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2013年2月

京都と東北と秦氏?出雲童歌「ネコにゃんにゃん」とナニャドラヤ?その2

出雲童歌「ネコにゃんにゃん」の出雲については、大きな謎があります。

島根県の出雲大社前の地元の民謡保存会も知らない、聞いたことがないと言われます。

民謡保存会さえ知らないのだから、一般地元民は、なおさら知らない。

 出雲在住なのですが、そのような歌は聞いたことがないです。

 出雲は出雲でも別の地区の出雲なのでしょうか…。

島根県の出雲大社ではなく、京都府亀岡市の出雲大神宮に因んだ童歌かもという。

 実際この地には、出雲大神宮が存在します。

しかも、こちらの方こそ、元出雲だと言うのです。

出雲大神宮御祭神
http://www.izumo-d.org/history/gosaijin.htm

 出雲大神宮は京都府亀岡市の北東部に位置し、大国主命(オオクニヌシノミコト)と后神である三穂津姫命(ミホツヒメノミコト)を奉斎し(明治の制による)、特にこの二柱を合わせて出雲大神、出雲大神宮(日本書紀)、出雲神社などと称へ奉ります。

古事記や日本書紀に見られるように、大国主命は因幡の素兎で知られる慈愛に満ちた神様で、当宮末社に祀られる少那毘古名命(スクナヒコナノミコト)と共に国土経営に尽力なされました。
その後、皇孫に国譲りの後、幽世(カクリヨ)を統治すべく、現在の島根県にある出雲大社に鎮座される事となります。

『丹波国風土記』によれば、「奈良朝のはじめ元明天皇和銅年中、大国主命御一柱のみを島根の杵築の地に遷す。すなわち今の出雲大社これなり。」と記します。
よって当宮に古来より元出雲の信仰があります。

丹波もまた、秦氏の拠点でした。

秦氏は、日本へ渡ると初め豊前国に入り拠点とし、その後は中央政権へ進出していったのです。

大和国のみならず、山背国葛野郡(現在の京都市右京区太秦)、同紀伊郡(現在の京都市伏見区深草)や、河内国讃良郡(現在の大阪府寝屋川市太秦)など各地に土着し、土木や養蚕、機織などの技術を発揮して栄えました。

山背国からは丹波国桑田郡(現在の京都府亀岡市)にも進出し、湿地帯の開拓などを行きました。

戦国時代の丹波の武将である川勝 広継(かわかつ ひろつぐ)は、光照(みつてる)とも称したのです。

本姓は秦氏で、秦河勝の後裔とされます。

またの名を下田氏という川勝氏は丹波国桑田郡・船井郡内を知行し、室町幕府に仕えてきました。

秦氏は、『日本書紀』で応神天皇14年(283年)に百済より百二十県の人を率いて帰化したと記される弓月君を祖とします。

『新撰姓氏録』によれば秦の始皇帝の末裔とされるが、その真実性には疑問が呈せられており、その出自は明らかではありません。

だがこの秦氏には、ユダヤ人説が出されています。

佐伯好郎は秦氏は景教、つまりキリスト教のネストリウス派のユダヤ人であるとの説をとなえたが、飛鳥昭雄によれば晩年には原始キリスト教徒説に変わっていたと言うのです。

 原始キリスト教とは、最初期のキリスト教のことですね。

イエスの直弟子である使徒たちがユダヤ、ガリラヤにおいて伝道活動、つまり布教を始めた時代より、新約聖書の主要な文書が成立した後の西暦150年頃までをいいます。

飛鳥昭雄と三神たけるなどは、イエスの直弟子の直系であるエルサレム教団であると主張します。

エルサレムに定住していたエルサレム教団は、「第一次ユダヤ戦争」が勃発するやいなや、戦火を逃れてエルサレムを離れてしまったと言われています。

4世紀の神学者エウゼビオスの『教会史』によるとエルサレム教団は、第一次ユダヤ戦争が本格化すると見るや、エルサレムを脱出し、ガリラヤ湖南方、ヨルダン河東岸にあるペラというギリシア人都市へ集団移住したというのです。

だが、エルサレム教団は、古代ローマ帝国、ユダヤ教保守派、さらには非ユダヤ系イエス信者たちからの2重3重の迫害、弾圧、差別を、一身に受けることとなったといいます。

そして、ベラを後にしたエルサレム教団は、その後消息を絶つのです。

 飛鳥昭雄と三神たけるは、そのベラで消息を絶ったエルサレム教団が秦氏の正体というのですか。

秦(ハタ)とは、ユダヤの発音であるイエフダ―から、イエハダー、ハダに転訛し、さらに濁点がとれてハタとなったと見ています。

 そして、その秦氏の拠点に丹波も含まれます。

 ナニャドラヤは、ヘブル語で解けると説があります。

ナニャドヤラとは、「ナニャトヤラ」とも言われる青森県南部から岩手県北部にかけての地域及び秋田県鹿角地方の旧南部藩領内に伝わる盆踊りです。

ネコにゃんにゃんの歌は、元々は歌垣の歌かも知れないと、この歌を聞かされた人は推論しています。
http://www3.ocn.ne.jp/~hikarion/hikarinokai/reigen2.html

ニャンニャンと聞こえることから南部の猫歌と呼ばれるナニャドラヤもまた、土地の老若男女が夜を徹して踊りながら歌い、この晩だけは普段思い合っている男女が夜陰にまぎれて思いを遂げることを許されていたというのです。

