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こってり油を絞られ苦汁を嘗め苦渋の決断をした人としてのイエス?

「油を絞る」とは、過ちや失敗を厳しく責める、とか、ひどい苦労をする、という意味です。

「手ひどく油を絞られる」と言うと、悪い行いをしてきつく叱られること、の意味になります。

「手ひどく油を絞られる」に似た言い回しとして、「みっちり油を絞られる」「こってり油を絞られる」「手ひどく怒られる」「大目玉をくらう」があります。

「油を絞る」の語源や由来としては、菜種や椿の実などから油を採取するするとき、古くはしめ木にかけて押しつぶしたことから、と解釈されています。

江戸時代には、無理やりにあるいは苦労を重ねて財産や利益を手に入れる、また、他の者さんざん苦労させて、その利益を自分のものにする意味で用いられていたそうです。

面白いことに、手ひどく油を絞られた有名人が実は聖書に登場するのです。

パレスチナ地方の古都エルサレム東部のオリーブ山西麓の園はゲツセマネの名で知られますが、ゲツセマネとはアラム語で「オリーブの油搾り」、または「オリーブの酒舟」を意味するとされます。

このゲッセマネでのイエスの祈りは、「ゲツセマネの祈り」として知られています。

救世主イエス・キリストが、オリーブ山のふもとにあるゲツセマネの園で、十字架刑に処せられる前夜祈った祈りです。

ゲツセマネの祈りは、「オリーブ山の祈り」とも呼ばれ、4福音書すべてに記されています。

ゲツセマネの祈りの時のイエスは、ルカによる福音書22章42節から44節には、このようであったと記されています。

「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください。」
〔すると、天使が天から現れて、イエスを力づけた。イエスは苦しみもだえ、いよいよ切に祈られた。汗が血の滴るように地面に落ちた。〕

イエスが「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。」と思わず口にしてしまった杯は、苦い汁、つまり苦汁の杯と考えられています。

「苦汁を嘗める」とは、つらくて嫌な思いをする、とか、にがい経験をする、ということですが、イエスが取りのけてくださいと口走ってしまった杯には、古今東西のありとあらゆる人々の苦しみや悲しみが凝縮されていたことでしょうから、その苦さや渋さは、並大抵ではなかったはずです。

贖罪の仔羊としての役目を果たすべく現世に生を受けたイエスと言えども、「苦汁を嘗める」のは、文字通り「苦渋の決断」だったことでしょう。

一説には、汗が血の滴るようにどころか、実際に血が混ざっていたとされます。

もし血が毛穴と言う毛穴からにじみ出たと言うなら、毛穴に通う毛細血管から血がにじみ毛穴から出てきたことになるわけで、想像を超えた力がイエスの全身にかかっていたことになるでしょう。

まさに、「オリーブの油搾り」「オリーブの酒舟」を意味するゲツセマネの名にふさわしい状態に、イエスはあったことになります。

「しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください。」とすぐに言い直したとはいえ、神の御子であるイエスが「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。」と天の神である御父に背く発言をした以上、イエスは相当な決意を込めた懺悔をしなければ示しがつかなかったことでしょう。

ゲツセマネでのイエスの祈りは、古今東西全ての人のための許しの執り成しの祈りであったとともに、たとえ一瞬であっても神の思いから逃げ出そうという心の迷いにとらわれてしまったイエスの心の底からの懺悔でもあったのかも知れません。

イエスのこの懺悔の祈りと、十字架での贖罪の死によって、全ての人にあらゆる罪の許しへの扉が開かれたのです。

天の神である御父は、イエスの祈りを見て良しとされたからです。

そうでなければ、どうして天使をイエスの励ましのために送られるでしょう。

イエスの一瞬の気の迷いさえ心からの悔い改めによって天の神である御父に許されたわけだから、人々の過ちや罪の類などは悔い改めによって何度でも許されるわけです。

よほどの大罪でないかぎり神から退けられることはないという保証が取り付けられたことによって、人々は安心して、神の道の導き手であるイエスについていかれるわけです。

イエスは一人の脱落者も出ることを望まず迷える人々を探し出して神の道へと導きたいと心から願うので、良き羊飼いに準えられるのです。

そして、三日後のイエスの復活によって、全ての人に、復活への希望がもたらされたのです。

この、ゲツセマネの祈りは、ゴルゴダの十字架と同じか、あるいは、それ以上の重要さを持って語られます。

聖書の救いの教えの、中核をなす部分だからです。

神の子とされるイエスの、人間臭い面と神の子の役割に徹しようとする意志の強さの両面がみられる点でも、ゲツセマネの祈りは興味深いと言えるでしょう。

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