« 「妻は夫をいたわりつ、夫は妻に慕いつつ」と聖書? | トップページ | 自由について想ってみた。 »

「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」。

イエス=キリストが磔にされたときに叫んだとされる7つの言葉のうちの一に、これがあるのです。

「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」。

新約聖書における表現ではアラム語とヘブライ語が混用されています。

『マタイによる福音書』 第27章46節ではヘブライ語の「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」が、現れるのです。 

『マルコによる福音書』第15章34節ではアラム語の「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」が現れるのです。

 旧約聖書 『詩編』 第22編冒頭の言葉ですね。

第22編には、キリストの受難を予言したような箇所があると指摘されるのです。

長くなるが、引用してみたいです。

第22篇

22:1  わが神、わが神、なにゆえわたしを捨てられるのですか。なにゆえ遠く離れてわたしを助けず、わたしの嘆きの言葉を聞かれないのですか。

22:2  わが神よ、わたしが昼よばわっても、あなたは答えられず、夜よばわっても平安を得ません。

22:3  しかしイスラエルのさんびの上に座しておられるあなたは聖なるおかたです。

22:4  われらの先祖たちはあなたに信頼しました。彼らが信頼したので、あなたは彼らを助けられました。

22:5  彼らはあなたに呼ばわって救われ、あなたに信頼して恥をうけなかったのです。

22:6  しかし、わたしは虫であって、人ではない。人にそしられ、民に侮られる。

22:7  すべてわたしを見る者は、わたしをあざ笑い、くちびるを突き出し、かしらを振り動かして言う、

22:8 「彼は主に身をゆだねた、主に彼を助けさせよ。主は彼を喜ばれるゆえ、主に彼を救わせよ」と。

22:9  しかし、あなたはわたしを生れさせ、母のふところにわたしを安らかに守られた方です。

22:10 わたしは生れた時から、あなたにゆだねられました。母の胎を出てからこのかた、あなたはわたしの神でいらせられました。

22:11 わたしを遠く離れないでください。悩みが近づき、助ける者がないのです。

22:12 多くの雄牛はわたしを取り巻き、バシャンの強い雄牛はわたしを囲み、

22:13 かき裂き、ほえたけるししのように、わたしにむかって口を開く。

22:14 わたしは水のように注ぎ出され、わたしの骨はことごとくはずれ、わたしの心臓は、ろうのように、胸のうちで溶けた。

22:15 わたしの力は陶器の破片のようにかわき、わたしの舌はあごにつく。あなたはわたしを死のちりに伏させられる。

22:16 まことに、犬はわたしをめぐり、悪を行う者の群れがわたしを囲んで、わたしの手と足を刺し貫いた。

22:17 わたしは自分の骨をことごとく数えることができる。彼らは目をとめて、わたしを見る。

22:18 彼らは互にわたしの衣服を分け、わたしの着物をくじ引にする。

22:19 しかし主よ、遠く離れないでください。わが力よ、速く来てわたしをお助けください。

22:20 わたしの魂をつるぎから、わたしのいのちを犬の力から助け出してください。

22:21 わたしをししの口から、苦しむわが魂を野牛の角から救い出してください。

22:22 わたしはあなたのみ名を兄弟たちに告げ、会衆の中であなたをほめたたえるでしょう。

22:23 主を恐れる者よ、主をほめたたえよ。ヤコブのもろもろのすえよ、主をあがめよ。イスラエルのもろもろのすえよ、主をおじおそれよ。

22:24 主が苦しむ者の苦しみをかろんじ、いとわれず、またこれにみ顔を隠すことなく、その叫ぶときに聞かれたからである。

22:25 大いなる会衆の中で、わたしのさんびはあなたから出るのです。わたしは主を恐れる者の前で、わたしの誓いを果します。

22:26 貧しい者は食べて飽くことができ、主を尋ね求める者は主をほめたたえるでしょう。どうか、あなたがたの心がとこしえに生きるように。

22:27 地のはての者はみな思い出して、主に帰り、もろもろの国のやからはみな、み前に伏し拝むでしょう。

22:28 国は主のものであって、主はもろもろの国民を統べ治められるのです。

22:29 地の誇り高ぶる者はみな主を拝み、ちりに下る者も、おのれを生きながらえさせえない者も、みなそのみ前にひざまずくでしょう。

22:30 子々孫々、主に仕え、人々は主のことをきたるべき代まで語り伝え、

22:31 主がなされたその救を後に生れる民にのべ伝えるでしょう。

細かく見てもいいけど、気になる部分だけ取り上げたいです。

6節 人にそしられ、民に侮られる。

その通りになったのです。

8節 「彼は主に身をゆだねた、主に彼を助けさせよ。主は彼を喜ばれるゆえ、主に彼を救わせよ」

似たような言葉が聞かれました。

18節 彼らは互にわたしの衣服を分け、わたしの着物をくじ引にする。

その通りになったのです。

22節 わたしはあなたのみ名を兄弟たちに告げ、会衆の中であなたをほめたたえるでしょう。

イエスも使徒たちも御父の御名を称えたのです。

25節 大いなる会衆の中で、わたしのさんびはあなたから出るのです。わたしは主を恐れる者の前で、わたしの誓いを果します。

これこそイエスの生涯そのものの預言でしょう。

 特に、十字架の預言。

まさに、その通りです。

これが意味するもの、それは何かということです。

 詩篇のほとんどは、ダビデのものとされるのよね。

ダビデ以外の人の詩もありますよ。

そして、詩篇から、いわゆる新約で多くの引用がなされてるのです。

 詩篇は、戒めや讃美を語る言葉として語られているだけではない。

預言としても、語られている可能性は、大きいですよ。

 預言は、神から託された言葉ですよね。

もちろんそうです。

 別の側面もある。

予言としても、語られているようですね。

ただし、警告としてであり、警告に従うなら、語られた通りには、起きないかも知れない事柄が述べられているでしょうね。

 実際は、人は愚かさをさらけ出し、警告に従いきれないから…。

預言の警告は、予言となって成就してしまうことになるということでしょうね。

 じゃあ、この詩は、イエスに関する預言だけに止まらない…。

それは、神のみぞ、知ることでしょう。

詩篇は、預言詩を集めたものであるとともに、予言詩を集めたものでもあると、思って読む方が良いかも知れないです。

預言者として召されたとある者たち以外にも、預言や異言を語る状態になった場合があることを、聖書は伝えています。

 じゃあ、詩篇は、ダビデなどの預言詩を集めている…。

そう思って、読んだ方が良いのは、確かかも知れないです。

「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」。

今回は、この言葉から、詩篇を見直して見たのです。

 イエスの、人の子としての、思わず口から出た、弱音ではなかったのですねえ。

そういう解釈も、して良いでしょうね。

 イエスは、自分の弱さを知り尽くしていたから、天の神なる御父にすべてを委ねて、心の安らぎを得ようとしていた。

幾重にも受け取れるから、この言葉が気になる人は、後を絶たないのでしょうね。

|

« 「妻は夫をいたわりつ、夫は妻に慕いつつ」と聖書? | トップページ | 自由について想ってみた。 »

イスラエル・ユダヤ」カテゴリの記事

思想」カテゴリの記事

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

聖書・コーラン」カテゴリの記事

言葉」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/506332/56643702

この記事へのトラックバック一覧です: 「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」。 :

« 「妻は夫をいたわりつ、夫は妻に慕いつつ」と聖書? | トップページ | 自由について想ってみた。 »