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今こそ発想の大転換を。

スマートフォンでもタブレットでも、日本に技術がなかったわけじゃないです。
日本に無かったのは発想です。
問題になった追い出し部屋も、本当に親身になって転職や転業や独立やスキルアップをサポートするシステムだったなら、追い出し部屋とあだ名され後ろ指さされることはなかったでしょう。
差別虐待問題も、少子化問題も、本気に親身になって相手の声に耳を傾け、聞き上手になるためにはどうしたらいいかと言う発想の転換なしに、根本的な解決なんかない、そうでしょう。
おもてなしだって、一歩間違えれば、自分の趣味嗜好や価値観ややり方の押し付けに転訛しかねない、そうでしょう。
違いを受け入れ合い違いを認め合ったうえで、どう仲良くやっていくかを真剣に考えない限り、現代に合った「和」の形も、「おもてなし」の形も、作り出していくことはできないです。
異分子排除と全員同質を前提とした旧態依然の「和」と「おもてなし」にしがみつくなら、事態はむしろさらに悪化します、違いますか。
若い世代だって、日本や日本の文化は好きだ、自分の祖国なんだからです。
でも、自分らしく生きようとすればするほど、異分子排除と全員同質を前提とした社会システムにどっぷりつかって無自覚な旧世代の分厚い壁にぶつかり阻まれて多くの人は挫折して諦めて同化を選んでしまうのです。
その方が楽だから、そうでしょう。
でも、同化してしまうと、時代には合わなくなりますよね。
少子化や子どもを持たない選択や非婚や晩婚の選択は、その方が快感が大きい社会になってしまったから、なるべくしてなったのではないですか。
早く結婚して子だくさんになって欲しいなら、その方が快感の大きい社会にならないと無理ではありませんか。
早く結婚して子だくさんになって欲しいなら、そうなった方が快感が大きい社会に変わるにはどうしたら良いか、親身になってかんがえるべし、そう思いませんか。
大人がその努力を放棄して、若者に甘えるなと言う方がよっぽど甘えではないですか。
社会の先住民である大人は若者にとっては環境なのだから、そうじゃありませんか。
民主主義とは、自らが自らにとっての環境であると自覚した人々が、自分たちに取って生きやすい、快感が大きい社会を作っていく主役として、自発的にかかわっていく社会と、理解したほうがいいでしょう。
個々人の快感の実現にとって何が優先順位が高いかを考えられてこそ、近代市民ではないですか。
誰が与えてくれるかを待ったり選んだりしているうちは家来ではないでしょうか。
民主社会では、市民一人一人が社会の主人、違いますか。
誰が与えてくれるか待つのではなく、自分が作り出す側に回ってこそ、民主主義でしょう。
差別主義的虐待や少子化の壁も、自分の手で壊すしかないのではないですか。
待ってちゃダメではないですか。
日本人だって、どうしたら良いかという気持ちや、どうしたら良いかと言う方法は、持っているはずです。
問題は、それを正直に表に出して形にするにはどうしたら良いかと言う、発想がなかったのではないでしょうか。
日本の潜在的な能力や可能性は高いはすでしょう。
あとは、発想を大胆に変える事だけではないでしょうか。
ノーベル賞国別順位で、非欧州文化圏からトップ10に唯一入る国が日本です。
それなのに、日本は原理や部分品ではリードできてもシステムでリードできないのはなぜでしょう。
それは、異分子排除と同質当たり前社会の発想から抜けられないからでしょう。
違いを認め合い違いを楽しみ合うことを、快感とする社会へ舵を切った方がいいのではないでしょうか。

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