改めて女媧と伏羲を考えてみた。
伏羲と女媧が手に持つ物に、注目してみましょう。
女媧がコンパス、伏羲が曲尺を持っています。
向かって左がコンパスで女媧。
向かって右が曲尺で伏羲。
陰の天、陽の地、つまり、円天方地を指しています。。
前方後円墳は、 神前の儀式に用いた壺を模ったとするなら、丸いほうが下です。
一般的には、大地は、母で女性です。
陰陽では、陰陽合一で太極となるように、組み合わされます。
そして、陰陽入れ子が無限に続くのです。
陰には陽、陽には陰が配され、太極となるのです。
相生と相克もまた、陰陽の原則です。
合一した陰陽は、常に相生相克の中で、ゆらぎ、移ろい、転化していきます。
天が御父であるからこそ陰が配され、地が母だからこそ陽が配され、合一して大極となるのです。
太極は、大いなる無=玄となり、存在や現象の森羅万象はこの玄から生じます。
無限陰陽入れ子は、科学や哲学では、世界の階層性として認識されています。
数学では、フラクタルが階層性を反映した理論となります。
カッバーラは陰陽を理解しないと解けないのでしたね。
そして、陰陽合一や相生相克と、矛盾との差異を正しく捉えられないと詭弁に堕落します。
陰陽では、円天方地でしたよね。
聖書に登場するマナの壺が天の代理の象徴たりえるのは、天の象徴たる円が地の位置にあるからです。
そして、地の象徴たる方は天の位置にある。
つまり、マナの壺は天と地を繋ぐ階(きざはし)の象徴でもあるのです。
天皇は陛下、すなわち階の下に居られるお方。
天の神が地に降りてこられる代わりを、天皇は果たしておられる。
これが、マナの壺を擬した前方後円のメッセージ。
陰に陽を、陽に陰を、一対になるように配して太極になるようにするのが陰陽の基本ですよ。
そしてまた、コンパスと曲尺はメーソンの象徴でもあります。
メーソンの象徴は、こう見えますよ。
コンパスは、円の外周を描いているだけでなく、中心を突き刺している。
直角定規は、円の中心を突き刺していない。
突くほうが男で陽なのでは?
指金の90度は四角を意味し、天から降りてくるメルカバの象徴かもしれない。
そしてコンパスは、三角を表す。
四角と三角の合わせた形である、ピラミッドの形は、メルカバを象徴している。
通常なら、陽に上・前・右、陰に下・後・左ですよね。
にもかかわらず、天地と対応させると、陽に東・南(地)、陰に西・北(天)となります。
よって、円天方地では、円に対応するコンパスは陰の左に配される女媧(女)が、方に対応する曲尺は陽の右に配される伏羲(男)が、手にすることになるのでしょう。
興味深いことに、古代エジプトでは、天空神はヌウトやヌートとも表記される女神ヌト、大地神は男神ゲブ、ゲブとヌトは夫婦とされます。
ヘリオポリス神話では、大気の神シューと湿気の神テフヌトの子とされます。
大気神シューは天空神ヌトと大地神ゲブの間に割って入り、ヌトを支える形で示されます。
陰陽で天を女と同じく陰に地を男と同じく陽に配する事を思えば、生者の地を東に死者の地を西に配したことと合わせれば、古代エジプトは陰陽を知っていたと見た方が良くなります。
コンパスは、円の中心を針が刺すではないですか。
たしかに、その通りです。
円の中心を刺す構図は、ヨーニと常に対となって表現されるリンガと似てますね。
まさに、女媧の正体を示唆しているのが、リンガとみえますね。
リンガは男神シヴァの象徴でありながら、常に女性の象徴であるヨーニと一体で表現されます。
女媧は女性の姿で陰の位置である左に配されているが、正体は男だと暗示しているように思えますね。
そう見ると、女神天照の正体は男神天照国照彦であることに、似てきますね。
これは、やがて再臨され陽となるイエスが天にお隠れ、つまり陰であることをも、示唆しているのでしょうか。
ややこしいですか。
陰陽の理屈は極めて単純です。
だが、理屈の基礎を理解していないと、ややこしく感じることでしょう。
リンガは、あたかも大地から生えているように見えます。
そして、円天方地の天が陰で地が陽なので、陽である地のリンガのようにさえ見えます。
だが、リンガは女性の象徴であるヨーニと常に一体。
これは、地が実は陰の女性であると示唆していることになるでしょう。
だが、地が陰では霊の世界になってしまうので、受肉してはいるが堕落した我々に対応するために陰陽では陽を配して陰を封じているのかも知れません。
神の霊に満たされ包まれる来たるべき世界では、天は陽で地は陰となるのかも知れないです。
そのとき神の国に入れた人たちは霊の高み(陰)にいるので、地が陰であっても一向に差し支えないのかも。
卍は曲尺をいくつ合わせたモノかな?
卍ですか。
曲尺四つでは?
