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風の盆

風の盆と言えば、富山県富山市八尾町(旧婦負郡八尾町)で毎年9月1日から3日にかけて行なわれている富山県を代表するおわら風の盆を思い浮かべます。

しかし、ここで疑問が起きます。

なぜ、風の盆なのでしょう。

 この時期は風が強いから、風を抑えるためという解釈する人もいますね。

「風」「かぜ」とは、空気の流れのこと、あるいは流れる空気自体のことです。

現代の気象学においては「風」とは、地球上の大気の流れを意味しています。

厳密には、地面に対して水平方向の流れである水平風のみを指し、垂直方向の流れである鉛直風は上昇気流または下降気流というが、一般的には分けないことが多いです。

ただ、日常において風は水平方向に吹くことが多いため、風といえば普通は水平方向の風を指すことになります。

富山県富山市八尾町といえば、蜃気楼で有名な富山湾と飛騨高山の山並みの間に挟まれた、富山湾から吹き込む風が絞り込まれて山々に阻まれる立地条件にあります。

そしてまた、山並みから吹き降ろす風がまともに当たる地域でもあります。

 そういう土地柄を思えば、こういう解釈が出てくるのも無理がないように見えますね。

ただ、この地域が風に悩まされるの台風の時期だけではないようですね。

束風とも玉風とも呼ばれる暴風は、冬に北西から東北・北陸地方の日本海沿岸で吹くそうです。

 でも、夏の終わり、あるいは、秋の始まりから冬にかけて、風に悩まされる地域ではある。

津波でも、入江の一番奥は絞り込まれて水が高く上がる事を思えば、風を抑えたいと言う願いは切実でしょうね。

 風で有名な地域はいくつもあるが、なぜ、この地域だけ風の盆と呼ぶのかという謎も、この立地条件で解けそうに見えますね。

けれど、もう一つの謎、なぜ封じの願いを込めた儀式が盆に行われるかです。

 盆は、魂との交流であり、祖霊をはじめとした霊力に満たされるからでしょうね。

神仏や祖霊の力を借りて荒れ狂う風を抑えたいから、盆の行事を風を抑える呪術として利用したいのも、もちろんあるでしょうね。

そして、この願いにぴったり合う名称の風習があったあったわけですね。

 その名もずばり、「風流」と呼ばれる民俗芸能ですね。

「風流」の読みには、「ふうりゅう」と「ふりゅう」の二通りがあります。

その中に、盆踊りも、含まれているのです。

「風」を「ふう」と読むと、こういう意味になります。

ある地域・社会などの範囲内で一般に行われている生活上の様式、または、やり方・流儀や風俗・習慣とかならわし。

人や物の姿・かっこう、なり、あるいは、風体。

それらしいようす、もしくは、ふり。

世間への体裁とか聞こえ。

性格の傾向、または、性向。

名詞に付いて、そういう様式である、そういう外見である、その傾向がある、などの意を表す。

「詩経」の六義(りくぎ)の一で、諸国の民衆の間で作られた詩歌も、風(ふう)と呼ばれました。

おそらく、官に対し民を野とする所から、野の流儀で作られた詩歌という気持ちを込めて、風(ふう)と呼んだのかも知れません。

これらの意味が出てくる背景には、風が物事を方向つける力を持っているという事実があると感じ取れます。

さらに、強風となった場合、まともに風圧を受けるような形のものは破壊されるが、上手にやり過ごす形のものは残ります。

つまり、風には物事の方向性や形に対して指示を与える能力が認められることになるでしょう。

そこから、風あたりが強いなどという言い回しも、生まれることになります。

そして、風の流れを上手に取り込んだりやり過ごすと、流れるような美しい形や仕草が生まれ、やがてそれを風流と形容していくことのなったのでしょう。

「風流」を「ふうりゅう」と読むと、こういう意味になります。

上品な趣があること、おちついた優雅な趣のあること、みやびやかなこと、また、そのさま、風雅。

世俗から離れて、詩歌・書画・茶など趣味の道に遊ぶこと。

美しく飾ること、意匠や数奇(すき)をこらすこと、また、そのさま。

「風流韻事」の略で、自然に親しみ、詩歌を作って遊ぶこと、また、詩歌を作ったり、書画を書いたりする風雅な遊びの意。

先人ののこしたよい流儀、なごり、遺風。

浮立ちとも書かれる民俗芸能である、念仏踊り・雨乞い踊り・盆踊り・太鼓踊り・鹿踊り・獅子踊りや獅子舞・ねり物・などの場合「ふりゅう」と呼ばれることもあります。

ここでいうねり物とは、ねり歩くということです。

上品で優雅なおもむきのあることも、「ふりゅう」と呼ばれることもあるけれど、文脈で区別がつきます。

ただし、次の場合は「ふりゅう」と呼ぶことが一般的です。

平安末期から中世にかけて流行した芸能の一で、祭礼などの際に行われる華やかな衣装や仮装を身につけて、囃(はや)し物の伴奏で群舞したもの。

中世芸能としての「ふりゅう」は、のちには、華麗な山車(だし)の行列や、その周りでの踊りをもいうようにもなる。

風流延年とも呼ばれる、唐土の故事を題材をとった延年舞の演目もまた「ふりゅう」と呼ばれる。

登場人物の問答のあと、歌舞となり、規模により大風流と小風流とある、能の式三番「翁」の特殊演出である。

風流延年は、狂言方が担当するとことろから狂言風流とも言われ、大勢の華やかな衣装の鶴亀・福神などに扮した演者が舞台に現れて、祝賀の舞を舞う。

都(みやこ)から、離れれば離れるほど、ひなびた土地であればあるほど、昔の文化は残りやすくなります。

 富山県富山市八尾町も、山を越えるか、海沿いに平野を伝うか、しないとたどり着けないという点では、都から近いとは言えないですね。

風流盆踊りが風の盆の語源ではないかと見たのも、こういった背景を考えたからなのです。

残念ながら、私はまだ、現地を知らないので、思い違いや勘違いがあれば、教えていただければ訂正したいと思います。

 どうしておわら風の盆なのかという謎の、風の盆の方は置いといて、どうして「おわら」か言わないと終わらない気がするけど。

「おわら」は「おはらい」の転化とも取れるけど、さらに、「おわり」の願いも重ねているのかも知れないですね。

 風が少しでも穏やかになって、風の季節が何事もなく終わって欲しいというお祓いの気持ちを込めて「おわら」と呼ぶ。

今回の話、そろそろ終わらせていいですか。

ていうか、終わらせます。

 ダジャレで落ちのつもりですか。

 余りベタ過ぎて寒いんですけど。

では、風とともに去りぬって、私の足は風より遅かったっけ、残念。

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