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2013年11月

ゲッセマネの祈りの意味について想ってみた。

語り合いは、時として思いがけない気づきに誘ってくれます。

ある時、友とイエスについて思いを語り合いながら、ふと思ったのです。

ゲッセマネの祈りの血の汗は、死にたくないという肉体からの叫びをイエスが必死になって祈りながらなだめたからだけではないと。

マタイによる福音書26章やルカによる福音書22章、マルコによる福音書14章には、こうあります。

弟子たちから石を投げてとどくほど離れたところへ退き、ひざまずいて、祈って言われた。

「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」。

「わが父よ、この杯を飲むほかに道がないのでしたら、どうか、みこころが行われますように」。

そのとき、御使が天からあらわれてイエスを力づけた。

イエスは苦しみもだえて、ますます切に祈られた。

そして、その汗が血のしたたりのように地に落ちた。

イエスは、祈りのとき弟子たちに告げた。

「わたしは悲しみのあまり死ぬほどである。ここに待っていて、わたしと一緒に目をさましていなさい」。

「誘惑に陥らないように、目をさまして祈っていなさい。心は熱しているが、肉体が弱いのである」。

私はこれまで、こう解釈していました。

イエスと言えども人の子として死すべき肉体を持って生まれた以上、死にたくないという肉体の叫びを必死になって祈って抑えたのだ。

今でも、基本的にはこれで間違っていないと、思っています。

 それだけが理由で、イエスは血のしたたるような汗を流して祈ったわけではない。

イエスは、ユダについてこう嘆いています。

「生まれてこない方が良かった」

イエス自身は自らの贖罪の仔羊としての役割を、承諾して受肉しました。

 自分がだれかと間違われることなく捕まるためには、弟子たちのうちの誰かが裏切って手引きをする役回りもなければならないと、いけないことも知っていたのかしら。

イエスの退けて欲しいと願った杯とは、自分の十字架は誰の裏切りにもよらずに実現して欲しいという事だったかも知れないのです。

 現実には誰かの手引きなしに、イエスを間違えなく捕まえる事は難しかったでしょうか。

むしろイエスは、逃げも隠れもせずに自ら名乗って捕まったかも知れないですよ。

止めようとする弟子たちを、威厳のある態度で制して。

 そうなれば、逮捕しようとしたほうが逆にたじろいだかもしれない。

そして、悠然とイエスは去って行ったという展開では、恰好は良いかも知れないが贖罪の十字架は遠のくでしょ。

 ますます、捕まえにくくなる…。

現実にもイエスは、裏切って自分を捕まえる手引きをしたユダにこう語りかけます。

「友よ、なんのためにきたのか」

新共同訳は、思い切って意訳しました。

「友よ、しようとしていることをするがよい」

さらに大祭司の僕に切りかかって、手にした剣でその片耳を切り落した弟子をいさめてこう語りました。

「あなたの剣をもとの所におさめなさい。剣をとる者はみな、剣で滅びる。それとも、わたしが父に願って、天の使たちを十二軍団以上も、今つかわしていただくことができないと、あなたは思うのか。しかし、それでは、こうならねばならないと書いてある聖書の言葉は、どうして成就されようか」。

再現映像の中には、イエスが切られた耳を癒す場面が描かれたりすることもあるが、イエスなら実際にもそうしたでしょうね。

イエスが癒されたことは、ルカによる福音書にありますね。

 イエスは、裏切りが必要であるが、裏切ったものは神の怒りによって死ぬことも知っていたでしょうね。

イエスは、むしろその方が辛かったかも知れないですね。

イエスは悠然と群衆に語りかけました。

「あなたがたは強盗にむかうように、剣や棒を持ってわたしを捕えにきたのか。わたしは毎日、宮ですわって教えていたのに、わたしをつかまえはしなかった。しかし、すべてこうなったのは、預言者たちの書いたことが、成就するためである」。

そのとき、弟子たちは皆イエスを見捨てて逃げ去ったのでした。

 そうなると、イエスのゲッセマネの祈りは、弟子たちの行為に対する執り成しの祈りでもあった…。

弟子たちには、生き延びて役目を果たして欲しかったのでしょう。

 見捨てられる辛さより、弟子たちに託された役目のために生きていて欲しい気持ちの方が強かったのですね。

さらに十字架に架けられた時でさえ、イエスは御父に執り成しの祈りをしています。

「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」

この執り成しの祈りは、十字架に架けられるまでのユダヤ人たちの行為全てに対しての、祈りだったかも知れません。

 そうなると、ゲッセマネの祈りとは、イエス生誕から十字架までのイエスに敵対したすべて人のための執り成しの祈りでさえあった。

イエスの一生は、まさにゴルゴダの丘のためだったとさえ、言えますからね。

 だから、ゲッセマネであれほどまでに苦しんだ…。

 そうなると、取りのけて欲しかった杯の正体とは、贖罪の十字架の死だけではなかった…。

 実は、執り成しの祈りの血のしたたるような汗の受け皿であり、なんで彼らの許しと執り成しの祈りをしなければならないのかと言う、死すべき肉体を持つ生身の人としてのイエスの愚痴でもあった…。

執り成しの祈りとしてのゲッセマネの祈りもまた、イエスの生誕の目的であったと言えそうですね。

 イエスが天の神である御父の境地に近づくための、地上における最後の試しでもあった…。

 ありとあらゆる罪や過ちの、許しの執り成しの祈りだったから…。

十字架での死の、三日後の復活への最終関門だったのでしょうね。

ゲッセマネとは「油絞り」の意味であり、ここでオリーブ油が絞られたそうです。

 イエスは自らを絞られるオリーブになぞらえた…。

聖書にしばしば出る「油注がれた者」で注がれる油とはオリーブ油であり、絞られた場所はゲッセマネの事なのかも知れないですね。

 執り成しの祈りのためにゲッセマネで流された、血のようにしたたった汗の象徴が、オリーブ油…。

そして、ゴルゴダノ丘で流された贖罪の血の記念でも、あるかも知れないですね。

 それで、油注がれた者はメシア=キリストであるとともに、仲保者であるイエスの臨在の象徴ともなり得る…。

そうなのかも知れないですね。

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クローン病と竹輪?

日本とヨーロッパを繋ぐ、不思議な要素として遺伝性疾患があります。

 日本とヨーロッパの繋がりを示す遺伝性疾患の多くはアジアが空白に見えるのに、クローン病は中国語で庫隆氏症(クーロンスーヂェン)と言う名前が付くようにアジアにも発症例が見える興味深い例ですね。

クローン病は、炎症性腸疾患のひとつです。

1932年に、ニューヨークのマウントサイナイ病院の内科医クローン先生らによって限局性回腸炎としてはじめて報告されました。

クローン病(Crohn's Disease)は、報告者クローン医師の名にちなんだ名前です。

略称をIBDと呼ぶことの多いD炎症性腸疾患(Inflammatory Bowel Disease)とは、大腸及び小腸の粘膜に慢性の炎症または潰瘍をひきおこす原因不明の疾患の総称です。

