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行政と民主主義について想ってみた。

助けられたり手伝ってもらったり助言や贈り物を貰えば、お礼をするでしょ。

言葉であったり、物であったり、行為であったりするでしょ。

お礼をお金で返せば、ビジネスとなるのではないでしょうか。

だとすれば金払ったから客だとふんぞり返ったり、売り手も妙に卑屈になる必要は、本来ないはずでなないでしょうか。

今の日本、そこがおかしくなってないでしょうか。

保育や介護は、基本的には手助けではないのでしょうか。

だとすれば、受け手の笑顔のない手助けは余計なお世話、かえって迷惑、むしろ邪魔、違うでしょうか。

やってやるから金払え式のものを行政サービスと勘違いしてなら、はっきり言ってアホ、違うでしょうか。

笑顔が欲しいから助ける。

笑顔になれたら素直に礼を言う。

行政なら税を払うことでないでしょうか、

行政サービスを施しと、勘違いしてる人がいるのではないでしょうか。

サービスは、本来、奉仕ってこと、召使の仕事ではないでしょうか。

だから公務員は公僕と呼ばれるのでは、ないでしょうか。

鋸が大工に使わせてやると、ふんぞり返るでしょうか。

鋸は上手に手入れして使いこなす必要はあっても、大工に指示することはないでしょう。

国民や住民の奉仕者でないと、公僕とは言えないのではないでしょうか。

大きい政府だの小さい政府だの、アホらしいのではないでしょうか。

国民や住民に使い勝手が良く、効率的であるかどうかを、基準にした方が良いのでないでしょうか。

道具箱に、要るもの入ってるか、余計なものや遣い勝手悪いものはないか、点検するでしょ。

行政に何を求め、求めないか、ちゃんと考えた方が良くないでしょうか。

行政はお上じゃない、議員は先生様じゃない、違うでしょうか。

ここがちゃんとわかってない有権者、あなたの周りにいないでしょうか。

ここをちゃんと理解して、有権者、主権者の自覚のある、国民や住民として考えて行動しないと、この国はほんとの民主主義国家にならないではないでしょうか。

どんなもんでしょう。

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