八卦よい古墳?
少々前の記事だが、やはりどうも気になります。
野口王墓古墳:5段構造の八角形墳
http://mainichi.jp/feature/news/20130525k0000m040059000c.html
毎日新聞 2013年05月24日 21時11分(最終更新 05月24日 23時50分)
1961年調査の資料写真にある野口王墓古墳の切り石。
八角形の角度に合わせて並べられている=牽牛子塚古墳発掘調査報告書より
拡大写真
宮内庁の研究者がまとめた野口王墓古墳の想定図=奈良県明日香村教委の牽牛子塚古墳発掘調査報告書より
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天武・持統天皇合葬陵とされる奈良県明日香村の野口王墓古墳(7世紀後半)について、宮内庁が過去の調査を基に「5段構造の八角形墳」と結論付けた報告が、村教委が24日発表した「牽牛子塚(けんごしづか)古墳発掘調査報告書」に掲載された。
天皇陵は7世紀中ごろから八角形墳が採用され、野口王墓も文献などから八角形とされていたが、宮内庁が調査結果を公表するのは初めて。
陵墓は原則として一般の研究者は調査できない。
野口王墓古墳が1235年に盗掘されたと記した文献「阿不幾乃山陵記(あおきのさんりょうき)」には、「八角形」との記述があるが、全体像は分かっていなかった。
近年、情報公開請求が相次ぎ、福尾正彦陵墓調査官が斉明天皇陵と確定的になった牽牛子塚古墳の発掘調査報告書に論文を寄稿した。
福尾調査官は1959年と61年に行われた宮内庁の現況調査と、奈良県立橿原考古学研究所の所長だった故・末永雅雄氏らによる75年の立ち入り調査などを基にまとめた。
それによると、野口王墓は、墳丘の測量結果などから5段構造の八角形と判明した。
高さは全体が約7.7メートル、最上段は他の段の倍の約3メートルあり、墳丘全面に加工した凝灰岩を貼り付けてストゥーパ(仏塔)のように見せていたと分析。最下段の1辺の長さは約16メートルあり、その周囲に幅約3メートルの石敷きがあったと推測した。
大王墓は6世紀までは前方後円墳や方墳だったが、7世紀に即位した舒明天皇(天武の父)から八角形になったとされる。
中国古代思想や国土の四方八方を天皇が支配するという思想を視覚化したという説などがある。
舒明天皇陵とされる段ノ塚古墳(奈良県桜井市)や天智天皇(天武の兄)陵とされる御廟野(ごびょうの)古墳(京都市)は墳丘の八角形部分が2段で、大型で色の異なる岩が使われている。
大阪府立近つ飛鳥博物館の白石太一郎館長は「切り石で全面を化粧しており、それ以前にはない形式が、天武天皇から始まったことが分かる。
古墳の変遷を考える上で重要だ」と評価した。
報告書は1冊6300円で25日から販売される。
問い合わせは明日香村地域振興公社(0744・54・4577)。【矢追健介】
復元想像図は、どう見ても、八卦爻(はっけこう)に似ているのです。
爻(こう)は、易の卦を構成する基本記号です。
長い横棒(─)と真ん中が途切れた2つの短い横棒(--)の、2種類があります。
経では、前者を剛、後者を柔と呼びます。
軽とは、経書(けいしょ)のことで、儒教でとくに重視される文献の総称ですね。
経典(儒家経典)ともいいます。
儒教において規範として尊ばれる先秦典籍のことで、儒家経典の五経、十三経などをさします。
一方、伝では陽、陰とします。
伝(旧字体は傳 でん)とは、儒教の基本経典となる六経に対する注釈書ですね。
記(き)と呼ばれるものもあり、合わせて伝記(でんき)ともいます。
陽爻と陰爻は、対立する二面性を表します。
陽爻は男性・積極性などを、陰爻は女性・消極性などを表すのです。
これらを3つ組み合わせた三爻により八卦ができ、六爻により六十四卦が作られます。
易では、事物のさまざまな側面を、このように陽爻と陰爻を組み合わせることにより説明します。
朱子学系統の易学、宋易において爻を2つ組み合わせてできるものを、四象といいます。
四象とは、太陽・少陰・少陽・太陰のことです。
経には、六十四卦の爻ごとに爻題と爻辞が付されています。
爻題は必ず2字で構成され、1字は爻の順序を表し、もう1字は爻の性質、すなわち剛(陽)か柔(陰)かを表すのです。
爻の順序は、下から上とされます。
1番下の爻から、初・二・三・四・五・上、と名付けられます。
一方、爻の性質は、数字によって表されます。
陽爻には九、陰爻には六が用いられるのです。
卦は、爻と呼ばれる記号を3つ組み合わた三爻によりできたものです。
爻には、─陽(剛)と--陰(柔)の2種類があります。
─陽(剛)と--陰(柔)の組み合わせにより、八卦ができます。
なお八爻の順位は下から上で、下爻・中爻・上爻の順です。
また八卦を2つずつ組み合わせることにより、六十四卦が作られます。
八卦や易もまた、陰陽と関係があるのでしたね。
古墳は、さまざまな形があるが、その多くは、陰陽が連想できるものです。
日本の古墳には、基本的な形の円墳・方墳をはじめ、八角墳(天武・持統天皇陵)・双方中円墳(櫛山古墳・楯築古墳)・上円下方墳・双方中方墳(明合古墳)・帆立貝形古墳(乙女山古墳) などの種類があります。
前方後円墳・前方後方墳・双円墳(金山古墳)・双方墳などの山が二つある古墳もありますね。
主要な古墳は、山が二つあるタイプの古墳であることが多いようです。
双方というが、三角を両方から挿した形にも見えますね。
双方中円墳や双方中方墳は、それぞれ、三角と丸、三角と方形と見て解釈した方が良さそうに見えます。
円天方地角人、つまり、円が天、方が地、三角が人を表す象徴図形ですね。
仏教、特に禅でよく使うのでは。
でも、陰陽は神道と仏教で共通ですからね。
だから、神仏混交も可能になった。
おそらくそうでしょう。
卑弥呼の鬼道を陰陽と解釈すれば、古墳時代にも陰陽は引き継がれた。
当然、卑弥呼の時代、弥生時代、古墳時代、さらには中世以降にも、陰陽は日本文化の底流として、引き継がれたとみて良いでしょうね。
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