世界的にみると地域的には先進国に多く、北米やヨーロッパで高い発症率を示します。

食生活の欧米化によって患者数が増えているといわれ、食物中の物質や微生物が抗原となって異常反応を引き起こすことが、原因のひとつと考えられています。

環境因子、食生活が大きく影響し、動物性タンパク質や脂肪を多く摂取し、生活水準が高いほどクローン病にかかりやすいと考えられています。

喫煙をする人は、喫煙をしない人より発病しやすいと言われています。

とはいえ、クローン病を引き起こす原因と人種や地域によって発症する頻度が異なり、また家系内発症もみとめられることから、遺伝性であることは確かです。

最近の研究では、なんらかの遺伝子の異常を背景にもち、異物を処理する細胞やある種のリンパ球などの免疫を担当する細胞の異常反応が明らかになってきているといいます。

何らかの外来の抗原、つまり食事の成分、異物、病原体などの侵入とそれに対する免疫系の反応異常が想定されています。

 家系内発症も認められる以上、発症しやすい民族は絞れるかもしれないですわけね。

そこで注目したいのは、古代中国のヨーロッパ系の集団です。

臨淄(りんし)区は、中華人民共和国山東省淄博市の市轄区のことです。

工業都市・交通の要所で、国家歴史文化名城に指定されているのです。

臨淄(りんし)区は、中国春秋時代の斉の首府とされた都市です。

周王室により東海地方に封じられた太公望によって築かれ、最初営丘、のちに名をあらため臨淄(りんし)となりました。

ミトコンドリアDNAの比較研究の結果によると、約2500年前の春秋戦国時代の臨淄(りんし)住民の遺伝子は、現代「ヨーロッパ人」の遺伝子に非常に近いです。

 この人達の子孫は今でも中国や韓国などにいて、クローン病で自分達のルーツを表す格好になっている…。

そうかも知れません。

 彼らは、何時頃中国に来たかですね。

近年、今から5000年くらい前にコーカソイドの一部が故郷の地から何らかの理由で離れ、中央アジアに来たことがわかっています。

ブルチン(布廣澤)市とアルタイ市とを結ぶ公道の両側に広がっている、アルタイ市から西南西へ加数キロのクルムチ(克木斉)周辺に. 点在する遺跡群があります。

これがクルムチ遺跡で、アルタイ市から向かって左側には古墳、 右側には石人墓と岩画が分布しています。

石人墓とは、石人を伴う方形石囲いの遺跡です。

 石人は、墓の守りとして立てられるのですよね。

 石人を立てる習慣は、黒海沿岸を中心にヨーロッパ各地にみられるそうですね。

石人墓の存在は、クルムチ遺跡がコーカソイドの遺跡と見られる理由の一つになっています。

古墳は、環状列石が一列から二列で取り囲んでいます。

 二列は、大きな古墳の場合ですね。

 環状列石もまた、どちらかと言うとヨーロッパ的ですね。

 石人と環状列石、そういえば、日本の古墳で頂上の柱状の埴輪は意味不明だが、人物埴輪と合わせると妙に似ているような…。

このあたりは、さらに検証が要りそうですね。

ところが、4000年位前、コーカソイドの大移動が起こり、せっかく安住の地を得たと安心してたクルムチの民は引っ越しを余儀なくされたのです。

そして、現在の小河墓遺跡や小墓溝遺跡、さらには後に楼蘭と呼ばれることになる地に、引っ越してきたようです。

クルムチの民の引っ越し先と見られる理由は、墓に建てられた木人です。

木人は小河墓遺跡に、墓を取り巻く環状の形は小墓溝遺跡に、それぞれ見られます。

 小墓溝遺跡は、小河墓は小河墓の北、おおよそ50キロのあたりですね。

材質が石から木に変わったのは、オアシスなのでポプラの仲間のコヨウ(胡楊)はあっても手頃な大きさな石がなかったからでしょう。

今から4000年前、中国は殷の時代から漢の時代の手前くらいまでこれらの土地で彼らは生活を営んだようです。

イタチもいたようなので、魚なども豊富に居たことでしょう。

 そう言えば、砂漠は水も少ないが、大きな石も少ないですね。

彼らは、小麦を栽培する農耕の民であったが、同時に牛や羊を飼う牧畜の民でもあったので、周囲の農耕民とは折り合いが悪かったのかも知れません。

聖書にも、エジプトに居場所を求める際、農耕地からできるだけ離れた場所で、かつ、エジプトからそう遠くない地に放牧地を求めた記述があります。

埋葬にも、牛の皮や羊の毛の織物で巻かれた棺やミイラ、牛の皮のブーツや羊の毛のフェルト帽、などが見えます。

興味惹かれることは、彼らが七と言う数字にこだわるように思えることです。

墓を取り巻く環状の形は小墓溝遺跡にあるが、小さな木の柱を七重に配置しています。

小河墓遺跡では、中心に七つの柱を立て、男性の墓碑の根元に七つの溝を刻んでいます。

ちなみに、女性器を模る黒い扇型の墓碑は男性、男性器を模る赤い柱状の墓碑は女性と、決まっていたというから、陰陽思想を持っていた民であったと想像できます。

 七は月の満ち欠けと関係ありと見られるので、小墓溝遺跡の環状の配置が太陽の表現と考えられることと合わせると、まさに陰陽ですね。

小河墓遺跡や小墓溝遺跡、さらに楼蘭の民の行動範囲の広さは、まさに彼らが牧畜の民、それも放牧の民であったと見れば、理解できそうです。

青銅や蛇紋岩は遠出しないと入手不能だし、蛇紋岩のような玉は、殷にも届けられていました。

 彼等の広い行動範囲は、放牧が可能にもしたし、必要ともしたので、結果として交易の民にもなった。

当時の権力者にとって、重宝なようで、厄介な存在でもあったでしょうね。

 納税してくれる商人としてはありがたいが、治安の攪乱要因としては頭が痛い。

さらに、交易の利益独占を狙うには、むしろ邪魔でさえあるでしょ。

 現代「ヨーロッパ人」に近い遺伝子を持つ約2500年前の春秋戦国時代の臨淄(りんし)住民は、実は牧畜の民であった…。

そうかも知れません。

約2000年前の前漢末の臨淄(りんし)住民の遺伝子は、現代の「中央アジアの人々」の遺伝子と非常に近いです。

彼等もまた、牧畜の民であったかも知れないですよ。

 だから、痕跡を残さずに、忽然と消えた…。

移動の民であれば、定住民のようなはっきりとした移動の痕跡はむしろ、残さない方が自然でしょ。

 きりたんぽや、竹輪、魚の串焼きや、蒲鉾は、遊牧時代の名残だった…。

竹輪は、魚のソーセージと説明すると欧米人は理解しやすいそうです。

 そういえば、ソーセージは生では食べない…。

蒲鉾は今でこそ板に付けるが、もともとは、串に刺した形だから蒲鉾なんですよ。

 ケバブから、きりたんぽや竹輪、魚の串焼きが生まれたのかしら。

ありえますね。

 じゃあ、蒲鉾は魚のハムってことかな。

一方シシカバブは、角切りの羊肉を漬け汁に漬け込み、金串に刺して焼いたものです。

一緒に野菜を刺して焼くこともあります。

このあたり、焼き鳥や蒲焼のルーツかも、知れないですね。

放牧や牧畜の民であっても農耕も営むので、農耕に軸足を移し漁師や猟師に転じた人々は大勢いたことでしょう。

オアシスや浜辺で彼等は、漁師でもあったはずですからね。

 アジアの大陸部で少ないクローン病の発症例が、放牧できる場所が少ないはずの日本で多いって…。

だから、広い漁場を求めて、諸島部に居場所を求める人々が私たちの想像以上に多かったのかも知れないですね。

 じゃあ、食生活の近代化というより、肉食が増えることで起きる生活習慣病が、クローン病の持つもう一つの側面…。

案外、そうかも知れません。

もちろん、遺伝性疾患でもありますけどね。

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自然はお茶目?

