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縄文のネコは海を渡ったか?

日本のネコは、縄文時代にまで遡れることは、貝塚から見つかる骨によってわかっています。

問題は、この縄文のネコはどうやって日本に来たかなのです。

日本が大陸から分かれる前からいたか、日本が大陸から分かれた後に来たか、考えなければならないことが分かれてくるのです。

 日本のネコが大陸から分かれる前からいたのであれば、当然野生のネコもいたことになるが、今現在残っている野生のネコは西表と対馬の二島にいるだけですね。

そうなると、西表と対馬の二島のネコははたして、大陸から分かれる前からいたのかとなるわけです。

ならば、日本が大陸から分かれた後に来たかとなるが、厄介な問題が生じます。

ネコの中にも泳ぐ仲間はいるが、ネコは基本的には泳ぐことは好きではありません。

つまり、日本が大陸から分かれた後に来たとすれば、誰かに連れてこられる必要があるのです。

 縄文時代の貝塚からネコの骨が見つかっているが、ヤマネコ、それも、オオヤマネコの可能性があるのでしたね。

現在の日本には対馬と西表の二島にヤマネコはいるが、オオヤマネコは確認されていません。

野生化したネコの捕獲と飼育の報告例もあるが、オオヤマネコではないようです。

 ヨーロッパとアメリカのオオヤマネコは近縁と見られているので、もし、日本の貝塚のネコの骨がこれらのオオヤマネコと近縁なら、面白いですがね。

オオヤマネコでも、アメリカ経由でヨーロッパとの繋がりが証明できますからね。

縄文人が地中海世界を含む西方世界を経由していることは、ヨーロッパと共通の遺伝性疾患、秋田美人の肌の白さ、そのうえ、秋田犬の血液型パターンまでもが、指し示していることも、見てきました。

琉球人とアイヌは共にYAP(+)遺伝子が見つかり、アメリカのケネウィックからアイヌの親戚としか思えない古代人骨が出ています。

 アイヌと琉球人は顔立ちが似ているから、ケネウィック古代人骨は琉球人の親戚の骨と見ることもできるのでしたね。

 ケネウィック古代人骨はスペインやフランスの様式の鏃を伴っていたことを合わせると、アイヌや琉球人の親戚は地中海世界にいたことになりますね。

 人だけなら、島伝いであれば、丸太舟やアウトリガーで来た可能性も考えられますねね。

ただ、ネコとなると、丸太舟やアウトリガーで来たと見ると、かなり無理があります。

 ネコが小さな舟に、大人しく乗ってくれるとは、とても思えないですよ。

舟にある程度の大きさがないと、ネコの移動には無理があります。

空間はある程度狭くても良いが、ネコには高低差と隠れる場所が必要なのです。

 少人数の小舟ではなく、ある程度人や荷を運べる船舶と呼びたくなるような大きさがいる…。

地中海世界からアメリカ、さらに、アメリカから日本への、ある程度の大きさの船が旅立ったと見える記述は、またしてもモルモン書にあるのです。

 問題は、定説とされる縄文時代の始まった時期と、モルモン書の記載が示す時期の差でしょ。

そうなんですね。

 縄文人の一部ならともかく、全部となると…。

しかし、そこをあえて目をつぶって比較すると、説としては面白い話が展開できてしまうわけです。

アイヌの生活文物と古代イスラエルとの類似、沖縄の伝承や文化と聖書の類似が指摘されています。

 太平洋の中ほどに古代の日本とアメリカの交流ルートがあったと、縄文土器や遺伝子、寄生虫から見ても、指摘できましたね。

琉球人には古代アメリカと同様なを使った記録法の文化があり、沖縄からは煙が立ち上る階段ピラミッドを連想できる古代の絵が見つかっているが、アメリカの階段ピラミッド遺跡の上でも火が焚かれていた痕跡が確認できています。

古代中東の遺伝子とされるものに、YAP遺伝子があることは、これまでにも触れてきました。

そして、ユダヤ人、正確にはユダヤ人の男子に、YAP(-)遺伝子があると言われます。

しばしば、YAP(-)遺伝子とはYAP遺伝子がないと誤解する人がいるが、余分な遺伝子があるYAP(+)遺伝子に対して余分な遺伝子がないからYAP(-)遺伝子なのです。

現在YAP遺伝子を持っていると確認されているのは、ユダヤ人と日本人とチベット人だけとされます。

そして、YAP(-)遺伝子があるのはユダヤ人とチベット人、そして大半の日本人の男子です。

大半の日本人の男子といったのは、アイヌや琉球民族はYAP(+)遺伝子なのです。

 ハワイにも、YAP(+)遺伝子を持つ人々がいるので、古代中東から地中海、そして、アメリカ大陸を経て、大西洋を渡って、日本に来て今日に至る道筋を考えられることも見たのですよね。

 こうしてみると、間に挟まれたアメリカ大陸に、古代中東文化の痕跡を見出さない方が、不自然ですね。

アメリカから来た一団が、縄文人の上に君臨し同化したとみれば矛盾は消えるが、縄文人の起源と見るとどうなるかとなるわけです。

 遺伝子的には、アメリカから来た一団こそ縄文人の起源と見た方が無理はない…。

以前から、アメリカと日本の先住民は同祖とされ、近年、遺伝学的にも裏付けられてきたわけですから。

 定説とされる縄文時代の始まった時期と、モルモン書との時間差を埋めようとすれば、4000年程前と聖書学的にはされているノアの洪水を史実としないと、辻褄が合わなくなる…。

