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膨張宇宙論ってどういうこと?

膨張宇宙論が言うには、距離が遠ざかるのではなく、空間が膨張するのだとのことです。

素粒子は、マクロ―私たちの住む巨視的な世界の事―から見れば限りなく点に近いです。
素粒子は、ミクロ―ここでは電子のような素粒子や陽子のような核子たちの世界の事―では内部にある程度の空間を持つ存在として振る舞っているはずです。
もし素粒子に内部の空間の存在を認めたら、膨張宇宙論ではどうなるでしょう。
素粒子も膨張してもおかしくありません。
いくつかの点がかかれた風船を膨らませてみると、点と点の間はもちろん広がります。
よくみれば、点もまた少しだが広がっているはずです。
数学では点は位置があっても広がりがないとされます。
物理ではそうはいきません。
にもかかわらず、素粒子を点として見てしまったから、時空の膨張に置いてきぼりとなって哀れにもバラバラになってしまうように思われるのでしょう。
空間は単なる入れ物ではないし、時間は単なる流れではないのです。
素粒子も実際には点ではなく、時空の中の存在であると同時に、内部にも時空を有する存在であるはずです。
時間と空間は、素粒子の存在形態そのものなのです。
出来事の舞台としての時空は、素粒子の外だけではなく素粒子の内にも展開しているのです。
時間と空間は、区別も分離も出来ないからです。
空間が広がれば、当然時間も広がり、時空のスケールも間隔が広がってしまうので、全ての法則は維持されていると見えてしまうのではないでしょうか。
なぜなら、ありとあらゆる存在と時空は切り離したりできないので、空間の膨張は時間の膨張であり、万物の膨張に繋がるのではないでしょうか。
とはいえ、これはおかしなことになるでしょう。
宇宙のどこをとっても、そこが中心に見えるはずだからです。
視野の中で銀河系が一番端になる点に中心となる視点をずらし、次の視点から見える世界の端が視点の端となる点に中心となる視点をずらしと、延々と続けて何兆光年まで行けたとしましょう。
言ってみれば、尺取虫のように進みながら中心となる視点を移動するわけです。
この全ての過程で、素粒子から宇宙に至るまでスケールの大きさは変わらないはずです。
視点の尺取虫の旅路は瞬時に行えるわけではないので、当然時間がかかるが、その間に時空のスケールは変わってないはずです。
実在の宇宙も、測定するスケールも、ともに膨張してるから問題ないと見る事も出来るでしょう。
もしも宇宙は膨張していないのに、していると錯覚してしまったなら、何が原因でしょう。
アインシュタインは、加速度と重力は区別がつかないと指摘しました。
だが、アインシュタインが想定していた重力は引力であって、斥力は想定外なのです。
斥力としての重力を想定しなければ理解不能な現象は、当時はまだ見つかっていないとみなされていたのです。
自らのモデルで宇宙は瞬時に潰れてしまうので、やむなく宇宙定数を導入したが、宇宙定数はアインシュタインにとって正体不明でした。
そこで膨張宇宙論に飛びつき、理解不能に見えた宇宙定数を放棄したのでした。
アインシュタインは見落としていたのです。
加速度は、宇宙定数とも区別がつかないと言うことを。
宇宙定数は引力と大きさが同じで、方向が逆な力です。
加速度には加速もあれば減速もあります。
加速や減速の原因として、加速度と引力と宇宙定数を区別することは不可能なのです。
膨張宇宙が存在すると見せかける悪戯を仕掛けていた犯人が宇宙定数であるとした場合、膨張宇宙論はその時点でチェックメイトとなる事でしょう。
膨張宇宙論研究で宇宙定数の見直しが進んでいるようです。
チェックメイトは、いずれ訪れるかも知れません。

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