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2013年10月

相撲は踊りだった?

日本人の起源と中東について探っていると、いろいろと面白いコメントを戴きます。

この前は、こういう声をかけてくれました。

ベリーダンスを習っているものです。

興味深いお話をありがとうございました。

以前、YouTubeでアイヌのフッタレチュイ(黒髪の踊り)を見て、アラビア半島の踊り、ハリージと酷似しているのを見つけました。

ハリージはベリーダンスを習っていると、民族舞踊ということで習うスタジオもあります。

日本舞踊に対する、盆踊りみたいなものです。

両方とも、長い髪をブンブン振り回したりするハードな踊りです。

衣装も似てるし、踊りも似ている。

何より驚いたのは、ザガリートと言って、おめでたい時や楽しい時に、発する勧声です。

レレレレレレ…とか舌を高速で左右に動かします。

アイヌの人達も踊りを盛り上げるために、ザガリートをしていました。

エジプト人や中東の人と同じです。

古代中東の人とアイヌは共通の遺伝子があるとのことです。

アイヌのウフィというミイラを作ることも、エジプトや中東から受け継いだものではないかと思います。

中尊寺の藤原三代のミイラといい…。

何よりアイヌの人達の彫りの深い濃い顔は、中東の血が入っているのだろうと思わせるに十分です。

吉田大洋著『謎の出雲帝国』によると、出雲族以前に、日本にアイヌはいたそうです。

主人の祖母はニサタイに広大な土地を持っていた家の出身だそうです。

馬が下駄代わりだったそうです。

ナニャトヤラ大会もあります。

本来、ベリーダンスは自由な踊りです。

何をしても可だそうです。

基本はありますけど、エジプトのダンサーは自分の流儀で踊っています。

シュシュも腰をつきだして、身体を深くS字にしてするものもあります。

S字をキープしたまま足を激しく細かく踏んで移動もします。

身体を真っ直ぐにしたままのシュシュだけではありません。

身体を後ろにかなりそらすこともあります。

横に反らす動きをすることもあります。

踵で床をドンドン踏みな鳴らすこともします。

今やってる曲はエジプト人の振り付け師の曲で、踵でドンドンする振りがあります。

ズンズンと地面に轟かせながらするターンもあります。

ピポットターンの変形です。

バンと床を蹴ってジャンプもします。

ジャンプはあまりしないけど、おおっ飛んだとエジプト人は喜ぶそうです。

左右足を踏みかえる時に、バンと跳んだりもします。

ステップやターンで激しく踏むこともありますが、基本、裸足ですので、あまり音はしません。

でも、激しくジャンプもしますし、激しくステップも踏みます。

ダウンキックという動作も、エジプト人は前方まで腰をひねり上げ激しく捻り下ろしますが、日本人の先生は、腰をほんのちょっとアップするだけの先生もいらっしゃいます。

日本人の先生でも、知らなかったりする方も沢山いらっしゃいます。

ハッガーラは歩く時に、腰を捻り上げ、足をドスンと落とします。

これで普通の速度で歩くと、激しく腰が動いて激しくステップを踏んでいるように見えます。

エジプト人の講習を受けたりするとわかります。

ハリージも激しく前後左右に上半身や首を振りまわします。

バンと頭を振り下ろし、振り上げます。

フッタレチュイとそっくりです。

ハリージはステップ踏んで移動します。

エジプト人がステップ踏んで移動すると、豊満な身体がブルンブルン揺れます。

日本人は豊満でないので、腰を動かしてカバーしますが。

ベリーダンスもハリージも豊満な人が踊っただけで、踏み轟かし、あめのうずめのようになります。

ようはベリーダンスはもともと、自由でなんでもありなんです。

映画の陰陽師で、あめのうずめの踊りの場面では、左手に扇、右手に鈴を持って踊ってましたが、古代エジプトのバステト女神は左手に籠状のもの、右手にシストルム(シンバルを並べたような楽器)を持ってたとか。

持ち物が似てます。

イシス女神もシストルムの名手だったとか。

女性神官が神々を懐柔するために鳴らしたそうです。

あめのうずめの鈴と同じです。

元々、ベリーダンスは女性神官が神人合一したときの身体の動き(アンジュレーション、シミー)が踊りに入っています。

あと、尾てい骨を引っ込め、骨盤を真っ直ぐに立てる基本姿勢は、気功と同じです。

足も左右ほぼ平行が基本で、エネルギーの出し入れがしやすい姿勢は気功と同じです。

踊りがエネルギーワークでもあります。

他のダンス共通ですが、ツーステップと言うステップが反べい?禹歩ですか?と似ています。

右足に左足を引き付け、右足をちょっとずらし、次は左足を出し、左足に右足を引き付け、左足を少し出し…を繰り返し斜めにジグザグ進みます。

ボックスステップなんて四角く踏むステップもあります。

あめのうずめは鉾に 鈴を付けていたそうですが、ベリーダンスでもアサヤと言うステッキを振り回したり、ガンと地面に叩きつけたりします。

威嚇や魔除けです。

男性は武器の棒を持って踊る踊りもあります。

ベリーダンスはオリエンタルの踊り時は、踵を上げて踊りますが、砂漠の民ベドウィンの踊りはベタ足で、ズンズン踊ります。

ベタ足でないと砂に埋もれるからです。

それを床でやったら、踏み轟きます。

フラメンコもベリーダンスと共通する部分があります。

それで、フラメンコ風の踊りも時々習います。

フラメンコについては詳しくありませんので。

失礼しました。

この人の話にあるニサタイとは、岩手県二戸市仁左平地区のことです。

 ナニャトヤラ大会で、それくらい見当つきますよ。

 ナニャトヤラといえば、ユダヤ語説のある不思議な歌詞で有名ですよね。

実際にエジプト人の先生に倣って踊っている人からの、こういう情報はありがたいです。

特にアイヌの音楽文化と中東音楽文化の類似を、自分自身の踊りの体験から語って戴けるのは、貴重な情報で助かります。

 フラメンコはやはり、ベリーダンスと共通の起源なのでしょうね。

フラメンコもベリーダンスと共通する部分があるので、フラメンコ風の踊りも時々習うとのことですからね。

アイヌの音楽文化と中東音楽文化の類似があり、フラメンコもベリーダンスと共通する部分があるとなると、興味深いことになります。

近縁である琉球の伝統的な振り付けがどこかフラメンコに近いのも、中東音楽文化の類似ということになるからです。

 カチャーシーですね。

 フラメンコにどことなく、似てると言えば似てる…。

 聖書世界に近い琉球の文化にとってみれば、音楽文化も中東に近いのは当然と言えば当然ですけどね。

アイヌの人達の彫りの深い濃い顔は、中東の血が入っているのだろうと思わせるに十分ということは、琉球民族の顔も中東的と言って良いわけですね。

興味を惹かれるのは、禹歩に似たステップですね。

禹歩というのは道家の行う技法で、現代でも行われている呪術の一種です。

この禹歩は、古代の聖天子禹の歩きかたをかたどったものと伝えられます。

入山や病気治療などに際して特別なステップを踏む事で、主に身の安全の確保や病気治療などの効果を得ようとするものです。

実は、相撲の四股もこの禹歩に起源があるというのです。

威嚇や魔除けとして禹歩という独特のステップがあるが、四股も威嚇や魔除けとしての所作なのです。

さらに興味を惹かれるのは、男性は武器の棒を持って踊る踊りもあるということです。

四股を踏みつつ弓を振り回すさまは、ツーステップと言うステップを踏みながら武器の棒を持って踊る振り付けそのものではないですか。

アマノウズメの踊りに巫女舞の起源を探ったことはあるけど、まさか、弓取り式の起源をアマノウズメの踊りに見るとは思っても見ませんでした。

 ベリーダンスが女性だけでなく、男性の踊りでもある事を思えば、男性の神前の舞が残っていても当然だけど、弓取り式とは意表を突かれましたね。

となると、相撲は一見競技のようだけど、本質は神前の奉納儀式ですよ。

 土俵の正体は、屋根を見ればわかるように神社でしたね。

砂漠の民ベドウィンの踊りはベタ足で、ズンズン踊るということですね。

 ベタ足でないと砂に埋もれるからですね。

ベリーダンスはもともと、自由でなんでもありということは、舞踏に武闘の動きが入っても良いのではないでしょうか。

 そうしてみると、意外な展開になりますね。

相撲は実は、ベリーダンスの男性の舞に起源を持つ奉納舞だったのでしょうか。

 そう言えば、神社の奉納の舞にも男性の舞はありますね。

相撲は、右舞と左舞の代わりに、東西の取り組みとなったのでしょうか。

 相撲が東西南北にこだわるのも、ツーステップと言う禹歩に似た威嚇や魔除けのステップを踏む奉納舞の場だからと見れば、妙に納得できますね。

 相撲も、神社の奉納舞も、あめのうずめの踊りを経由して日本に定着した、ベリーダンスだったとは…。

こういう面白い展開があるから、歴史を探るのは止められないのですねえ。

追記

なお巫女舞についてはここで触れたので、良かったら見てください。

巫女舞http://cova-nekosuki.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-8caa.html

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再度科学者の常識を考えてみた。

ショッキングな記事がNature誌に掲載されたようです。

Nature ダイジェスト
http://www.natureasia.com/ja-jp/ndigest/

論文の実験結果の70%が再現不能!

