗教の基本的構造の類似から言っても、違和感は全くない。

強いて言えば、偶像を置いてないくらいでしょうね。

建築素材の差を除けば。

 それと、賽銭箱もでしょ。

そうでしたね。

 日本の天皇さえも、地上の太陽神という構図はそっくりですよ。

天皇即位の儀式に立ち会う女性が居るけれど、古代エジプトのファラオの即位にも女性の存在が欠かせなかったでしょ。

 こうしてみると、古代エジプトから引っ越してきた人々が、日本人の祖先に見えてきますね。

日本とエジプトの親戚論まで、言いたくなりますね。

追記

津軽弁でも猫は “チャペ” と言うとの、情報を戴きました。

残念なことに、若い人はあまり使わないとか。

こうやって、貴重な言葉の情報は消えていくのですね。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

鳥居の色について改めて考えてみた。

鳥居について、こんな疑問が寄せられたのです。

前から疑問だったのですが、神宮の鳥居は何も塗料を使ってない木材そのものの色ですよね。

これは赤の鳥居とどういう意味の違いがあるのでしょうか?

あと、鳥居の素材も、赤坂見附の山王神社は石材だったリ、青銅か何かの金属のもありますよね。

こういった違いはなにか意味するところがあるのでしょうか?

ここでいう神宮とは、お伊勢様でしょうね。

 確かに伊勢の神宮の鳥居には、色はないですね。

白木であるのは、白は霊界を木は気に通じるとともに、神の声を表すのかも知れないです。

 木はまた、生命の樹をも示唆するのでしょうね。

神社という場所からして、そう解釈されても仕方ない面はあるでしょうね。

日本の神社と、古代イスラエルの幕屋や神殿は、構造が似てるとよく指摘されますから。

鳥居自体、ヨッドヘーヴェブヘーיהוהを縦に書いた形に似ているのは事実ですし。

ヨッドヘーヴェブヘーיהוהは、エホバと呼ぼうが、ヤハウエと呼ぼうが、イエスの事ですから。

 へブル文字の"ヘーה"には、鳥居そっくりの描き方があるでしょ。

"ヘーה"だけでも、ヤハウエのことですからね。

白木の鳥居は、赤の鳥居と、どういう意味の違いがあるのかということですね。

白は霊界、赤は現世に対応していると、いうことかもしれません。

 イエスは今、お隠れのヤハウエ状態であることに、対応しているしているということですか。

イエスは、天の神である御父のもとに、時が来るまで待機していると見られていますね。

天を霊界とみれば、そして隠れを死の同意語とみれば、お隠れのヤハウエ状態というのは、そうでしょうね。

 鳥居の素材も、石材だったリ、青銅することは、ありますねえ。

こういった違いは、なにか意味するところがあるのかということですね。

 イエスは自らも、石に準える発言をたびたびしておられたと思います。

石というより、岩でしょ。

マタイによる福音書には、こうあります。

ちょっと長くなるけど、第7章の24節から27節を引用しましょう。

24 「だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なう者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。

25 雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。

26 また、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なわない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができます。

27 雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもそれはひどい倒れ方でした。」

ここでいう岩は、イエスの言葉を指すと言えるでしょう。

そうそう、石ですね。

たいてい、色は白でしょ。

白は、霊界を表す色ですよ。

石は、無生命の素材である事を思えば、白い石は陰の極みとなるでしょう。

 そうなると、聖書でいう神は生きておられると言う言葉に、近いということでしょうか。

陰極まりて陽、から言えば、ここは神の臨在の場であると、告げているようにも見えますね。

 青銅は、イエスの予型の一つである青銅の蛇を指していると思えますね。

青銅というのは、面白い素材ですよ。

添加する錫の量が少なければ日本の十円硬貨にみられるように純銅に近い赤銅色に、多くなると次第に黄色味を増して黄金色となり、ある一定量以上の添加では白銀色となります。

