もっと考えることあると思いますがね。
みのもんたが、苦境に立ってるけど彼にどんな落ち度やスキャンダルがあったのでしょうか。
息子の不始末を理由に挙げる人がいます。
自らの言動の全責任を自分が背負わなきゃなんない年の息子の責任を、なんで親が連帯責任取らなきゃいけないのでしょう。
みのもんたは共犯でしょうか。
違うでしょ。
だったら、なんで責められるのでしょう。
むしろ、息子に裏切られた被害者じゃないでしょうか。
みのもんたの息子の不始末に、子育ての失敗と笑う人がいます。
その人はきっと、自分のダメなとこは全部親のせいにして、自分の努力不足を棚に上げているのではないでしょうか。
彼の一件は、出る杭は打たれるヤッカミ社会のかっこうなあらさがしネタに、可哀そうにみのもんたの息子がドンピシャだったわけではないでしょうか。
みのもんたが人気があったのも、良くも悪くも、ずけずけ言ってきたからでしょ。
違いますか。
日本人、周囲に目配りや気配りするあまり、言いたいこと飲み込んでしまう人が多過ぎませんか。
知識や情報なら、彼より持ってる人は大勢いるでしょう。
でも、彼くらいズケズケ言う人どれだけいます。
本やネットでなら何人かいるだろうけれど、全国ネットのメディアでどれだけいます。
今の日本、本当に言いたいことがある人は、ほとんど全国ネットのメディアに出てないでしょ。
違いますか。
活動の舞台を、ローカルメディアや、本や、ネットにしてるのが実体でしょ。
NHKの堀潤も、全国ネットのメディアに見切り付けて飛び出したでしょ。
今回のみのもんたほど極端じゃなくても、どの一家にも、足引っ張りネタなんてどっかにあると思いますよ。
皆さんも自分の身辺を、見回したらいかがでしょう。
コネがどうの、セクハラがどうの、言う人がいます。
コネやセクハラが、良いとは言いません。
でも、彼よりも問題になってもおかしくないレベルのこと、今の日本、山ほどありませんか。
自分には、これくらいの程度しか理解できないと自ら暴露しているようなもんじゃないでしょうか。
違いますか。
今の日本、どこかギスギスしてませんか。
人脈が物をいう世界、そんなのはどこにでもあるでしょう。
それに勝つには、それだけの実力を身に着け、そして、それを発揮できる場面を自分で作るしかないのでは、ないでしょうか。
そして、それを可能にするのも、皮肉なことに人脈をどれだけ作れたかにあるのでは、ないでしょうか。
親はねえ…。
ダメな子ほど、心配なんですよ、可愛いんですよ、気にかけているのですよ。
今度の一件で一番傷ついてがっくりしてるのは、親であるみのもんたなはずではないでしょうか。
今彼に必要なのは、バッシングじゃないのではないでしょうか。
私は言いたいのです。
あなたは、頑張ったんだ。
想いは届かなったかも知れないが、あなたのせいじゃない。
みのもんたの息子の不始末に、子育ての失敗と笑う人がいるでしょう。
私は訊きたいのです。
あなたは、親の思いをちゃんと受け止められたと胸張って言えますか。
我が子はわたしの思いをちゃんと受け止めてくれたと、胸張って言えますか。
胸はって言える人だけが、彼を笑う資格があるのではないのでしょうか。
みのもんたの息子の不始末に、子育ての失敗と笑う人に訊ねたいのです。
あなたの親は、あなたの子育てに成功したのですか。
あなたは、自分の子育てに成功してるのですか。
昔から言うでしょう。
親の心子知らず。
縁なき衆生は度し難し。
どんなに頑張ったつもりでも、いや、むしろ頑張れば頑張るほど、裏目に出ることってないでしょうか。
親の言葉や行動、何年も経ってから、そうだったのかとわかった人は、大勢いるのではないでしょうか。
子供のころ、ちゃんと受け止め、理解したつもりでも、何年も経ってから、大人になっていろいろ経験を積んでから、本当にわかることは多くないでしょうか。
何年も経っても、わからないことも、多いでしょうけどね。
100点満点の親なんて、いたらその方は神様と呼ばれているのではないでしょうか。
ほとんどの親は、落第点か、及第点すれすれ、じゃないのでしょうか。
でも、こう思いませんか。
愛があれば、それで十分、合格なんじゃないでしょうか。
愛のない、落第以前は論外ではないですか。
違いますか。
愛なんて、片道切符の旅人みたいなものです。
帰ってくる保証なんてないのですよ。
もし、帰ってきているように見えるなら、それは、お互いが愛し合っているからではないでしょうか。
違いますか。
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