2013年11月号 (Vol. 10 No. 11)

自然科学の根幹を揺るがしかねない事実が明らかになり、関係者、関係機関が対応に追われている。

それは、特に医学生物学分野で、論文に記載された多くの実験結果が再現できないという深刻な現実だ。

例えば2011年にドイツの製薬会社バイエルの内部調査で、同社で進めた67のプロジェクトのうちの約2/3で、関連する前臨床研究結果が再現できなかったという。

これ以外にも実験が再現できないとの調査報告には事欠かず、多額の研究資金を提供してきた米国立衛生研究所(NIH)は、傘下の所長・センター長を集めて、その対応策の検討を始めた。

特に臨床試験がからむ研究に資金を提供する場合、もし基礎研究が再現できないのであれば、そもそも助成の検討に値しないからだ。

そこで、従来のような専門家による審査(ピアレビュー)制度を廃止し、国際標準で実施されている認証制度のように、第三者外部機関による再現実験を課することまで検討中だという。

科学の根底が揺らいでいる。

こういう内容です。

以前、右回りのコマの質量測定値の減少が観測される事態が右回りのコマが軽くなったと報じられ、そんなことは起きてないと称する追試が科学者によってなされた顛末を考えてみました。

 追試と言いながら、限りなく零に近い摩擦と真空の環境下でないと再現できないという指摘を無視しまくった「追試」や、コマの質量の測定値が変化したという報告を勝手に質量が変化したと読み替えた「追試」など、呆れた実態を見てきましたね。

当人たちは、精度を上げるための改良を重ねながら、同様の結果を出し続けたことも、見てきました。

そして、追試の名に値する追試で否定されない限り、有り得ないと判断したくないと言いました。

すると、コマの実験をした早坂博士のグループの人からコメントが寄せられました。

早坂先生の研究チームの者です。

ジャイロの実験では、軽くなる現象を再現させるために必要なノウハウがあります。

このことはジャイロ実験の論文には、記載してませんが、同じ条件で追試をやった人は再現に成功しています。

「航空機用のジャイロ」を使えばいいのです。

レーザージャイロではなく、コマのジャイロです。

多摩川精機では、もう作ってないかもしれません。

なぜ、それで軽くなるのか、ある仮説を立てました。

そうすると、お互いに関連がなさそうないくつかの実験報告のつじつまが合うことがわかりました。

特許を出願した背景には、そのような考察が最初にありました。

重力の秘密に迫る研究は、新たな段階に入り今後の成果にご期待ください。

科学は、事実に直面する態度が問われますから、徹底的に実験で証明したいと思います。

こういう内容です。

 ネットで調べてみると、どうやら、同じ条件で追試をやった人は再現に成功というなかにはロシアの研究者もいるようですね。

これまで、トンデモと笑われて葬られてきた報告も、無視してきたことが本当に正しかったのか、検証して欲しいですね。

 逆に、何度も同じ数値が現れたニュートリノの光速越え騒ぎ、装置側に問題があるなら、もっと頻繁に出ても良いし、数値もばらけると想像できるのでは。

時間はかかったが、再現性のあった結果を短期の追試で葬り去るのもどうかと思いますね。

 またどこかで超光速お化けが出現して、研究者の背筋を寒くする気がしますね。

実験や追試での在り方も、再検討した方が良いのではないでしょうか。

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秦国と秦氏?

秦では、従来の「王」という称号を採らず、初めてもっと上位の「始皇帝」という肩書きを用いました。

また「朕」という一人称も始皇帝に限る、としました。

秦の始皇帝は、各地域で個別に使われていた文字を統一し、全国どこででも同じ文字が通用するようになりました。

秦の字体は篆(てん)書といいます。

やがてこれから楷書、草書が発展することになります。

秦は、度量衡の統一も行った。

度量衡というものは流通・交易などの価値の交換において、非常に重要な意味を持っている。

また、度量衡を定める・改正するという行為は、暦法を改める事と同様に権力の象徴であり、古代より近世に至るまで、権力者たちによって様々な改訂が行われてきました。

貨幣の統一も、実施しました。

秦の貨幣は穴のあいた環銭で、特にこの時の環銭を半両銭といいます。

馳道(しどう)は始皇帝が首都咸陽から全国に放射状に作られた計画的な軍事道路で幅は約70メートル全長は5000キロ、全長20万キロにも及んだローマ街道に比べると距離は劣りますが道路幅は遥かに広いです。

秦帝国において、道路建設は最も重要な国家事業に位置づけられていた事は明らかです。

交通と言う点では、車軌(しゃき)の統一も遂行しています。

車軌というのは、馬車の車輪と車輪のあいだの長さです。

当時は舗装道路などないから馬車が走れば地面はえぐれ、えぐれた部分がレールみたいになっていくんです。

そこを車軌が違う馬車が走ると車体が傾むいて思うように走れないから、戦国の各国はわざと自国の車軌を他国と違うようにしたのです。

そうすれば敵国の戦車がやって来ても攻めにくいが、天下統一すればこれは不便だから統一しました。

堰地点上流域面積は23,000k㎡という、大規模水利工事を行いました。

その地は、今や都江堰市と称されているといいます。

都江堰は、長江の支川・岷江の主流に紀元前250年頃に建設された大規模な頭首工水利施設です。

これは、秦の強大化を怖れた韓国が、秦の国力疲弊を狙って進言した事業だったが、却って国力の増加を齎すことになりました。

四川省中部にある省都成都市の西北60kmにあり、中国古代三大水利工事のひとつとして中国国内では極めて著名な水利施設です。

洪水防御、灌漑、舟運の効益を兼ね備え、建設以来その効用を失わないばかりか、今日では一層発展し中国国内でも最大級の水利灌漑網を形成しているといいます。

 でも、なんで、国名が秦なのでしょう。

 中国では、ローマ帝国も秦と呼んでいたはず。

支配者が自らを皇帝と呼び、大いに土木をやったといえば、まさにローマ帝国もそうでした。

ただ、ローマが帝国になったのは紀元前27年です。

ローマ自体は伝説によれば、紀元前753年4月21日にギリシャ神話の英雄アイネイアスの子孫である、双子のロムルスとレムスにより建てられたとされます。

それに、中国でローマが秦の名で登場したのは、後漢書の「和帝の永元九年(97年)に西域都護の班超が甘英を使者として大秦に派遣した」大秦の初出であると見られています。

秦は、ローマにならった国造りを狙ったと言う見方もできるが、そもそも、中国の民族ではなかったという声もあるのです。

史記を記した司馬遷など、始皇帝を漢民族かどうか怪しいとしていると言います。

ローマの影響と言えば、新羅(しんら)もそうです。

 新羅(しらぎ)という呼び方は、何時の頃からか、日本でついた名称なようですね。

日本では習慣的に新羅を「しらぎ」と読むが、奈良時代までは「しらき」と清音だったのです。

万葉集(新羅奇)、出雲風土記(志羅紀)にみられる表記の訓はいずれも清音であるといいます。

新羅は紀元356年から935年にかけ、古代の朝鮮半島南東部にあった国家です。

ちなみに新羅という国号は、503年に正式の国号となり、それまでは辰韓と呼ばれていました。

 辰韓は、秦韓とも書かれるでしょ。

 これは偶然でしょうか。

始皇帝は、紀元前259年から紀元前210年の人です。

中国戦国時代の秦で、在位期間は紀元前246年から紀元前221年でした。

姓は嬴(えい)、諱(いみな)は政(せい)と言うから、なるほど、あまり中国的な名前とは言えません。

 中国風に読めば、Yíng zhèngですね。

姓とは、東アジアの漢字文化圏で用いられる血縁集団の名称です。

その範囲は地域や時代によって変動し、氏や名字といった他の血縁集団名と様々な階層関係にありました。

近代以降、ヨーロッパなどの他の文化圏の血縁集団名、家系名の訳語としても用いられています。

忌み名とも書く諱は、中国などの東アジアの漢字圏における人名の一要素で、実名や本名を意味する真名(まな)とも呼ばれます。

秦については、日本に面白いことがあるのです。

『新撰姓氏録』では融通王とも記される弓月君(ゆづきのきみ)は、『日本書紀』に記述された、秦氏の先祖とされる渡来人です。

 秦の帝室の後裔とされる弓月君が、なんと、ユダヤ人キリスト教徒説まである秦氏の先祖なのですね。

弓月君は、『新撰姓氏録』(左京諸蕃・漢・太秦公宿禰の項)によれば、秦始皇帝三世孫、孝武王の後裔だそうです。

孝武王の子の功満王は仲哀天皇8年(199年)に来朝、さらにその子の融通王が別名・弓月君であり、応神天皇14年(283)に来朝したとされます。

佐伯好郎博士の研究によれば、弓月国(Kung-Yueh)は小国であるが、 キリスト教王国であったと言うのです。

そこで、秦をキーワードに見ていくと面白いことになるのです。

 秦=ローマ帝国、秦帝国、弓月国、秦氏の構図ですか。

そして、秦氏にユダヤ人キリスト教徒説があるが、佐伯好郎博士は当初の景教徒説の可能性を最後には諦め、なんと、原始キリスト教徒説に軌道修正したと言います。

 ユダヤ人キリスト教徒であり、原始キリスト教徒となれば、エルサレム教団も当然可能性が出てきますね。

当時、東アジアにまで出てきた可能性があるユダヤ人原始キリスト教徒となれば、エルサレム教団の可能性は高いです。

ローマ帝国への戦いの前に忽然と姿を消し、東方へと向かったのが、エルサレム教団ですから。

 始皇帝と言えば、焚書坑儒でも有名ですが。

紀元前212年、廬生や侯生といった方士や儒者が、始皇帝が独裁者で刑罰を濫発していると非難して逃亡したため、咸陽の方士や儒者460人余りを生き埋めにし虐殺したとされる事件ですね。

その後も秦に仕えた儒者はおり、陳勝・呉広の乱が起きた際に二世皇帝胡亥が儒者の叔孫通に諮問しているというから、どこまで本当なんだかという疑問もあります。

なにしろ、中国で歴史書と言えば、多くは前の国を倒した側が、自らを正当化する目的で記した場合が多いとされます。

そのため、どの程度歴史が歪めて書かれたか検証する学問まであったそうですよ。

 さらに、奇妙なのは、一度渡航に失敗した徐福に、前より多くの援助を与えて再度送り出してますね。

始皇帝は、国の将来が長くないことを覚り、徐福を送り出したと解釈する人もいるようです。

不老不死の妙薬探しは表向きの看板で、実は大切なものを避難させたというのです。

それが、三種の神器だったと見る人もいるようです。

 飛鳥昭雄や三神たけるですね。

 そうなると、始皇帝、あるいは、彼の周辺に預言者がいたのでしょうか。

さあ、どうなのでしょうね。

さらに、始皇帝は、紀元前なので当然、キリスト生誕以前の人物です。

もし、ユダヤ人説を取るとしたら十支族ということになるでしょう。

これについては、秦の伝説に面白い話があります。

陳舜臣著「秦の始皇帝」から引用しましょう。

遠い先祖が周王八代孝王(こうおう)に、おまえは牧畜がうまい、つまり羊を飼うのがうまいからこの辺の土地をやろうといわれてもらった、それが秦のはじまりだというのです。