自然は、案外悪戯が好きなんじゃないでしょうか。

何かが見えているということと、真実が見えている事は、同じではないのです。

見えていることが事実であることと、見えていることが真実であることは別なのです。

だから、トリックアートが成立するのです。

下り坂を上っているように見えるボールを、表現することは可能であり、下り坂を上っているように見えるボールがあることは事実となります。

だが、ボールが下り坂を上ることは真実ではありません。

ここに、トリックを仕掛ける余地があるのです。

ニュートリノは、超光速で飛ぶことが可能であるかのような現象を見せました。

そして毎回、同じ数値を見せて、科学者たちを欺きました。

測定側の問題であれば、毎回きっちり同じ数値であることなど、有り得るでしょうか。

ニュートリノが自ら仕掛けたトリックだからこそ、同じ数値だったのではないでしょうか。

イプシロンロケットの打ち上げが、直前で中止となりました。

信号のずれを補正し忘れていたと、発覚しました。

思い込みを事実に押し付けていたら、この単純なミスに気付くのはもっと遅れたことでしょう。

事実に即して点検してこそ、失敗の原因は見つかるのです。

点検に例外を作っては、いけないのです。

念のためここも確かめよう、そうでなければ、見つかるものも見つかりません。

ニュートリノ超光速騒ぎで、ニュートリノが悪戯を仕掛けた可能性を、科学者は見落としました。

そのうち、科学者はまた、別のところで似たミスをすると、思いませんか。

右回りのコマの質量測定値は小さくなる、というショッキングな報告が流れました。

ところが、この報告は、右回りのコマの質量は小さくなると言う報告と摩り替えられたのです。

質量測定値が小さくなることと、質量が小さくなることとは、違うのだがメディアは混同し、軽くなると報じたのです。

常識的な科学者であれば、軽くなったように見えたことと、軽くなったことは違うはずと、思うのではないでしょうか。

どの条件下で起きたか、確かめようとするのではないでしょうか。

だが、ほとんどの追試は再現条件を無視しまくりました。

再現条件に注目した追試でさえ、質量測定値が小さくなることと、質量が小さくなることを、混同したのです。

日食が見えることは、太陽と月の大きさが同じであることの、証拠でしょうか。

太陽と月の大きさが同じに見えることと、太陽と月の大きさが同じことは、まったく別なはずです。

コマの実験で悪戯を仕掛けたのは、コマか、はたまた、重力か、それとも真空か。

これらの点を、本気で突っ込めば、新しい展開が見えてくるチャンスなんですが。

もったいない。

実に、もったいない。

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秘すれば花?

世阿弥の芸論書「風姿花伝」の言葉、「秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず」 は、あんまり何もかも見せるより、仄めかす部分がある方が面白いということかもしれません。

でも、それだけでしょうか。

 確かに、余りこれ見よがしに見せびらかすのは、かえって野暮かもしれません。

 むしろ、嫌味でさえありますね。

花は自らを秘しているでしょうか。

鮮やかな花もあれば、地味な花もあるのは事実だけど、花は自らを隠してしまったら、受粉できないでしょ。

 生き物に託す場合もあれば、風に託す場合もありますね。

風に託す場合、裸子植物のように花は地味だけど、花それ自体は隠れてはいないはずです。

 秘すれば花と言うが、花自体は自分を秘してはいない…。

 だが、花を目立たせ、周囲を引き立てるように演出してるのは人が飾る場合であって、自然界ではむしろ周囲の存在に埋もれないように、してるようですね。

生き物に託す場合は見つけてもらえるように、風に託す場合は風にほどほどよく当たるように、咲いてませんか。

 花はこれ見よがしなのではなく、むしろ、懸命に見いだされたがっている…。

この見出される、見つけられる、ことこそ、「秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず」という言葉を理解するポイントではないでしょうか。

 見つける、といえば、花は実をつけますね。

 「見つける」と「実つける」の洒落だったりしませんか。

そう言えば、努力はよく、花にたとえられます。

 花が咲く、とか、実を結ぶ、と言う具合に…。

そうなると、努力は気付かれもいいが、見せびらかしては駄目ということになりませんか。

 日本は、見せる文化と言うより、見つけられるのを待つ、気付かれるのを待つ、文化ということでしょうか。

隠す文化ではなく気付かせる文化、ということでしょう。

 見せて魅せる文化ではなく、気づかせて萌えを感じる文化が、日本…。

だから、見せつつ隠し、隠しつつ見せ、見つけられるのを待ち、気づかれるのを待つ訳です。

「秋きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」

「春は名のみの 風の寒さや 谷のうぐいす 歌は思えど 時にあらずと 声もたてず」

こういう、秘められた変化に素早く気付き、兆しを見出す、だから、「萌え」を感じるのは日本の美意識であり、粋なわけです。

 「萌え」を感じるのは日本の美意識であり粋としたら、「花(はな)」は「端(はな)」に通じるということですかね。

「秘すれば端なり、秘せずば端なるべからず」と表現を変えても、確かに意味は通じるし、むしろ、この方がわかりやすいのも、確かでしょうね。

だが、こうあからさまに出してしまっては、分かり易いかもしれないが身も蓋もないでしょ。

 それであえて、「端(はな)」を「花(はな)」と言い換えた…。

日本は、巧みに元の物を摩り替えたり、言い換えたりする文化でもあります。

だから、本来の意味を知りたければ、元の姿を探り当て、そこに込められたメッセージを知る必要があるということでしょうね。

 そうなると、日本文化は象徴に満ちていると言い換えても良くなるのでしょうか。

そうかも知れません。

大陸の中国などでは、権力の威厳を竜で表すことを好んだが、日本は違うでしょ。

 そういえば、日本では竜を仏教寺院とか、民俗的な祭りでは見るが、権力の象徴としてはあまり知らないですね。

むしろ、いつのころからか、松が好んで使われるようにみえないでしょうか。

ひょっとすると、松は竜の摩り替えかもしませんよ。

 大地に根をしっかりと張り、奔放に枝を伸ばし、常緑の葉をつける。

 しっかりとした地盤を築き、自在に振る舞い、その勢いは止まることを知らぬ権威と権勢を手に入れたと、印象付けたい権力者の気持ちを象徴している…。

しかも、そのうねる姿は、まさに竜でしょ。

さらに、日本は神仏混交の信仰を作り上げたが、神道の背景には陰陽思想があります。

松や竜のように長いものは、風や息や声に配されます。

 松は、竜、永遠の権勢、神の声、などの象徴だった…。

ほかにもまだまだ、摩り替えられた象徴が、日本は日本は見つける事が出来る国かも知れないですよ。

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縄文のネコは海を渡ったか?

