阿羅漢と聖書?
以前、仏性について、こういう議論を展開しました。
上座部仏教では、この娑婆世界とか穢土とか言われる穢れた世界に生まれて苦しみを受けるのは煩悩によるものであると捉えます。
そこで、出家して厳しい戒律を保つことによって煩悩を断ち切り阿羅漢(あらはん)になることを目的とされます。
阿羅漢は、仏教において、尊敬や施しを受けるに相応しい聖者のことです。
サンスクリット語"arhat"の主格 "arhan" の音写語で、略称して羅漢(らかん)ともいいます。
"arhat"の主格 "arhan"は、「価値ある」「立派な」などの意味を持つ語根"arh-"の派生語です。
応供(おうぐ)は、 "arhan" の漢訳です。
阿羅漢はもとは、釈迦の尊称の一つでした。
そうなると気になってきたのが、"arhat"の主格 "arhan"は、「価値ある」「立派な」などの意味を持つ語根"arh-"の派生語ということです。
「価値ある」「立派な」などの意味を持つ"arhan"の語根が、"arh-"というのは、似た音の言葉をどこかで聞かなかったでしょうか。
"אַלהַ(アレフラメッドヘー)"は、"エロハ"とも"アロハ"とも"アッラー"とも読める神の単数形ですね。
神の単数形には、"アル"や"エル"と読める、力や能力の意味もある"אַל(アレフラメッド)"もあります。
こうみると、"אַלהַ(アレフラメッドヘー)"は神の単数形と見るよりも、力や能力を持つものという意味で解釈した方が良いように見えてきますね。
より高い次元の存在から与えられた力や能力が、"アル"や"エル"と読める"אַל(アレフラメッド)"。
より高い次元の存在から力や能力を与えられた存在が、"エロハ"とも"アロハ"とも"アッラー"とも読める"אַלהַ(アレフラメッドヘー)"。
そういう見方も出来そうですね。
そうなると、"アル"や"エル"を神権、"エロハ"や"アロハ"あるいは"アッラー"を神権者と呼んでも良さそうですね。
"arh-"を神権、"arhan"を神権者と見なすと、 "arhan"が釈迦の尊称の一つであるということは、釈迦とは神権者を指す言葉であり、釈迦族とは神権者に従う一族という意味にとれますね。
"arh-"は神の義だから「価値ある」「立派な」ことであり、 "arhan"は「価値ある」「立派な」ことである神の義に従う人とも、とれるわけですね。
"arhan"は「価値ある」「立派な」ことである神の義に従う人だから、応供の字があてられた可能性はありそうですね。
神仏の御心と御言葉に、応じて供となるから応供と呼ばれたと、なりそうですね。
ゲッセマネの祈りを、想い起しますね。
こう言う祈りでしたね。
「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい。」
イエスが過ぎ去らせて欲しいと思った杯は、苦い杯と表されることもあります。
聖書の解釈の中に、私たちが地上に来た目的は天の神である御父のようになるために様々なことを学ぶ必要があるので、あえて肉体という制約を受けたのだと言う考えがあります。
霊の体のままなら、考えたことは即座に形になるが、肉の体では、考えたことをいったん行動に移さないと形にならない。
それも、なかなか想う通りにいかなくて、苛立ちや、焦りや、挫折や、絶望さえも、感じて悲しさや悔しさの涙も流す。
でも、そこを乗り越えると、自在の境地が待っている。
それを堪え忍んで、忍耐や寛容や、達成の喜びを学び、また、どのように困難を乗り越えるかを学ぶ。
この考えは、仏教でいう六道輪廻と似ていますよね。
天道(てんどう、天上道、天界道とも)
人間道(にんげんどう)
修羅道(しゅらどう)
畜生道(ちくしょうどう)
餓鬼道(がきどう)
地獄道(じごくどう)
今回は深入りしないけど、この六道輪廻から解脱して悟りを開くことを仏は人々に求めています。
旧約聖書で、イスラエルの民は悔い改めと堕落を繰り返しますね。
まるで、六道輪廻、そのものですね。
一時の悔い改めも、長続きしないあたり、まさに六道のうちの天道を連想できます。
イスラエルの民には、何度となく様々な形で預言者が送られます。
預言者を含む、さまざまな神権者によって、イスラエルの民は導かれたのです。
この神権者たちを、応供=阿羅漢="arhan"とみると、見事なまでに、釈迦族にイスラエルの民は似てきます。
こんなところにも、イエスは仏教徒だったと言う説が出る背景がある。
本当は、釈迦族こそ、イスラエルの民同様、古代中東出身の民と見るべきなのでしょうね。
釈迦族も、イスラエルの民から分かれた一族だから、神権者の導きがあったのでしょうか。
そんなふうにも、思えてきますね。
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