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2014年4月

再び日本人を遺伝子から見直してみた。

最近、私のブログである記事が注目されています。

日本人を遺伝子から見直すと。

注目してくださって、ありがとうございます。

この記事は、日本人の起源についてのこの時点での私の考察の覚書であり、他の民族と比べて日本人が遺伝子的にどう違い、あるいは同じなのかを記したのに過ぎません。

その点を先ずお断りしておきます。

熱い議論を交わさして下さった中には、長文の議論を展開してくださった方もあり、ここまで評価していただき、御礼申し上げます。

この方は、、日本人はローマ帝国領内の地域から来たとして、熱弁を振るってくださいました。

細目に渡ってお返事差しあげると、それだけで物凄い時間を割くことになるので、それはまた、別の機会にいたしましょう。

結論から言えば、概ね同意します。

日本人に発症する遺伝性疾患はいくつかあるが、ローマ帝国領との繋がりを連想できるのは家族性地中海熱です。

名前に地中海とあるのは、この病気は地中海沿岸域の人々や、中近東つまり、ユダヤ人特にセファルディ(スペイン・ポルトガル系のユダヤ人)・トルコ人・アルメニア人に現れるからです。

上記で説明したような地域や人種では、1000人に3人の割で病気がおこるが、他の地域では希です。

しかし、原因遺伝子がわかってからは、それまでこの病気はほとんどないと思われていた様な、イタリア人・ギリシャ人・アメリカ人の中にもこの疾患が見つかるようになりました。

このように、遺伝子疾患からも、ヨーロッパ世界との繋がりを指摘できます。

だが、日本までどうやってきたかが問題です。

ここで注目したいのは、クローン病です。

病気の紹介ではないので、今回の議論と関連が強い部分だけ触れます。

クローン病を引き起こす原因と人種や地域によって発症する頻度が異なり、また家系内発症もみとめられることから、遺伝性であることは確かです。

だが一方で、生活習慣病的な側面を持つ疾患でもあります。

世界的にみると地域的には先進国に多く、北米やヨーロッパで高い発症率を示します。

食生活の欧米化によって患者数が増えているといわれ、食物中の物質や微生物が抗原となって異常反応を引き起こすことが、原因のひとつと考えられています。

環境因子、食生活が大きく影響し、動物性タンパク質や脂肪を多く摂取し、生活水準が高いほどクローン病にかかりやすいと考えられています。

喫煙をする人は、喫煙をしない人より発病しやすいと言われています。

人種と地域による発症頻度の違いは、東アジアでも現れています。

確認されているのは、日本の他には韓国と中国で、台湾にも発症例はまだ少ないが報告はあるようです。

ロシアにも、もちろん発症例はあり、独自の治療体系が展開されているようです。

中国の場合、沿岸と内陸で経済発展段階がかなり異なるのと何分にも人口自体が多いので、対人口比も気になるところです。

とはいえ、庫隆氏症(クーロンスーチェン)として認知されている以上、それなりの発症例があると見て良いかも知れません。

人口の分母が違うとはいえ、中国に発症例がある原因をもしも、遺伝性にあるとするならば、気になる調査が過去にあるのです。

平成12年つまり2000年、中国で発見されている遺骨のDNA分析の結果が発表されました。

発表したのは、東大の植田信太郎、国立遺伝学研究所の斎藤成也、中国科学院遺伝研究所の王瀝(WANG Li)らです。

調査の対象となった遺伝子は、次の通りです。

1、約2500年前の春秋時代の人骨
2 約2000年前の漢代の臨淄(りんし)である中国山東省、黄河下流にある春秋戦国時代の斉の都の遺跡から出土した人骨
3 現代の臨淄(りんし)住民