日本のネコは、縄文時代にまで遡れることは、貝塚から見つかる骨によってわかっています。

問題は、この縄文のネコはどうやって日本に来たかなのです。

日本が大陸から分かれる前からいたか、日本が大陸から分かれた後に来たか、考えなければならないことが分かれてくるのです。

 日本のネコが大陸から分かれる前からいたのであれば、当然野生のネコもいたことになるが、今現在残っている野生のネコは西表と対馬の二島にいるだけですね。

そうなると、西表と対馬の二島のネコははたして、大陸から分かれる前からいたのかとなるわけです。

ならば、日本が大陸から分かれた後に来たかとなるが、厄介な問題が生じます。

ネコの中にも泳ぐ仲間はいるが、ネコは基本的には泳ぐことは好きではありません。

つまり、日本が大陸から分かれた後に来たとすれば、誰かに連れてこられる必要があるのです。

 縄文時代の貝塚からネコの骨が見つかっているが、ヤマネコ、それも、オオヤマネコの可能性があるのでしたね。

現在の日本には対馬と西表の二島にヤマネコはいるが、オオヤマネコは確認されていません。

野生化したネコの捕獲と飼育の報告例もあるが、オオヤマネコではないようです。

 ヨーロッパとアメリカのオオヤマネコは近縁と見られているので、もし、日本の貝塚のネコの骨がこれらのオオヤマネコと近縁なら、面白いですがね。

オオヤマネコでも、アメリカ経由でヨーロッパとの繋がりが証明できますからね。

縄文人が地中海世界を含む西方世界を経由していることは、ヨーロッパと共通の遺伝性疾患、秋田美人の肌の白さ、そのうえ、秋田犬の血液型パターンまでもが、指し示していることも、見てきました。

琉球人とアイヌは共にYAP(+)遺伝子が見つかり、アメリカのケネウィックからアイヌの親戚としか思えない古代人骨が出ています。

 アイヌと琉球人は顔立ちが似ているから、ケネウィック古代人骨は琉球人の親戚の骨と見ることもできるのでしたね。

 ケネウィック古代人骨はスペインやフランスの様式の鏃を伴っていたことを合わせると、アイヌや琉球人の親戚は地中海世界にいたことになりますね。

 人だけなら、島伝いであれば、丸太舟やアウトリガーで来た可能性も考えられますねね。

ただ、ネコとなると、丸太舟やアウトリガーで来たと見ると、かなり無理があります。

 ネコが小さな舟に、大人しく乗ってくれるとは、とても思えないですよ。

舟にある程度の大きさがないと、ネコの移動には無理があります。

空間はある程度狭くても良いが、ネコには高低差と隠れる場所が必要なのです。

 少人数の小舟ではなく、ある程度人や荷を運べる船舶と呼びたくなるような大きさがいる…。

地中海世界からアメリカ、さらに、アメリカから日本への、ある程度の大きさの船が旅立ったと見える記述は、またしてもモルモン書にあるのです。

 問題は、定説とされる縄文時代の始まった時期と、モルモン書の記載が示す時期の差でしょ。

そうなんですね。

 縄文人の一部ならともかく、全部となると…。

しかし、そこをあえて目をつぶって比較すると、説としては面白い話が展開できてしまうわけです。

アイヌの生活文物と古代イスラエルとの類似、沖縄の伝承や文化と聖書の類似が指摘されています。

 太平洋の中ほどに古代の日本とアメリカの交流ルートがあったと、縄文土器や遺伝子、寄生虫から見ても、指摘できましたね。

琉球人には古代アメリカと同様なを使った記録法の文化があり、沖縄からは煙が立ち上る階段ピラミッドを連想できる古代の絵が見つかっているが、アメリカの階段ピラミッド遺跡の上でも火が焚かれていた痕跡が確認できています。

古代中東の遺伝子とされるものに、YAP遺伝子があることは、これまでにも触れてきました。

そして、ユダヤ人、正確にはユダヤ人の男子に、YAP(-)遺伝子があると言われます。

しばしば、YAP(-)遺伝子とはYAP遺伝子がないと誤解する人がいるが、余分な遺伝子があるYAP(+)遺伝子に対して余分な遺伝子がないからYAP(-)遺伝子なのです。

現在YAP遺伝子を持っていると確認されているのは、ユダヤ人と日本人とチベット人だけとされます。

そして、YAP(-)遺伝子があるのはユダヤ人とチベット人、そして大半の日本人の男子です。

大半の日本人の男子といったのは、アイヌや琉球民族はYAP(+)遺伝子なのです。

 ハワイにも、YAP(+)遺伝子を持つ人々がいるので、古代中東から地中海、そして、アメリカ大陸を経て、大西洋を渡って、日本に来て今日に至る道筋を考えられることも見たのですよね。

 こうしてみると、間に挟まれたアメリカ大陸に、古代中東文化の痕跡を見出さない方が、不自然ですね。

アメリカから来た一団が、縄文人の上に君臨し同化したとみれば矛盾は消えるが、縄文人の起源と見るとどうなるかとなるわけです。

 遺伝子的には、アメリカから来た一団こそ縄文人の起源と見た方が無理はない…。

以前から、アメリカと日本の先住民は同祖とされ、近年、遺伝学的にも裏付けられてきたわけですから。

 定説とされる縄文時代の始まった時期と、モルモン書との時間差を埋めようとすれば、4000年程前と聖書学的にはされているノアの洪水を史実としないと、辻褄が合わなくなる…。

 それも、ノアの洪水を地球的な規模の水没と見ない事には、現代の科学との整合性が取れない…。

モルモン書の記述を史実と認めると、ノアの洪水の水は、どこから来たかとなります。

聖書には洪水後に初めて虹が出たとあり、寿命も洪水の前後の異なることから、相当分厚い雲で地上が覆われていたと想定することになります。

 聖書の言う地の水と分けられた天の水とは、分厚い雲だったとみれば、確かに雲は天の水ですね。

では、その分厚い雲はなぜに突然、大雨を降らせたかも、解明しないといけなくなり、歴史は大きく塗り替わることになります。

 アメリカの先住民の文化の解明に大きな貢献が期待できるカホキア遺跡に大規模な洪水跡が見つかったが、モルモン書にはあたかもこの事件を記録したかのような記載があるのでしたね。

もしこの遺跡の研究が、モルモン書の記述を裏付けることになれば、その他の記述の信憑性の検証も必要になるわけです。

カホキア遺跡が指し示す古代アメリカの社会は、古代エジプトやメソポタミアどころか、聖書の世界を彷彿とさせる内容であることを示す展開になっていますからね。

 古代エルサレムを彷彿とさせる作りの町や、祭政一致の社会などですね。

でしょ。

こういう社会を作ってきた人たちが、縄文人の起源と関係が深いのは面白いですね。

 ここで注目したいのは、失われた10支族を探しているイスラエルの機関であるアミシャブは、インドのカシミール族、ミャンマーのカレン族、シンルン族、中国のチャンミン族とも呼ばれる羌(きょう)族などを特定したとするが、いずれもチベット系少数民族ですよね。

日本語は、チベット語やビルマ語と似ていると指摘されます。

日本語、チベット語、朝鮮語、チュルク語は主語・目的語・述語の順です。

一方、中国語は、英語などと同じ、主語・述語・目的語の順なのです。

それで言語学者の中には、チベット語が日本語のルーツと主張する人もいます。

そのチベット系少数民族が、アミシャブによって10支族の末裔と特定されたなら、チベット族が10支族の末裔と特定されたに等しいと言えますね。

 そして、チベット語に日本語のルーツ説が出てる…。

これは言い換えれば、日本に来る途中何らかの理由で離脱した集団がチベット人のルーツと言ってるのと同じことになりませんか。

 何らかの理由で旅に耐えきれない幼子や妊婦を抱えた一族が、この地に留まっってそのまま定住し、チベット族になったということでしょうか。

チベット族の先祖は遊牧の民であったとされます。

この地に何らかの理由で留まる選択をする人々がいても、不思議はないですね。

 東京大学の江上波夫名誉教授が唱えた騎馬民族征服王朝説と重ね合わせると、面白いですね。

騎馬民族征服王朝説は、北アジアの諸民族に影響を与えたスキタイ文化の流れが、朝鮮半島から日本にまで及ぶことを背景に展開されたのですよ。

江上波夫名誉教授は、後に高句麗や百済を建国することになる東北アジアの騎馬民族の扶余の一部が、紀元前4世紀、朝鮮半島から日本に侵入し先住民族を支配して大和朝廷を築き、王族は天皇家の先祖となったと言う説を展開したのですよ。