このことから、秦が牧畜の民であったということがわかります。

 そういえば、イスラエルの民も牧畜の民でしたね。

周は、農業国家で農業信を祀っている活気にあふれた国だったが、だんだんと贅沢になって堕落していきました。

そして、幽王(ゆうおう)の時代に犬戎(けんじゅう)という北方民族に討ち滅ぼされることになります。

秦の祖先については、犬戎に討たれた幽王の子・平王(へいおう)が東の洛陽に都を移したとき、平王の護衛隊長のような役をしていたという話が残っています。

ここから、軍事的な面でも優れていたことがわかります。

 秦(しん)を秦(はた)を見たとして、秦氏はユダヤ人キリスト教徒だったはずでは…。

秦氏については、イエフダーの転訛と言う説もあるが、それは「はた」の読みの語源説です。

秦(しん)には、柵の外、つまり余所者という意味があると言う人もいます。

 秦とは、余所者の国と言う意味があり、彼ら自身も、中国で呼ばれた名前をそのまま受け入れたということでしょうか。

国姓は、始皇帝の姓でもあった嬴(えい)ですよ。

秦(しん)は、通称と見た方が良いでしょうね。

ちなみに、統一時の首都は咸陽でした。

 そうなると、ローマ帝国を大秦と呼んだのも、余所者の大国ってことでしょうか。

東夷西戎南蛮北狄と、周辺国を呼んだ中国ですよ。

古代イスラエルの北王国の首都サマリアは、紀元前721年にはアッシリアによって陥落しました。

アッシリアのサルゴン2世はサマリアのイスラエル人指導層などを奴隷として連れ去りまたは追放して、その土地にメソポタミアなどからの異民族を移住させ、イスラエル王国は滅亡するのです。

このとき故地から引き離されたイスラエル人たちは、後に「失われた十支族」と呼ばれています。

 アッシリアの滅亡は前609年とされるけど、そのとき、故地になぜか、戻らなかったわけですね。

始皇帝は紀元前259年から紀元前210年の人だが、秦と言う国自体は紀元前778年から紀元前206年までありました。

周代、春秋時代、戦国時代にわたって存在し、紀元前221年に中国を統一したが、紀元前206年に滅亡したわけです。

統一から滅亡までの期間である紀元前221年から紀元前206年は秦代と呼ばれます。

アッシリアは、紀元前625年には新バビロニアが独立してその勢いはさらに増し、紀元前612年に新バビロニアやメディアの攻撃を受けて首都ニネヴェが陥落したので、北朝イスラエルの民は、この時までには離れていたのかもしれないですね。

アッシリアは、新バビロニア独立の頃には、王家の内紛や広大な領土・多様な被征服民族を統治するシステムの構造的な問題が噴出したものとも考えられています。

北方からスキタイ等の外敵に圧迫され、領内では各所で続発する反乱を抑える事が出来なくなっていきましたから。

 じゃあ、スキタイなどと一緒に、ニネヴェ陥落前に国外に出ていた。

可能性はありますね。

 だとしたら、十支族による秦の建国は十分にあり得る。

可能性は、否定できないですね。

さらに、情報を集める必要はありますけど。

 嬴(えい)は、“(ヤハウエ)יְהוָה”は”(へー)ה”一文字で表す場合がある事を思えば、”(へー)ה”の転訛という解釈も出来るのでは。

想像は自由だけど、考えても良いかも知れないですね。

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賀茂氏とレビはアメリカで繋がる?

賀茂氏や加茂氏や鴨氏、字は違うがいずれの「かも」氏も、神社との関わりは深いです。

神社に関わりの深い「かも」氏に、複数の字が当てられているのも奇妙なら、鳥の鴨を当てた鴨氏以外はまったく意味不明なのです。

もっとも、神職に関わりが深いにも拘らず、なぜ鴨氏なのかも、これまた不明なのです。

いずれの「かも」氏も、天神系とか地祇系とか備前鴨などと分類されてこそいるが、かなり古くまで遡れそうなのは間違えなさそうです。

だが、天神系といっても、八咫烏に化身して神武天皇を導いたとされる賀茂建角身命を始祖とする天神系氏族とはされるものの、神武天皇より先に日本で祀られている以上、地祇系に起源を遡れる可能性は捨てきれないのです。

 つまり、「かも」氏の起源は縄文や弥生に求められるかも知れない。

日本文化を語る場合、縄文と弥生と古墳、連続と見るには断続的であるが、断続と見るには連続的と、指摘されてきました。

そうなると、「かも」氏の起源は縄文に遡っても良さそうにも、思えてきます。

仮に縄文まで遡って良いとなれば、興味深いことが見えてくるのです。

 アイヌは縄文系と指摘されますね。

そのアイヌで、神はカムイなのは偶然でしょうか。

古代の日本語は、二重母音であったと言うのは定説になっています。

そして、丸唇音であった可能性が高いので、母音はワ行であったと見る方が自然なのです。

そこで、カモをワ行母音で発音してみると、クァムィに似てきます。

カムイもまた、ワ行母音で発音してみると、クァムィに似てきます。

もし、この推論で良いのであれば、カモ氏は本来はカムイ氏であった可能性が見えてくるのです。

 そうなると、カモ氏は先祖代々神職を出すように運命付けられていたことになりますね。

先祖代々神職を出すように運命付けられていた家系となると、面白いことになるのです。

アイヌの生活文物は古代イスラエルに類似と指摘され、アイヌと琉球民族は近縁と見られています。

琉球民族の文化は、聖書との類似が指摘されるのです。

詳しくは、「沖縄の風習と聖書」(那覇出版社)や「おきなわルーツ紀行聖書でひも解く沖縄の風習」(球陽出版)を見てください。

琉球人とアイヌは共にYAPプラスの遺伝子が見つかり、アメリカのケネウィックからアイヌの親戚としか思えない古代人骨が出ています。

 アイヌと琉球人は顔立ちが似ているから、ケネウィック古代人骨は琉球人の親戚の骨と見ることもできるはずですね。

 ケネウィック古代人骨はスペインやフランスの様式の鏃を伴っていたことを合わせると、アイヌや琉球人の親戚は地中海世界にいたことになるのでしたね。

琉球人には、古代アメリカと同様な紐を使った記録法の文化があります。

沖縄からは煙が立ち上る階段ピラミッドを連想できる古代の絵が見つかり、アメリカの階段ピラミッド遺跡の上でも火が焚かれていた痕跡が確認できてますよ。

アメリカからは、縄文土器も出ているでしょ。

遺伝子からみても、日本とアメリカの先住民の繋がりは指摘できます。

寄生虫から見ても、太平洋の中ほどに古代の日本とアメリカの交流ルートがあったと指摘できるようです。

間に挟まれたアメリカ大陸に、古代中東文化の痕跡を見出さない方が、不自然で、これについても、注目したい本が出てます。

岩波新書の「インカとエジプト」という、増田義郎・吉村作治共著です。

冒頭にこうあります。

エジプトはインカにひどく似た点が多いことに気づかされます。…メソポタミアの状況は…三-九世紀の古典期マヤ文明や、一三世紀以後のメキシコ中央高原の政治状況に似ています。…エジプトをインカと比較し、メソポタミアをメキシコやマヤと比較することは、大変興味深いテーマとなるでしょう。

ここで注目したいのは、エジプトもメソポタミアも、聖書に登場する地域なのです。

 そういえば、アブラハムの出発したウルは、メソポタミアの都市国家ですね。

 そして、古代中東のYAP遺伝子…。

 繋がりますね。

そうなると、実は面白い本があるのです。

末日聖徒イエスキリスト教会が聖書と並ぶ聖典を位置づけるモルモン書は、なんと、古代アメリカにイスラエルの民が渡り、アメリカ先住民はその子孫だと主張しているのです。

 古代アメリカにイスラエルの民が渡りって、歴史学的には裏が取れてないでしょ。

でも、状況証拠は、アイヌと琉球民族の古代中東の遺伝子はアメリカ経由で日本に来たとみても、おかしくない以上、古代アメリカに古代中東の一族がいなかったと見る方が、不自然なのです。

 彼らが、イスラエルの民かどうかは別として…。

そういうことです。

古代アメリカに、少なくとも古代中東の一族がいたと仮定すると、アイヌと琉球民族の民俗の謎も解けるのですよ。

縄文土器も、環太平洋縄文文化圏を示唆するが、モルモン書には船出して再び戻って来なかった大群の存在も記されています。

モルモン書の記されていた金版や真鍮版の発見の経緯は、あまりにも神話じみているが、この本が出版された当時、古代アメリカと古代中東の関わりを検討した研究など、もちろん無いし、翻訳した人々もこれらの知識など、これっぽっちもなかったのです。

