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はたらくという言葉を考えてみた。

はたらくの語源については、はたらくの「はた」は、はためくの「はた」同様、擬音語であるというのが定説です。

はた、つまり、周囲を楽にすることと言う解釈は、通説とされます。

だが、擬音語の「はた」になんで「らく」が付くのかと言う合理的な説明は定説には一切ありません。

はたらくが、はためくの転訛と呼ぶには、余りに無理があるのです。

転訛と言うなら、はためくがはたらくから派生したと見る方が自然なのです。

 定説とされる解釈には、言語学的に無理がある。

良いですか。

言葉は、まず、話すものであって、書くものではないのです。

全ての言葉は、擬態語や擬音語が元になったと見るから、はたらくの「はた」は、はためくの「はた」同様、擬音語であるという解釈が出るわけです。

だが、皆が働くの当たり前の時代に、「はたらく」と言う言葉があったでしょうか。

 はたらくことがなんらかのわけできない人や、はたらくことをしない人も、いたでしょうね。

昔になればなるほど、労働は協働ではなかったでしょうか。

 一人では、効率も能率も悪いが、協働であれば効率も能率も高くなりますね。

はたという言葉は、まず、周囲とか周辺の意味、あるいは、周囲や周辺のあるものの意味、であったと思われます。

 木の葉の「は」、端の「は」は、周囲とか周辺をさした。

 そう言えば、端や橋や箸さらには嘴の共通点は、細長いこと。

橋は、長さにたいして幅が広い正方形に近い比率も中にはあるけど、基本的にはそうですね。

「はた」とは具体的には、周囲とか周辺の端をさし、周囲とか周辺の端を持つものも、含むようになっていったと私は見ます。

そして、らくとは、手伝うとか、協力や協働が、元の意味であったのではないでしょうか。

  手伝い、協力や協働しあうから、負担は軽くなって心身に苦痛などがなく、快く安らかになるし、一人では大変でもたやすいこと、簡単なことになるし、結果として 生計が豊かにもなる。

つまり、はたらくとは、皆で協力や協働して何かをすることであり、その目的とは、何者かに労務やその生産物を提供することであったのではないかと見たいのです。

そして、共同体全員が助け合って働く相手とは、神であったでしょう。

協力や協働は、分業や協業の結果、一人一人の労力は軽くなる。

一人一人の労力の軽くなる分業や協業を行うことが、本来のらくであった。

楽市楽座も、皆が助け合い協力し合って運営するから、そう呼んだのではないでしょうか。

快く助け合うから、楽しいし、活気もあり、結果として楽だったでしょうね。

さらに、神のために、神とともに、何かを成すための協働が、はたらくことだったのでしょう。

 神のために、神とともに、となれば、神の助けも期待できますね。

本来が、神に捧げる行為であるはたらくことは、自然と丁寧になり、手を抜かないことになります。

 神に最高最上を奉げるわけだから。

日本人の仕事のていねいさは、ここから来たのでしょう。

 神のためのはたらきで磨いた腕が日常品でも発揮されたし、いつ、神のためにはたらくかわからないから、手を抜けないということでしょうね。

神とともに、神のために、それがはたらくことの目的だから、楽しいわけですよ。

 楽しいと言う言葉にある「らく」とは、神との協力や協働と言う気持ちが込められている。

「らく」になる「はた」とは人々の事であり、その中心には神が居られる、ということなのでしょう。

 はたらくとは、「はた」を「らく」にすることだけではなく、「はた」が「らく」になること、でもあるのですね。

その中心に居られて、周囲の人々「はた」を「らく」にして下さる方が神なのでしょう。

 人々の荷を背負い、人々を楽にして下さる神といえば、聖書の神はまさにそうですね。

例えば、マタイによる福音書11章28節から30節にこうありますね。

疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。

わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。

わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。

これは、神とともに歩もうとするものには、神の助けで事柄はうまくいくようになる、ということでしょう。

聖書は神の道を説き、神道は惟神((随神)かんながら)を説きます。

惟神とは、神に従う事であり、神道とは神に従い歩む道となるのです。

欧米のキリスト教徒は、労働の罰としての側面しかみないが、神は人に不可能なことを求めません。

それどころか、喜んで従い労働するなら、神は助けて下さるので、どんなに思い荷も軽くなると言うのです。

この世の計算では大変な仕事も、神の計算を受け入れ従うなら神の助けにより楽になるというのです。

 神とともに、神の御心に沿った技を、神の御心のためになすなら、楽になり、楽しくなる。

これこそが、日本古来の仕事観であり労働観だったのでしょうね。

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