チベットはむしろ南方なので、騎馬民族征服王朝説と結びつけるには無理があります。

 騎馬民族なので、一族自体は広くアジア一帯に展開した可能性は見ても良いかも知れないですね。

シルクロードは、実際には一本ではなく、アジア全体に展開していた交易路の総称なので複数形のシルクローズと言う方がむしろ実態には合っていますから。

 そして、これまでアミシャブによって10支族の末裔と特定された民族を地図上に落とすと、見事にシルクロードが浮かび上がるのですよね。

さらに、日本の神社の構造や神職の服装、さらには塩による清めや植物による祓いまでも古代イスラエルに似てるなどの事実が日ユ同祖論で指摘されてきました。

 正月の鏡餅と過ぎ越しの祭りの種入れぬパンの類似や、諏訪大社の御頭祭とモリヤ山でのアブラハムとイサクの故事の類似、相撲の起源など、いろいろ指摘されますね。

これらの類似の起源が、縄文にまで遡る可能性はあるのです。

 縄文から弥生、古墳時代に至るまで断続的と見るには連続性が強いとは、何度となく言われてきたことですね。

そうなると、アイヌの生活文物と古代イスラエルとの類似、沖縄の伝承や文化と聖書の類似も、日ユ同祖論の延長線上に乗ってきますね。

 縄文人は、地中海世界からアメリカ、アメリカから日本と、ネコと一緒に海を渡ったのでしょうか。

少なくとも、それを可能にする技術は持っていたことになりますね。

縄文のオオヤマネコが、ヨーロッパやアメリカに由来したとすればの話ですけどね。

 その船が、モルモン書に記載されたものと同じかどうかですね。

もし同じとしたら、歴史の教科書は大改訂が必要になりますよ。

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なぜカードで占いが行われるか考えてみた。

大憲章と訳される、マグナ・カルタ(Magna Carta)と言うのがあります。

マグナ・カルタは、イングランド王国においてジョン王により制定された憲章であり、イングランド国王の権限の制限をその内容とします。

magnaとは大きい事でCartaはこの場合憲章や宣言書の事なので、大憲章と訳されるわけです。

 Cartaの意味ではなく音に注目すると、面白いことになりますね。

憲章や宣言書と言った書かれた内容ではなく、文字の記された物体の名前となります。

つまりcartaは、英語のcardと同じ語源を持つ言葉となるのです。

 cardとは、さまざまな材質があるが、要するに板ですね。

文字はパピルスや羊皮紙などに記される前は、粘土板や石板に刻まれていました。

粘土板や石板は、記録媒体のいわば原型です。

文字をあえて無視して、音だけに注目すると、四人組を意味するquartetがあります。

 quartetについては、1/4 gallonを意味するquartや、広く1/4の意味となったquarterと言った言葉があるために、あまりcardとの関連を注目してこなかったですね。

だが、cardは粘土板や石板で見るとあまりはっきりしないが、通常はたいてい四角でしょ。

つまり、四つの角があるところから四つの物の代名詞的な扱いをされてきたのかも知れません。

文字は、言葉を記録する手段として、後から生まれてきたものです。

 そういえば、記録を記憶として留めて伝える文化は、さまざまな社会にありましたね。

改竄されないために、あえて門外不出として、一子相伝の口伝とする場合さえありましたね。

文字に記録された時点では、すでに語源さえ忘れられた形で、言葉の中に定着していたので、異なる綴りが用いられたのでしょう。

 発音自体も、異なっていたでしょうし。

そうやって見ていくと、cultという言葉も面白いですよ。

 これも、綴りが違うので、見落としがちですね。

日本語だと、これらの言葉はすべて元の綴りや発音を無視して、仮名書きされてしまうので、音の類似に気が付きやすいわけです。

 carta、card、cult、なるほど発音してみると類似に気づくが、綴りではちょっと見落としそうですね。

cultは、主として宗教的な意味で、祭式,祭儀や儀式、崇拝,信仰、礼賛,崇拝を指す言葉として用いられます。

 非宗教的に、茶道を指してthe tea cultと呼んだり、the cult of beautyとかthe cult of peaceなどの用例もありますけどね。

宗教にはしばしば熱狂的な人々がいるところから、礼賛者特に熱狂家のグループを指してみたり”なんとか熱”の意味で用いられたりします。

宗教と言えども流行り廃りがあったことから、流行の意味で用いられたりもします。

また、流行り廃りがあることから新興宗教やにせ宗教とか、それらの信者を指したりします。

 残念なことに、一般的にcultは、にせ宗教、とくに狂信的なにせ宗教の意味で使われる場合が多いですね。

本来の意味のcultの語源もおそらく、Cartaでしょう。

carta、cardとみると、”car”と言う音に気が付きますね。

"car"を音に注目して見ると”カー”でしょ。

エジプト神話において、人間は肉体、バー(Ba)、カー(Ka)の3つの要素から成り立っていました。

カーとは精霊のことです。

人が死ぬとバーは肉体から離れ冥界へ行くが、肉体がそのままであればカーがバーと肉体の仲立ちをしてアアルで再生できるとされたのです。

アアルとは、古代エジプト人が憧れた来世の楽園のことです。

こうしてみると、carta、cardの語源は、精霊であるKaの記録ということではないかと、思えてきます。

それもおそらく、精霊であるKaの力による記録ということであったのかも知れません。

 精霊であるKaの力による記録としてみると、聖書にある十戒石板に似てきますね。

神の聖霊によって十戒石板は刻まれたわけですからね。

 そうしてみると、元祖cartaは、十戒石板だったのでしょうか。

そうかも知れません。

それまでにも、記録としての石版や粘土板はあったはず、文字はあるわけですからね。

だが、THE CARDとなると、やはり十戒石板となったのかも知れないですね。

 十戒石版をもたらした神の力は、それだけ周囲に知られてもいたし恐れられてもいた。

 だから、宗教的な意味でcultと言う言葉も派生したし、文字が記された媒体として注目すると、carta、cardとなった。

そうかも知れません。

最も重要とされてきた記録は、宗教に関する事柄であったという、古代の事情もあったでしょうけどね。

 それで、カード占いも派生してきた。

 精霊であるKaの力の記録としてのカードから、神秘的な力の媒体という意味付けや位置付けも、生まれてきたのでしょうか。

 タロットカードやトランプ占いと言った…。

そうかも知れません。

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怒る相手をまちがえてはいませんか。

際限のない食の偽装が問題になっています

だが、日本の食の偽装と、中国の食の偽装は、水準も内容も大きく異なります

中国は下水から取った油などが、平気で偽装され問題になりました。

日本は、ブラックタイガーをクルマエビに摩り替え、まだ安全性に問題のない賞味期限切れの期限の改ざん、など美味しいのに見下げられたり、捨てられたりした食材を工夫して、提供していたにすぎないのではないでしょうか。