 ところが、船出して戻って来なかった大群がある。

何度目かの船出の後、消息を絶ったとあります。

ところが、ヨーロッパやアフリカには、古代アメリカとの繋がりを示す文物の出土品はないが、日本にはあるのです。

 環太平洋縄文文化圏と、遺伝子の繋がり…。

そして、沖縄の文化と聖書の類似の謎を思えば、古代アメリカに古代中東の一族がいたと主張するモルモン書を、トンデモと笑えますか。

 賀茂氏は、カムイ氏で、古代から続く祭司一族だったと見てもおかしくない。

 琉球民族もアイヌと近縁で、ともに古代アメリカに繋がり、古代アメリカに古代中東の一族がいてもおかしくない。

 仮に、古代アメリカの古代中東の一族が、モルモン書の主張するイスラエルの一派だったとしたら…。

神職としての賀茂氏は、少なくともイスラエルのレビ族同様な世襲だったことは、間違えないでしょ。

 問題は、賀茂氏がレビに遡れるかですね。

アイヌと琉球にアジア経由の可能性が低い以上、賀茂氏はその起源を大陸まで遡ろうとしたら、古代アメリカ経由は避けられないのです。

 そして、賀茂氏がレビに遡れるとしたら、古代アメリカに古代イスラエルの少なくとも一部がいたことになる…。

これだから、古代史は面白いのですよ。

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もっと考えることあると思いますがね。

みのもんたが、苦境に立ってるけど彼にどんな落ち度やスキャンダルがあったのでしょうか。

息子の不始末を理由に挙げる人がいます。

自らの言動の全責任を自分が背負わなきゃなんない年の息子の責任を、なんで親が連帯責任取らなきゃいけないのでしょう。

みのもんたは共犯でしょうか。

違うでしょ。

だったら、なんで責められるのでしょう。

むしろ、息子に裏切られた被害者じゃないでしょうか。

みのもんたの息子の不始末に、子育ての失敗と笑う人がいます。

その人はきっと、自分のダメなとこは全部親のせいにして、自分の努力不足を棚に上げているのではないでしょうか。

彼の一件は、出る杭は打たれるヤッカミ社会のかっこうなあらさがしネタに、可哀そうにみのもんたの息子がドンピシャだったわけではないでしょうか。

みのもんたが人気があったのも、良くも悪くも、ずけずけ言ってきたからでしょ。

違いますか。

日本人、周囲に目配りや気配りするあまり、言いたいこと飲み込んでしまう人が多過ぎませんか。

知識や情報なら、彼より持ってる人は大勢いるでしょう。

でも、彼くらいズケズケ言う人どれだけいます。

本やネットでなら何人かいるだろうけれど、全国ネットのメディアでどれだけいます。

今の日本、本当に言いたいことがある人は、ほとんど全国ネットのメディアに出てないでしょ。

違いますか。

活動の舞台を、ローカルメディアや、本や、ネットにしてるのが実体でしょ。

NHKの堀潤も、全国ネットのメディアに見切り付けて飛び出したでしょ。

今回のみのもんたほど極端じゃなくても、どの一家にも、足引っ張りネタなんてどっかにあると思いますよ。

皆さんも自分の身辺を、見回したらいかがでしょう。

コネがどうの、セクハラがどうの、言う人がいます。

コネやセクハラが、良いとは言いません。

でも、彼よりも問題になってもおかしくないレベルのこと、今の日本、山ほどありませんか。

自分には、これくらいの程度しか理解できないと自ら暴露しているようなもんじゃないでしょうか。

違いますか。

今の日本、どこかギスギスしてませんか。

人脈が物をいう世界、そんなのはどこにでもあるでしょう。

それに勝つには、それだけの実力を身に着け、そして、それを発揮できる場面を自分で作るしかないのでは、ないでしょうか。

そして、それを可能にするのも、皮肉なことに人脈をどれだけ作れたかにあるのでは、ないでしょうか。

親はねえ…。

ダメな子ほど、心配なんですよ、可愛いんですよ、気にかけているのですよ。

今度の一件で一番傷ついてがっくりしてるのは、親であるみのもんたなはずではないでしょうか。

今彼に必要なのは、バッシングじゃないのではないでしょうか。 

私は言いたいのです。

あなたは、頑張ったんだ。 

想いは届かなったかも知れないが、あなたのせいじゃない。

みのもんたの息子の不始末に、子育ての失敗と笑う人がいるでしょう。

私は訊きたいのです。

あなたは、親の思いをちゃんと受け止められたと胸張って言えますか。

我が子はわたしの思いをちゃんと受け止めてくれたと、胸張って言えますか。

胸はって言える人だけが、彼を笑う資格があるのではないのでしょうか。

みのもんたの息子の不始末に、子育ての失敗と笑う人に訊ねたいのです。 

あなたの親は、あなたの子育てに成功したのですか。

あなたは、自分の子育てに成功してるのですか。

昔から言うでしょう。

親の心子知らず。

縁なき衆生は度し難し。

どんなに頑張ったつもりでも、いや、むしろ頑張れば頑張るほど、裏目に出ることってないでしょうか。

親の言葉や行動、何年も経ってから、そうだったのかとわかった人は、大勢いるのではないでしょうか。

子供のころ、ちゃんと受け止め、理解したつもりでも、何年も経ってから、大人になっていろいろ経験を積んでから、本当にわかることは多くないでしょうか。

何年も経っても、わからないことも、多いでしょうけどね。

100点満点の親なんて、いたらその方は神様と呼ばれているのではないでしょうか。

ほとんどの親は、落第点か、及第点すれすれ、じゃないのでしょうか。

でも、こう思いませんか。

愛があれば、それで十分、合格なんじゃないでしょうか。

愛のない、落第以前は論外ではないですか。

違いますか。

愛なんて、片道切符の旅人みたいなものです。

帰ってくる保証なんてないのですよ。

もし、帰ってきているように見えるなら、それは、お互いが愛し合っているからではないでしょうか。

違いますか。

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日本の音楽文化とジャズと秦氏?