青銅の鳥居は、もともと、赤かった可能性はあります。

 金属は陰陽で白に配されるので、それ自体で紅白を象徴し、現世から霊界に戻られたイエスを表したと見ても、面白いかもしれないですね。

今は彩度の低い緑色だけど、緑は、日本の文化では黒と青の二股をかけています。

つまり陰陽でいうところの、東西南北を示すことが出来る素材が青銅です。

 青は東、白は西、赤は南、黒は北、でしたね。

さらに、黄色味を増すことが出来るが、黄は中央で人に配されます。

 まさにメルカバーでしょ。

四つの面を持てばメルカバーを暗示するとは、飛鳥昭雄や三神たけるはしょっちゅう言ってますね。

それをいえば、ピラミッドや、仏教でいう仏と四天王も、メルカバーになってしまうでしょ。

青銅などの金属が西と霊界に配される白に配される上に、青銅自体も白くなります。

赤は南とともに現世である地に配されます。

そして、黄金色にもなれる青銅は、まさに、中央と東西南北が揃う面白い素材なのです。

 ついでに、青銅は聖堂に通じるのも、偶然でしょうか。

実用を追求した金属器は強度の点から鉄器なのに対して、祭事用となると青銅器が多いのは確かですね。

銅は貴金属とされる中では埋蔵量が多いし、さらに青銅となると温度の点から扱いやすいというのも、強度が求められない祭事用素材としては使い勝手が良かったのは事実でしょうね。

なぜに青銅か、金属の融点などの特質にばかり、正直なところ目が行ってました。

今回の対話で、青銅の色に注目して議論を試みることが出来たことに、改めて感謝。

追記

鳥居について、見落としていた色がありました。

黒木鳥居です。

濃い色の黒っぽい鳥居がほとんどだけれど、樹皮付の丸太で出来ています。

今のような鳥居の、最も古い形と見られています。

二本の柱を立てた形が、さらに古い鳥居の様式と見られるからです。

陰陽では、青は東、白は西、赤は南、黒は北、となるが、赤には地、黒には天も、配当されます。

鳥居は、神社を囲む神域の入り口を表していること思えば、黒木鳥居はここからは天の領域に入ると言う宣言が込められているのかも知れません。

樹種にもよるだろうけど、樹木は皮を剥くと真っ白ではないまでも白っぽい地の色が出ます。

白は西を表すが、北を表す黒とともに、精神世界を指し示す色でもあります。

そうなると、黒木鳥居は、樹皮が剥がれて白木になっても、ここからは精神世界であると宣言することになるでしょう。

また、まだらに樹皮が剥がれても、まだらもまた、生と死の境界の象徴とされます。

祭りの浴衣や手ぬぐいが紺の絞りであるのも、生と死の境界の象徴であるまだらを纏うことによって、霊界との境目を潜ろうとする呪術なのです。

黒木鳥居は、もしかすると、わざとまだらに剥けることを狙って立てられたのかも知れません。

これは、勿論、想像の域を出ないが、有り得る話だと思えます。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

改めて日本人を遺伝子から見てみた。

2012年11月1日、このような記事が各種報道で伝えられました。

これは、中国新聞のものです。

縄文・弥生混血説を裏付け 日本人の遺伝子解析

 日本列島の先住民である縄文人と、朝鮮半島から渡ってきた弥生人とが混血を繰り返して現在の日本人になったとする「混血説」を裏付ける遺伝子解析の結果を、総合研究大学院大(神奈川県)などのチームがまとめ、日本人類遺伝学会が編集する1日付の国際専門誌電子版に発表した。

 これまでも同様の研究結果はあったが、今回は1人当たり最大約90万カ所のDNA変異を解析し、結果の信頼性は非常に高いとしている。

 チームはこれまで公開されている本土出身者(主に関東居住者)、中国人、欧米人など約460人分のDNAデータに、アイヌ民族と沖縄出身者の計71人分を新たに加えて解析した。

その結果、アイヌ民族と遺伝的に最も近いのは沖縄出身者で、次が本土出身者と判明した。

本土出身者は韓国人とも近かった。

 この結果は、日本人全般が縄文人の遺伝子を受け継いでいる一方、本土出身者は弥生人との混血の度合いが大きく、混血しながら北海道や沖縄方面に広がっていったと解釈できるという。

 日本人の起源は縄文人がそのまま各地の環境に適応した「変形説」、縄文人を弥生人が追い出して定着した「人種置換説」も知られているが、総研大の斎藤成也(さいとう・なるや)教授(遺伝学)は「研究結果は混血説のシナリオに一致した」と説明している。

