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「妻は夫をいたわりつ、夫は妻に慕いつつ」と聖書?

浪曲『壺坂霊験記』を知らないでも、「妻は夫をいたわりつ、夫は妻に慕いつつ」の一節なら聞いたことがあると言う方もまだまだ、多いのではないでしょうか。

おそらく、この一節を知って、夫婦円満の極意として共感の涙とため息とともに、一人酒を呑み、あるいは、友と酌み交わす夫は、今日もどこかにいることでしょう。

実は私も、今回の話の準備の中で恥ずかしながらこの浪曲を知ったので、あまり偉そうなことは言えませんけど。

ちなみに、これは人形浄瑠璃や歌舞伎にもなっているらしいです。

 それぞれのフアンからは、それくらい知っときなさいと言われそうですね。

言われても、それは仕方ないです。

妻には、家内には、女房には、頭が上がらないよ、感謝しっぱなしだよ。

そういう家庭は、それなりに、上手くいっているはずです。

それについては、聖書に面白い件があります。

創世記第2章18節から24節です。

また主なる神は言われた、「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」。

そして主なる神は野のすべての獣と、空のすべての鳥とを土で造り、人のところへ連れてきて、彼がそれにどんな名をつけるかを見られた。人がすべて生き物に与える名は、その名となるのであった。

それで人は、すべての家畜と、空の鳥と、野のすべての獣とに名をつけたが、人にはふさわしい助け手が見つからなかった。

そこで主なる神は人を深く眠らせ、眠った時に、そのあばら骨の一つを取って、その所を肉でふさがれた。

主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り、人のところへ連れてこられた。

人は言った。「ついに、これこそ/わたしの骨の骨/わたしの肉の肉。これをこそ、女(イシャー)と呼ぼう/まさに、男(イシュ)から取られたものだから。」

こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。

つまり、神が、男がひとりでいるのは良くないからふさわしい助け手を造ろうと分身として作って与えたのが、女だというのです。

 男は自分分身である女を、女は自分の分身である男を、探し求めて伴侶とするから、ベターハーフと呼ばれる。

そうなのでしょうね。

さらに最初の人であるアダムに対しても、聖書はこう語ります。

創世記第1章26節から28節です。

神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」

神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。

神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」

神はアダムに、地を従わせ、海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配する権限を与え、イブを助け手としたのです。

言い換えれば、アダムはイブの助けを得て初めて、神から与えられた権限を行使できる存在として、作られたとなります。

 昔から、なぜに男は女に頭が上がらないのかと、説明を求めていたのですね。

 そして、神にその責任を押し付けた。

 自分のせいじゃないと、言いたいわけね。

それは、言い過ぎでしょ。

権限を行使するには、力、あるいは、能力が必要です。

面白いことに、ヘブル語では、神の単数形"אַל(アレフラメッド)”には、力や能力と言う意味もあるのです。

これは、権限を行使するために必要な力や能力は神に由来するという思想があるのかもしれません。

 力や能力は神から授けられているとみているなら、力や能力を用いる権限は神権とみていると考えても良いのでしょうか。

可能性はありますね。

 性別を問わず力や能力はあるわけだから、性別を問わず神権もあることになりませんか。

だが、預言者には男だけでなく女もいるが、士師記の士師あるいはさばきつかさ以外に、聖書に女性の指導者が出てくることはほとんどないでしょ。

 そういえば、女性預言者に訊ねる男性指導者はいても、女性指導者は士師記くらいしかいないかも知れないですね。

つまり、神権を行使する男性とそれを助ける女性という、アダムとイブ以来の形が基本的に貫かれているわけですよ。

けれど、一家の中で、夫が神権を行使するには妻の助けは不可欠でしょ。

 妻は、夫と子供たち、どうかすると、夫と舅や姑との間に、立ちますね。

つまり、夫の神権行使は、実際には妻を通じて行われている。

 そういえば、そうですね。

イエスは、御父や御子には、どんなことを言っても良いが、聖霊は侮るなと言っています。

 御父や御子は、預言者など限られた人にしか現れないけれど、聖霊は、全ての人に現れますね。

つまり、ほとんどの人にとって聖霊を通じて、御父や御子と繋がっている構図が見えるわけですよ。

 聖霊を侮ることは、電話機を箱に過ぎないと侮って壊すようなものと、いうことですか。

 郵便はあっても、リアルタイムじゃないけど、電話機はリアルタイムですね。

 携帯端末に至っては、圏外でさえなければ、基本的にはいつでもどこでも繋がる。

聖霊を侮ると、御父や御子との意思疎通が困難になり、場合によっては音信不通になりかねないわけですよ。

 聖霊は、人々と御父や御子を繋ぐメッセンジャーなのですね。

聖霊に機嫌損ねられたら大変でしょ。

 夫と、子どもや、舅や姑との間のメッセンジャーが妻としたら、こうなりますね。

 夫を御父や御子になぞらえると、舅や姑との間のメッセンジャーである妻は聖霊に当たる。

 御父や御子には、どんなことを言っても良いが、聖霊は侮るなとは、夫にはどんなことを言っても良いが、妻は侮るなとなる。

なるほど、これじゃあ、妻には、家内には、女房には、頭が上がらないよ、感謝しっぱなしというのも、頷けますねえ。

 しかも、夫の神権行使に最初にチェックを入れるのは、妻ですねえ。

妻を説得できないと、夫は神権を行使できない。

 御父や御子も、聖霊を説得できないと神権は行使が思うようにいかない。

御父や御子も、聖霊の前で権威を保つために、研鑽と努力の日々なんでしょうかね。

 だから、聖霊を侮るなという忠告が出る。

案外、そうかも知れないですよ。

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