 出雲童歌「ネコにゃんにゃん」から、バステトの大祭を連想したこともあったでしょ。

男女の出会いの場として見た場合、バステトの大祭もまた、一種の歌垣とみても、面白いですね。

ナニャドラヤは、「ニャニャドヤレ」だか「ニャニャドヤラ」とかいう風に聞かれもし、歌われもしていたといいます。

 そうなると、ナニャドラヤにも歌垣の要素があるから、ネコにゃんにゃんの歌は、元々は歌垣の歌かも知れないという解釈と重なります。

ナニャドラヤの伝わる地域の一つである戸来村は、現在の青森県三戸郡新郷村大字戸来にあたります。

戸来(へらい)には、ヘブライからの転訛という説があります。

もっとも、イエスの時代はアラム語を話していたはずだから、偶然似てるだけと、一笑に付す人もいます。

だが、こう言う証言もあるのです

村の赤ちゃんには、魔よけとして額にクロス、すなわち十字を書く習慣があった。

村の野良着は、ユダヤの民族衣装に酷似していた。

赤ちゃんの揺り籠は、ユダヤの伝統的な揺り籠と同じ形態であった。

沢口家当主の容貌は、一見、青眼に彫りの深い外国人のような顔だちであった。

この沢口家の当主の祖先、なんとキリストの娘をキリストの娘を嫁にもらったと伝わるらしいですよ。

 実際は、原始キリスト教徒の娘かも知れない。

東北もまた、秦氏の進出した土地なのです。

 そして、秦氏にはユダヤ人キリスト教徒説があります。

 矛盾しないですね。

現在キリストの墓とされる場所の横には、イスラエル大使館が立てた記念碑が建立されているといいますよ。

 出雲童歌「ネコにゃんにゃん」の出雲が、京都の丹波であってみれば、ナニャドラヤの伝わる地域とは、秦氏で繋がりますね。

ますます、ネコにゃんにゃんの元歌が、ナニャドラヤである可能性が見えてきたようですね。

追記

出雲童歌「ネコにゃんにゃん」の歌詞はここに収めました。

この歌についての情報募集中です
http://cova-nekosuki.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_78ef.html

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やはり日本はキリスト教的な国?

日本の英語教育に、こう想うことがあります。

欧米理解も結構だが、やはり日本の歴史文化伝統を自分の言葉で語れる教育は必要ではないでしょうか。

今でも世界から見れば、十分ミステリアスな国ではないでしょうか。

自分自身に語るネタがなくても、古代から現代まで一貫性のある日本はネタの宝庫と言えます。

まず、ネタの宝庫である日本を日本語で語れない人に、英語で語れるわけがないです。

 語るべきものもないのに、英語で何を話すのかしら。

買物や、観光で行くだけなら、きめ細かく世話をしてくれるツアーのなかから、行きたいものを探せばいいだけの話ではないでしょうか。

語るネタの話の一つに、歴史があり、その背景についての考察があります。

欧米では、あなたはどう考えているかが、しばしば問われるからです。

古代から連綿と続く天皇と共存しながらも、近代化を自力で成し遂げたアジアで唯一の国が日本と言って良いでしょうね。

それが可能だった背景には、やはり、日本版教皇ともいえる立場を築いて、あたかも欧州キリスト教国と似通った歴史を辿ってきたことは大きいです。

これは天皇制への好き嫌いに関係なく、認めるべき事でしょうね。

世界に先駆けて近代に突入した欧州は、キリスト教国が多いです。

興味深いことに、アジアで唯一自力で近代化した日本も、フランシスコザビエルに自分は日本布教の二番手だったかと慌てさせるほど、精神文化はキリスト教に近いといいます。

つまり、近代化の背景にキリスト教ありということなようです。

 日本の精神文化はどこが、キリスト教的かというと。

日本は、東日本大震災で、世界を驚かせたのです。

彼らが驚いた理由とは、これほどの大災害でありながら、略奪も、暴動も、パニックも、起きないばかりか、救援に対しても大人しく順番を守って、並んだことであります。

被災者は、こういうでしょうね。

自然が相手じゃ、仕方がないじゃないか。

困ったときはお互いさま。

 このような気持ちに彼らをさせている精神文化の背景には、何があるのかしら。

ここにこそ、フランダースの犬の主人公であるネロが、日本人の心をつかんで離さない訳があるのではないでしょうか。

ネロは、どんな困難な中でも、笑顔と優しさと素直さを、忘れなかったのです。

言われなく迫害された時でさえ、誰にも愚痴も恨み言も言わなかったのです。

死に直面した時でさえ、笑顔と優しさと素直さを、忘れなかったのです。

作品に登場人物たちの礼拝の場面こそないが、ネロも含めて全員がキリスト教徒であることは言うだけ野暮でしょう。

 ネロは、むしろ模範的なキリスト教徒だった…。

実在していたら、セント・ネロと言い得るくらい模範的なキリスト教徒と呼ばれたでしょうね。

 ここに多くの欧米人は、気づけていない…。

もちろん、大半の日本人も気づいてはいないでしょうね。

 そのネロの生きざまに、多くの日本人は共感の涙を流す…。

 欧米では、負け犬としか見られていないのに…。

イエスは言う、神の教えの根本とは、愛であると。

そして、イエスはこうも言います。

寛容であれと。

どんな状況下であれ、愛と寛容を忘れるなと。

神は、試しのために試練を与えられます。

平時に、愛と寛容を言えた人でも、困難に直面しても貫けないなら、神は悔い改めを求めると。

キリスト教には、多くの殉教者がいます。

殉教者の一人目が、イエス自身と言って良いでしょうね。

十字架が迫ってきたとき、そして十字架の上でさえ、イエスは嘆きもぼやきも愚痴も言わなかったのです。

こう言い返す人がいるでしょうね。

「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」(わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか)と、言っていたではないかと。