 それも、ノアの洪水を地球的な規模の水没と見ない事には、現代の科学との整合性が取れない…。

モルモン書の記述を史実と認めると、ノアの洪水の水は、どこから来たかとなります。

聖書には洪水後に初めて虹が出たとあり、寿命も洪水の前後の異なることから、相当分厚い雲で地上が覆われていたと想定することになります。

 聖書の言う地の水と分けられた天の水とは、分厚い雲だったとみれば、確かに雲は天の水ですね。

では、その分厚い雲はなぜに突然、大雨を降らせたかも、解明しないといけなくなり、歴史は大きく塗り替わることになります。

 アメリカの先住民の文化の解明に大きな貢献が期待できるカホキア遺跡に大規模な洪水跡が見つかったが、モルモン書にはあたかもこの事件を記録したかのような記載があるのでしたね。

もしこの遺跡の研究が、モルモン書の記述を裏付けることになれば、その他の記述の信憑性の検証も必要になるわけです。

カホキア遺跡が指し示す古代アメリカの社会は、古代エジプトやメソポタミアどころか、聖書の世界を彷彿とさせる内容であることを示す展開になっていますからね。

 古代エルサレムを彷彿とさせる作りの町や、祭政一致の社会などですね。

でしょ。

こういう社会を作ってきた人たちが、縄文人の起源と関係が深いのは面白いですね。

 ここで注目したいのは、失われた10支族を探しているイスラエルの機関であるアミシャブは、インドのカシミール族、ミャンマーのカレン族、シンルン族、中国のチャンミン族とも呼ばれる羌(きょう)族などを特定したとするが、いずれもチベット系少数民族ですよね。

日本語は、チベット語やビルマ語と似ていると指摘されます。

日本語、チベット語、朝鮮語、チュルク語は主語・目的語・述語の順です。

一方、中国語は、英語などと同じ、主語・述語・目的語の順なのです。

それで言語学者の中には、チベット語が日本語のルーツと主張する人もいます。

そのチベット系少数民族が、アミシャブによって10支族の末裔と特定されたなら、チベット族が10支族の末裔と特定されたに等しいと言えますね。

 そして、チベット語に日本語のルーツ説が出てる…。

これは言い換えれば、日本に来る途中何らかの理由で離脱した集団がチベット人のルーツと言ってるのと同じことになりませんか。

 何らかの理由で旅に耐えきれない幼子や妊婦を抱えた一族が、この地に留まっってそのまま定住し、チベット族になったということでしょうか。

チベット族の先祖は遊牧の民であったとされます。

この地に何らかの理由で留まる選択をする人々がいても、不思議はないですね。

 東京大学の江上波夫名誉教授が唱えた騎馬民族征服王朝説と重ね合わせると、面白いですね。

騎馬民族征服王朝説は、北アジアの諸民族に影響を与えたスキタイ文化の流れが、朝鮮半島から日本にまで及ぶことを背景に展開されたのですよ。

江上波夫名誉教授は、後に高句麗や百済を建国することになる東北アジアの騎馬民族の扶余の一部が、紀元前4世紀、朝鮮半島から日本に侵入し先住民族を支配して大和朝廷を築き、王族は天皇家の先祖となったと言う説を展開したのですよ。

チベットはむしろ南方なので、騎馬民族征服王朝説と結びつけるには無理があります。

 騎馬民族なので、一族自体は広くアジア一帯に展開した可能性は見ても良いかも知れないですね。

シルクロードは、実際には一本ではなく、アジア全体に展開していた交易路の総称なので複数形のシルクローズと言う方がむしろ実態には合っていますから。

 そして、これまでアミシャブによって10支族の末裔と特定された民族を地図上に落とすと、見事にシルクロードが浮かび上がるのですよね。

さらに、日本の神社の構造や神職の服装、さらには塩による清めや植物による祓いまでも古代イスラエルに似てるなどの事実が日ユ同祖論で指摘されてきました。

 正月の鏡餅と過ぎ越しの祭りの種入れぬパンの類似や、諏訪大社の御頭祭とモリヤ山でのアブラハムとイサクの故事の類似、相撲の起源など、いろいろ指摘されますね。

これらの類似の起源が、縄文にまで遡る可能性はあるのです。

 縄文から弥生、古墳時代に至るまで断続的と見るには連続性が強いとは、何度となく言われてきたことですね。

そうなると、アイヌの生活文物と古代イスラエルとの類似、沖縄の伝承や文化と聖書の類似も、日ユ同祖論の延長線上に乗ってきますね。

 縄文人は、地中海世界からアメリカ、アメリカから日本と、ネコと一緒に海を渡ったのでしょうか。

少なくとも、それを可能にする技術は持っていたことになりますね。

縄文のオオヤマネコが、ヨーロッパやアメリカに由来したとすればの話ですけどね。

 その船が、モルモン書に記載されたものと同じかどうかですね。

もし同じとしたら、歴史の教科書は大改訂が必要になりますよ。

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