 チームは今後、縄文遺跡で見つかる人骨のDNAを分析するなどし、日本人のルーツの解明を進める。

本土出身者は韓国人とも近かったと解釈されているが、その一方で興味深い調査結果も出ています。

モンゴロイドはお酒に弱い アルコール代謝の個人差 酒は、なによりも、適量です。
http://www.suntory.co.jp/arp/main/candrink/index2.html

飲酒と体の基礎知識
アルコール代謝の個人差
モンゴロイドはお酒に弱い

ALDH2の不活性な人は、実はモンゴロイド系の人々の間にしか存在しません。

この不活性型は、アメリカ大陸の先住民のなかにもいますから、彼らがアジアから大移動して行ったはるか以前に、突然変異が起こり、その遺伝子が、世界に広がっていったのでしょう。

ちなみに、白人や黒人の間には、この不活性型はみられません。

ALDH2の低活性型+不活性型の割合

日本                 44%
中国                 41%
韓国                 28%
インド                  5%
アメリカ先住民 2~4%
ハンガリー           2%
西ヨーロッパ        0%
中東                   0%
アフリカ               0%

原田勝二・Journal of the Anthropological Society of Nippon,Vol 99.NO.2.1991より改変

ALDH2とは、アルデヒドデヒドロゲナーゼ(ALDH)の2型のことです。

2型というからには、当然、1型もあります。

アルコールが体内に入ると、まずアセトアルデヒドに分解されます。

ちなみに、アセトはacetic acid、即ち、酢酸から誘導される物質であることを表しており、炭素数2の有機物であることを示すそうです。

Aceticは、ラテン語で「酢」を表す"acetum"から来ているといいます。

アセトアルデヒドは極めて毒性が強く、顔面の紅潮、頭痛、吐き気、頻脈などの不快な症状を引き起こします。

このアセトアルデヒドを分解するのが、アルデヒドデヒドロゲナーゼ(ALDH)なのです。

アルデヒドデヒドロゲナーゼは、アルデヒド脱水素酵素ともアルデヒド分解酵素とも呼ばれます。

アルデヒドデヒドロゲナーゼには、高濃度になって働くALDH1と、低濃度から働くALDH2があります。

両方備わっていなければ、アルコールの分解によって生じたアセトアルデヒドを着々と分解することはできません。

日本人の場合、約40%の人がALDH2の働きが弱い「低活性型」でお酒に弱く、4%が全くない「不活性型」で全くお酒を飲めない人だと言われています。

面白いことに、このALDH2の低活性型+不活性型の比率に近いのは韓国より中国なのです。

そして、お酒に強いのが、縄文人の血を引く人々と言われます。

 そういえば、北海道、東北、九州、沖縄に酒豪が、中部、近畿に下戸が多いと指摘されますね。

中華人民共和国山東省淄博市の市轄区の臨淄(りんし)区で行われた、調査に注目したことがありました。

 2500年前から2000年前の500年間に中国の土地から、日本への大規模な人類が移動があったとしか思えない内容でしたね。

調査対象となった山東省は、徐福で知られる土地でもあります。

 徐福が日本に来たとみられる2300年前と言えば、日本では縄文時代後期から弥生時代にあたりますね。

そして神武がいたとすれば、弥生時代になると言われ続けてきました。

まさに、徐福が来た時代と弥生時代、そして、2500年前から2000年前の500年間に中国の土地から日本への大規模な人類が移動があった可能性がある時期は、大きく重なります。

 さらに、徐福伝説は済州島など朝鮮半島の地域にもありますね。

縄文時代については、類似の土器がアメリカ大陸から出土したばかりか、フランスやスペインの様式の鏃とともにイギリス人にもアイヌにも似た古代人骨もアメリカから出ています。

 アメリカ先住民の下戸の割合は、比較的インドに近いですね。

 彼らがインド人と勘違いされたことと合わせると、奇妙な気がします。

インドも、日本人のルーツ探しで注目された土地ですからね。

 そしてインドとペルシャは近縁であり、日本にはインドやペルシャの人々から同郷人と勘違いされるほどそっくりな人もいますよね。

トルコも似た人が結構いるし、エジプトも日本と似た顔の人は多そうですよ。

 やはり、中東から地中海を経てアメリカさらに日本へと来た縄文人と、中国から朝鮮経由の弥生人という構図のようですね。

それと、日本に弥生人が来たころと今とでは、朝鮮半島では大幅な人類の入れ替わりがあった可能性も見えますね。

 中国も、大勢が日本に渡った後、人類入れ替えのあった可能性はありそうですね。

この、朝鮮や韓国に後から来た見られる人々は、どこから来たのかも気になるところですね。

今後の調査が、待たれます。

追記

中華人民共和国山東省淄博市の市轄区の臨淄(りんし)区で行われた調査については、ここで触れたので良かったら見てください。

古代中国の日本人?
http://cova-nekosuki.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-c0cf.html

