十戒は何故石に刻まれたか想像してみた。
十戒は、なぜ、石の板に刻まれたのだと、思いますか。
そこには石しか、なかったから。
木があったら、木の板に刻んだのでは。
木の板はいつか朽ちるが、石の板は割れない限り持ちますよ。
永久保存にしたいから、石に刻んだ。
これで終わりでは、話は続きません。
十戒は、面白いことに、カソリックとプロテスタントでは、微妙に違うのですよ。
正教会と、ルーテル教会以外のプロテスタントの場合は、こうです。
主が唯一の神であること
偶像を作ってはならないこと(偶像崇拝の禁止)
神の名を徒らに取り上げてはならないこと
安息日を守ること
父母を敬うこと
殺人をしてはいけないこと(汝、殺す無かれ)
姦淫をしてはいけないこと
盗んではいけないこと
偽証してはいけないこと(嘘を言ってはならない)
隣人の家をむさぼってはいけないこと
一方、カソリック教会とルーテル教会の場合はこうです。
わたしはあなたの主なる神である。
わたしのほかに神があってはならない。
あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
主の日を心にとどめ、これを聖とせよ。
あなたの父母を敬え。
殺してはならない。
姦淫してはならない。
盗んではならない。
隣人に関して偽証してはならない。
隣人の妻を欲してはならない。
隣人の財産を欲してはならない。
カソリック教会とルーテル教会は、偶像崇拝の禁止を外しています。
そういえば、カソリックの教会には、磔刑のイエスの像や、マリア像、などありますね。
正教会と、ルーテル教会以外のプロテスタントでは、偶像を置かないと言いつつ、礼拝の場の真正面に、しばしば、十字架があるでしょ。
これに対しても、いくつかの宗派は異を唱えて、礼拝の場に十字架がなかったりします。
理由は様々で、イエスの殺害に使われたものを礼拝の場に置くなんて不謹慎だと言う宗派もあれば、十字架と言えども礼拝の場の真正面では偶像と紛らわしいと言う宗派も、あります。
偶像と紛らわしいと言って礼拝の場に置かない宗派の場合、教会の外観にはいかにもそれらしく見えるからとデザインに取り入れることもあるようです。
カソリック教会とルーテル教会は、偶像崇拝の禁止かわりに、隣人の家をむさぼってはいけないという戒めの二つの項目を分けています。
ということは、十戒といいつつ、実質は十一戒じゃあないですか。
この、11という数字は、生命の樹のセフィラの数でもあります。
セフィロトというのは、セフィラの複数形です。
そして、生命の樹はアダムカドモンと呼ばれるように、アダムの姿でもあるが、もう一人のアダムに位置付けられるイエスの象徴でもあります。
想い起してください。
ヨハネによる福音書の1章1節から1章5説にはこうあります。
初めに言葉があった。
言葉は神と共にあった。
言葉は神であった。
この言葉は、初めに神と共にあった。
万物は言葉によって成った。
成ったもので言葉によらずに成ったものは
ひとつもなかった。
言葉のうちに命があった。
命は人間を照らす光であった。
光は暗闇の中で輝いている。
暗闇は、光を理解しなかった。
この、神とともにあった言葉とは、御父の預言者としてのイエスですよ。
十戒とは、イエスそのものである。
そうなりませんか。
言葉は生きているが、文字は死んでいる。
死んだ文字は、石に封じられている。
これは、十字架を下された後のイエスを、暗示していると言えないでしょうか。
イエスは、石で封印された墓に横たえられた。
そして、復活した。
まさに、イエスの死と復活の預言形になっていないでしょうか。
しかも、今、イエスは昇天して、隠れ、言い換えれば、霊界の存在になっている。
霊界にいることこは、事実上、死に等しいとも言い得る。
その意味では、再臨のイエスは、再度の復活を遂げるイエスとも、言えるかもしれないですね。
だが、飛鳥昭雄と三神たけるなら、言うでしょうね。
もっと奥があるよ。
カッバーラは、言葉遊びの形で、仕掛けられる。
ま、ようするに、駄洒落です。
古代イスラエル人や、イエスの時代の言葉なんて知らないから無理という人は…。
飛鳥昭雄と三神たけるに言わせると、この謎解きは日本人だから出来るそうですよ。
彼らは、日本には天孫一族という形で十支族、秦氏という形で二支族、来てるんだよと、言いますからね。
日本は、古代イスラエルを連想できる文化が満載だそうですよ。
カタカナなんかも、へブル文字と形ばかりか表している音まで似てると、言いますからね。
神社なんか、古代イスラエルの幕屋の呆れるほどのコピーですよ。
周りに神域を設ける。
入口に二本の柱を立てる。(鳥居に対してヤキンとポワズ)
拝殿と本殿に分ける。
賽銭箱がある。
神職の衣装の裾に房がある。
清めの塩を用いる。
二本の棒で担ぐ金で覆った箱の上に羽の付いた像が載ってる。(神輿の鳳凰とアークのケルビム)
お祓いをする。
ここまでそっくりな、神祀りの宮をもつ民族は日本とユダヤだけですよ。
神祀りの宮でありながら、神像を持たないとこまで似てる。
正月の鏡餅は、過ぎ越しの祭りの種入れぬパンの飾り方に酷似。
日本は正月に葉野菜で雑煮をするが、ユダヤは苦菜を食す。
諏訪大社にも、アブラハムとイサクの故事そっくりの行事が守屋山を望む麓で行う風習が伝わっている。
古代中東の遺伝子は、中東以外ではチベットと日本に残るのみ。
後もいろいろあるようなので、興味のある人は日ユ同祖論で調べてみてください。
十戒、つまり、十の戒めです。
聖書で十とくれば、日本人で思い出す人が多いのが十字架でしょ。
十字架で絶えたイエスは、石の扉に封じられた。
そして、復活を遂げる。
十はジュウと読むが、ジュウとくればユダヤですよ。
イエスはユダヤ教徒によって、十字架に架けられる。
ますます、預言形でしょ。
さらに、飛鳥昭雄と三神たけるは聖書を理解する鍵を握るのがカッバーラだが、陰陽と同じというのです。
言葉は、息や風、さらには長いもの繋がりで、木にまで繋げられるのが、陰陽なのですよ。
十字架は、木で出来てます。
イエスは、木に架けられたという伝承もあるから、まさに当てはまる。
十戒石に込められた、預言と思われるものを、記してみますね。
イエスはユダヤ教徒によって、木で出来た十字架に架かる。
石で封じられた墓に横たえられるが復活して出てくる。
イエスは昇天して、今は霊界に隠れている。
いかがです。
正しいかどうかは、さておき、もっともらしい解釈だけは、できますね。
これを、よくもまあ、もっとらしくでっち上げたと見るか、有り得ると見るかは、あなた次第です。
追記
イエスは、しばしば、石や岩に例えられます。
これは、イエスの教えはそれだけ強固であると言っているわけです。
そこで、十戒石を、永遠の真理を説いたイエスの象徴と見ることも可能でしょう。
今回は、別の切り口から考えて見ました。
また、十字架については、イエスは今も生きておられるので、死の象徴である十字架を祭壇に飾るのは適切ではないと見る宗派もあります。
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