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ものさし。

付き合うには友を選ぶべし、そういう人がいます。

言いたい気持ちはわかります。

けれど人に会うたびにふるいにかける目をしていたら、まるで捜査中の刑事か物色中のすりのようでしょうね。

それよりも、悪い縁が近づけない雰囲気を持つことが大切でないでしょうか。

類は類を呼ぶ、友は友を呼ぶ、とはよく言われることです。

良い友が欲しいと願うなら、良い友になれる自分でありたいと願うことは必要ではないでしょうか。

良い霊に寄って欲しいが悪い霊に寄って欲しくないと願うときも、似たようなものと感じます。

余計なことを考えず、日ごろから無心に祈ることが大切でないでしょうか。

この無心とは「遠慮なく金品をねだること」ではなく、「邪念なく救いと導きを祈ること」です。

神はすべてを知り、すべてをお持ちのお方です。

ささげるべきは、神に対するまことの心でないでしょう。

神はいつも、そばで見守り、気づきを待っておられるからあえて御呼びすることはないです。

やさしくそっと寄り添ってくださるのが神だと思うのです。

淡いけれど冷淡ではなく、親しいけれどなれなれしくない、それが神と寄り添う距離と思うのです。

つまり、親しき仲にも礼儀ありですね。

一生寄り添う覚悟がおありなら、挨拶してみてはどうでしょう。

妙になれなれしいのがそばにいると感じられたら、要注意でしょう。

捨てられたくないとすがっていると思えるからです。

人にすがるから、人に捨てられるのでしょう。

捨てられたくないなら、すがる相手を選ぶべきなのです。

そして、捨てられない自分になりたいと、心から願うべきでしょう。

それは、自分らしさを捨てることではなく、向上できない自分を捨てる事でしょう。

人でも妙になれなれしいのは、なんか下心がありそうで、いやでしょ。

それはよからぬ霊の可能性があるでしょう。

少なくとも、厄介なことに巻き込まれるかもしれない、大きな問題を抱えた霊かもしれません。

大きな問題を抱えているなら、助ける力を貸してくれる相手こそ、求めるべきでしょう。

ただ、自分と一緒になって問題を抱え込むだけの相手を求めているなら、あなたは関わるべきではないでしょう。

しっかり受け止めて、支えてあげられますか。

共倒れになるだけなら、見守るしかないないでしょう。

考えを改めてもらえるよう、祈るしかないでしょう。

自ら助かろうとしない限り、助からないでしょうから。

本気で助かろうとする者だけが、救いの手を握り返せるでしょうから。

それと、妙に威張っていたら要注意でしょう。

本当に正しい霊であれば、更なる向上心を持ち、謙虚であるはずです。

傍から見れば、十分偉大なのに、もっと上を目指しているから、自分はまだまだ発展途上で未熟だと感じているのでしょう。

それを、妙に威張っていたならば、それは自身のなさの裏返しでしょう。

未熟なのに無理して背伸びしているのでしょう。

未熟なら、向上心を持てばいいのに。

向上心を持てば、向上心を持った仲間が集まるでしょう。

それは、霊だけでなく、肉体を持った相手でも、言えるのではないでしょうか。

良き友に選んでもらえる、そういう心の持ち主になりたいと、心から願い続けられるようになりたいですね。

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