日本の音楽、どちらかと言うと、ジャズのジャムセッションに近くないでしょうか。

即興の掛け合いで生き生きしてくるさまは、まさに、ジャムセッションです。

 ジャムセッションは、奏者の力量と才覚に大きく左右されますね。

十分に練習を積んだ者同士でないと、簡単に空中分解するリスクと常に隣りあわせです。

楽譜の世界に、即興の掛け合いはまさに、命を吹き込んでいくのです。

忠実に再現されるべきは、楽譜ではないです。

忠実に再現されるべきは、楽譜に記された世界なのです。 

 そしてその世界は、魂の世界との交信であり交流でもあるのですよね。

日本の歌の系譜は、神前に供えるための音楽に端を発する可能性も見てきました。

ジャズはその成立史をみればわかるけど、ソウルミュージックとは密接な繋がりがあるのです。

ソウルは教会の霊歌ゴスペルやリズム&ブルースから派生した、よりポップミュージックに近い歌ものの音楽です。

 日本の精神文化も、どこか聖書、特にキリスト教と似通ってることは、これまで何度も取り上げてきたでしょ。

日本人は「歌」に対しては非常に厳格な美意識を持っているのです。

それは、日本の音楽は、言霊の表現形式の一つであるということです。

音が意識を宇宙に連結していく、日本の音楽に対する伝統的な考え方もこの延長線上にあります。

それは心の奥底に根を張っているため、容易に変質しないのです。

日本の伝統的な歌い方をすると気持ちがよいです。

それは、自身の血の中に流れる、古くからの音感と共鳴するからであります。

大陸渡来の楽器で日本の歌をなぞろうとしても、出ない音があります。

普通は、音程変更の容易な歌の方が、楽器の音程に合わせるが、日本の古人は、歌の音の方を大事にしたのです。

日本の音楽の主軸にあるのは「声」なのです。

声を伴わない器楽というのは伝統音楽の全体数から見ると、ごく少数です。

日本伝統音楽で愛用されてきた楽器の多くは、基本的には、器楽ではなく「声の音楽」の系譜に属します。

アカペラで歌われ、ここに大陸渡来の楽器の伴奏が加わっていくわけです。

どうしてこうなるかと言えば、雅楽の成立過程が関係しているのです。

雅楽の中の、ひとつのジャンルに国風歌舞(くにぶりのうたまい)というのがあります。

国風歌舞は、神楽(かぐら)歌、久米(くめ)歌、東遊(あずまあそび) など、古くから日本にある「土着の歌」とでも言うべきものです。

雅楽自体は、中国・インド・ベトナム方面や朝鮮・渤海(ぼっかい)系のものを、日本人の音感に合わせ、日本風にまとめたものです。

日本における外来音楽の最初の記録は、天皇の崩御に際し、新羅から楽人80名がやって来たという453年の記録だといわれます。

 雅楽とは、今も保存されている「アジア諸国の古楽」の、いわば音の正倉院のような存在なのですね。

今では、日本の伝統音楽と言っても良い存在になっていますけどね。

 雅楽と言えば、東儀氏ですね。

東儀氏は、秦氏から分かれた一族です。

 新羅は、古代ローマの文物が多く出土しますね。

そして中国ではローマ帝国、特に東ローマ帝国を大秦国と呼びました。

 雅楽と秦氏のかかわりが深く、東儀氏はその中心をなしている。

 雅楽の始まりに、大秦と呼ばれた古代ローマ帝国の影響が強かった新羅の楽人が大きく関与している。

なにか、面白いものを感じますね。

 ジャズは、19世紀末から20世紀初頭にかけてアメリカ南部の都市を中心に派生した音楽形式でしょ。

西洋楽器を用いた高度な西洋音楽の技術と理論、およびアフリカ系アメリカ人の独特のリズム感覚と音楽形式とが融合して生まれたと指摘されますね。

 西洋音楽とアフリカのリズムの融合。

古代ローマ帝国はヨーロッパとアフリカにまたがっていたから、古代ローマ帝国の音楽もまた、西洋音楽とアフリカのリズムの融合の地であったかも知れないですよ。

 新羅経由で、西洋音楽とアフリカのリズムの融合した音楽文化が日本に来ていたのでしょうか。

大秦帝国と秦氏の繋がりを想像するのは楽しいけど、話を戻しましょう。

日本の伝統歌曲が、大陸渡来の楽器で伴奏されるわけだから、当然、音の合わないところが出てきます。

笛系の楽器は、弦楽器のように弦の張り具合を変え、微妙に調子を変えるという融通がきかないため、普通は歌の音程の方を楽器に合わせます。

 打楽器も、チューニング出来ますよ。

天然の皮製の場合、下手にやると破けるリスクはありますけどね。

しかし、日本の古人は違っていました。

日本の古人は、絶対に歌の音程を変えようとしないのであります。

その結果、旋律をなぞる楽器の音と声の音が、半音で衝突しながら進行するところが出てきたりします。

歌の旋律線をなぞろうと楽器ががんばるが、楽器が旋律を同じ音でなぞれる部分と、近似値でとどまる部分が出てきます。

大陸渡来の楽器で、歌の音程を出せないところがあるからです。

それでも、日本人は渡来楽器を使い続けました。

楽器は、肉声では出しえない音色で、言霊表現に参加したのです。

歌と半音ずれてしまう楽器に対し「できる範囲でこちらの声についておいで」といった感じで歌が楽器を悠然と先導です。

絶対に歌の音程は、変えないです。

肉声が音楽の柱となり、楽器は言ってみればバックコーラス的立ち位置で歌に合流するわけです。

これが日本の美意識です。

伴奏楽器の発するメロディーラインに対し、半音ずれて歌うというのはとても難しいです。

普通は、歌の方が、楽器の音程の方に引っ張られ、楽器の音程に同化していくのです。

だが、日本の古人は、古くから伝わっている日本古来の歌の音程を絶対に変えようとしなかったのであります。

それができたのは、楽器が伴奏だったからではない、楽器も歌っていたのです。

 日本にコーラスがなかったのではないのですね。

声と楽器によるコーラスだったのです。

澄んだ響きが、ところどころ混沌とした響きに濁る部分があります。

こうした部分は、声の音と楽器の音が約半音で衝突しているところです。

楽器の音色の参加で生じた清濁こそ、声楽だけでは出しえない世界です。

濁と清、動と静、混沌と秩序、苦と楽、など世界は相補い相反する事物が混在しています。

楽器は肉声だけでは表現しきれなかった世界の姿を、写し取るための相方として受け入れられたのです。 

日本人にとって楽器とは、共に歌う仲間だったのではないでしょうか。

コーラスでパート分けがあるように、日本人は楽器とパート分けして歌ってきました。

水墨画は赤や青の色が混ざろうとも、水墨画です。

 墨で描くだけでは、水墨画ではないでしょ。

墨の線だけで描くのは墨絵、ぼかしによる面の表現が加わると水墨画と、区別されています。

赤や青の色は色としてではなく、墨の仲間として参加しています。

 墨に五彩ありというけれど、墨だけで出し切れない色として、赤や青は参加してるのですね。

楽器も肉声で出し切れない音色で参加したのです。 

楽器も日本音楽では、声として参加しました。

日本に欧米的な意味での器楽が発展しなかったのは、日本の器楽はコーラスの一形態として発展したといえます。

雅楽もまた、器楽にして器楽にあらずです。

雅楽もまた、アカペラコーラスの一種として発展したのです。

日本の器楽は伴奏のようで、伴奏がないです。 

日本の音楽では、肉声と楽器の境がないです。

声は声とも楽器ともセッションし、楽器は楽器とも声ともセッションします。

だから、日本の音楽には声の掛け合いだけが存在します。

まさに、声と楽器の渾然一体のセッションこそ、日本音楽の精髄です。

日本人の多くがジャズが好きなのも、むべなるかなです。

ジャズは、誕生の時、欧米の音楽文化にとっては前衛だったのだろうです。

西洋式の正しい歌い方は、まず出だしの音の正確さ、そして音の高さがまっすぐ伸び、音が上下に震えたりしないです。

地声は厳禁です。

だが、ジャズは自由奔放に音が歌い踊り対話し合います。

型にはまった当時の西欧音楽の概念を打ち壊したのです。

これこそ現代だ前衛だと持て囃されたものの多くは、すぐに陳腐化しました。

だが、ジャズは単なる前衛音楽から、欧米の音楽シーンの定番ジャンルの一つに定着しました。

それは、ジャズが欧米には新しかったとしても、長い歴史を持った音楽文化の流れにとっては新展開でしかなかったことによるのです。

日本の伝統芸術が、欧米にとって前衛です。

そう言えば、日本から包装紙として渡った浮世絵が欧州画壇にカルチャーショックを与えました。

日本の伝統音楽も、欧米から見たら衝撃的でカルチャーショックでした。

能が欧米人から見て前衛芸術なのもまた、無理からぬことです。

ジャズは、日本人にとって新参者でありながら素直に受け入れられたのは、底流を共有していたからでしょう。

日本人は、ある音を発声するとき、まず目的音より少し低めの音を発し、そこから徐々にずり上げて目的音に達するという方法をとります。

そして目的音に達すると、今度は音程を微妙に上下に揺り動かすという、いわゆるコブシをきかせ、地声で朗々と歌い上げます。

さらにリズムは伸縮自在でグラグラしています。

これは、どこかジャズのスィングに近いです。

「響き」といった、感性の領域に属するものは、言語や食事文化よりも基層にあるため、他の文化要素と比べて変化しにくいというです。

千年以上も、かたくなに古くからの歌の音感を守り通してきた日本人は、こうした特徴がきわめて強固であるといえます。

その日本の感性が、どこかジャズと響き合うのです。

なにか、興味がそそられますね。

 ふと、トランペットと尺八の音色に似てると感じたら、ミュージシャンの中にも、そう感じる人は居るようです。

そういえば、歌口から管尻までの長さはフルートと尺八が約60cm、音の高さもフルートと尺八はほぼ同じと言います。

 フルートの音色は、吹き方によってはまるで尺八のようになりますよね。

これも、面白いですね。

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秦氏と古代ローマ?

3世紀ごろ、半島南東部には辰韓十二国があり、その中に斯蘆国がありました。

辰韓の「辰」は斯蘆の頭音で、辰韓とは斯蘆国を中心とする韓の国々の意味と考えられています。

新羅は、この斯蘆国が発展して基盤となって、周辺の小国を併せて発展していき、国家の態をなしたものと見られています。

この新羅は、ローマの影響が大きかったことで知られています。

雅楽は、5世紀前後から中国、朝鮮半島など大陸から儀式用の音楽や舞踊が伝わるようになり、大宝元年の大宝令によってこれらの音楽とあわせて日本古来の音楽や舞踊を所管する雅楽寮が創設されたのが始まりであるとされます。

南アジアについては、736年に大宰府に漂着した林邑(ベトナム)僧から伝えられたとされる舞楽が「林邑楽」と呼ばれ、唐楽に分類されます。

日本における外来音楽の最初の記録は、天皇の崩御に際し、新羅から楽人80名がやって来たという453年の記録だといわれます。

つまり、雅楽の基礎は新羅からの楽人によって据えられたとみてよさそうです。

雅楽で有名な東儀氏は、秦氏から出ました。

 雅楽といえば東儀秀樹の顔、どう見ても東アジアの系統じゃないですね。

古代中国で、ローマ帝国は大秦国と呼ばれ、新羅にローマの影響が大きいと指摘されます。

そして、新羅からの楽人によって雅楽の基礎は出来た可能性があり、雅楽で有名な東儀氏は秦氏の出とされます。

 その東儀氏の一員である東儀秀樹の顔はどう見ても西方的に見えるのは偶然でしょうか。

 日本には結構ローマ人的な顔は多い、映画テルマエロメオのローマ人役は全員日本人で間に合わせたけど、ローマ人から違和感なしの評価でしょ。

東儀秀樹は、ローマ人役やっても違和感小さいと言いたいのですか。

中国資料によると、新羅は古くは辰韓=秦韓と呼ばれ、秦の始皇帝の労役から逃亡してきた秦人の国とされます。

日本古代史学者の水谷千秋は、辰韓の民の話す言語は秦の人に似ており、辰韓は秦韓とも呼ばれていたため、実際に中国からの移民と考えて間違いない、と『謎の渡来人秦氏』(2009年文春新書)で述べているそうです。

弓月君の子孫は各地の秦氏の流れへと繋がるが、弓月君の出自については、かつて天山山脈のふもとに三日月国とも弓月国とも呼ばれた国から来たとも呼ばれています。

景教博士である佐伯好郎は晩年、「極東における最初のキリスト教王国弓月、及び、その民族に関する諸問題」という論文を書いているそうです。

佐伯好郎はこの論文で秦氏のルーツを大陸にあり、と論じたと言います。

 だが、弓月国が極東における最初のキリスト教王国とすると、何時頃からどのようにして、キリスト教国になったかですよ。

ここでも、キーワードは秦かも知れないです。

古代中国で秦と言えば、大秦、つまりローマ帝国を指したとしたらどうでしょう。

 東西に分裂したころのローマ帝国は、すでにキリスト教国ですね。

ローマ帝国から、新天地を求めて移動したキリスト教一派があったとしたらどうでしょう。

 自らの信仰を貫くために、ローマ帝国を去って、東方に新天地を求めた人たちがいたと。

そうすれば、弓月国は建国当初からキリスト教国であっても、おかしくないのです。

 佐伯好郎は、秦氏をユダヤ人キリスト教徒であったという説を展開したことで知られますね。

飛鳥昭雄と三神たけるは、晩年の佐伯好郎は景教徒説から原始キリスト教徒説に修正にしていたと指摘しています。

 秦氏が原始キリスト教徒であってみれば、キリスト教の本来の姿を守れる新天地を求めて東進しても不思議ではない。

ただ、問題は、弓月君の帰化の経緯についての『日本書紀』の記録です。

まず応神天皇14年に弓月君が、百済から来朝して窮状を天皇に上奏した。

弓月君は百二十県の民を率いての帰化を希望していたが新羅の妨害によって叶わず、葛城襲津彦の助けで弓月君の民は加羅が引き受けるという状況下にあった。

しかし三年が経過しても葛城襲津彦は、弓月君の民を連れて本邦に帰還することはなかった。

そこで、応神天皇16年8月、新羅による妨害の危険を除いて弓月君の民の渡来を実現させるため、平群木莵宿禰と的戸田宿禰が率いる精鋭が加羅に派遣され、新羅国境に展開した。

新羅への牽制は功を奏し、無事に弓月君の民が渡来した。

つまり、新羅ではなく百済経由とされているのです。

だが、弓月君が新羅から来た原始キリスト教徒であってみれば、そして、新羅を逃れた民であったとみればどうでしょう。

 当時の日本と百済の関係を利用して、新羅を牽制した可能性がある。

そうかも、知れないですよ。

 さらに、ユダヤ人原始キリスト教徒としての秦氏がエルサレム教団だったとしたら、ローマ帝国との戦いの前に逃亡してるから、正体を隠す必要もあったでしょうね。

祖国を失ったユダヤ人は、各地に散りましたからね。

遊牧の民は、遊牧の民同士で行動を共にすることが多かったから、紛れ込んで身を隠したでしょね。

 雅楽が東アジアの古楽にルーツを持つのも、秦氏がルーツのカモフラージュをしてるのでしょうか。

そうかも、知れないですよ。

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成人T細胞白血病がみせる意外な繋がり。

病気でルーツを辿って行く方法があります。

病気の感染経路が限られているからです。

そのため民族のルーツを辿る研究に利用されています。

これまでにも家族性地中海熱や家族性アイルランド熱、高IgD症候群、クローン病などみてきました。

 これまで見てきたのは、いずれも遺伝性疾患で、日本とヨーロッパの意外な繋がりの深さが見えましたね。

今回は、ウイルス性疾患を取り上げて見ます。

成人T細胞白血病(ATL, Adult T-cell leukemiaまたはleukemia/lymphoma)は、腫瘍ウイルスであるHTLV-1感染を原因とする白血病、もしくは悪性リンパ腫です。

1976年(昭和51年)に高月清らによって発見、命名されました。

HTLV‐1感染者を、HTLV‐1キャリアといいます。

日本ではHTLV-Iキャリアのうち、毎年600-700人程度が病型は問わずATLを発症しているそうです。

キャリアの生涯を通しての発症危険率は、2-6%であるといいます。

キャリアの診断は、抗体検査によります。

臨床的に白血病、リンパ腫を疑った場合のATL 診断は、抗体陽性、血液像、HTLV‐1 感染細胞の単クローン性増殖を調べるSouthern blotting(サザンブロッティング)によります。

単一の細胞に由来することを、単クローン性といいます。

Southern blottingとは、Edwin Southernが考案した、DNAを同定するための手法です。

この手法により、異なる塩基配列を持つさまざまな二重螺旋(らせん) のDNAの混合溶液から、ある特定の塩基配列を持つ分子が存在するかどうかを確かめることが可能です。