シヴァは創造のブラフマーや維持のヴィシュヌと共に唯一神界を構成します。
つまり、シヴァは創造・維持・破壊の神と見てもよくなります。
これは、イエスと似ているでしょ。
そこで、女媧=シヴァ=イエスと見ても面白いでしょうね。
さらに、伏羲にも、包犠や伏儀のような綴りもあるのです。
女媧と伏羲では、二人とも人頭蛇身で描かれることもあれば、伏羲は伏犧とも記されるように牛の頭で描かれることもあるのです。
伏羲には、人頭蛇身のほかにも牛頭の姿もあるのですね。
偏に現れる、牛や人に、暗示された意味がある。
神に奉げられる犠牲の代表が牛なので、偏は牛なのです。
儀で人に変わるのは、人が義とされるために儀式があることも、勿論、指します。
だが、人が義とされるための犠牲として自らを捧げた人の存在も、指しているのです。
贖罪の仔羊と、しばしば言われるイエスの事ですね。
そこで、伏羲=イエスの構図も浮かび上がります。
女媧=伏羲、そして、コンパスと曲尺となれば、メーソンの象徴。
ピポケパロスに描かれたエニシ・ゴ・オン・ドシは、実は、女媧と伏羲でもあるのです。
ピポケパロスは、ピポケファロスとも呼ばれますね。
作られていたのはプトレマイオス王朝の頃です。
プトレマイオス王朝は、紀元前305年から紀元前30年まで、ギリシャ人によってほぼ300年の間がエジプトを統治された時代です。
ヒポケパロスはエリートのミイラの頭部の下に、おかれていたのです。
ヒポケパロスは、パピルス、しっくいの塗られた亜麻布、青銅、金、木、または粘土で造られた小さな円盤状の物で、古代エジプト人はこれを死者の頭の下に敷きました。
ヒポケパロスには、古代エジプトの文字であるヒエログリフで文章が書かれていました。
文章の目的は、死者の頭部の下で生気を与える象徴的な炎や輝きを発することでした。
ヒポケパロスの発する象徴的な炎や輝きで、ミイラの頭部や体が魔法のように包まれるようになることを、故人が神聖になると信じられていたのです。
ヒポケパロス自体は、ラーまたはホルス、すなわち太陽神の目を象徴しており、そこに描かれている場面は古代エジプト人の死後の生活と復活の概念を物語っています。
またヒポケパロスは太陽が空を巡る世界の象徴でもあり、上半円は人間世界を照らす真昼の空を、下半円は地下世界、すなわち死後の世界を覆う夜空を表しています。
そこを太陽が昇り沈みする様が、古代エジプト人に死と復活を連想させました。
ヒポケパロスはヨーロッパや中東、アメリカなどの幾つかの博物館で発見されており、100種類以上が存在しています。
エジプト人は、エニシ・ゴ・オン・ドシに何を描いていたのですか。
左に女神ウジャト、右に女神ハトホルです。
ウジャトとは「ホルスの目」という意味であり、古代エジプトでは月の象徴とされています。
ウジャトが手に持っている蓮は再生の象徴であり、月の満ち欠けを暗示します。
ウジャトは古代エジプトの王や太陽神の額に付けられたコブラの擬人化であり、神の目から吹き出る炎の化身でもあります。
右に描かれるのは、慈愛の女神ハトホルです。
角に挟まれた日輪に2枚の羽を付けた冠をかぶって描かれています。
ハトホルは「ホルスの家」という意味で、天空の神ホルスの住む太陽を指しています。
首飾りはメニトを呼ばれ、誕生や再生の儀式に用いられた祭具です。
輪の先に丸い頭と胴体の付いた重りがあり、女性的な体形が強調されています。
女神というけれど、雄牛ではないですか。
ここで重要なのは、ハトホルが描かれたヒポケパロスの下半円は夜空であり、この死の世界から太陽が再び昇ると陰から陽へと変わり、本来の男神の姿へと戻るのです。
ハトホルの正体は、復活の主イエス・キリストなのですか。
雄牛の姿で表されるハトホルの後には、女神ウジャトが配されているでしょ。
ウジャトを蛇と見ると、確かに人頭蛇身の女媧の変形となりますね。
そして、本来のハトホルは男神であることが、陽に配される右に描かれることでも、実は暗示されているのです。
雄牛は、イスラエル十二支族の象徴でもあります。
そうなると、伏羲と女媧はイスラエルの滅びと再生を象徴していたとか。
ひょっとしたら、もっと大きな滅びと再生かも知れないですよ。
脅かさないでくださいな。
可能性だけは、考えた方が良いと思いますがねえ。
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コメント
紀元前3350年の伏羲に比べたら
たかだか2000年しかたってない
イエスとか歴史浅すぎでしょ…
なんでキリスト教の人って他教の威光
すぐパクろうとするのか
投稿: め | 2015年7月24日 (金) 02時02分
世界最古の聖典聖書のエホバともよばれるヤハウエは、新約聖書のイエスの受肉前の名前なんですよ。
旧約の時代に現世の預言者たちに神の声として語りかけていた存在が、ヤハウエ=イエスだったのです。
旧約のいたるところに、イエスを予言する言葉がちりばめられていますよ。
投稿: cova | 2015年7月24日 (金) 09時46分