問題はそれを隠し、偽っていたことなはずですよね。

そして、多くの消費者はそれに気づかずに、美味しいものが手頃な値段で嬉しいと食べていたのではなかったでしょうか。

業者は、食材の名前を偽ったことで信頼を失ったかも知れません。

ならば消費者は、改善の結果、値段が上がり、品切れ御免を目の前で言われても、文句を言わない方が良いと思うが、いかがでしょう。

値段を抑え、品切れを起こさないために、工夫した結果をちゃんと公表せず、誤魔化したことが問題なのではないでしょうか。

生産の量や品質、輸送や調理のコストに見合った価格を消費者は受け入れないといけないのではないでしょうか。

その結果、今より値段も上がり、数量限定も増えることを、受け入れた方が良いのではないでしょうか。

みんなが揃いの物を食べる事よりも、好みに合ったもの、アレルギーを起こさない物を食べる事を、選べば良いのではないでしょうか。

ブラック企業や過労死などを野放しにして、本物をじっくり味わう余裕がないから、業者もでき心で偽装し、ばれないからのめり込んだって事じゃないでしょうか。

もっと、余裕の持てる日本にしようという声こそ、上がって欲しいです。

本物志向、ブランド志向、と言ってる割に、本物を知らない消費者が多いことの方が、本当は問題なんじゃないでしょうか。

消費者の舌が、ちゃんと本物を知ってて、見分けられると業者がおそれていたら、こんな偽装は起こらないはずでしょう。

本物を味わえるだけの、余裕が何故持てないか、もっと、国民は考えた方が良いです。

国民がもっと怒るべきは、政治家や政党の嘘であるはずです。

選挙公約で言わなかった事をやろうとしたり、もっとひどいのは、選挙公約と真逆な事をやろうとしたりしたら、人はもっと怒るべきではないでしょうか。

ことに、政権を取ったり維持した政党や政治家が、選挙公約で言わなかった事をやろうとしたり選挙公約と真逆な事をやろうとしたりしたら、抗議行動や抗議のデモくらいやって当然なのではありませんか。

抗議されるだけのことを、したのではありませんか。

選挙公約にないが、公約の実現の範囲内と認められるならいざしらず、明らかに範囲外と見なせる場合は、選挙公約と真逆な事をやるのに等しいのではありませんか。

同じ信頼を損ねるのでも、公約違反は明らかに実害が出るのではありませんか。

実害が出る公約違反を、事情があるなら、相手があるから、仕方がないなどと諦めたら、民主主義は崩壊するのではありませんか。

公約は、選択の基準であるはずではありませんか。

その公約を信じられないなら、選挙は選択の意味を失うではないでしょうか。

食の偽装が選択の意味を失わせたと怒るなら、公約の偽装になぜ怒らないのでしょうか。

ダブルスタンダード、二枚舌ではないでしょうか。

いつから日本はこんな、モラル破綻になったのでしょうか。

本音と建て前というが、本音を受け入れやすいオブラートに包むのが建て前なはずです。

そして、建て前の実践を通じて、本音を実現してきたのが日本ではなかったのでしょうか。

四角い豆腐も切りようで丸い、物も言いようで角が立つ、といいますよね。

この、切りよう、言いようが、建て前なのですよね。

本音と違うことを言って、誤魔化すのが建て前ではないですよね。

義理と人情の板挟みと、本音と建て前は似てるようで違うのではないでしょうか。

義理と人情をいかに両立させるか、そこから生まれたのが、本音と建て前の使い分けなのではないでしょうか。

政治で言えば、本音を実現させる建て前が政策であり公約でしょう。

有権者の機嫌取りを狙って、本音と違う政策や公約をするから嘘になりますよね。

特定秘密保護法なるものが、作られようとしています。

人は嘘をついたとたんに、物凄い記憶力が必要になりますよね。

自分でも覚えきれないほどの嘘をついてきたから、臭いものに蓋をして追及を逃れようとするのが、特定秘密保護法の本音ではないでしょうか。

スパイ防止などの、建て前に騙されたらえらいことになりませんか。

為政者にとって、蓋をしたい臭い物が国民の追求と言ってるような政府は、本当の民主国家であれば転覆に値するのでないですか。

国民が大人し過ぎませんか。

食の偽装が選択の意味を失わせたと怒るが、公約の偽装に怒らないダブルスタンダード、二枚舌のモラル破綻国になったから、そのツケが底なしの偽装じゃないでしょうか。

一貫した方が良いのではないでしょうか。

選択の意味を失わせるすべての偽装に怒った方が、すっきりするのではないでしょうか。

全ての自由の根底が、選択の自由ではないでしょうか。

そして選択の自由の行使こそ、民主主義の本質ではないでしょうか。

選択の自由を奪う一切の行為は民主主義の敵ではないでしょうか。

何が秘密かさえ秘密の秘密保護法は、選択の自由や民主主義と両立できるでしょうか。

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謎の遺跡カホキアは何を語りだす?

ナショナルジオグラフィックニュースに、興味深い記事が載りました。

ミシシッピ文化、カホキアは洪水で衰退
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=20131105001
            
Glenn Hodges
for National Geographic News
November 5, 2013

 約1000年前、現在のイリノイ州セントルイス近郊にあたるミシシッピ川の氾濫原に、北アメリカ先住民の人々が住む大集落が忽然と現れた。

今ではカホキアという名で知られるこの集落は、誕生から300年後には、ほぼ廃墟と化した。   

 カホキアの突然の登場とその後の急激な衰退の理由は、北米大陸の先史時代に関する最大の謎の1つとなっている。

しかし新た研究により、集落の衰退の原因について、1つの可能性が浮上してきた。それは大洪水の発生だ。

 これはウィスコンシン大学マディソン校の博士課程に在籍する学生、サミュエル・E・ムニョス(Samuel E. Munoz)氏が率いる研究チームの発表で明らかになったものだ。

同チームは、カホキアの近くにある湖の堆積物コアを分析し、西暦1200年前後にこの地域で破壊的な規模の洪水が発生したことを明らかにした。

これはちょうど、カホキアの集落が、人口と繁栄の両面でピークにあった時期だ。

 ムニョス氏のチームは、約1700年前にミシシッピ川の本流から切り離された三日月湖であるホースシュー湖の堆積物コアを分析した。

その結果、はるか昔の大洪水によりもたらされたとみられる、厚さ19センチのシルト質粘土の層が見つかった。

 このときに発生した洪水の水位が、カホキアの中心部にある最大のマウンドを浸水させるほどの高さに達したとは考えにくい。

このマウンドは今ではモンクス・マウンドと呼ばれ、現代の建物に換算すると10階相当(約30メートル)の高さを持つ。

しかし、これほど大規模な洪水であれば、農地や居住エリアに壊滅的な打撃を与えたはずであり、これにより最盛期には1万5000人に達したとみられる住民が、この地に住み続けられなくなった可能性もある。

 この大洪水が、カホキアの衰退と放棄の引き金になったのか、それとも衰退を加速する一要素にすぎなかったのかという問題は、今後の研究に委ねられる。

しかし、これまでにはっきりしていることがある。洪水の発生から150年以内に、メキシコより北の北米地域では最大の先史集落だったカホキアはゴーストタウンと化し、その後ヨーロッパからやってきた入植者が、無人の巨大マウンド群を見て首をひねることになるのだ。

 大洪水の発生は、カホキアの来歴に関する新たな問題提起だが、今回の研究チームが提示したその他のデータは、カホキア、そしてこの遺跡が属するミシシッピ文化の歴史に関する考古学界の既存の説とも整合性のあるものだ。

