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聖書に複数見られる神の表記について考えてみた。

面白いことに、旧約聖書には、 神を表す言い方に“(エロヒム)אֱלֹהִים”と“(ヤハウエエロヒム)יְהוָה אֱלֹהִים”があります。

 あと、“(ヤハウエ)יְהוָה”が単独で記される場合もあるでしょ。

なお“יְהוָה”をエホバと呼ぶ宗派もあるが、ここではヤハウエで通します。

子音だけが書かれているので、読みに両方の説があるのです。

創世記でいえば、第1章はほとんど“אֱלֹהִים”なのに対し、第2章では“יְהוָה אֱלֹהִים”という表記が出てきます。

“(ヤハウエ)יְהוָה ”は旧約時代のイエスの名前です。

イエスと御父の関係について、新約のヨハネ第1章1節にはこうあります。

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。

ここでいう言葉とは、御父の預言者であるイエスのことです。

創世記第1章で御父エロヒムの指示を受けたヤハウエが天地を創造し、それを見て御父は満足して良しとされたと見ることが出来ます。

解釈の注意が必要なのは、創世記第2章以降に出てくる“(ヤハウエエロヒム)יְהוָה אֱלֹהִים”です。

これを連名と見るのか、ヤハウエ一人と見るのか、ということです。

 エロヒムの別名とは、到底見ることはできないですよね。

ここは、ヤハウエと見ることの方が自然でしょう。

そうなるとなぜ、連名の形をとるのかとなります。

イエスは神の言葉であって、天の神である御父の預言者の権限と能力を行使している限りにおいて、神と同格ということです。

権限と能力は、権能と略されます。

さらに、神の権能は神権と略すことが出来ます。

そうみると、“(ヤハウエエロヒム)יְהוָה אֱלֹהִים”はこのような解釈ができそうです。

天の神である御父の神権者ヤハウエ、あるいは単に、神権者ヤハウエ。

旧約には神を表す言葉として、複数形の“(エロヒム)אֱלֹהִים”の他にも、単数形の“(エロハ)אֱלֹהִ”や“(エル)אֱלֹ”が出てきます。

そして、この単数形の“(エロハ)אֱלֹהִ”と“(エル)אֱלֹ”は、しばしば一つの文章で使い分けられるのです。

“(エル)אֱלֹ”には、神の他にも、力とか能力という意味があります。

この力とか能力を、権能と解釈することも可能でしょう。

 そうなると、単数形の“(エロハ)אֱלֹהִ”をヤハウエ、“(エル)אֱלֹ”を権能とみて、ヤハウエの権能とか、ヤハウエの神権と見ても良いということでしょうか。

複数形のエロヒムを御父と見れば、あえて単数で記す以上御父以外を考えるのは自然でしょうね。

一つの文章、あるいは、ひとつながりの文章で、“(エロハ)אֱלֹהִ”と“(エル)אֱלֹ”が出てきたら、ヤハウエの権能とか、ヤハウエの神権と解釈して訳したほうが原文の意図に近いかもしれません。

これは、イエスは人と天の神である御父との仲保者であるとする位置付けと、矛盾しません。

 イエスの昇栄と、関係ありそうですね。

神権を行使する側から、神権を授ける側に回るということも、イエスの昇栄の一つの側面と言えそうですね。

 御父の立場は、確かに、神権を授ける側であって、神権を行使する側ではないですね。

永遠の成長ということからすれば、御父という立場もまた神権であって、さらにその上の方が居られるのかも知れないけど、私たちはそれを知り得る立場にはありません。

言えることは、人が目指すべき神権の当面の目標は、御父のようになるということのようですね。

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