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三星堆遺跡はだれが作った?

週刊プレイボーイ2014年2月16日号の表紙に驚いて思わずレジに走ったのです。

御目当ては、「中国共産党と考古学会が大論争!四川省5000年前宇宙人遺跡現地ルポ」。

四川省は、三星堆遺跡のある省ですよ。

三星堆遺跡は、三国志の劉備玄徳や諸葛孔明で有名な蜀の都があったことで知られる四川省の西都から北へ30kmほど離れた広漢市の外れに点在する遺跡群の総称です。

三星堆の名は、月型の大地に寄り添うような3つの円丘と言う地形から、「太古の時代に3つの星が落ちてきた」という伝説が生まれたことに由来します。

三星人という、独自な技術や文化、“7つの符合”を用いる人々が暮らしていたと言います。

日本の稲作の起源として近年注目されている長江文明のある省です。

 そこで宇宙人遺跡って、ちょっと待ってください。

これは、すごく気になったのです。

かえってさっそく、そのページを開きました。

問題の場所は、胸騒ぎが的中で、 三星堆遺跡に考古学者や労働者が集められているというのです。

放射性同位元素年代測定で、古い物では5000年以上前とさえ言われる調査結果まで出ているからです。

中国4000年と言われてきたのは、漢民族が黄河領域に興した夏王朝から数えてのことで、長らく伝説と見られてきた夏王朝が実在すると見られる証拠が出始めたと注目されています。

ところがそこへ、古くからチベット系少数民族が多く住んできた長江上流の四川の奥地で5000年以上前とさえみられる高度文明が見つかったのです。

日本人は、世界でも稀な古代血統とされるY遺伝子D系統を多く持つ人種です。

 日本人はY染色体DNAのD系統を高頻度で持つ事で有名 です。

世界的にも、チベット人や中近東の人だけがこのDNAをもっていると指摘されます。

 もし、チベット人の文明であるなら、三星堆は日本人の親戚が作ったことになるでしょう。

 いくら、起源についてはっきりしていない漢民族とは言え、チベット系ではないのでこの文明は果たしてどの民族のものか、いそいで調べる必要があるということでしょう。

ドイツやフランスも本格的調査に乗り出す動きを示しています。

長江文明は黄河文明より先に存在したことはほぼ確実で、夏王朝に1000年以上古い古蜀王朝の遺跡の可能性が高いからです。

  蜀の字は目と屈んだ姿と虫で、 「聖なる神権の鍵の言葉」を象徴するホルスの目を差し出すとされる 蛇神ネヘブカウが連想できます。

 そして三星人とくれば、ギザの三大ピラミッドにオリオンの三星説を唱える人もいる事を思えば、興味惹かれます。

古代エジプトと三星堆の類似は、結構面白いです。

 宇宙人遺跡かどうかで、考古学会と中国共産党が激論ってどういうことでしょう。

中国共産党は漢民族による中国支配を正当化したいから、中華文明の発祥は少数民族となるのは、非常に困るからと見られています。

 宇宙人遺跡というなら、その宇宙人はどこから来てどこへ行ったのか、論じないといけなくなるはずなのに、そこまでして中華文明少数民族起源説を否定したいのでしょうか。

彼等の街は、今でも 三面を6m近い高さのある城壁で一面を川に囲まれ、王宮や工房など4エリアに分かれていたようです。

精巧な青銅器や5000年も形をとどめる土塀の技術、黄河文明とは大きく異なる文字のような記号である符合、これらはどこから来たのかと言うことになります。

三星堆博物館のメイン展示の一つは、有名な青銅器である目の大胆に飛び出た大型縦目仮面です。

大型縦目仮面は古蜀の蚕叢(さんそう)がモデルと言うのが通説です。

蚕叢は天文に通じていたと見られています。

飛び出た目と巨大な耳と口、天文に関する伝説に加え、硬い石や球を切ったり穴をあける技術は、フランスの学者も指摘する、古代エジプトやマヤの神々の遺構と共通する特徴です。