これは、旧約聖書詩編第22編の冒頭に出てくる言葉だと指摘されています。

続く言葉には、イエス受難の預言詩とも取れる、内容が綴られています。

嘆きやぼやきや愚痴どころか、預言は成就したと、十字架の上でさえ語ろうとしていたのです。

聖書の詩篇にはほかにも、詩編第22編の冒頭の言葉と良く似た文章を見つけることが出来ます。

例えばここです。

長くなるが、理解してもらいたいのであえて引用します。

第6篇

6:1 主よ、あなたの怒りをもって、わたしを責めず、あなたの激しい怒りをもって、わたしを懲らしめないでください。

6:2 主よ、わたしをあわれんでください。わたしは弱り衰えています。主よ、わたしをいやしてください。わたしの骨は悩み苦しんでいます。

6:3 わたしの魂もまたいたく悩み苦しんでいます。主よ、あなたはいつまでお怒りになるのですか。

6:4 主よ、かえりみて、わたしの命をお救いください。あなたのいつくしみにより、わたしをお助けください。

6:5 死においては、あなたを覚えるものはなく、陰府においては、だれがあなたをほめたたえることができましょうか。

6:6 わたしは嘆きによって疲れ、夜ごとに涙をもって、わたしのふしどをただよわせ、わたしのしとねをぬらした。

6:7 わたしの目は憂いによって衰え、もろもろのあだのゆえに弱くなった。

6:8 すべて悪を行う者よ、わたしを離れ去れ。主はわたしの泣く声を聞かれた。

6:9 主はわたしの願いを聞かれた。主はわたしの祈をうけられる。

6:10 わたしの敵は恥じて、いたく悩み苦しみ、彼らは退いて、たちどころに恥をうけるであろう。

こちらも、似ている印象を受けます。

第13篇

13:1 主よ、いつまでなのですか。とこしえにわたしをお忘れになるのですか。いつまで、み顔をわたしに隠されるのですか。

13:2 いつまで、わたしは魂に痛みを負い、ひねもす心に悲しみをいだかなければならないのですか。いつまで敵はわたしの上にあがめられるのですか。

13:3 わが神、主よ、みそなわして、わたしに答え、わたしの目を明らかにしてください。さもないと、わたしは死の眠りに陥り、

13:4 わたしの敵は「わたしは敵に勝った」と言い、わたしのあだは、わたしの動かされることによって喜ぶでしょう。

13:5 しかしわたしはあなたのいつくしみに信頼し、わたしの心はあなたの救を喜びます。

13:6主は豊かにわたしをあしらわれたゆえ、わたしは主にむかって歌います。

イエスは天の神である御父に、あなたの御心のままになさってくださいと、ゲッセマネで祈ったのです。

この杯を退けてくださいと、弱音は言ったけれど、すぐに、御心のままになさってくださいと、言い直しています。

そして、一心不乱に祈って、必死に不安と闘い、乗り越えられたのでした。

だとすれば、十字架の上でイエスは死に直面してまで、御父を賛美し、詩篇の一節を口ずさんだとみるほうが自然でないでしょうか。

仕方がないといって、受け入れた点で東日本大震災の被災者たちとどう違います。

困難の直面しても、パニックに陥ってない東日本大震災の被災者たちとどう違います。

悲劇の中でさえ、人の心に思いをはせる東日本大震災の被災者たちとどう違います。

この心の壺に、フランダースの犬の主人公のネロは、あまりにぴったりと嵌ったとは、言えないでしょうか。

そして、この精神文化こそフランシスコザビエルに、自分は日本布教の二番手だったのかと慌てさせたものではないでしょうか。

極東の、キリスト教的精神文化の国だったからこそ、日本もまた西欧型の近代への歩みを進めたのだと見ても、面白い気はします。

どんなもんでしょう。

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「蛇のように賢く、鳩のように素直であれ」と原罪について考えてみた。

蛇は、一般的にはあまりイメージが良くないけれど、聖書に依れば賢い動物ということになっています。

創世記の蛇の誘惑の記事に、野の生き物で最も賢いのは蛇とあります。

マタイ10章には使徒の派遣の記事に「蛇のように賢く、鳩のように素直であれ」とイエスは教えています。

 なぜ、蛇が賢いのか今一つ分からない。

 日本でも神様みたいに扱われますよね。

 どうしてでしょうね。

蛇は、神の使いや神の言葉の象徴でもあります。

サタンは神の言葉を伝える使いでありながら、神意を取り違え堕落したとみられています。

 蛇がそのしたたかさから、魔神の使いと見なされるのは古今東西を問わないようですね。

 アルビノの蛇を、神の化身として崇めたりします。

白は光や霊性の象徴の色でもあります。

蛇は言葉、とりわけ神の言葉の象徴だが、悪の蛇サタンとの両義性が厄介です。

 蛇は聖書で賢いものとして描かれている反面、ヨハネ黙示録では、邪悪な存在とされたりしていますね。

 姿形から来るのでしょうか?

