香川県からササン朝ペルシャ産モザイク玉
日本とペルシャの繋がりの深さを示す記事を見つけました。
四国新聞の2015年7月1日付です。
まんのう出土のモザイク玉はササン朝ペルシャ産
2015/07/01 09:38
ササン朝ペルシャで制作された可能性が高いことが分かったまんのう町出土のモザイク玉
まんのう町教委は30日、同町羽間の安造田東(あそだひがし)三号墳で1990年に出土した装飾品のガラス玉「モザイク玉」(2007年に町有形文化財指定)が、奈良文化財研究所(奈良市)の調査で、西アジアのササン朝ペルシャ(226~651年)で制作された可能性が高いことが分かったと発表した。分析した同研究所の田村朋美研究員は「ユーラシア大陸の東西を結ぶ壮大なスケールで繰り広げられていた古代の交易活動の一端を実証的に示すことができた」と話している。
モザイク玉は最大径1・45センチ、赤、白、紺の3色の模様があり、ひもを通す穴が開いている。3色のガラス棒を複数本合わせて一つのモザイク単位とし、これを7本束ね、高熱で溶かしながら球形にする高度な技法が用いられている。町教委などによると、古墳時代のガラス玉でも国内では他に例のない技法で、西アジア産のモザイク玉は国内唯一の出土例という。
化学組成を調べる蛍光エックス線分析の結果、ササン朝のガラスに特徴的な植物灰に由来する成分を含むことが判明した。白い部分には、より色を白くするためにマンガンなどを入れる技法も西アジアなどで見られる特徴だった。
三号墳は墳丘の直径約12メートル、高さ3・5メートル、1990年に旧満濃町が発掘調査を実施した。モザイク玉は横穴式石室で見つかり、当初から「2~4世紀に黒海周辺で作られたものではないか」とされていた。
町教委は2日から12日まで、モザイク玉など三号墳の出土品を町立図書館(同町吉野下)で展示する。
7世紀初頭、壮大な交易/「モザイク玉」はペルシャ産
2015/07/01 09:38
ササン朝ペルシャ領域の西アジア産と分かったモザイク玉
モザイク玉が出土した安造田東三号墳の石室内=香川県まんのう町羽間
香川県まんのう町羽間の安造田東(あそだひがし)三号墳から出土した装飾品のガラス玉「モザイク玉」が30日、西アジアのササン朝ペルシャ(226~651年)で制作された可能性が高いことが明らかになった。1990年の発見当初から、2~4世紀に黒海周辺で作られたとみられていたが、制作地域がほぼ特定できたことで、三号墳が築造された7世紀初頭の壮大な交易の実態が実証され、当時の対外交易の広がりを知る貴重な資料として期待が集まっている。
特に、モザイク玉の素材分析に当たった奈良文化財研究所(奈良市)や徳島文理大の大久保徹也教授らによると、三号墳は中堅クラスの豪族の古墳であり、その豪族が高級品の外国産のモザイク玉を所持していたことは重要という。三号墳は南北と東西方向の2本の交流ルートが交差する位置にあり、「交通の要衝を治めていた豪族が、自らも交流に関わることで高級品を所持できたと考えられ、大変興味深い」としている。
モザイク玉は発見当初から、黒海周辺で作られたとみられていたが、「当時の分析方法では変色する危険性があった」(町教委)などの理由で、調査を一時断念していた経緯がある。その後の分析技術の発達により、同研究所が昨年、自然科学的調査を実施。エックス線による内部構造調査や化学組成を分析し、制作技法やガラスの種類、着色剤などを推定した。
町教委は「制作した地域がはっきりした点は大きい一歩」、大久保教授は「この時代の活発な対外交易の実態をあらためて示す貴重な資料」と話している。
安造田東三号墳 墳丘の直径約12メートル、高さ3・5メートル。1990年に旧満濃町などが発掘調査を実施。羨道(せんどう)を合わせて約8メートルの横穴式石室があり、室内からモザイク玉、勾(まが)玉などの装飾品のほか、子持ち高坏(たかつき)、鉄製の馬具など県内でも珍しい副葬品が出土。これらは「安造田東三号墳遺物」として2007年に町有形文化財に指定された。
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コメント
日田を検索していたら、ここにきました。
私は日田の古代史を学ぶものですが、日田の金銀錯嵌珠龍文鏡の謎に夢中で取り組んでいます。
肥田氏日田氏秦氏がどう日田に関わっているのかがもっと面白くなった感じです。
投稿: 天孫降臨 | 2015年7月 4日 (土) 03時13分
日田氏はおそらく、秦氏の一族であり、産業一族であろうと思えます。
秦氏の痕跡を、日田で探されても面白いことでしょう。
投稿: cova | 2015年7月 7日 (火) 13時52分