進行ATL の患者では、LDH,sIL‐ 2R, Ca ++が上昇するといいます。

一部には、かなり早期から免疫不全の兆候を認めるそうです。

HTLV-1キャリアは、日本全国で100万以上いるとされます。

また、日本人におけるHTLV-Iの陽性率は、献血者を対象とする結果から0.32%と推定されています。

日本におけるATLによる年間死亡者数は約1,000人であり、1998年(平成10年)以降の10年間に減少傾向はみられていないそうです。

日本では、アイヌ人や琉球民族にキャリアが多いのです。

感染者の分布は、九州・沖縄に編在しているといいます。

例えば東京都におけるHTLV-1の陽性率が0.15%と低率であるのに対して、全国で最も陽性率が高い鹿児島県では1.95%と、住民の約50人に一人がHTLV-1キャリアとなっています。

沖縄、鹿児島、宮崎、長崎各県のキャリア率は約5%で、世界的にみても最もHTLV‐1地域集積性が強いといいます。

陽性率がキャリア率に対して低いのは、陽性が医学の検査などで、ある刺激に対して反応がはっきり現れることだからです。

ある刺激に対して反応がはっきり現れない陰性であっても、キャリアである場合も当然あるわけです。

 どのウィルスに対しても陰性と出ても、感染してないわけじゃないから、要注意。

そういうことですね。

これらの人口は日本全国の約4.6%であるが、国内キャリアの1/3 を占めるそうです。

人口比約1%(約150 万人)の長崎県では、全国平均の10 倍、年間約70 例の発症と死亡が確認されると言います。

これは、他のすべての白血病とリンパ腫の合計に匹敵する数値だそうです。

大都市ではキャリアの多くは感染者が多い地域の出身者の子孫で、そこでの率は低いが絶対数は全国の約半数だそうです。

原因ウイルスであるHTLV-Iの感染者は日本、特に九州に多く、他にはカリブ海沿岸諸国、中央アフリカ、北米、南米、オーストラリアなどに感染者がみられます。

そのため、成人T細胞白血病(ATL)患者もこれらの地域に多くみられるが、不思議な事にアジアには存在しないのです。

若干の例外を除いては…。

この地域の人々と日本の先住民は母乳で繋がっているのです。

 縄文人と南北アメリカ大陸の関わりの深さは、遺伝子レベルでも確認されてきたし、縄文土器でも裏打ちされてきたけれど、今度はウイルス性疾患ですか。

 アフリカもかかわっている辺りが、興味惹かれますね。

意外なのは、現在確認されているアフリカの国の名前です。

南アフリカ、タンザニア、ケニア、ウガンダ、ザイール、スーダンなどです。

北米ではアラスカを含むアメリカ合衆国、南米では、ジャマイカ、バルバドス、マルティク、トリニダッド、パナマ、コロンビア、ベネズエラ、ギアナ。

オセアニアでは、オーストラリアのアボリジニ、パプアニューギニア。

アジアでは、日本のアイヌや琉球とその子孫、台湾、インドのマドラス地方。

ヨーロッパでは、北欧のラップ人。

 地中海世界が見えないのは、確かに意外…。

 アフリカとアメリカとなると、オルメカヘッドを残した人達も気になりますね。

 日本にもオルメカヘッドに似た顔の人も居るので、アフリカからアメリカ経由で日本の可能性もあり得ますね。

アフリカ由来の日本人、探る必要はありそうですね。

エジプトなど中東以外のアフリカとも、何かありそうです。

成人T細胞白血病(ATL)は、幼少時に母乳を介し母親から感染したhuman T‐lymphotropic virus type 1(HTLV‐1)キャリアにのみ発症すると指摘されます。

