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士師と土師?

聖書には士師(しし)記と題された記事があります。

 検索すると、士師ではなくて、土師(はじ)と記す場合もありますね。

長年牧師をした人でさえ、士師と記したり土師と記したり、するくらいだから混乱はあるようですね。

そこで私も、小林氏についての議論の中で土師の方を用いて、議論を展開しました。

 でも、今回は、聖書に従って士師の方を採用するわけですね。

私の持っている、新共同訳と口語訳は、どちらも士師記としていますからね。

ところが面白いことに、新共同訳では士師と呼ばれる人たちが登場するが、口語訳には登場しないのです。

その代わり、さばきつかさとよばれる人たちが、登場します。

この、さばきつかさと呼ばれる人々が、士師のことなのです。

ただ、比べると不思議なことがわかります。

新共同訳では、士師として裁いたと、どういう権限で行ったか記される箇所が、口語訳では裁いたとだけ記される事が多いのです。

 口語訳では、ひらがなですけど。

柔らかい感じを出したいからでしょうね。

「士師」あるいは「さばきつかさ」は"שֹׁפְטִים"の訳です。

"שֹׁפְטִים"は、現代でいえば裁判官に当たります。

「士師」はさしづめ、師匠格の弁護士ということでしょうか。

「さばきつかさ」なら、つかさは仕切り役とすれば裁きと仕切り役の二役をこなす指導者ということになります。

そこで、英語版では、judgesとか、leadersなどと訳されます。

 いいかえれば、英語では、適当な訳がないことになりますね。

英語に適当な言葉がないと言うより、やろうとすると長くなるから、裁きと仕切り役、あるいは指導者と、どちらの側面に重点を置くかで訳語を選んでいるということでしょうね。

逆に欧米の言葉にあって、日本語に対応する言葉がなくてそのまま使う場合もあるから、お互い様ですよ。

土師は、祭事用土器を掌った人たちです。

士師は、裁きを掌った人たちです。

 こうしてみると、混同されるはずのない人たちですよね。

しかし、古代において法とは神から出たものとされたから、祭事という共通点は持っていました。

さらに、祭事用土器は、芸術性も求められるかもしれないけれど、基本的には教えに精通していないと、神の意に沿った造形はできません。

 じゃあ、フリーメイスンがもともと、神秘思想に通じた腕の立つ石工集団であったのと、似てきますね。

土師器は、もともとは古墳時代以来の素焼きの土器で、それを作る工人が土師(はにし)と呼ばれていました。

「はじ」は、この「はにし」の変化した呼称とされます。

デザインは、今でこそ好みの反映だが、古代においては宗教観や世界観の反映でした。

土師は、陵墓の造営や大王の葬送儀礼などにも関与する存在として土師氏という氏集団を構成しました。

土師氏からは、やがて、菅原氏、秋篠氏、大枝氏や大江氏が派生していきます。

土師氏は、アマテラスとスサノオが誓約をしたときに、アマテラスの右のみずらに巻いた勾玉から成った天之菩卑能命、天菩比神などとも記される天穂日命を祖神とする一族です。

具体的には、天穂日命の14世の子孫であると伝えられる出雲国の勇士、野見宿禰から出たとされます。

 垂仁天皇の命により当麻蹴速と角力(相撲)をとるために出雲国より召喚され、蹴速と互いに蹴り合った末にその腰を踏み折って勝ったのでしたね。

 蹴速が持っていた大和国当麻の地、現在の奈良県葛城市當麻を与えられるとともに、以後垂仁天皇に仕えたのでしょ。

垂仁天皇の皇后、日葉酢媛命の葬儀の時、それまで行われていた殉死の風習に代わる埴輪の制を案出し、土師臣(はじのおみ)の姓を与えられました。

後裔氏族である土師氏は、代々天皇の葬儀を司ることとなったといいます。

石工との繋がりと言えば、野見宿祢の「野見」は、石材を加工する際に使われている道具である「ノミ」と関連があるとみられてます。

ここから、野見宿祢が石材とかかわっていたと推定されることもあるそうです。

この伝承は、石材を供給する二上山の支配権が、在地の当麻氏の手から、野見宿祢に移ったことを示唆するとみられています。

 畿内で、石工と言えば、まさにフリーメースンが連想できる神仙思想に通じた腕の立つ石工集団がいたと推定される遺跡もありますね。

酒船石と亀型石造物などから構成される、酒船石遺跡ですね。

 酒船石については、飛鳥昭雄と三神たけるなどは、生命の樹の造形だと指摘していますね。

酒船石と言われるけど、亀型石造物と一組で考えた方がよさそうな構造物だそうです。

ついでにいうと、菅原氏から公家の五条家が出たが、五条家は野見宿禰の子孫であることから相撲司家となりました。

 相撲は競技というより、神事に近い国技とされますね。

このことは、日ユ同祖論の中では、神の使いとの相撲に勝ってイスラエルの名を受けたヤコブの故事を連想できるとして、論拠の一つになっていますよ。

 そうしてみると、土師は単なる技能集団とは見えなくなりそうですね。

天皇と深く関わる神社と、密接な繋がりが見える林の付く氏族、林氏、小林氏は、祭司をだしていた一族です。

そしておそらく大林氏や中林氏も、この流れでしょう。

 そういえば、林氏は、拝志あるいは拝師(ハエシ)とも記されるので土師との関連を疑いましたね。

古代氏族の林姓としては、河内国志紀郡拝志郷から起こった武内宿禰の子孫波多氏族の林臣が知られます。

林臣はのちに朝臣姓を賜り、河内から近江に広まったのです。

そして、河内と言えば、大和のすぐ隣です。

野見宿禰に敗れた当麻蹴速の土地が、大和の当麻ですよ。

 まさに、石工、それも、神仙思想に通じた腕の立つ石工集団であったと見たくなる人々の地ですね。

士師と土師、紛らわしい漢字を使っているのは、偶然ではないかもしれないですね。

 小林氏と、奇妙な繋がりの見える賀茂神社、諏訪大祓との繋がりが見える肥田氏、まさに、土師は日本の士師になりえた可能性が垣間見えますね。

可能性、だけですけどね。

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