追記2

総合研究大学院大学
プレスリリース概要
『日本列島3人類集団の遺伝的近縁性』
http://www.soken.ac.jp/news_all/2719.html

このプレスリリースには、韓国人や朝鮮人は集団としては本土人と同じクラスターに属するとあります。

いいかえれば、ルーツは近縁ではあるが、人種としては別系統ということになり、下戸の比率の差から見ても、そのことは裏付けられています。

記事は明らかに、同じクラスターに属すると言う言葉の意味を勘違いしていることになります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ものさし。

付き合うには友を選ぶべし、そういう人がいます。

言いたい気持ちはわかります。

けれど人に会うたびにふるいにかける目をしていたら、まるで捜査中の刑事か物色中のすりのようでしょうね。

それよりも、悪い縁が近づけない雰囲気を持つことが大切でないでしょうか。

類は類を呼ぶ、友は友を呼ぶ、とはよく言われることです。

良い友が欲しいと願うなら、良い友になれる自分でありたいと願うことは必要ではないでしょうか。

良い霊に寄って欲しいが悪い霊に寄って欲しくないと願うときも、似たようなものと感じます。

余計なことを考えず、日ごろから無心に祈ることが大切でないでしょうか。

この無心とは「遠慮なく金品をねだること」ではなく、「邪念なく救いと導きを祈ること」です。

神はすべてを知り、すべてをお持ちのお方です。

ささげるべきは、神に対するまことの心でないでしょう。

神はいつも、そばで見守り、気づきを待っておられるからあえて御呼びすることはないです。

やさしくそっと寄り添ってくださるのが神だと思うのです。

淡いけれど冷淡ではなく、親しいけれどなれなれしくない、それが神と寄り添う距離と思うのです。

つまり、親しき仲にも礼儀ありですね。

一生寄り添う覚悟がおありなら、挨拶してみてはどうでしょう。

妙になれなれしいのがそばにいると感じられたら、要注意でしょう。

捨てられたくないとすがっていると思えるからです。

人にすがるから、人に捨てられるのでしょう。

捨てられたくないなら、すがる相手を選ぶべきなのです。

そして、捨てられない自分になりたいと、心から願うべきでしょう。

それは、自分らしさを捨てることではなく、向上できない自分を捨てる事でしょう。

人でも妙になれなれしいのは、なんか下心がありそうで、いやでしょ。

それはよからぬ霊の可能性があるでしょう。

少なくとも、厄介なことに巻き込まれるかもしれない、大きな問題を抱えた霊かもしれません。

大きな問題を抱えているなら、助ける力を貸してくれる相手こそ、求めるべきでしょう。

ただ、自分と一緒になって問題を抱え込むだけの相手を求めているなら、あなたは関わるべきではないでしょう。

しっかり受け止めて、支えてあげられますか。

共倒れになるだけなら、見守るしかないないでしょう。

考えを改めてもらえるよう、祈るしかないでしょう。

自ら助かろうとしない限り、助からないでしょうから。

本気で助かろうとする者だけが、救いの手を握り返せるでしょうから。

それと、妙に威張っていたら要注意でしょう。

本当に正しい霊であれば、更なる向上心を持ち、謙虚であるはずです。

傍から見れば、十分偉大なのに、もっと上を目指しているから、自分はまだまだ発展途上で未熟だと感じているのでしょう。

それを、妙に威張っていたならば、それは自身のなさの裏返しでしょう。

未熟なのに無理して背伸びしているのでしょう。

未熟なら、向上心を持てばいいのに。

向上心を持てば、向上心を持った仲間が集まるでしょう。

それは、霊だけでなく、肉体を持った相手でも、言えるのではないでしょうか。

良き友に選んでもらえる、そういう心の持ち主になりたいと、心から願い続けられるようになりたいですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2012年10月 | トップページ | 2012年12月 »