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むすことろばと牛?聖書の謎。

新約聖書ルカ14章5節、なぜか訳によって一か所違うのです。

ある訳はこう。

それから彼らに言われた、「あなたがたのうちで、自分のむすこか牛が井戸に落ち込んだなら、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者がいるだろうか」。

別の訳はこう。

それから彼らに言われた、「あなたがたのうちで、自分のろばか牛が井戸に落ち込んだなら、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者がいるだろうか」。

むすこと訳す版とろばと訳す版があるわけですね。

安息日でも、家畜の世話は休むわけにはいきません。

ルカ13章15節から16節には、こうあります。

  十八年間も病気の霊につかれ、かがんだままで、からだを伸ばすことの全くできない女をイエスが癒されたことを会堂司からとがめられたときの、イエスの言葉ですね。

主はこれに答えて言われた、「偽善者たちよ、あなたがたはだれでも、安息日であっても、自分の牛やろばを家畜小屋から解いて、水を飲ませに引き出してやるではないか。それなら、十八年間もサタンに縛られていた、アブラハムの娘であるこの女を、安息日であっても、その束縛から解いてやるべきではなかったか」。

つまり、安息日に牛やろばを落ちた穴から引き上げることは、消して珍しくなかったし、穴から家族を引き上げることもしばしばあったと思われるのです。

   でも、ここで疑問が起こりますね。

この混乱は、ギリシャ語聖書の段階で既にあるから、どちらの版から訳すかで、訳語が決まってしまうわけです。

となると、ルカ14章5節は元は違う文章だったのかとなります。

たとえばこう。

それから彼らに言われた、「あなたがたのうちで、ろばに乗った自分のむすこか牛が井戸に落ち込んだなら、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者がいるだろうか」。

あるいはこう。

それから彼らに言われた、「あなたがたのうちで、自分のむすこがろばに乗って牛を引いてた時井戸に落ち込んだなら、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者がいるだろうか」。

でもこれは推測に過ぎないし、ならどうして写し損なったかとなるのです。

  「自分のろばか牛」の方がオリジナルの文章だったが、ろばにむすこが乗ってると考えた人が写し損なったのでしょうか。

ここで興味惹かれるのは、ギリシャ語聖書でむすこの綴りが"υἱὸς"と言うことです。

画像検索をかけると、イエスの姿が多く見つかるのです。

そう言えば、イエスはイスラエルにろばに乗って入城したことが聖書に記され、牛もまた神に捧げる犠牲になることが多いです。

さらにイエスは横穴式墳墓から、天の神である御父に救い出されるのです。

そう考えると、天父はむすこであるイエスを墓穴から救い出すことを、ルカ14章5節は暗示したのでしょうか。

そう言えばイザヤ書にもイエスの受難の予言があるし、穴は詩篇などで予言されたイエスに敵対する者たちの罠と言うことだろうかと、想像してみたくなります。

この混乱は、何かを伝えるための神が仕掛けたトリックなのか、気になるところです。

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