怒る相手をまちがえてはいませんか。
際限のない食の偽装が問題になっています
だが、日本の食の偽装と、中国の食の偽装は、水準も内容も大きく異なります
中国は下水から取った油などが、平気で偽装され問題になりました。
日本は、ブラックタイガーをクルマエビに摩り替え、まだ安全性に問題のない賞味期限切れの期限の改ざん、など美味しいのに見下げられたり、捨てられたりした食材を工夫して、提供していたにすぎないのではないでしょうか。
問題はそれを隠し、偽っていたことなはずですよね。
そして、多くの消費者はそれに気づかずに、美味しいものが手頃な値段で嬉しいと食べていたのではなかったでしょうか。
業者は、食材の名前を偽ったことで信頼を失ったかも知れません。
ならば消費者は、改善の結果、値段が上がり、品切れ御免を目の前で言われても、文句を言わない方が良いと思うが、いかがでしょう。
値段を抑え、品切れを起こさないために、工夫した結果をちゃんと公表せず、誤魔化したことが問題なのではないでしょうか。
生産の量や品質、輸送や調理のコストに見合った価格を消費者は受け入れないといけないのではないでしょうか。
その結果、今より値段も上がり、数量限定も増えることを、受け入れた方が良いのではないでしょうか。
みんなが揃いの物を食べる事よりも、好みに合ったもの、アレルギーを起こさない物を食べる事を、選べば良いのではないでしょうか。
ブラック企業や過労死などを野放しにして、本物をじっくり味わう余裕がないから、業者もでき心で偽装し、ばれないからのめり込んだって事じゃないでしょうか。
もっと、余裕の持てる日本にしようという声こそ、上がって欲しいです。
本物志向、ブランド志向、と言ってる割に、本物を知らない消費者が多いことの方が、本当は問題なんじゃないでしょうか。
消費者の舌が、ちゃんと本物を知ってて、見分けられると業者がおそれていたら、こんな偽装は起こらないはずでしょう。
本物を味わえるだけの、余裕が何故持てないか、もっと、国民は考えた方が良いです。
国民がもっと怒るべきは、政治家や政党の嘘であるはずです。
選挙公約で言わなかった事をやろうとしたり、もっとひどいのは、選挙公約と真逆な事をやろうとしたりしたら、人はもっと怒るべきではないでしょうか。
ことに、政権を取ったり維持した政党や政治家が、選挙公約で言わなかった事をやろうとしたり選挙公約と真逆な事をやろうとしたりしたら、抗議行動や抗議のデモくらいやって当然なのではありませんか。
抗議されるだけのことを、したのではありませんか。
選挙公約にないが、公約の実現の範囲内と認められるならいざしらず、明らかに範囲外と見なせる場合は、選挙公約と真逆な事をやるのに等しいのではありませんか。
同じ信頼を損ねるのでも、公約違反は明らかに実害が出るのではありませんか。
実害が出る公約違反を、事情があるなら、相手があるから、仕方がないなどと諦めたら、民主主義は崩壊するのではありませんか。
公約は、選択の基準であるはずではありませんか。
その公約を信じられないなら、選挙は選択の意味を失うではないでしょうか。
食の偽装が選択の意味を失わせたと怒るなら、公約の偽装になぜ怒らないのでしょうか。
ダブルスタンダード、二枚舌ではないでしょうか。
いつから日本はこんな、モラル破綻になったのでしょうか。
本音と建て前というが、本音を受け入れやすいオブラートに包むのが建て前なはずです。
そして、建て前の実践を通じて、本音を実現してきたのが日本ではなかったのでしょうか。
四角い豆腐も切りようで丸い、物も言いようで角が立つ、といいますよね。
この、切りよう、言いようが、建て前なのですよね。
本音と違うことを言って、誤魔化すのが建て前ではないですよね。
義理と人情の板挟みと、本音と建て前は似てるようで違うのではないでしょうか。
義理と人情をいかに両立させるか、そこから生まれたのが、本音と建て前の使い分けなのではないでしょうか。
政治で言えば、本音を実現させる建て前が政策であり公約でしょう。
有権者の機嫌取りを狙って、本音と違う政策や公約をするから嘘になりますよね。
特定秘密保護法なるものが、作られようとしています。
人は嘘をついたとたんに、物凄い記憶力が必要になりますよね。
自分でも覚えきれないほどの嘘をついてきたから、臭いものに蓋をして追及を逃れようとするのが、特定秘密保護法の本音ではないでしょうか。
スパイ防止などの、建て前に騙されたらえらいことになりませんか。
為政者にとって、蓋をしたい臭い物が国民の追求と言ってるような政府は、本当の民主国家であれば転覆に値するのでないですか。
国民が大人し過ぎませんか。
食の偽装が選択の意味を失わせたと怒るが、公約の偽装に怒らないダブルスタンダード、二枚舌のモラル破綻国になったから、そのツケが底なしの偽装じゃないでしょうか。
一貫した方が良いのではないでしょうか。
選択の意味を失わせるすべての偽装に怒った方が、すっきりするのではないでしょうか。
全ての自由の根底が、選択の自由ではないでしょうか。
そして選択の自由の行使こそ、民主主義の本質ではないでしょうか。
選択の自由を奪う一切の行為は民主主義の敵ではないでしょうか。
何が秘密かさえ秘密の秘密保護法は、選択の自由や民主主義と両立できるでしょうか。
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