清濁併せ呑むお手本はイエス?
清濁併せ呑む(せいだく あわせのむ)という言葉があります。
広辞苑ではこういう説明をします。
善・悪のわけへだてをせず、来るがままに受け容れること。
度量の大きいことをいう。
成語林ではこういう説明をします。
(大海は清流も濁流も区別することなく迎え入れることから)善人も悪人も、善も悪もわけへだてせず、来るものはすべてあるがままに受け入れる。
広く大きい度量があることのたとえ。
度量とは、物差しと枡のことで、長さと容積という意味でも使われます。
ここからさらに、いろいろな意味が生まれてきます。
心のひろがり。
人の言動を受け入れる寛容な性質。
物の程度や内容をおしはかること。
清濁併せ呑むを解釈する上で気を付けないといけないのは、善も悪も併せ持つ人物という意味で使うのは誤り、ということです。
清濁併せ呑む人は、基本的には人として守る必要のある倫理や道徳を、外れたことはしていない。
むしろ、倫理や道徳から外れないという大原則を立てて、しっかり守っている。
そういうことです。
本当の意味で清濁併せ呑むことが出来ている人は、悪人に対しては寛容で寛大だが、悪に対しては厳しいし、犯罪に対しては容赦しない、ということでしょうね。
罪を憎んで人を憎まず、という言葉と、清濁併せ呑む、という言葉は、似たようなことを言っている。
そうなるでしょうね。
悔い改めて歩むべき道に立ち返るなら、どんなに悪人であった人でも受け入れる、ということでしょうね。
悪いことをしない、悪いことを出来ない、これ自体は良いことだけれども、何が良いことかを知っていても、何故良いことかを知らない善人では、かえって危うい、という意味もあるかも知れないですよ。
ちょっと見ると良いことに見えても、今やることが本当に良いのかということは、実は別問題だったりする。
それもあるけれど、どんなに良いことでも、やり方を間違えてはだめということも、あるでしょうね。
加減や程度も含めて。
そう。
清濁併せ呑むという言葉の実践の手本は、実は聖書にあるのですよ。
イエスは、世間から見て虐げられ妨げられ嫌厭されている人たちと、しばしば食卓を共にしています。
そして、イエスは言います。
癒しが必要なのは、病人であると。
そして、自分は癒しに来たのだと。
清濁併せ呑むという言葉を実践している人のもとには、悪人だった人は居ても、今現在、悪に手を染めている人はいないのではないでしょうか。
でも、蛇の道は蛇(じゃのみちはへび)というように、善人が知らない裏事情には詳しい人なら大勢いる。
同じように、イエスの元にも、悪人だった人は居ても、今現在、悪に手を染めている人はいないのではないでしょうか。
ここでいう悪人とは、自分の至らなさ愚かさ未熟さを自覚し、道を見失いそうな人や、道を見失っていた人を指している。
旧約聖書でも、異教徒だからと言って無差別に攻撃も排除もしてないですよ。
神の道を妨げない限りは、攻撃も排除もしてません。
かといって、異教の信仰や神の意に沿わない風習は、自分たちの中には決して入れないようには、していました。
それに、イスラエルの民もユダヤの民も、神の寛容さによって、何度でも悔い改めては許されていますね。
これは、罪を憎んで人を憎まず、という言葉の実践の手本でもあるでしょうね。
清濁併せ呑むということを実践するための心として、罪を憎んで人を憎まず、という言葉があるのでしょうね。
そうなると、水に流す、という言葉がありますね。
でも、水に流すには前提がありますよ。
悔い改め、ですね。
そういうことでしょうね。
聖書、特に新約には、まさに水に流すの言葉通りの儀式が載っています。
バブテスマですね。
日本でも、禊といって清めの儀式があるけど、水は重要なポイントですね。
洗礼、つまり、洗い清めの儀礼、という意味が禊には込められているわけですね。
バブテスマは、それまでのあらゆる罪や過ちを洗い流し清めてくれる。
日本人も、「ここは一つ、目をつぶって」などと言いますね。
見なかったことにする、なかったことにする、という意味だが、前提は心からの悔い改めであり、賄賂や買収で事実を曲げたり誤魔化したりすることではないですよ。
目をつぶる、という言葉は、水に流す、とほぼ似た意味で使われる。
洗い流した後は、見なかったことにできるくらい清くなるということでしょうね。
聖書にも、罪で汚れた衣も見違えるほど白くなるとありますね。
清濁併せ呑むことは、これらの実践でもあるということでしょうね。
罪を憎んで人を憎まず、水に流す。
これらの言葉をどう実践するべきかの手本は、聖書にある。
言い換えれば、聖書の教えの実践であるこれらの言葉を戒めの言葉として伝えてきた日本人は、どれだけ聖書の本質に近い心を伝えてきていたか、ですよ。
まさに、聖書の、そして、イエスの、求める教えの実践のキーワードが日本にあった。
だから、私は、日本人に聖書を読んで欲しいわけですよ。
日本人が伝えてきた、多くの戒めの実践事例が、聖書には豊富にあるわけだから。
日本人は、神道の理論化、体系化に、仏教を使ってきたけれど…。
膨大な仏典、しかも、一般人に読みやすい訳本がありますか。
あったとしても、どれを読んでいいかわからないですね。
でも、聖書には一般人に読みやすい訳本があるし、その気になれば読み切れる分量ですよ。
そして、実践例も豊富です。
仏教と聖書は、言ってることの内容は基本的には変わらない。
特に日本に入ってきた大乗仏教は、キリスト教の影響を強く受けていることが知られています。
古代日本のキリスト教徒たち
ザビエルよりはるか以前の日本に、多くのキリスト教徒がいた。
http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/100kodai.htm
『イエス・メシヤ経』など、景教の書物も、その慶州の石窟から、仏教の経典と一緒に発見されている。景教のものが仏寺で発見されたり、仏典と一緒に発見されたりというのは意外に思うかもしれないが、これは当時の仏教が景教と深く交流していたことを如実に示しているのである。
景教とはキリスト教ネストリウス派のことで、現在はイラク北部のアッシリア地域に点在する他、アメリカやオーストラリアに移民を中心とする信徒がいます。
景教については、聖徳太子の時代やその後の時代に教えが伝わり、日本の精神文化に想像以上の影響を与えてきたと指摘する声も出てきています。
もっといえば、日本に渡来人とか帰化人などという生易しいレベルではない人口を齎した秦氏にも、ユダヤ人キリスト教徒説は根強くあります。
凄いのになると、原始キリスト教だったとか、飛鳥昭雄と三神たけるに至ってはエルサレム教団だったとか、いってますから。
ただし、すぐにわからない言葉で書いてあるから、気が付かない。
言うだけ野暮なことは口にしないのが、日本の文化ですから。
当時の事情を知らないと、資料を見ても見落とす恐れがある…。
だから、布教の先客がいたと感じたザビエルの先人探しは徒労に終わったのかもしれないですね。
日本人の精神文化の底流に、聖書、特にキリスト教がある…。
日本に伝わってきた多くの戒めの言葉が、聖書、特に、キリスト教に近いのであれば、本当の意味を理解し、実践の手引きとする書として聖書を調べる方が良いと、薦めたいわけがここにあります。
日本の精神文化の起源が、聖書。
日本人にとって、キリスト教は信ずるかどうかではなく、自らの心の原点として自覚するかどうか…。
それを確かめるためにも、聖書を読んで欲しいのですよ。
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