邪悪な存在としての蛇は、堕天使サタンとなったルシファーの象徴です。

邪悪な存在としての蛇は、エデンの園の蛇が有名ですね。

 蛇はサタンとして堕罪のきっかけを作ったわけですが、人が神に成り上がろうとする傲慢、神から離れさろうとする背きの罪が堕罪の記事では問うているのだと思います。

神は、アダムとイブに死の運命を課しエデンの追放で済ませています。

毛皮さえ着せています。

人は自分の罪で裁かれるとあります。

神は二人の神への怖れを悔い改めとして受け入れたがけじめを付けられたのでしょう。

 しかし蛇が私を騙したといって責任逃れするエヴァの言葉は神様に正しく応答しない罪の姿をさらしているでしょ。

 それが私、つまりエヴァの罪の姿と重なる。

 罪の赦しは十字架の贖いによるしかない。

神は、怒りを恐れ死を覚悟したアダムとイブを憐れんで追放で済ませたのは確かです。

一方で、神は、善悪を知る樹の実を食べることで齎される死の宣告を撤回しなかったのも、また、確かです。

二人の背きによって人類に堕落が始まり、イエスの贖罪を受け入れることが許しの条件となりました。

 そしてまた、人の世界に死もやってきた。

そういうことでしょうね。

 アダムとイブの堕落自体は、二人が神を畏れたことで許されたと、思って良い。

神が罰するときは、容赦なくその場で罰するでしょ。

 蛇にかけられた呪いのように。

そういうことでしょう。

 アダムとイブは、追放で許されたばかりか、毛皮まで着せてもらっている。

 善悪を知る樹の実を食べた一件は、アダムとイブで済んでいると言う見方もできる。

実際、そう見る宗派もあるようです。

だが、この一件によって、堕落が人類に入ったと聖書は伝えているわけです。

 神の声としての蛇と、背きの象徴としての蛇、蛇には二面性があるわけでしょ。

 蛇のように賢くと言うけど、蛇は狡賢く振る舞った結果、神の怒りも招いた。

蛇は賢く振る舞っているだけなら、神の怒りは免れたでしょうか。

 自分の賢さを過信し、神の怒りを招いてしまった。

神に対して素直に従う心を忘れたから、まずかったとも言えるでしょ。

 その素直さの象徴が、聖霊の象徴でもある鳩だった。

聖霊は、神に逆らいませんからね。

 「蛇のように賢く、鳩のように素直であれ」とは、賢く振る舞っても良いが、素直さを忘れるなという戒めでもある。

そうかも知れないですね。

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ファラオの顔。

ファラオについて私が見たとき、Wikipediaでは、この記述に要出典の突込みを入れていたのです。

ファラオのDNAの調査報告において、人種は公表されていない。

しかし、ファラオの彫像から、その面立ちの8割以上が、前頭骨眼窩部の隆起が少なく眉から瞼にかけての傾斜がコーカソイドやネグロイドよりも平坦で、また、頬骨に対して涙骨の窪みが目立ち、モンゴロイドの特徴を呈していることが、知られている。

特に、モンゴロイドの特徴を呈していることが、知られているという部分に、出展明示を求めているように思えるのです。

だが、思い起こしてほしいのです。

日本人女性の多くが、先の尖ったローマンタイプの靴で外反母趾になるのは、6割から7割がエジプト型タイプの足のせいと言われているのです。

エジプト型は、親指が一番長く、小指にむけて短くなる形です。

さらに、味の好みまで似ているのです。

身体的特徴と、味の好みまで近い日本人とエジプト人なら、ファラオの顔にモンゴロイドの特徴があっても、おかしくないのです。

 そういえば、宗教も動物を含む八百万の神々を信仰し、しかも中心は太陽神であり、それも三神構造ということまでそっくりよね。

神殿さえも、拝殿と本殿を分ける構造ばかりか、オベリスクと鳥居という二本柱を前に立てることまで似ているのです。

 違いと言えば、日本では偶像の代わりに賽銭箱があることと、石の代わりに木で出来ていることくらいね。

 そうそう、身体的といえば、日本人の濃い顔の人にそっくりなイタリア人多いよね。

 テルマエロメオという漫画の実写版作成の際、ローマ人男性役の俳優、全部日本人で間に合わせたのに、ローマで上映したら、ローマ人そっくりと現地の人に言われたそうね。

 そして、エジプトも濃い顔が多いそうよ。

ローマ帝国は地中海を制圧したはずなのに、エジプトはアフリカの地中海沿岸のどの地域より、濃い顔が多いようですね。

 ローマ帝国におけるエジプトの重要性だけでは、説明はつかないよね。

イタリア料理も、日本人好みだし、日本の食材でイタリアンに売り込めそうなもの結構あるのですからね。

顔と味の好みが見ているイタリア同様、濃い顔の人がいて、6割から7割がエジプト型タイプの足とくれば、顔が似てない訳がないですよ。

実際、わざわざ歴代ファラオの彫刻や絵の写真から、顔の部分だけ集めて比較した人がいるのです。
エジプトのファラオ一覧
http://park.geocities.jp/j_con4/Z08/pl248.html

見て思うのは、顔の部分だけ見せてどこの人か当てさせたら、まず、十中八九、アジア、それもキルギスなど中央アジアや日本を連想するだろうということです。

 一部、中国を連想できそうな人もいるが、韓国や朝鮮を連想できる顔は一人もいませんね。

後半になるとギリシャ系ファラオもいるけど、ギリシャ的な顔の人も日本にはいるのですからね。

 足の形でもエジプトタイプについで多いのがギリシャタイプだし、秋田美人の典型はミロのビーナスという指摘もあったのね。

ええ、典型的な秋田美人の顔は、その輪郭・目鼻立が、ミロのビーナスに瓜二つと言うのです。

ことに秋田美人は、肌は白人並みに白く艶があり、長身でスタイルが良いので有名です。

 或化粧品メーカーが、県南部、つまり大曲・角館・横手・湯沢周辺の平均的な女性を選んで調べた結果だったね。

神話も、ギリシャとの類似を指摘する人は多いですよ。

和裁の鋏も、ギリシャタイプなわけですし。

東北には、いわゆる瓜実顔と言われる顔の美人が目立つのです。

瓜実形の特徴は、面長で奥二重、頬から顎にかけてすんなりした優しい線です。

鼻筋が通っており、目は一般にすがすがしいと言われるすっと横長に伸びた形です。

大陸・白人系の血を引いているからではないか、と言う調査結果もあるのです。

今でも「先祖がえり」というか、青い眼の子供が生まれると聞くのです。

 秋田犬も血液型を調べたら、ヨーロッパタイプでしたね。

さらに、犬や猫、特に犬を指すアイヌ語とエジプト語の類似には改めて驚いたのです。

 猫のチャペについては、転化の形を比べていくとオッタからの変化である可能性が見えてきたのでしたね。

余談だが、ネコの語源については、先ほどのファラオの顔を集めていたサイトでは王朝の都に猫の神殿を作ったりしたネコ2世の名前がそうではないかと言う説を立ててるのです。

ネコというのは古代ギリシャ読みで、正確にはネカウ(Nekau)と言うそうです。

もちろんネコ1世もいて祖父にあたるのです。

ネコ2世の統治するエジプトを攻略するのに、ペルシャ軍は猫を使ったというくらい猫にまつわるエピソードのあるファラオなので、そういう連想をされても仕方がない所はあるのです。