ほかには、性交の際の精液に含まれるリンパ球を通じての男性から女性への感染も確認されています。

個体内でのHTLV-1増殖の場は、主にリンパ節であると考えられています。

リンパ節で増殖したATL細胞が血液中に流出すると、特徴的なATL細胞が末梢血で見られるようになるわけですね。

リンパ球は血液中にも含まれるので、輸血が感染経路になる場合もあります。

 それで、献血者を対象とする結果から0.32%と推定…。

そういうことですね。

我が国では1987年に輸血用血液のスクリーニングが導入されて以来、輸血感染は消滅しているといいます。

 でも、外国では…。

どうなんでしょうね。

ATLはHTLV‐ 1キャリアに5~10%の頻度で発症し、2年以内にほとんど死亡するというから、発症するとかなり厄介ですね。

ATLの治療は依然としてはかばかしくなく、ATLの予防には感染予防が最善の方法と思われるそうです。

 キャリアとわかったら、人工栄養で育てなさいと…。

キャリアの母親による母乳保育が継続された場合、子供の約20%がキャリア化するとされます。

一方、これを人工栄養へ切り替えることによって母子感染はほぼ防げるといいます。

 母子感染は、ほぼ防げるということは。

出産時の感染の可能性もあるにはあるが、人工栄養児のATL発症率は0.2%未満というので、計画的帝王切開の適応はないそうです。

 男性の場合は、人工授精ができれば好ましい。

そういうことでしょうね。

まあ、リンパ球であって精子ではないので、母子感染の予防でかなり子供への感染はかなりの程度防げるようです。

感染から発症までの期間が非常に長いため、成人で初感染した場合は発症せずに寿命を迎えることがほとんどだといいます。

ATL は、幼少時に母乳を介し母親から感染したHTLV‐1 キャリアにのみ発症すると見られています。

それは、感染から発症までの期間が非常に長いためです。

近年、60から70歳代の患者が最も多いそうですから。

 なるほど、それじゃ成人で感染しても大半は発症前に寿命が来ますね。

成人感染の確証があるATL例は、白血病の治療、移植など高度の免疫不全症例しかないそうです。

CD4 + T感染細胞が数種類の突然変異で腫瘍化し、単クローン性に増殖したのがATLです。

単クローン増殖までの突然変異集積の機構は、今現在の時点では不明です。

TSP/HAMやぶどう膜炎などの自己免疫性疾患は慢性に経過し、それ自体致命的になることは比較的少ないといいます。

TSP/HAMすなわち熱帯性痙性麻痺/HTLV-1関連脊髄症は、徐々に進行する脊髄の病気で、原因はヒトT細胞白血病ウイルス1(HTLV-1)です。

ぶどう膜炎は、眼球全体を包み込むよう広がっているぶどう膜つまり虹彩や毛様体や脈絡膜に炎症を起こす疾患です。

虹彩や毛様体や脈絡膜の組織は眼球全体を覆っているために形は球形で、血管やメラノサイトが豊富で色もぶどうの実に似ていることから、ぶどう膜と呼ばれています。

これら症状に深入りすると、先に進まないので、話を進めます。

自己免疫性疾患は成人感染によっても発症するが、生涯発生率はATL より少ないそうです。

 成人は発症前に寿命になることが多いからと言って、子供への感染は防がないといけないでしょ。

もちろんですとも。

感染経路は限られているので、予防さえできれば、キャリア率はかなり下げられるそうですよ。

なお、全国のキャリア数は約100万人、ATL発症数は年間約700例といわれます。

発症の原因はすでに触れたように、HTLV-I感染であり、独自の形態をもつ異型リンパ球(CD4陽性リンパ球)の、腫瘍です。

腫瘍の発生は、単クローン性増殖による発生がほとんどで、1個の細胞の異常分裂による、単中心性発生が多いそうです。

ヒトレトロウイルスHTLV‐1は逆転写後DNAとなり、CD4 +T細胞の遺伝子DNA に組み込まれ、プロウイルスとなります。

プロウイルスとは、レトロウイルスにおいて宿主ゲノムDNAに組み込まれた状態で、RNAに転写される前にあることです。

プロウイルス遺伝子は発現し、体内で二次感染を生ずるため感染細胞は多クローン性です。

 二次感染で、単一の細胞に由来する単クローン性から複数の細胞に由来する多クローン性になる。

そういうことでしょうね。

不死化感染細胞の大部分は、ウイルス遺伝子発現をしないそうです。

無限増殖もせず、腫瘍細胞でもないといいます。

Tax蛋白による多彩な細胞遺伝子発現制御異常で、感染細胞は不死化するというからやっかいですね。

ごく一部の細胞は遺伝子発現し、宿主に抗原刺激を行い、キャリアの診断マーカー、抗体を維持することになります。

免疫監視機構は、抗原発現細胞を速やかに排除するが、感染細胞は生涯消えないといいます。

 HTLV-1の発癌機構としては、どのように見られているかです。

母乳中のHTLV-1感染リンパ球が乳児の消化管内で乳児のリンパ球に接触することで、HTLV-1は新たに感染することができるとみられるそうです。

レトロウイルスであるため、リンパ球DNAに組み込まれ、ウイルスの再生産を行います。

HTLV-1のp40 taxは宿主細胞のIL-2レセプター遺伝子などを活性化し、その分裂増殖を引き起こすのです。

こうして無限増殖を繰り返す宿主細胞がその過程でなんらかのエラーをおこし、形質転換をおこし、ATLを発症すると考えられています。

ATLの臨床経過は多彩であり、以下のような4つの病型と1つの病態が知られています。

病型

急性型
リンパ腫型
慢性型
くすぶり型

病態

急性転化

この診断基準は、消去法にて定義されています。

急性型の病態が最も多彩であり、定義しにくい反面、くすぶり型、慢性型、リンパ腫型はそれぞれの特徴が比較的明確であるといいます。

基本的には定義しやすいくすぶり型、慢性型、リンパ腫型でなければ急性型と考えるわけです。

予後不良因子としては、年齢、パフォーマンスステータス、総病変数、高カルシウム血症、高LDH血症があげられるそうです。

予後不良因子を持たないくすぶり型と慢性型では化学療法がむしろ免疫不全を助長し、感染症合併の要因になるため、原則として経過観察とするといいます。

急性型、リンパ腫型では極めて予後不良であるため、ただちに加療する必要があります。

急性化すると極めて予後不良です。

急性型と診断された患者の生存期間中央値は、1年未満であるというから治療は短期決戦になるでしょうね。

 治療はどうなっていますか。

CHOP療法が選択されるが、再発、薬剤耐性化が多い。若年発症では造血幹細胞移植も試みられている。

成人T細胞白血病自体への治療としては、急性白血病と同様、寛解導入療法後の造血幹細胞移植が検討されているそうです。

寛解導入療法としてはCHOP療法やLSG15といった化学療法を用い、造血幹細胞移植は一般的な前処置を用いた同種骨髄移植が考えられているそうです。

一般に急性型、リンパ腫型、予後不良因子を有する慢性型が治療対象となり、一般的にaggressive lymphomaに準じた治療法が選択されるといいます。

名前のとおりT細胞性でありCD20陰性のため、CHOP療法が選択されるそうです。

予後不良因子を持たない慢性型やくすぶり型ならば、経過観察となるようですね。

ATLは初回から薬剤耐性を示すことが少なくなく、標準的な治療法が未だに確立していないそうです。

CHOP療法によって1stCR(完全寛解)を得る症例が近年増えているが、再発が多いようです。

再発例は薬剤耐性があるためペントスタチンや造血幹細胞移植、CCR4抗体、CD52抗体、ジドブジン、インターフェロンαといった治療法が現在研究中であるといいます。

 合併症への治療としては、どうでしょう。

高カルシウム血症に対しては、ビスホスホネート製剤、大量補液、利尿剤、カルシトニン製剤が有効とみられるようです。

日和見感染症に対しては、抗生剤などを投与するといいます。

1970年代の日本の白血病、リンパ腫の論文ではいくつかの興味深い症例報告をみることができるそうです。

西南日本に予後不良の悪性リンパ腫が多いこと、家族内発症が悪性リンパ腫にみられること、ホジキン病が南九州に多いこと、セザリー症候群や皮膚T細胞リンパ腫が九州に多いこと、リンパ腫から白血化し、急激に死にいたる症例が認められること、末梢血に核が分葉した奇妙な白血病細胞が認められることなどがあげられるといいます。

これらの多くは2008年(平成20年)現在の診断能力ではATLと診断されておかしくないものばかりであるが、腫瘍ウイルスが原因とわかったのは1980年代だそうです。

参考までに、このページを紹介しておきます。

成人T細胞白血病の治療を受ける
患者さん・ご家族へ
平成22 年度厚生労働科学研究費補助金 第3 次対がん総合戦略研究事業
「成人T細胞白血病のがん幹細胞の同定とそれを標的とした革新的予防・診断・治療法の確立」
患者さんやご家族が納得した治療を
受けていただくために
http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou29/dl/atl.pdf

 アイヌや琉球民族の、思いがけない繋がりが見えてきました。

まあ、インドやオセアニアも、日本人のルーツ探しではしばしば話題に上りますからね。

北欧のラップ人は、北欧と日本の繋がりを解く鍵を握っていそうですね。

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働くの語源は西方にあり?英語VS日本語 その7

らくと言う言葉について、こう考えてみました。

らくとは、手伝うとか、協力や協働が、元の意味であったのではないか。

  手伝い、協力や協働しあうから、負担は軽くなって心身に苦痛などがなく、快く安らかになるし、一人では大変でもたやすいこと、簡単なことになるし、結果として 生計が豊かにもなる。

協力や協働は、分業や協業の結果、一人一人の労力は軽くなる。

 一人一人の労力の軽くなる分業や協業を行うことが、本来のらくであった。

ここで、想い起すのは、日本語はかつて二重母音だったことです。

具体的には、ワ行母音と言って良いでしょう。

旧仮名遣いは、今日のア行母音よりもワ行母音の方が発音しやすいのです。

となると、らくもまたワ行母音であったはずです。

発音してみると感じるのです。

英語のワークに、音が似てくるのです。

 ワークは働くと言う意味だから、音も意味も重なるわけですね。

R音は、巻き舌音として音はかすれて聞こえにくくなる傾向があります。

一方、L音は巻き舌音として音は濁って濁音になる傾向があります。

そうなると、頭のR音は欠落して、さらに音はワークに近づくことは容易に想像できます。

 はたらくの「はた」は周囲の意味とすれば、「らく」だけでワークの意味になる。

 じゃ、はためくは、どう解釈するかです。

はためくとは、こういう意味ですね。

布や紙などが風に吹かれてはたはたと動く。

揺れるように鳴り響く。響きわたる。とどろく。

鳥などが羽ばたきをする。

ひるがえる。

ようするに、はた、つまり周辺が激しく揺れ動いて激しく音を立てる様子を表すのが、はためくと解釈できるでしょう。

音を立てるとは、音が出る状態になることであり、音を発生させる主体になることと、言い換えて良いでしょう。

発生させる主体になるとは、メーカーになると考えることもできるはずです。

ならば、めくは英語のメークに当たると言えないでしょうか。

きらめくとは、輝きを作ること。

ひらめくとは、潜在的だったものを顕在化させて新たな考えを作ること。

 きらめくの「き」は、「木(き)」や息の「き」のように細く放射されるような、イメージ。

 ひらめくの「ひ」は、「火(ひ)」のようにひるがえっていくような、イメージ。

 そして、「ら」は包み込む表面のイメージ。

そう見ていくと、実は日本語の中には、もっと欧州の言語と語源を共有するするものがあるように思えてきます。

 これまでにも、日本語と英語との類似を何回か見てきましたね。

 はたも、案外、フロントと語源が近かったりして。

 フロントも、端っこのイメージがあるでしょ。

 最先端といえば、聞こえは良いけど。

R音とD音とT音は、巻き舌音を介して相互に転訛する可能性はあります。

考える余地はありそうですね。

 じゃ、きらはミラー、ひらはフィルムとか。

フィルムは細い糸の意味だけど、細い糸で作ったように薄い膜も指します。

 それじゃあ、はたらくも、はためくも、きらめくも、ひらめくも、英語になってしまう…。

でも「めく」がつく言葉は多いです。

 一度、形容語句を作る接尾辞として定着すれば、後は応用でいくらでも出来るでしょ。

そのことが、かえってこういう構図を見え難くしてるのでしょうね。

 派生したものと、そうでないものをごちゃまぜにして、全部説明できないとだめなんて考えるから、見えてこなかった。

そうかも知れません。

日本は、欧州の遺伝性疾患のアジアにおける飛び地でもあります。

 格助詞である「てにをは」を省けるということは、日本語最大の特徴が古文、特に太古の古文にはないと言うことなのでしたね。

日本語の起源は、ラテン語だったと主張する『ラテン語と日本語の語源的関係 』(サンパウロ出版)のような書も出ています。

ここには、「こころ」「すめら」「さらば」など、日本古来の単語とラテン語の発音の共通性が、700以上列挙されています。

 アメリカのケネウィックから、イギリス人的であると同時にアイヌ的でもある古代人骨が、フランスとスペインの様式の鏃とともに出土してますね。

縄文人の顔を再現したらフランス人のそっくりさんがいる芸能人に、激しく似てました。

映画テルマエロメオでローマ人役を全員日本人で間に合わせたら、ローマっ子から違和感なしとの太鼓判が押されました。

東北弁がフランス語と勘違いされるCMが流され、今は亡きシャンソン歌手淡谷のり子はあまりにひどい東北訛りを逆手にとってシャンソン歌手になったと言います。

秋田美人の典型顔は、ミロのビーナスという指摘もあります。

 もっと、広い視野で日本語の起源は考えられて良いでしょう。

先入観は、捨てるべきでしょうね。

 ユダヤ人は白人的な顔だから日本に来てるわけがない、と言う人には日本人の白人顔のルーツはユダヤ人だと言いたいのかとの反論で、論破できますしね。

面白いのは、ロシア領に秋田美人としか言いようのない女性たちがいることです。

そして、バイカル湖畔こそ、日本人の起源という研究もあります。

 古代中東のYAP遺伝子が日本にあるが、中東はいまだに日本人のルーツ探しの視野にないようですね。

アカデミズムは、人類史上の通過点くらいにしか、中東を見てないようですね。

 遺伝子情報は、中東から西を指してるのですけどねえ。

家族性地中海熱とか、ですよね。

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ヒッグス粒子は重さの決定者なのか?

2013年10月8日各メディアはノーベル物理学賞受賞は、ヒッグス粒子発見に貢献したピータ・ヒッグス氏とフランソワ・エングレール氏と伝えました。

今回は産経ニュースから引用します。

ヒッグス氏らにノーベル物理学賞 「ヒッグス粒子」の存在予言
2013.10.8 20:02 [ノーベル賞]
http://sankei.jp.msn.com/science/news/131008/scn13100820030000-n1.htm

ピータ・ヒッグス氏(右)とフランソワ・エングレール氏(AP)

 スウェーデン王立科学アカデミーは8日、2013年のノーベル物理学賞を、物質に質量をもたらす「ヒッグス粒子」の存在を理論的に予言した英エディンバラ大名誉教授のピーター・ヒッグス氏(84)と、ブリュッセル自由大名誉教授のフランソワ・エングレール氏(80)に授与すると発表した。

素粒子物理学の大きな謎を解明した功績が評価された。

 ヒッグス粒子は全部で17種類ある素粒子のうち唯一、未発見だった最後の粒子。

1964年、ヒッグス氏はこの粒子の存在を予言し、エングレール氏は物質に質量が生じる仕組みを説明する理論を発表。

極微の世界の基本法則である素粒子の標準理論を完成に導いた。

 スイス・ジュネーブ郊外にある欧州合同原子核研究所(CERN)の大型ハドロン衝突型加速器(LHC)を使った国際チームの実験で昨年7月、ヒッグス粒子とみられる新粒子が見つかり、今年3月に発見が確定。

