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神としての徐福?

ある人と、徐福を巡って面白い会話をしました。

徐福は、どういう名前で祀られているかというのです。

 そうなると別の名前で祀られているから、それを当てれば良いってわけで。

 徐福から、物部は始まるから、物部系の神の中に、探せばいるのかな?

もちろん、別な名前で祀られています。

その名前で祀られているからから、問題があるというのですよ。

 籠神社の祭神は、天火明命・天照御魂神・天照国照彦火明命・饒速日命。

 別名、彦火明命。

 物部で、祖神っていえばこの方ですが…

ところが、物部氏は可美真手命で饒速日命では無いそうです。

神武天皇の前に来た、徐福御一行は何処に消えたか解くことが、謎を解く鍵だそうです。

 となると…。

 大物主の別名を持つ、大国主…。

 この神は、徐福説を言う声もありますね。

国譲りに潜む謎の神を、解けば良いという展開になりました。

 元出雲…京都に、元出雲を名乗る出雲大神宮がありますね。

ええ、出雲童歌「ネコにゃんにゃん」を探っていて知りました。

 出だしはこんな感じでしたね。

 出雲にゃんにゃんのん 出雲にゃんにゃんのん
 出雲にネコがいーたそうな にゃんにゃんのん・・・
 神様がかわいくて ネコ ネコ ネコと呼ぶ、
 にゃんにゃんのん・・・ ・・・

かつては出雲を名乗る神社と言えば、出雲大神宮でした。

現在の出雲大社は、明治時代になってからの名称で、それまでは「杵築(キヅキ)大社」と呼ばれています。

にもかかわらず、「杵築大神」という呼び名は、『古事記・日本書紀』、『出雲国風土記』などには載っていないようなのです。

変でしょ。

 出雲にネコがいーたそうな

 そして、京都の丹波にある出雲大神宮が怪しい。

 このネコを天皇とみると、こうなりますね。

 出雲に禰子(天皇)がいーたそうな

 この天皇が、徐福だった?

ところが、徐福は天皇のような地位にはついてなかったのですよ。

 つまり?

 徐福は、むしろ黒子?

出雲国造家の祖先を、調べたら面白いことが分かったのです。

 出雲国造家の祖先ですか?

出雲国造は、国譲りに応じた大国主命を祀る為、天日隅宮の祭祀を担った天穂日命を始祖、その子神の建比良鳥命を2代とするようですね。

天日隅宮とは、杵築大社すなわち出雲大社のことです。

 高天原から地上に降り、天皇家の始祖となったのがニニギであり、その父の天忍穂耳の弟が、天穂日であるとされますね。

 天穂日は、葦原中国平定のために出雲の大国主神の元に遣わされたが、大国主神を説得するうちに心服してその家来になってしまい、地上に住み着いて3年間高天原に戻らなかったのですよね。

 その後、出雲にイザナミを祭る神魂神社(島根県松江市)を建てています。

そう、天穂日命なんですね。

このやり方は藤原族に、良く似てるのですよ。

 自らは天皇位の即位を狙わず、ぴったり寄り添う形。

出雲大社本殿の向きに、天穂日命は鎮まり給へるようですね。

そして、天穂日命は祭祀を司ることになります。

 向きですか。

 出雲大社本殿の向きに天穂日命は鎮まり給へるですか?

出雲大社は、社殿は南向き、それでいて御神座のある御内殿は、西向きなのです。

 社殿と御内殿、どちらに注目しろと。

一般的には神社は南を向いているので、実際の参拝者は北を向いて参拝する形になるのは御存じでしょ。

これは、太一信仰に基づいて居ます。 

 太一信仰とは、北辰信仰、つまり、北極星の方位を天の中心として崇めるわけですね。

一方、出雲大社は、社殿は南向き、それでいて御神座のある御内殿は、西向きなのです。

その近くに天穂日が鎮座しているお社があるのです。

これは、天穂日が出雲の大神を拝している形でもあります。

 本殿西側に天穂日命が祀られる氏社、これは確かに天穂日が出雲の大神を拝している形ですね。

 天穂日命=徐福が、大国主=饒速日を拝する。

 徐福は、饒速日の黒子的存在だったと…。

 これ、徐福は八咫烏ということ、つまり裏天皇でしょうか。

 饒速日が神武に国を譲り、神としての大国主として島根に退いたわけでしょ。

 神武は人としての大国主となり、徐福は大国主の祭司という建前で八咫烏=裏天皇となる。

 この辺の事情が混乱して、中国からは徐福が神武となったという説が出てしまうことになる。

徐福=物部=海部氏=カモ族の構図だそうです。

カモ族と言ったのは、さまざまな綴りがあるからです。

さらに、カモの流れをくむ氏族も含んで考える方が良いようです。

それで、今回の議論ではカモ族と言ってました。

 やはり…。

 やはり、そういうことでしたか…。

 徐福=物部=海部氏=カモ族

籠神社の葵祭には、何の植物を用いているのか知っていますか。

 籠神社の場合は、藤ですね。

徐福=藤原氏 という事を間接的に既に明かしているらしいですね。

 藤原氏は、秦氏から出たのではなかったのですか。

ややこしいことに、物部氏と秦氏の間には、文字通りの物部氏、物部系の秦氏、秦氏系の物部氏、文字通りの秦氏、という四つのパターンがあるようです。

 鴨が葱背負ってやってくる。

 猫も杓子も。

 鴨にされる。

 これをつないで、こう解釈するわけですか。

 賀茂が禰宜背負ってやってくると、禰子も釈氏も、賀茂にされる。

物部系と秦氏系の間がややこしくなった背景には、まさに、そういう事情があったのでしょうね。

 藤原氏の中でも、どちらかと言えば政治担当の家系と、どちらかと言えば祭司担当の家系があったようですね。

藤、特に下がり藤からは政治担当、あまり知られていない剣片喰の家系からは祭司が出ていた可能性があるようです。

その逆がないとは、言い切れないですけど。

 でも、藤原と言えば藤。

 剣片喰はもっぱら祭司…。

祭司の家系からも、士族化して政治の方に入った流れもあるでしょうけどね。

 でも、貴族の中には…。

貴族となった藤原氏の傍系のなかには、物部系藤原氏があるいはいたかも知れません。

どこまでも、可能性ですけどね。

 ひょっとして、祭司の家系の藤原氏に物部系がいるのでしょうか。

物部系神社と言われる神社がある以上、そうかも知れないですね。

 籠神社が、物部系とされながら藤を使う背景には、物部系の秦氏=藤原氏=カモ族という事情がある。

どこまでも、推測ですがね。

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コメント

興味深い話ですよね、 藤原氏と秦氏ですか 藤原不比等の四人の息子達。北家 式家 京家 南家の始祖になりますが、 この四人の息子の 奥さんは、みな、秦氏ですよね。

投稿: あまつのりと | 2013年5月27日 (月) 11時38分

その可能性は、ありますね。

投稿: cova | 2013年5月27日 (月) 11時56分

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