臨淄(りんし)区は、中華人民共和国山東省淄博市の市轄区のことです。

工業都市・交通の要所で、国家歴史文化名城に指定されているのです。

臨淄(りんし)区は、中国春秋時代の斉の首府とされた都市です。

周王室により東海地方に封じられた太公望によって築かれ、最初営丘、のちに名をあらため臨淄(りんし)となりました。

現代の臨淄(りんし)住民を比較対象として三つの時代の変遷を、見ようというわけです。

これらの人骨から得たミトコンドリアDNAの比較研究の結果によると、三つの時代の臨淄(りんし)人類集団は、まったく異なる遺伝的構成を持っていました。

どういうことかというと、約2500年前の春秋戦国時代の臨淄(りんし)住民の遺伝子は、現代「ヨーロッパ人」の遺伝子に非常に近いです。

約2000年前の前漢末の臨淄(りんし)住民の遺伝子は、現代の「中央アジアの人々」の遺伝子と非常に近いです。

現代の臨淄(りんし)住民の遺伝子は、現代「東アジア人」の遺伝子と変わらないといいます。

ここで注目したいのは、
2500年前から2000年前の500年間の臨淄(りんし)住民の遺伝子は、現代「ヨーロッパ人」の遺伝子に非常に近いことです。

キリスト生誕は今から大よそ2000年前なので、イエス誕生を待っていたかのように、現代「ヨーロッパ人」の遺伝子に非常に近い人たちが、忽然と中国を去ったわけです。

中国とその周辺の国や地域のクローン病が、もしも、遺伝性であったならこの集団が関わっていた可能性はないでしょうか。

そしてもし、日本での発症例が対人口比で高かった場合、この今から2000年前に中国から移動してきた集団が関わっている可能性はないのでしょうか。

彼等は、まだ文字が象形文字の段階で中東あるいは地中海を去って中国に来て漢字の基礎を据え、漢字を残して日本に来たとしたらどうでしょう。

格助詞は、日本語と他の言語を分ける指標のように見られているけれど、古代に遡るほど、消えていくのです。

彼らを待っていた先住民は、当然、日本にいたことでしょう。

ここで気にかかるのが、家族性地中海熱の発症する民族になぜかアメリカ人の名があることです。

複数の民族にまたがる先祖のいるアメリカ人はざらで、何とか系と分けようがないからとも見えるが、民族としてのアメリカ人と、もし言える集団がいるならネイティブアメリカン位なものでしょう。

ここで言う民族名としてのアメリカ人をネイティブアメリカンと見て良いなら、面白いことになるのです。

日本人はほとんどが、古代中東の遺伝子とされるYAP遺伝子を持っています。

正確には日本人の男性と言うべきでしょうけど。

先住民とされるアイヌや琉球人も例外ではありません。

そして、家族性地中海熱の発症する民族の中にはセファラデイもいるのです。

アシュケナジに対しては、ハザール人が起源の宗教養子との指摘があるのに対し、セファラデイこそオリジナルのユダヤであるとする声があるのです。

アメリカのケネウィックで見つかったのでケネウィック人と呼ばれる古代人骨があるが、最も近いのはアイヌとポリネシア人だそうです。

琉球人もアイヌに近いので、本当ならケネウィック人に似てる中に琉球人も入れるべきでしょう。

ケネウィック人の腰には、フランスとスペインの様式の鏃が刺さっていました。

YAP遺伝子は、中東のほかには、日本とチベット、さらにハワイでも確認されているそうです。

つまり、ケネウィック人もYAP遺伝子の持ち主であったと見るのは自然だし、ケネウィック人の祖先は地中海世界であり、当然、中東も入るはずです。

そうして、中東から西回りと東回りの二つのルートが日本で出会い、今日の日本人のルーツが出来上がっていったのかも知れません。

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聖書には現代への警鐘と皮肉が込められている。

聖書の宗教、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教は人の才能の違いなどがどうしても貧富の差を生じてしまうことを前提としています。

富める者は頑張っているけれども貧しい者を惜しみなく助ける事を、聖書の宗教では神の愛の実践として求めています。

聖書には、神に従うなら貧富はなくなるとあるにもかかわらず、富める者は貧しい者を惜しみなく助ける事を求めています。

神は、御心の実践者を惜しみなく救う方であると、心から信じ実践する者を惜しみなく救うと、聖書にはあります。

ただし救いにも様々な形があるので、自分は本当に救われ、祝福を受けているか不安になることがあるかもしれません。

神を見失っていないなら、やがては、困難は試しであり祝福であったと気づく時が来るとも、聖書にはあります。

聖書の神に従うなら貧富はなくなるとは、富める者も必要以上貪らず、頑張っているけれども貧しい者たちの必要に応じて惜しみなく助ける事によって、貧富の差によって困る者は一人もいなくなる、と言うことなのです。

