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「蛇のように賢く、鳩のように素直」の鳩について思いを巡らせてみた。

「蛇のように賢く、鳩のように素直であれ」と、聖書は説きます。

 先入観を廃し、ありのままを見ろ、物事は両面あると、いうことでしょうか。

素直というのは、ありのままを受け入れろということでもあるでしょうね。

賢くというのは、不都合だからと全てを退けるな、都合良いからと言ってなんでもうまくと思うなということでも、あるでしょうね。

 不都合の中にも使えるものがあり、使えるもの中にも不都合がある。

何が使えて何が使えないか、賢く見定めなさいと言うことでもあるでしょうね。

また、迷ったら素直に神に訊ねよということでしょう。

 そういえば、 鳩のように素直であれとありますね。

創世記3章1節には、「野の生き物の中で最も賢いのは蛇であった」と書かれているのです。

マタイによる福音書10章16節には、有名な聖句があるのです。

「わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに羊を送り込むようなものだ。だから、蛇のように賢く、なりなさい。」

それで、蛇のように賢くとあるのは、創世記などの記述を踏まえていることはわかるのです。

素直さを例えるのに、なぜ、鳩なのだと思うかです。

 伝書鳩に使われるくらい、鳩の帰巣本能は強いからね。

 懐くだけなら、他の鳥も懐くでしょうけど。

帰巣本能を利用して、鳩のレースもあるのですよ。

でも、それだけでしょうか。

帰巣本能というけれど、ノアの方舟に鳩は最後には帰ってこなかったでしょ。

 そういえば、そうね。

イエスは洗礼を受けた時、天から聖霊が下ったのですよ。

 声も、天から聞こえたのよね。

 そういえば、聖霊は、大抵白い鳩で表現されるのね。

白い鳥はいろいろいるけれど、全身が白いのは白鳥か白い鳩くらいね。

 鳩、とりわけ白い鳩は、聖霊の象徴ということかしら。

そうかもしれないですね。

聖霊は、御子と違って、神である御父の言葉どおりの言動しか許されていないのです。

 それで、聖霊を冒涜することは、決して許されないと言われるのね。

 聖霊は、御父や御子の指示通りに忠実に話し、行動しているわけだから、聖霊に対する冒涜は、そのまま、御父と御子への冒涜になる。

そう考えると、イエスは人々に、聖霊のように御父や御子の言葉に忠実であることだけを求めてはいないことになるのですね。

 素直さの例えに、羊ではなく鳩を用いたのは、そのためかしら。

良き羊飼いに例えられる御子は、迷える子羊を救うお方でもありますよ。

 どんなに子羊が素直でも、道に迷えば、自分で途方にくれながらもどちらかに進むべきか、あるいは、留まって迎えを待つべきか、判断を迫られるのね。

つまり、御父や御子に忠実であるだけでなく、自分でも、どう行動すればはぐれずに済むか、判断をする必要があるわけでしょ。

 でも、判断は、適切じゃないと、とんでもない方向を選んでしまう。

そこで、賢さが求められるわけですよ。

 蛇のような、賢さね。

 でも、創世記の蛇は、サタンの誑かしを手伝っているのですよ。

旧約聖書には、他にも、蛇が出る場面があります。

 民数記の21章4節から9節ですね。

民の食べ物に対する不平に対して、神は火の蛇を送くると、多くの人は噛まれて死んだのです。

人々が過ちを認め、火の蛇を取り去ってくれるようモーセに頼んだので、神は火の蛇を作って竿に掲げるように指示するのです。

そこでモーセは青銅の蛇を作って、竿に掲げるのです。

この、青銅の蛇はイエスの予型とされているのです。

 イエスの予型は、青銅の蛇だけかしら。

 イエスは裁き人としても、再臨するのでしょ。

 従わない人を罰した火の蛇もまた、イエスの予型ではないかなあ。

 イエスは罪人の汚名を着せられて、十字架にかかるでしょ。

竿に掲げられた青銅の蛇は、火の蛇を模ったものであることは、裁き人、罪人、救い主、贖い主、など様々な意味を込められたイエスの象徴であることは、言えそうですね。

 蛇のように賢くとは、サタンの誑かしに加担するか、イエスの弟子としての道を歩むか、正しい判断を出来るようになりなさいということかしら。

ただし、それぞれの選択肢には、サタンの道か、イエスの道か、書いてないわけだからきちんとした判断基準がいるわけですよね。

 ここで、鳩のように素直という指示が、効いてくる。

どうしていいか、判断に迷ったらためらうことなく神に助けを乞い、支持を仰ぐということでしょうね。

自分の力だけでは、くじけそうなとき、迷いそうなとき、自分の意思や判断の上に御父と御子の意思や判断を優先してくださいと、心から求めることも必要かも。

 でも、マタイによる福音書7章 21節にこうありますよ。

 わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいるのわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。

 日頃の、神に対する感謝の積み重ねがないと、せっかく答えが与えられても、気づけなかったり、十分な助けが得られなかったりして。

蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさいという指示の実行は、そう簡単にはいかないようですね。

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