飛ぶ鳥の「あすか」から、飛ぶ鳥と書いて飛鳥(あすか)となったように、猫を祀るネコ2世の神殿からネコの神殿と綽名がついた可能性はありそうですから。

古代エジプト語のネカウ(Nekau)がどういう意味かは、わからないです。

ただ、アラブ語やペルシャ語、ヘブル語にはneko(ネコ)とか、neku(ネキー)と読める言葉があるのです。

ヘブル語では、こういう意味です。

勝つ、勝利する。(音楽で)指揮する。
永遠、不滅なものにする、永久に記念する。
輝き、光輝、栄光。
永遠、永久、不滅。

ファラオの名前の意味としては、いかにもふさわしそうですね。

なお、ペルシャ語ではこういう意味だそうです。

敬虔(父母や長上に対する)、敬服、恭敬の態度。
貧しい者に対する惜しまざる施し。慈悲心に富む事。
誠実・正直。他人に対して悪評を下さない事。
善。善行、恩恵。
美しさ、優雅さ。

こちらも、ファラオの名前の意味としては、ありそうです。

じゃ、イヌのほうはどうかというと、この種の話はまだ知らないです。

良く調べれば、何か面白い説もあるでしょうね。

それはさておき、ファラオは地上の太陽神ラーとされ、天皇は太陽神の子孫とされるから、ここでも似通っているのです。

皇室の祖先神天照は、もともとは男神の天照国照彦とする解釈もあり、これが正しければさらに似てくることになるのです。

ついでに言えば、ラーは猫神で天皇の尊称も根子であるばかりか天皇を指す隠語は猫という指摘まであるから、面白いですね。

 先ほどのサイトだけど、ファラオの目、二重ですかね。

はっきりわかり難いのもあるが、そう見えるのも結構あるのですね。

 エジプトの考古学者ザヒ・ハワス博士も、二重だったよね。

 この人の顔も、日本に似た顔の人いそうな気がするね。

 エジプトの大統領と言えば、ナセル大統領がいたのね。

ガマール・アブドゥル=ナーセルがフルネームですね。

日本ではナセルという表記が一般的であるが、ナセルあるいはナーセルは父の名アブドゥルナーセルの後ろ半分で、姓ではないですよ。

汎アラブ主義を主張し、1958年、エジプトとシリアから成るアラブ連合共和国を建国してその初代大統領に就任した事で知られるのですね。

 日本ではナセル大統領で知られる彼の顔も、日本で見かけそうよね。

 ふと思ったけど、エジプト考古学の吉村作治教授の顔、エジプトの考古学者ザヒ・ハワス博士の顔、ナセル大統領の顔、どことなく傾向が似てませんか。

 吉村作治教授、親近感を覚えてエジプトにのめり込んだのかしら。

言われてみれば、なんとなく似てるかも…です。

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てるてる坊主と日の丸?

西日本に行くと、てるてる坊主が三つ、中には、二つの場合もあるようですが、注連縄に下がってるところがあるそうです。

 三つのてるてる坊主なら絶対三神、二つの場合は御父と御子かといったら、飛鳥昭雄と三神たけるもそう思ってるようですね。

てるてる坊主は、神の怒り除けでしょうか。

まさか、ハレルヤだったりして。

二つなら陰陽、三つなら生旺墓かもしれないですよ。

これに対しても、てるてる坊主は1つでも生命の樹だと言ってますね。

 絶対三神は、生命の樹の三本柱であるとともに、御父と御子と聖霊も、それぞれ独立した生命の樹でしょ。

それはそうです。

でも、私はそこまで触れなかったが、飛鳥昭雄と三神たけるの発言は及んでますからね。

 さらに、てるてる坊主は雛人形のルーツである天児(あまがつ)や這子(ほうこ)、特に案山子に似た天児と同様な呪術用の形代として人形と言ってますね。

案山子という字を見て、何か連想しませんか。

 案には、いろいろな意味がありますね。

 原案や計画などのような、物事を決定するための案。

 台または机、特に神道において使われる台または机で、しばしば神具が置かれる。

 案文など、前近代における公文書の草案のこと。

 この案に山と子…。

 山上の訓戒で知られる天の神である御父の声として生まれた御子。

 イエスを連想できますね。

しかも、天児やてるてる坊主を、ラテン十字の上部がループ状の楕円となった形状をしているアンク十字だと言ってますよ。

 それって、案山子は田畑にアンク十字が立ってるのと同じだと言ってることになりませんか。

なるでしょうねえ。

そもそも、 Ankh という古代エジプト語自体が生命を意味しており、生命的宗教的象徴とされます。

 十字が地の四方を指すとともに、北は天で南は地に配されるのが陰陽でしょ。

 これって、古代エジプトに陰陽思想があったと言ってるに等しい。

ナイル川の東西で、生者の町と死者の町を分けてるでしょ。

 まさに、陰陽…。

でしょ。

 円は天の象徴で、その円を四方を指す十字の天に配している…。

さらに、飛鳥昭雄と三神たけるは、てるてる坊主を前方後円と言ってます。

 そして、案山子に似た天児をてるてる坊主と同じ呪術の形代であるとともに、生命の樹と言ってます。

そして、天から恵みを求める呪術だと言っているのです。

 そうなると、案山子もまた、天から恵みを求める呪術…。

しかも、前方後円ということは、円天方地でしょ。

それも、方形は円に刺さる三角の下半分に似た台形です。

 そうなると、円天方地角人…。

こうなると、てるてる坊主、天児、案山子は、実はどれも円天方地角人となりませんか。

 飛鳥昭雄と三神たけるが次に言いそうなことは…。

日の丸はもともとは、正方形と内接円でした。

てるてる坊主を上から見てください。

 丸の周囲にちょっといびつだけど四角が囲む。

 ほぼ、正方形と内接円…。

 日の丸!