ここで注意しないといけないのは、努力をしたのに貧しい者は救いに値するが努力をしないならば持っているものまで取り上げられ富める者に与えられてしまうとあることです。

救いを求めていると行為で表す者が、救われるのです。

イエスは、あなたの信仰があなたを救った、と言う言葉を何度も繰り返します。

しかし、主よ主よとこれみよがしに叫ぶのではなく、御心を信じ実践する者に対して、この言葉は語られているのです。

残念なことに、多くの人は自分たちの給与が上がらないのに、公務員の給与は上がると、怒るようです。

公務員の給与が上がることを怒るより、自分たちの給与が上がらないことの方を怒るべきと思うのです。

一般の国民同士が対立して、政府が仲介者として振る舞う構図、どこかで見たことありませんか。

まさに教科書に書いていた、植民地支配の構図そっくりでしょ。

欧米などは、最低賃金を引き上げるときには中小企業にもちゃんと配慮してるのを知っていますか。

日本政府がそれをしないのは、国民がなめられている証拠だと気付いていますか。

もっと怒らんと、さらに馬鹿にされてもっとむしり取られますよ。

現に、消費税増税分と大企業への減税分はこれまでの額を見ればわかるようにほぼ等しく、一方で社会保障や社会福祉は削られ続けたではないですか。

今や、社会保障や社会福祉の充実は、広範な国民と国内に基盤を置く経営者や企業が手を組んで、充実と前進を戦いとる時が来たと思いませんか。

柔軟性を持った新しい世代の育成は企業の未来を切り開くために必要だし、福祉は国内市場の確保の観点から重要であると思いませんか。

新しい社会への視野を持った社会保障や社会福祉の必要が言われるようになった背景には、社会の変化が急速になったために尻拭い的なものとして社会保障や社会福祉をとらえる立場が時代遅れになったことがあるのです。

尻拭い、つまり、努力してきたのに報いられていない人たちを後追い的に助けるのではなく、まっとうに努力しているなら、彼らの努力が報いられるように常に彼らが求める助けに応じていくことが、変化のドンドン早くなる今、必要なのです。

いいですか、社会保障や社会福祉は、犯罪の予防や、政府批判をするものから国民を切り離す目的でもともとは始まったのですよ。

社会保障や社会福祉の充実がおざなりにされているなら、国民は犯罪の犠牲になっても構わん、どうせ逆らわないと舐められているってことですよ。

犯罪の取り締まりは、国民の不満のガス抜きに過ぎないってことですよ。

だから、生活保護に対するヤッカミが放置され、そのとばっちりを生活保護を本当に切実に必要とする人が受けにくい社会になっていくのです。

子育て支援が、本当に切実に必要とする人が受けにくい社会になっていくのです。

聖書には、与えられたタラントが一番少なかったものが使わずにいたと主人に報告したら取り上げられて一番増やした者に与えられた話が出てきます。

そして、持っているものを使わないなら持っているものまで取り上げられて、もっとも持っているものに与えられると説きます。

自らの主権者としての力を信ぜずに、自分の力は小さいと諦めている国民は、持っているものまで取り上げられてもっとも富んでいるものに分け与えられると考えたらどうですか。

まるで、どこかの国にいる、しらけて立ち上がろうとしない人々が嘆いている現実そのものではないですか。

自らを卑下することと、へりくだる事は違います。

自らの非力を自覚したうえで、どうしたらそれを乗り越えられるかと自らに真剣に問いかけようとする事が必要なのです。

どうしたら救いに辿り着けるか、素直な心で現実を見つめ、答えを求めるものが道を見出すのです。

そして、助けが必要なら、素直に助けを乞い、助言を受け入れる謙虚さが大切です。

本気で助けを求めてないと思える人を、本気で助けたいと思えますか。

へりくだり仕える者となることをいとわない心が、求められているのです。

イスラム教にはジハードの思想があるが、これは、神に従うことへの内なる妨げとの戦いをさします。

神の妨げをするものが、聖書でいうサタン、コーランでいうシャィターンです。

聖書とは、内なる妨げであるサタンあるいはシャィターンとの戦いに神の愛の実践によって勝利するための導きの書と言えます。

だから、たとえばマタイによる福音書の16章23節にこうあるのです。

 イエスは振り向いてペトロに言われた。「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている。」

これはペトロをサタンと同一視しているのではなく、神の計画を妨げるような言動をするなと戒めているのです。

聖書やコーランには、外なる敵との戦いも記されるが、これらの戦いは実は内なる妨げとの戦いの延長線上にあります。

だが、現世的利害での敵に過ぎないなら神の愛の実践によって、対立を乗り越えて平和を築くことを、聖書の神は求めています。

ムスリムの寛容はここに由来します。

寛容な社会は、イスラム社会の特質などではなく、本来、キリスト教社会にもあってしかるべきなのです。

さらに、キリストの教えと仏教に類似を言う人もいます。

もしそうなら、神道の国であるだけでなく、仏教の国でもある日本も、また、寛容な社会であって良いはずではないですか。

今の日本、ちょっとせちがらくなってきてませんか。

宗教を、神なんていない、そんなもんは人が考え出したに過ぎないと鼻先で笑う前に、先人の知恵の宝庫として、見直してみた方が良いのではないですか。

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