世界の古代遺跡の神々と似ているが、中国では三星堆で初めて見つかったと言います。

  マヤやインカの人々と言えば、遺伝子的にも日本人の親戚筋の当たることが確かめられています。

日本人の辿った道は、相当、世界的な広がりを持っているということでしょう。

宇宙人遺跡という議論の元になっているのが、宇宙服や宇宙人を連鎖させる青銅器の数々です。

首の部分頭を通すような穴の開いた胴体の像、後ろにチャックのような模様のあるヘルメット形、アーモンド形の大きな目の青銅人面具、などがそれです。

青銅器や土器には、漢字のルーツと言うより、古代エジプトの神聖文字であるヒエログリフや、メソポタミアのスメルの象形文字に近い文字が刻まれています。

 そうみてくると、蜀の字が 「聖なる神権の鍵の言葉」を象徴するホルスの目を差し出すとされる 蛇神ネヘブカウを連想できるのは、偶然どころか意図的に採用された文字に見えてきます。

ただ、文字については、インダス文明のインダス文字に似ていると言う声もあります。

インダス文明とは、ドラヴィダ人が現在のパキスタンやインドやアフガニスタンの辺りで営んでいた文明のことで、メソポタミア、エジプト、インダスの各文明は互いに距離も近く、交流もあったことが 分かっています。

北回帰線の南北に沿って連なる乾燥地帯に位置し、大河の氾濫を利用した灌漑農業など、共通点も多いと指摘されています。

 マヤ、長江、スメル、そしてインド、いずれも日本人や日本の文化の起源で注目されてきた地域が並ぶのは、非常に興味深いです。

太陽崇拝の民と文化は、エジプトからメソポタミア、インダスと渡り、チベットを超えて四川へと辿り着いた可能性が見えてきます。

 そして長江は、日本の稲作文化の起源と見られ、チベット人と日本人は Y染色体DNAのD系統を中近東の人々と共有している。

 ここを利用して、日ユ同祖論やスメル渡来説を唱える人が出てるわけです。

日ユ同祖論は聖書も引用しまくってますけどね。

2001年には、成都近郊の金沙(きんさ)村で約3000年前とされる金沙遺跡が発見され、土器や青銅器の多くに三星堆遺跡と同じ符号が刻まれていると言います。

金沙遺跡では、数万店の出土品の中に、太陽を鳥が運ぶ姿が描かれた黄金の太陽神鳥が太陽信仰の証拠として見つかったというのです。

漢民族の黄河文明には、太陽信仰を示すような痕跡は今までの時点では見つかっていません。

古代エジプトの太陽の船にも鳥が乗っている事を見ても、 太陽神鳥の発見は三星堆文明と古代エジプト文明との繋がりを物語ると言えるでしょう。

ついでにいうと、金沙遺跡博物館の驚くべき展示の中に、何千頭もの象の牙や骨があるそうです。

金沙遺跡博物館は、遺跡を丸ごと120×63mの巨大な屋根に覆われたドームです。

かつてこの地にたくさんの象がいた証拠だが、今居ないのは、三星人が象を食べつくしたからと言う伝説も残っているらしい。

いくらなんでも、気候変動でいなくなったと思いたいが、実際、当時の成都の気候は今より4℃程高かったようで、今も四川の山岳部には手つかずの原生林が残っています。

現在はインドやタイに生息する象が、当時は四川辺りまで来ていたとなると、三星人はエジプトやインドからの移住民族の可能性は否定できなくなるなるでしょう。

 チベット人中近東起源は十分にありえ、日本人の世界でも稀な古代血統とされるY遺伝子D系統も、その延長線上で説明可能にあるかも知れないです。

青銅器の年代にしても、海外の研究者の鑑定では5000年以上となっているが、中国側はすべて一緒くたに5000年前としているから、中国の起源をなんとしても漢民族にしたがっていると思われてしまうのでしょう。

さて、この記事のタイトルの宇宙人説だが、嬉々として話すのは漢民族だそうです。

少数民族に歴史を塗り替えられるくらいなら宇宙人のほうがまし、とでも思っているのだろうか、その背後には中国共産党が歴史的発見にフタをしたがってるのか、と言うのがこの記事の落ちでした。

科学や歴史の雑誌じゃない週刊プレイボーイがこの手の記事を書くには、それなりの切り口が欲しいんでしょうね。

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コメント

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投稿: 教会員 | 2015年2月 8日 (日) 01時21分

教会員さん、日本人はあまりに宗教に無頓着無関心ですが、もっと関心を持って欲しいですね。

聖書がわかると、実はかなりの宗教がわかりますから。

投稿: cova | 2015年2月 8日 (日) 20時53分

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