わずか半年後の異例のスピード受賞は、科学史に残る大発見を裏付けるものとなった。

 ヒッグス粒子の性質を詳しく解明すれば、現在の標準理論を超える新たな物理学が生まれ、物質や宇宙誕生の理解が飛躍的に進むと期待されている。

 LHCは各国から計数千人の研究者が参加した巨大プロジェクトで、日本も東大チームなどがデータ解析や装置建設で貢献した。

 授賞式は12月10日にストックホルムで行われ、賞金計800万スウェーデンクローナ(約1億2200万円)が贈られる。

受賞の栄誉は素直に称えたいと思います。

だが、ヒッグス粒子と重力の関係とか、どう説明するのでしょう。

重力の大きさは重さに関係なく、同じ大きさだからといって、ヒッグス粒子の正体はヒッグス場と言うなら、重力場との関係が問題と思うのですよ。

ヒッグス場やヒッグス粒子は重さを与えてると言うが、どうやって、どの粒子がどの大きさの重さとヒッグス場やヒッグス粒子は判断してるのでしょう。

 ヒッグス場と粒子は相互作用し、その相互作用で重さは決まると言ってるようですね。

ヒッグス場やヒッグス粒子は重さを決めてるんなくて、潜在的な重さを顕在化させてると言う方が、本当じゃないのでしょうか。

無重力下で量りは使えないが、加速度で重さは調べられるのですよ。

 加速度は重力と区別できないはずですね。

つまり、重力加速度は潜在的な重さを顕在化させてると言っても良いのでは、ないでしょうか。

 これは見かけ上、重さを与えているように見えると思うのですが。

ヒッグス場やヒッグス粒子は重さを与えてると言うが、どうやって、どの粒子がどの大きさの重さとヒッグス場やヒッグス粒子は判断してるのでしょうね。

 相互作用の大きさで決まるとしても、その相互作用の大きさはどうやって決まるかですよ。

ヒッグス場やヒッグス粒子に、決定権があるとでも言うのでしょうか。

重さを与えてると言うなら、与える重さを決めている基準は何なのでしょう。

  ヒッグス場やヒッグス粒子は重さを決めてるんじゃなくて、潜在的な重さを顕在化させてると言う方が、本当じゃないでしょうか。

ヒッグス粒子・ヒッグス場が重さを与えてると言うなら、粒子の重さをどうやって決定してるか、それを突きとめるのが次の課題になるはずです。

今後の展開を、注目したいですね。

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はたらくという言葉を考えてみた。

はたらくの語源については、はたらくの「はた」は、はためくの「はた」同様、擬音語であるというのが定説です。

はた、つまり、周囲を楽にすることと言う解釈は、通説とされます。

だが、擬音語の「はた」になんで「らく」が付くのかと言う合理的な説明は定説には一切ありません。

はたらくが、はためくの転訛と呼ぶには、余りに無理があるのです。

転訛と言うなら、はためくがはたらくから派生したと見る方が自然なのです。

 定説とされる解釈には、言語学的に無理がある。

良いですか。

言葉は、まず、話すものであって、書くものではないのです。

全ての言葉は、擬態語や擬音語が元になったと見るから、はたらくの「はた」は、はためくの「はた」同様、擬音語であるという解釈が出るわけです。

だが、皆が働くの当たり前の時代に、「はたらく」と言う言葉があったでしょうか。

 はたらくことがなんらかのわけできない人や、はたらくことをしない人も、いたでしょうね。

昔になればなるほど、労働は協働ではなかったでしょうか。

 一人では、効率も能率も悪いが、協働であれば効率も能率も高くなりますね。

はたという言葉は、まず、周囲とか周辺の意味、あるいは、周囲や周辺のあるものの意味、であったと思われます。

 木の葉の「は」、端の「は」は、周囲とか周辺をさした。

 そう言えば、端や橋や箸さらには嘴の共通点は、細長いこと。

橋は、長さにたいして幅が広い正方形に近い比率も中にはあるけど、基本的にはそうですね。

「はた」とは具体的には、周囲とか周辺の端をさし、周囲とか周辺の端を持つものも、含むようになっていったと私は見ます。

そして、らくとは、手伝うとか、協力や協働が、元の意味であったのではないでしょうか。

  手伝い、協力や協働しあうから、負担は軽くなって心身に苦痛などがなく、快く安らかになるし、一人では大変でもたやすいこと、簡単なことになるし、結果として 生計が豊かにもなる。

つまり、はたらくとは、皆で協力や協働して何かをすることであり、その目的とは、何者かに労務やその生産物を提供することであったのではないかと見たいのです。

そして、共同体全員が助け合って働く相手とは、神であったでしょう。

協力や協働は、分業や協業の結果、一人一人の労力は軽くなる。

一人一人の労力の軽くなる分業や協業を行うことが、本来のらくであった。

楽市楽座も、皆が助け合い協力し合って運営するから、そう呼んだのではないでしょうか。

快く助け合うから、楽しいし、活気もあり、結果として楽だったでしょうね。

さらに、神のために、神とともに、何かを成すための協働が、はたらくことだったのでしょう。

 神のために、神とともに、となれば、神の助けも期待できますね。

本来が、神に捧げる行為であるはたらくことは、自然と丁寧になり、手を抜かないことになります。

 神に最高最上を奉げるわけだから。

日本人の仕事のていねいさは、ここから来たのでしょう。

 神のためのはたらきで磨いた腕が日常品でも発揮されたし、いつ、神のためにはたらくかわからないから、手を抜けないということでしょうね。

神とともに、神のために、それがはたらくことの目的だから、楽しいわけですよ。

 楽しいと言う言葉にある「らく」とは、神との協力や協働と言う気持ちが込められている。

「らく」になる「はた」とは人々の事であり、その中心には神が居られる、ということなのでしょう。

 はたらくとは、「はた」を「らく」にすることだけではなく、「はた」が「らく」になること、でもあるのですね。

その中心に居られて、周囲の人々「はた」を「らく」にして下さる方が神なのでしょう。

 人々の荷を背負い、人々を楽にして下さる神といえば、聖書の神はまさにそうですね。

例えば、マタイによる福音書11章28節から30節にこうありますね。

疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。

わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。

わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。

これは、神とともに歩もうとするものには、神の助けで事柄はうまくいくようになる、ということでしょう。

聖書は神の道を説き、神道は惟神((随神)かんながら)を説きます。

惟神とは、神に従う事であり、神道とは神に従い歩む道となるのです。

欧米のキリスト教徒は、労働の罰としての側面しかみないが、神は人に不可能なことを求めません。

それどころか、喜んで従い労働するなら、神は助けて下さるので、どんなに思い荷も軽くなると言うのです。

この世の計算では大変な仕事も、神の計算を受け入れ従うなら神の助けにより楽になるというのです。

 神とともに、神の御心に沿った技を、神の御心のためになすなら、楽になり、楽しくなる。

これこそが、日本古来の仕事観であり労働観だったのでしょうね。

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神社の構造について考えてみました。

街中で見かける神社と寺の見分け方として、よく言われるのは次の点です。

 そう言えば、見た目が似通っていて、どう区別するかわからないことはありますね。

外見としては、瓦葺きでないなら神社で、瓦葺きなら寺と、思えば大抵区別はつきます。

 天平の甍と言いますね。

 甍は、瓦の事で、仏教とともに伝来したのでした。

一方、神社は茅葺が普通です。

 神社は、瓦の伝来以前の建築ですからね。

もっとも、中にはどちらも屋根に銅版が葺いてあったりして区別しにくい場合もあります。

そういう時は、多少近寄らないとならないが、鈴なら神社で、銅鑼なら寺です。

だが、古い歴史を持つ神社は、たいてい、一目で区別がつきます。

神社建築、特に本殿の特徴として以下の点が指摘されています。

屋根に妻を持つこと

床を高く張ること

瓦を用いないこと

土壁を用いないこと

装飾の質素なこと

もっとも日光東照宮のように、装飾だらけの神社も、なかにはあるが、これは例外中の例外です。

古来からの神社には、いくつかの様式があります。

大社造

住吉造

春日造

神明造

流造

八幡造

どうして、これだけの様式が分かれたか、それはわかりません。

だが、神社でなぜ、屋根に妻が付くかと言うと、それには理由があります。

神社建築では、長さは何間あろうが、妻の方は基本は必ず柱が三本なのです。

 八幡造では、屋根を伸ばすためにわざわざ妻をもう一つ造りますね。

 神の三柱と、関係があるのでしょうか。

おそらく、そうでしょう。

歴史のある神社では、本殿までの鳥居はたいてい三つです。

これも、神を三柱とする思想が背景にあるようです。

ついでに言うと、妻の方に階段があるかないかと言う区別もあります。

妻の方に階段があるのは、大社造、住吉造、春日造です。

神明造、流造、八幡造は、階段は妻の方にありません。

神社の基本構造は、出雲大社の有名な設計図である金輪の造営にみられるように、九本柱と思われます。

 出雲大社だけでなく、伊勢の神宮も、九本柱ではないですか。

周囲に廻らされた回廊でわかりにくいが、そのような印象は受けますね。

 九本柱が基本としたら、金輪の造営について、生命の樹を連想したが、神社は生命の樹を表すことになりますね。

興味深いのは、八幡造で、建物を支える柱は十三本に見えるのです。

 母屋の真ん中の一本は大黒柱として、勘定から外して良ければ十二本。

 八幡(はちまん)は通称で、正式には八幡(やはた)ですよね。

八幡(やはた)に対しては、ユダヤを表すイエフダーの転化と言う説がありますね。

 八幡(やはた)がユダヤであるなら、十二はイスラエルの支族の数となりますね。

 大黒柱は、天の神である御父を表すのではないでしょうか。

なお、本殿の大きさは、正面から見たときの柱間の数で表されます。

例えば、正面に柱が四本立っていて柱と柱の間が三つであれば、三間社と呼びます。

その場合の間は、柱間が一尺であろうと十尺であろうとすべて一間と数えるのです。 

実際の神社では、圧倒的に多く全体の九割以上を占めるのは、一間社だそうです。

残りは、ほとんど三間社で、偶数の間数は社寺ともに嫌われるので、二間社や四間社の例は、希にしかないようですね。

五間社以上の大型本殿の例も少なく、長大な例では、京都府の石清水八幡宮、山梨県の窪八幡神社の十一間社があります。

 軒下が大半、一間と言うことは、大社造や春日造と、関係はあるのでしょうか。

そうかも知れません。

二間社や四間社の例は希にしかないが、偶数は陰の数であり、陰は鬼の語源ともされることも理由としてあるのかも知れません。

 十一間社の十一は、十一面観音でもしばしば言われるけれど、生命の樹の節の数ですよね。

面白いのは、本殿ではないが、諏訪大社の十間廊と言う建物は、大きさだけでなく形と方角や使い方が全部、古代イスラエルの幕屋と同じであるという指摘があります。

なお、十間廊は古くは神原廊(ごうばらろう)とも呼ばれたようですね。

 こうしてみると、神社は、拝殿と本殿を分け、前方に二本柱を持つ構造は古代エジプトや古代イスラエルの神殿と類似ですよね。

 賽銭箱があり、神域を持ち、裾に房のある衣装の神職が清めの塩を用いるばかりか祓いをすることまで、古代イスラエルの神殿と類似。

こうしてみると、神社と古代中東は、やはり何か、ありそうですね。

 でも、神社の構造については、専門家から、指摘が来るのでは。

その時は、素直に教えを乞いますよ。

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