日の丸は、てるてる坊主だと、そのうち言い出しそうな気がしますよ。

 そ、そんな…。

 今まで気楽に歌ってた…。

 てるてる坊主、てる坊主。

 明日天気にしておくれ。

 しなけりゃ頭をちょんぎるぞ。

神に求め、祈るには本気で心から捧げないと、神も本気で応えてくれないでしょうね。

 そういえば、晴れると、日頃の行いが良かったって、よく言いますね。

 というと…。

 日本人、日頃の行い良くしないとまずいじゃないですか。

そうしないと、神の怒りが来ますよ。

皆さん、備えた方が良いよと、飛鳥昭雄と三神たけるは言い続けてますからね。

 二人が言わなくても、聖書は昔から言ってるでしょ。

ほとんどの日本人が読んでないから、自分たちが言わなきゃって思ってるのでしょうね。

 本当は怖い、てるてる坊主…。

そういえば、カッバーラは、大きな事は小さい事に、小さい事は大きい事に、隠すそうですよ。

 無限入れ子…。

そうやって、一見するとわかり難いようにわざとしてるとか…。

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士師と土師?

聖書には士師(しし)記と題された記事があります。

 検索すると、士師ではなくて、土師(はじ)と記す場合もありますね。

長年牧師をした人でさえ、士師と記したり土師と記したり、するくらいだから混乱はあるようですね。

そこで私も、小林氏についての議論の中で土師の方を用いて、議論を展開しました。

 でも、今回は、聖書に従って士師の方を採用するわけですね。

私の持っている、新共同訳と口語訳は、どちらも士師記としていますからね。

ところが面白いことに、新共同訳では士師と呼ばれる人たちが登場するが、口語訳には登場しないのです。

その代わり、さばきつかさとよばれる人たちが、登場します。

この、さばきつかさと呼ばれる人々が、士師のことなのです。

ただ、比べると不思議なことがわかります。

新共同訳では、士師として裁いたと、どういう権限で行ったか記される箇所が、口語訳では裁いたとだけ記される事が多いのです。

 口語訳では、ひらがなですけど。

柔らかい感じを出したいからでしょうね。

「士師」あるいは「さばきつかさ」は"שֹׁפְטִים"の訳です。

"שֹׁפְטִים"は、現代でいえば裁判官に当たります。

「士師」はさしづめ、師匠格の弁護士ということでしょうか。

「さばきつかさ」なら、つかさは仕切り役とすれば裁きと仕切り役の二役をこなす指導者ということになります。

そこで、英語版では、judgesとか、leadersなどと訳されます。

 いいかえれば、英語では、適当な訳がないことになりますね。

英語に適当な言葉がないと言うより、やろうとすると長くなるから、裁きと仕切り役、あるいは指導者と、どちらの側面に重点を置くかで訳語を選んでいるということでしょうね。

逆に欧米の言葉にあって、日本語に対応する言葉がなくてそのまま使う場合もあるから、お互い様ですよ。

土師は、祭事用土器を掌った人たちです。

士師は、裁きを掌った人たちです。

 こうしてみると、混同されるはずのない人たちですよね。

しかし、古代において法とは神から出たものとされたから、祭事という共通点は持っていました。

さらに、祭事用土器は、芸術性も求められるかもしれないけれど、基本的には教えに精通していないと、神の意に沿った造形はできません。

 じゃあ、フリーメイスンがもともと、神秘思想に通じた腕の立つ石工集団であったのと、似てきますね。

土師器は、もともとは古墳時代以来の素焼きの土器で、それを作る工人が土師(はにし)と呼ばれていました。

「はじ」は、この「はにし」の変化した呼称とされます。

デザインは、今でこそ好みの反映だが、古代においては宗教観や世界観の反映でした。

土師は、陵墓の造営や大王の葬送儀礼などにも関与する存在として土師氏という氏集団を構成しました。

土師氏からは、やがて、菅原氏、秋篠氏、大枝氏や大江氏が派生していきます。

土師氏は、アマテラスとスサノオが誓約をしたときに、アマテラスの右のみずらに巻いた勾玉から成った天之菩卑能命、天菩比神などとも記される天穂日命を祖神とする一族です。