◆花粉の分析からわかる農耕文化の盛衰

 今回の研究では、ホースシュー湖の堆積物コアから見つかった花粉沈殿物の分析から、農耕の隆盛と、それに伴う急速な森林伐採の状況が判明した。

この地の農耕は西暦450年前後に始まり、900年から1200年にかけてトウモロコシの栽培がピークに達する。

堆積物コアの分析によると、その後に問題の大洪水が発生し、そこから先はトウモロコシの栽培が衰退していくという。

花粉記録によると、1350年までに、この地では農業がほぼ行われなくなっていたようだ。

 花粉記録の研究を専門とする地理学者のムニョス氏は、ミシシッピ文化が栄えた北米の南東地域について、花粉記録に関する研究が非常に少ない点に着目したという。

「さらに、大きな考古学遺跡の周辺地域については、ほとんど過去の研究がない状態だった」と同氏は指摘する。

そこでカホキアに近いホースシュー湖の存在を知り、ここは調査してみる価値があると考えたとのことだ。

「こうした氾濫原にある湖は長い間、こうした花粉記録の調査箇所としては見逃されてきたが、非常に大きな価値を持つ可能性がある」とムニョス氏は述べている。

同氏の研究は、ナショナル ジオグラフィック協会の助成金を受けて実施されている。

 しかし、カホキア衰退の謎に関するこれほど大きな手がかりを得られるとは、ムニョス氏にとっても予想外のことだったという。

「自分たちが見ているものが洪水の痕跡で、しかもその発生時期がちょうどカホキアにとって重要な時期にぴったり合致することがわかったときには、胸が躍った」と、同氏も発見時の驚きを語っている。

 この研究は、米国時間2013年10月27~30日にコロラド州デンバーで開催されたアメリカ地質学会(GSA)の年次総会で30日に発表された。

Photograph by Ira Block, National Geographic

カホキアは、イリノイ州、セントルイス郊外にあるアメリカ先住民が築いた大遺跡です。

ミシシッピ文化期(A.D.700年~1600年頃)に、栄えたと推定されています。

北アメリカ初期の歴史を理解する面での重要性を評価して,1982年に「カホキア・マウンド州立史跡」として世界遺産に登録されました。

カホキアの広範囲な水没については、なにも歴史上の記録などないと、お思いでしょ。

ところが、モルモン書には、気になる記述があるのです。

中南米のある土地に起きた、大規模な洪水と地殻変動の記録です。

町は海の底に沈み、地が町の上に持ち上がり、その町のあったところに大きな山ができた。

暴風雨と旋風と雷と稲妻と全地の非常に激しい振動のために、地の全面が変わってしまった。

街道は破壊され、平坦な道は損なわれ、多くの場所が起伏の激しいところとなり、多くの大きな名のある町が沈み、多くの町が焼け、また多くの町が揺れ動いて建物が地に倒れ、方々の地が荒れるに任された。

そして、多くの命もまた、失われたと言います。

カホキアをある考古学者は,宗教が社会のあらゆる面に浸透していたように思われるところから「北アメリカのエルサレム」と称したそうです。

別の文献は,「最盛期(西暦1000‐1150年)に,カホキアは高度に中央集権化した神権政治の本拠地であった」と述べているといいます。

カホキア人にとって宗教と社会が不可分のものであったことを示す、人工遺物も発見されたそうです。

「Cahokia: City of the Sun(カホキア―太陽の都市)」という本によれば,「カホキア人の世界は,闇と光,秩序と混乱,報いを受ける善と罰を受ける悪などの対立の世界であった」とのことです。

 エルサレムが連想され、闇と光,秩序と混乱,報いを受ける善と罰を受ける悪などの対立の世界といえば…。

 まさにモルモン書の 大災害で 多くの町が滅んだ記述に、当てはまりそうですね。

アメリカの考古学者の大半は、聖書やさまざまの歴史書は読んでいても、モルモン書を読んでいないでしょうから、この記述に気が付いていないでしょう。

また、アメリカの末日の会員の大半も、まさか、この遺跡がモルモン書の記述にある土地の可能性など考えたこともないでしょう。

 洪水で滅んだ可能性が強まった以上、末日聖徒の会員のカホキアを見る目は変わってくるかもしれないですよ。

今後の調査は、さらにこの遺跡の驚くべき真相を解き明かしてくことでしょうね。

 これは、あなたの感想に過ぎないでしょう。

もちろんです。

だが、可能性を言うのは、自由でしょ。

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古代アメリカのイエスはありえるか。

アメリカ先住民族とアイヌや琉球民族の先祖であった縄文人は親戚筋であることは、遺伝子や縄文土器、寄生虫などで確かめられています。

アイヌや琉球民族には、生活文物や風習に古代イスラエルや聖書との類似が指摘されます。

 アメリカからもそのうち、古代イスラエルとの繋がりが見つかる可能性は、あるのでしょうか。

ちなみに、欧州人はアメリカ大陸で十字を見つけて驚いたのです。

 十字の正体は太陽神の象徴だったでしょ…。

 カソリックの人々は、現地人の太陽神信仰をキリスト教布教に最大限利用してきたはずですね。

ならば、この十字を象徴とする神の信仰は、布教に利用されたのでしょうか。

 十字を象徴とする神というなら、聖書どころじゃないでしょ。

 イエスとどう違うのって、話になると思いますが。

アメリカ大陸には、古来、愛と悔い改めを説き、再臨を約して去って行った白い神伝承があるのです。

この神は、キリスト教布教には利用されなかった模様です。

だってそうでしょう。

欧州に来てないイエスが、アメリカには来たと認めることになるわけですから。

 カソリックも、おそらく、プロティスタントも、イエスがアメリカには来たと認めてないでしょう。

 認めたら、バチカンの立場は危うくなりますね。

イエスは失われたイスラエルの家にしか、遣わされていないですからね。

 もしも今、古代アメリカのイエスを認めたら、末日聖徒イエスキリスト教会のモルモン書まで認めることになりますね。

モルモン書には、イエス自身による説教があったと記されていますからね。

 古代アメリカのイエスを認めることは、古代アメリカのイスラエルの民も認めることになる…。

今のところ、古代アメリカのイスラエルの民を主張しているのは、モルモン書だけですからね。

 古代アメリカのイエスを認めるならば、アメリカ中の末日以外の教会の立場、丸つぶれですね。

古代アメリカでのイエスの説教を収録した記録は、モルモン書だけですからね。

 知りたければ、モルモン書を末日の教会でもらうしかないでしょ。

 あとは古書店を探すしかない…ネットとかも使ってね。

カソリックは日本でも、太陽神であるはずの大日を布教に利用しなかったのです。

なぜなら、大日=天照=皇祖神の構図になり、イエス=大日とおくと、イエス=大日=天照=皇祖神の構図になります。

天皇がイエスの直系子孫になってしまうのです。

少なくとも、イエスの直弟子の直系子孫になってしまうわけです。

 イエスの直弟子と言えば、エルサレム教団以外にはありませんね。

ローマとの戦いの前に出て行ったきり、行方不明なのです。

バチカンは、自分達こそ継承者と主張するが、根拠は薄いと言わざるを得ません。


エルサレム教団は、イスラエルの失われた家にのみ、布教する、少なくとも、ユダヤの風習を受け入れないと布教しなかったはずでした。

 バチカンには、ユダヤの風習はなかったはずです。

古来親戚筋のアメリカと日本の先住民であることを見れば、欧州にはないイエスの足跡やイエスの直弟子の系譜が、類似する神をイエスと同定すると出てしまうのは、偶然でしょうか。

カソリックは、愛と悔い改めの白き神も、大日もイエス認定しなかったのです。

 欧州より先にイエスの足跡を公認したら、バチカン立場無いですからね。

これでもし、アメリカ大陸から古代イスラエルを連想できる文物が見つかれば、日本にも古代イスラエル、少なくとも古代中東の民が来たことが裏付けられることになるでしょう。