具体的には、天穂日命の14世の子孫であると伝えられる出雲国の勇士、野見宿禰から出たとされます。

 垂仁天皇の命により当麻蹴速と角力(相撲)をとるために出雲国より召喚され、蹴速と互いに蹴り合った末にその腰を踏み折って勝ったのでしたね。

 蹴速が持っていた大和国当麻の地、現在の奈良県葛城市當麻を与えられるとともに、以後垂仁天皇に仕えたのでしょ。

垂仁天皇の皇后、日葉酢媛命の葬儀の時、それまで行われていた殉死の風習に代わる埴輪の制を案出し、土師臣(はじのおみ)の姓を与えられました。

後裔氏族である土師氏は、代々天皇の葬儀を司ることとなったといいます。

石工との繋がりと言えば、野見宿祢の「野見」は、石材を加工する際に使われている道具である「ノミ」と関連があるとみられてます。

ここから、野見宿祢が石材とかかわっていたと推定されることもあるそうです。

この伝承は、石材を供給する二上山の支配権が、在地の当麻氏の手から、野見宿祢に移ったことを示唆するとみられています。

 畿内で、石工と言えば、まさにフリーメースンが連想できる神仙思想に通じた腕の立つ石工集団がいたと推定される遺跡もありますね。

酒船石と亀型石造物などから構成される、酒船石遺跡ですね。

 酒船石については、飛鳥昭雄と三神たけるなどは、生命の樹の造形だと指摘していますね。

酒船石と言われるけど、亀型石造物と一組で考えた方がよさそうな構造物だそうです。

ついでにいうと、菅原氏から公家の五条家が出たが、五条家は野見宿禰の子孫であることから相撲司家となりました。

 相撲は競技というより、神事に近い国技とされますね。

このことは、日ユ同祖論の中では、神の使いとの相撲に勝ってイスラエルの名を受けたヤコブの故事を連想できるとして、論拠の一つになっていますよ。

 そうしてみると、土師は単なる技能集団とは見えなくなりそうですね。

天皇と深く関わる神社と、密接な繋がりが見える林の付く氏族、林氏、小林氏は、祭司をだしていた一族です。

そしておそらく大林氏や中林氏も、この流れでしょう。

 そういえば、林氏は、拝志あるいは拝師(ハエシ)とも記されるので土師との関連を疑いましたね。

古代氏族の林姓としては、河内国志紀郡拝志郷から起こった武内宿禰の子孫波多氏族の林臣が知られます。

林臣はのちに朝臣姓を賜り、河内から近江に広まったのです。

そして、河内と言えば、大和のすぐ隣です。

野見宿禰に敗れた当麻蹴速の土地が、大和の当麻ですよ。

 まさに、石工、それも、神仙思想に通じた腕の立つ石工集団であったと見たくなる人々の地ですね。

士師と土師、紛らわしい漢字を使っているのは、偶然ではないかもしれないですね。

 小林氏と、奇妙な繋がりの見える賀茂神社、諏訪大祓との繋がりが見える肥田氏、まさに、土師は日本の士師になりえた可能性が垣間見えますね。

可能性、だけですけどね。

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出雲童歌「ネコにゃんにゃん」とナニャドラヤ?

出雲童歌「ネコにゃんにゃん」について、どんな些細な情報でも良いから欲しいと、聞きまわっていました。

すると、こんな感想が寄せられました。

イスラエルの民謡の特徴の一つは 同じフレーズを繰り返すことらしいですよ。

ネコにゃんにゃんは繰り返していますから、やはりイスラエル縁の民謡でしょうね。

そして、埴輪の中にユダヤ人の特徴的身なりとよく似たものがあると、指摘してくれました。

それは、大きな丸いつばのついた帽子をかぶり長いもみあげを垂らした男性像です。

オクマン山古墳出土埴輪鷹匠と、説明には書いてありました。

これは現在、新田荘歴史資料館に展示されています。

大きな丸いつばのついた帽子をかぶり長いもみあげを垂らせばユダヤ人男性の特徴というので、ハロウィンのコスプレ用グッズにも、ぺオートと呼ばれる独特なもみあげ付き帽子が売られているのを検索で見つけました。

埴輪の時代には、わざわざユダヤ人の格好に扮して遊んだ人もいないだろうから、ユダヤ人を模ったとしか見えなくなりました。

 出雲と東日本、離れてますね。

でも、思い出してください。

松本清張の「砂の器」では、出雲の辺りと東日本では似た言葉が話されていると話題にしていました。

 でも、問題はネコでしょ。

 しかも、踊っている。

それについても、興味深い情報をくれました。

ナニャドヤラは、にゃん にゃんと聞こえるので、猫歌というみたいですね。

 猫歌と呼ばれるとは興味深いですね。

ナニャドヤラとは、「ナニャトヤラ」とも言われる青森県南部から岩手県北部にかけての地域及び秋田県鹿角地方の旧南部藩領内に伝わる盆踊りです。

踊りに定型はなく、地域によって、あるいはひとつの地域に何種類も伝わっているそうです。

ナニャドヤラは盆踊りでの「はやし歌」の歌詞からとられた名称です。

長い間、さまざまに解釈されてきたナニャドヤラの歌詞は、歌の中でのはやし言葉として現れるといいます。

歌詞は地域によってもばらつきがあり、さらに、研究者が方言を聞き取って表記したため、さまざまな文献によって表記が異なるらしいです。

現在行われている「ナニャドヤラ大会」で見られる歌詞は以下の通りです。

ナニャド ナサレテ ナニャドヤラ

ナニャドヤレ ナサレデ ノーオ ナニャドヤレ

ナニャドヤラヨー ナニャド ナサレテ サーエ ナニャド ヤラヨー

ナニャド ナサレテ ナニャドヤラ ナニャド

南部地方以外の人にはニャンニャンと聞こえたため、「南部の猫唄」と呼ばれていたといいます。

土地の老若男女が夜を徹して踊りながら歌い、この晩だけは普段思い合っている男女が夜陰にまぎれて思いを遂げることを許されていたというのです。

出雲の童歌「ネコにゃんにゃん」と「バステトの大祭」と比べたことがありました。

バステト女神は、古代エジプトのネコの頭部と、女性の身体をしたエジプト神話の、喜びと、豊穣、性愛、音楽とダンスを好む踊りの陽気な女神です。

人間を病気や邪悪な霊から守る、慈愛に満ちた女神でもあります。

ちなみに、バステトという名前そのものは、「軟膏壷の婦人」という意味だそうです。

壷の軟膏は、薬であったと考えられます。

バステトの大祭では、猫と踊りと太陽と愛の神様でもあるので、ワインやビールを飲み交わし、飲んで歌って騒いで大騒ぎをします。

バステトは性愛の女神でもあるから、普段思い合っている男女が夜陰にまぎれて思いを遂げたこともあったかもしれません。

古代エジプトは、結婚は決められた相手としなければならない代わりに、恋愛はかなり大らかだったそうです。

恋愛について女性が残した文章の中には、水浴びを見せて欲しいと言われたい、というのもあるといいます。

吉村作治教授によると、結婚は、年齢によってカップリングになるかどうかが変わってきますので、年齢制限のようなものはありませんでした。

男性で15歳、女性で13歳にもなれば、結婚はできたそうです。

 水浴びを見せて欲しいと言われたいと書き残した女性は、10代半ばだったのかしら。

ナニャドヤラには、さまざまな説が出ています。

柳田国男の恋の歌説。

青森県八戸市の中里義美氏の道歌説。

南北朝時代、長慶天皇が足利氏に追われ、三戸郡名久井岳の近くに隠れ住んだ際に、味方に無事を知らせる内容を里人に唄わせたという梵語説。

そして、岩手県一戸町出身の神学博士・川守田英二が大正時代に唱えたヘブル語説。

川守田英二によると、「ナギャド」は、「前方へ」という副詞と「指導者」という名詞になっているというのです。

また、「ナサレ」は「掃蕩」と解釈でき、「ナギアドナサレ」は、「前方を掃蕩する」という意味だといいます。

そこでナニャドヤラは進軍歌であり、「御前に聖名をほめ讃えん 御前に毛人を討伐して 御前に聖名をほめ讃えん」という意味だと発表したのです。

川守田英二の解釈で良いかどうかはさておき、ナニャドヤラがヘブル語とすれば、少なくとも中東には遡れる可能性は見えてきます。

 そういえば、古代イスラエル人は長年エジプトにいた。

 ナニャドヤラが仮に中東の言葉として訳せるとしたら…。

バステトの大祭が連想できるネコにゃんにゃんの起源は、ナニャドヤラに遡れるかも知れないと考えても良さそうに見えてきますね。

南部地方以外の人にはニャンニャンと聞こえたため、「南部の猫唄」と呼ばれていたというのは、気になります。

ネコにゃんにゃんの歌詞には、こういう部分もあるからです。

にゃんにゃんのん にゃんにゃん にゃんにゃんのん ・・・
にゃん にゃん にゃん にゃん にゃん にゃん

このニャンニャンと歌われた箇所は、実はナニャドヤラだったのでしょうか。

 ナニャドヤラは踊られ、しかも、「南部の猫唄」と呼ばれていた…。

そうなると、出雲にネコがいーたそうな、というのはどういうことなのでしょう。

 ネコの正体、なにかしら。

なにでしょうね。

追記

出雲童歌「ネコにゃんにゃん」の歌詞はここに収めました。

この歌についての情報募集中です
http://cova-nekosuki.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_78ef.html

バステトの大祭とはここで比べました。

出雲の童歌「ネコにゃんにゃん」と「バステトの大祭」?
http://cova-nekosuki.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-b403.html

出雲と東日本はここで比べました。

出雲と関東
http://cova-nekosuki.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-a70a.html

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神輿を据える。

神輿を据えると言う言葉がありますね。

 神輿を据えると、どうなりますか。

神輿は外国人には、a portable shrine と紹介されます。

つまり、引越しをする神社が、神輿なわけでです。

 神輿を据えるとは、神社を安置することになる。

小さな祠が、街中にあるでしょ。

最近は、金具などで台座に取り付けてしまうこともあるけど、基本的には置いてあるだけです。

移動可能なわけですよ。

基本的には、神社は置いてあるだけです。

必要な時には、神と一緒に移動する必要があるから。

 神社は基本的に神輿であり、神輿は基本的には神社である。

神社即ち神輿であり、神輿即ち神社なんです。

こう言う文化を持っていた民族は、歴史的に一つしかありません。

 幕屋を移動させていた時代の、イスラエル。

ヤハウエの雲が移動すれば、アークが移動し、幕屋が移動しました。

 神社の注連縄は、神の蛇を表すはず。

 雲はどこにあるか、ですよ。

注連縄は、雲でもあります。

だから、紙垂も付けば、紐も垂れるわけです。

あれは、雷と雨ですよ。

西日本に行くと、てるてる坊主が三つ、注連縄に下がってるところがあるそうです。

中には、二つの場合もあるようですが。

 てるてる坊主は、神の怒り除けでしょうか。

 まさか、ハレルヤだったりして。

三つのてるてる坊主なら造化三神もありえるが、二つの場合もあるのをどう説明するかですよ。

 三つのてるてる坊主なら絶対三神、二つの場合は御父と御子でしょうか。

あるいは、二つなら陰陽、三つなら生旺墓かもしれないですよ。

 注連縄が雲とすると、神輿はアーク。

本神輿という、言葉があります。

神輿の原型、神輿の大元、ということです。

だが、神輿の上の鳥を見て下さい。

 鳳凰が乗ってます。

鳳凰は、もともと、鳳と凰という、二羽のことです。

 本来の神輿は、鳳と凰という、二羽が乗っているわけですね。

アークを思い出してください。

 ケルビムが二体乗っている。

 ケルビムには羽がある。

となると、神輿の原型はアークにそっくりでないと、いけないでしょ。

 神輿に差す棒は本来二本、アークに差す棒も二本。

しかも全体は金で覆っています。

 材質は木であることも、神輿とアークは共通。

そして、アークも神輿を、据えたところは神社になるわけです。

 さらに、賽銭箱がある。

これは、古代イスラエルの神殿と日本の寺社くらいのものです。

 入り口の前の、二本柱。

これは、古代エジプトと古代イスラエルと日本くらいのものです。

 拝殿と本殿を分ける。

これも、古代エジプトと古代イスラエルと日本くらいのものです。

 神職の衣服の裾に房が垂れる。

これは、古代イスラエルの神殿と日本の神社くらいのものです。

 清めの塩。

これも、古代イスラエルの神殿と日本の神社くらいのものです。

 お祓いをする。

これも、古代イスラエルの神殿と日本の神社くらいのものです。

 そして、神社即ち神輿であり、神輿即ち神社、とすると。

古代イスラエルのアークと、日本の神輿はそっくりでしょ。

 さらに、日本とチベットに古代中東の遺伝子が残る。

 日本はまるで、古代イスラエルが引っ越してきた国。

 これで、もし、日本にアークがあれば…。

いろんな人が、ここだ、あそこだと、言ってますね。

 でも、祀らないとアークじゃない。

飛鳥昭雄と三神たけるは、神宮にあると言ってます。

 どこと言わずに、神宮と言えば、伊勢神宮ですね。

正しくは、伊勢の神宮です。

神宮と言えば、お伊勢様のことですから。

神宮を名乗る社が複数あるので、伊勢の神宮と呼んで、区別するわけです。

 伊勢の神宮であれば、日常的に祀られますね。

そのうち、真相は明らかになるでしょうね。

 何が起こるか、わからない。

その通りです。

いつ、どのような形で明らかになるかは、神のみぞ知る。

 ひょっとして、蘇民将来と関係ある。

さあ、どうでしょう。

飛鳥昭雄と三神たけるは、否定はしないかも。

追記

神職の衣服の裾に房が垂れる。

清めの塩。

お祓いをする。

これは、ユダヤ教も勿論、共通です。

当然、多くの日ユ同祖論者が指摘することになります。

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