古代中東の遺伝子は、エチオピアのユダヤ人からも見つかると指摘されるが、ユダヤ人は中東の民だからそれほど驚きません。

むしろ、ユダヤなど中東の民と認定されてこなかった、チベットや日本で見つかるから驚くのです。

チベットについては、遊牧の民であった指摘はあっても、遊牧の民すなわち中東の民と認定は早計なのです。

まだまだ、新発見の余地が多い古代アメリカの遺跡です。

今後の展開に注目です。

 それはそうでしょ。

 古代アメリカのイエスが認められてしまったら、古代アメリカに古代イスラエルの民がいたことになり、日本にも古代イスラエルの民が来ていないとおかしくなるでしょ。

 そうなったら、古代日本のイエスの痕跡探しは一気に活発化しますよ。

つまり、もし、アメリカから古代イスラエルの連想できる遺物が出れば、メソポタミアだのエジプトだのに話はそらされる可能性はありますね。

 でも、メソポタミアだのエジプトだのは、聖書の民の足跡の地そのものですよ。

今後の展開に注目ですね。

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シヴァ神とタコ?

友人が、興味深い情報を教えてくれました。

眉毛と目が描かれた頭巾か袋に足が生えたような不思議な姿をしている、『エジプトの死者の書』に描かれた謎の神がいます。

 お化けのQ太郎から、頭の3本の毛と口と手を省いたような感じですね。

目をもっと、リアルに描きますけどね。

 そういえば、お化けのQ太郎には、眉毛は描いてなかったかな…。

バンダナを巻いていたり、花瓶のような姿、男根のような姿、オシリスの頭部を収める容器のような姿でも描かれることがあるそうです。

 バンダナを巻いていたり、花瓶のような姿というから、なんともコミカルですね。

その神の名は、メジェドと言います。

 その神の名前が、友人のくれた情報ですか。

それと、特徴についての話ですね。

アルファベット表記は「Medjed」で、その名は「打ち倒す者(The Smiter)」を意味するといいます。

オシリスの館に住まい、オシリスの敵を目によって滅ぼすというその名にふさわしい権能を持つ神です。

オシリスの丘や、葬儀用の壷に隠れた姿であるといい、人の心臓を喰らい、死者の肉体を聖別する、という「死」と縁の深い神です。

太陽神ホルスが地平線から現れる前の相とも言われ、不可視の存在とされます。

 男根のような姿で描かれることもある、「打ち倒す者」を意味する名前の神と言うと、どことなくシヴァ神も連想できますね。

シヴァ神はリンガと呼ばれる男根をシンボルとする、破壊神ですからね。

バンダナを巻いて描かれたり、男根のような姿で描かれたりする、この当たりも女陰であるヨーニとペアで表現されることの多いシヴァ神を連想できそうですよ。

 創造神ブラフマー、維持神ヴィシュヌに対してシヴァ神は破壊を司るでしょ。

 メジェド神は太陽神ホルスが地平線から現れる前の相とも言われる、奇妙な対応が見られますね。

でも、メジェド神は踊らないが、シヴァ神は踊る神ですね。

 シヴァ神の世界を破壊するときに恐ろしい黒い姿で現れるという点は、メジェド神の人の心臓を喰らいという点に、微妙に重なる気はしますが…。

マハーカーラ(大いなる暗黒)とも呼ばれ、漢訳仏典では大自在天と訳されマヘーシュヴァラとも呼ばれる点は、メジェド神とは対応が見えません。

だが、面白いことがあります。

シヴァ神は、しばしば、複数の腕をくねらせながら踊る姿で表現されます。

 複数の腕をくねらせて踊る姿で描かれる、大いなる暗黒とも呼ばれる、大自在天と訳されることもあるシヴァ神…。

ここに、バンダナを巻いたメジェド神のイメージを重ねると、妙な気分になるのです。

 日本人にはお馴染みの、鉢巻をして踊るタコの八ちゃんですか。

タコは、墨を吐き暗黒を作り、自在に姿を変えるでしょ。

 タコと破壊と言えば、クラーケン伝承がありますね。

クラーケンは、その多くが巨大なタコやイカのような頭足類の姿で描かれる、北欧伝承の海の怪物です。

中世から近世にかけて、ノルウェー近海やアイスランド沖に出現したとされています。

19世紀のアフリカ南部はアンゴラ沖に現れた海の怪物も、クラーケンでなかったかと言われているのです。

クラーケンの姿や大きさについては、諸説があるが、巨大なタコやイカといった頭足類の姿で描かれることが多いです。

ほかにも、怪物としての大海蛇であるシーサーペントやドラゴンの一種、エビ、ザリガニなどの甲殻類、クラゲやヒトデ等々、様々に描かれてきました。

姿がどのようであれ一貫して語られるのは、その驚異的な大きさです。

「島と間違えて上陸した者がそのまま海に引きずり込まれるように消えてしまう」といった種類の伝承が数多く残っています。

日本で伝承される赤鱏(あかえい)の島も、これに似ているのでクラーケンの一種として論じられることもあります。

赤鱏は、江戸時代後期の天保12年(1841年)に刊行された奇談集『絵本百物語』に見える巨大魚です。

原典には「赤ゑいの魚(あかえいのうお)」の名で記載されています。

 多彩な姿で語られるクラーケンは、自在に姿を変えるタコのイメージに重なりますね。

欧米文化圏では、タコはデビルフィッシュと呼ばれ、長らくあまり良い印象を持たれませんでした。

 欧州でタコを食べる文化は、地中海沿岸に限られてきましたね。

 近年でこそ、タコの消費量は欧州でも増えてきたようですけど。

日本ではユーモラスに見られてきたタコも、欧州文化圏ではグロテスクと見られて気持ち悪がられてきたようです。

ここにクラーケン伝承も加われば、なお、良い印象とは言えないでしょうね。

 メジェド神やシヴァ神と、タコとクラーケンですか…。

鉢巻をして踊るタコの八ちゃんのイメージ、起源は何かと不思議に思っていたけれど、メジェド神の情報を貰った時、あれっと感じました。

そして、そこにシヴァ神を重ねると、面白い展開が見えるのです。

 シヴァ神のシンボルである男根(リンガ)の起源と、メジェド神の男根のような姿。

 リンガで表現されたシヴァ神のヨーニとペアの姿と、バンダナを巻いたメジェド神の姿。

 破壊神としてのシヴァ神の姿と、人の心臓を喰らい打ち倒す者を意味する名を持つメジェド神の姿。

そこに、クラーケン伝承が重なると、どうなります。

 メジェド神=シヴァ神=クラーケン=タコ、と言う構図ですか。

 鉢巻のタコとバンダナを巻いたメジェド神、足の数は違うが、見た目はどことなく似てますね…。

でしょ。

どこまでも、連想に過ぎないので、もっと情報を集める必要はありますけどね。

でも、日本の神話と古代エジプトの神話の、太陽神を中心にした三神構造を動物神を含む八百万の神が囲む構図はそっくりでしょ。

 日本人の足は大半がエジプトタイプで、味の好みも日本とエジプトは似てる…。

 歴代ファラオの顔と日本人の顔の意外な類似や、日本とチベットに残る古代中東のYAP遺伝子…。

そう見ていくと、メジェド神の姿と、鉢巻をしたタコの八ちゃんの奇妙な類似は、何とも不思議な気分になるのです。

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