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軸を持ててこそ自分の道の主人公となれる。

思う様な寄付が集まらないってぼやく政党や政治家がいます。

お金が簡単に集まるくらいなら、みんな政治家になりたがるし政党作りたがるでしょう。

 

多くの人に良いねを言ってもらえ、お金払ってでも続けて欲しいと思ってもらえるには、それだけ努力と忍耐がいるでしょう。

そして、なによりも自信と確信がいるでしょう。

 

寄附が集まらないとぼやいてる政党や政治家って、すぐ党を作ったり離れたり、腰が座ってないのではないですか。

 

政治家や政党は、あなたの声を私に託してくださいってのが、お仕事なわけです。

 

そして託された声を政治に届けるのです。

政策という形にして。

 

ある意味、政策を売るのが政治家や政党のお仕事です。

 

政策はみんなの声が材料だから、とにかく数を集め政策に仕上げていくのです。

 

声を寄せてくれた人の気持ちを裏切ってないと認められて、はじめて政策に寄附が集まるのです。

 

あなたの政策は、独り善がりじゃないですか。

 

自分の思いよりみんなの思いを形にしてこそ、寄附が集まる政策にできる、違いますか。

 

政治家や政党のために政策はあるんじゃないのです。

 

期待を寄付とともに寄せてくれた人たちのために、政策はあるのです。

 

出来上がった瞬間から政策は、あなたの手を離れてみんなのものになるのです。

 

党を移るたびに、政策を棄ててませんか。

 

政策を棄てることは支援者を棄てる事と同じじゃないですか。

 

ころころと政策や政党を変える政治家や政党は、自分に期待し、自分を育ててくれた人たちをその度に棄てているのと同じじゃないですか。

 

政治家や政党に対する不信の元を自らばら撒いて、寄附が集まる事を期待するなんて世の中舐めてるにも、程がありませんか。

 

支えたい、支持したい、応援したい、そう思えば自然と財布の紐はそれなりにゆるむものです。

 

だから、支援や義援のお金や物はたくさん集まるでしょ。

 

信頼されているからですよ。

 

信頼されている、人や団体や組織が、呼び掛けているからですよ。

 

でも、そうなるまでが大変ですけどね。

 

ルカによる福音書 6 37

人をさばくな。そうすれば、自分もさばかれることがないであろう。また人を罪に定めるな。そうすれば、自分も罪に定められることがないであろう。ゆるしてやれ。そうすれば、自分もゆるされるであろう。

 

ヤコブの手紙 4 11

兄弟たちよ。互に悪口を言い合ってはならない。兄弟の悪口を言ったり、自分の兄弟をさばいたりする者は、律法をそしり、律法をさばくやからである。もしあなたが律法をさばくなら、律法の実行者ではなくて、その審判者なのである。

 

自分と人とを実質的に繋いでいたものを自覚も反省もなしに平気で棄てることは、自分もまた彼等から棄てられていると言うことかも知れません。

 

さばくなさばかれないためだと言うのは、棄てるな棄てられないためである、という意味も含んでるのかも知れないです。

 

自分に返ってくるわけですから。

 

棄てずに保ち続けるには、何が一番大切か、こだわるものがあるかどうかですね。

 

とらわれとこだわりの差は、枠か軸かの差です。

 

ブレない軸を持てるなら、一番大事なものを棄てずに済むでしょう。

 

寄附が集まらないと嘆く政治家や政党は、たいてい、ブレまくってませんか。

 

ブレまくっている政治家や政党は、とらわれとこだわりを取り違え、迎合と応用を取り違えています。

 

枠は形はあるが中心がないから、ブレて迎合になるのです。

 

軸は中心はあるが形がないのでブレないで応用になるのです。

 

軸には遠心力も求心力もあるから、纏まるのです。

 

軸のあるところには、安定と纏まりがあります。

 

安定と纏まりが信頼を産み、やがて、多くを託されることになるのです。

 

政治家や政党は、本気で政権を狙うなら、軸を定めた方が良いでしょう。

 

ブレずに安定し纏まれ、信頼を得やすいからです。

 

保つものは保たれるのです。

 

何を保つべきか、それが問題ですけどね。

 

ここで注目したいのは、さばくな、悪口を言うな、とは言うが批判するなとは言ってないのです。

 

批判まで禁じたら、この議論そのものが成り立ちません。

 

人は、さばいたり悪口を言う場合、たいてい、枠から出させないようにしているのです。

 

自分がとらわれているから、人もとらわれて欲しいと願う時、さばきとなり、悪口となるのです。

 

人によるさばきは、しばしば、枠にはめる行為となります。

 

枠を決めてここから出たらだめとすれば、さばきは楽ですから。

 

だが、法の精神こそが守られるべきであって法のために人がいるわけではない。

 

人を守るために法を使える人は、自在に応用が出来なければなりません。

 

法の精神を正しく理解できてるかどうかが、問われるのです。

 

何が法の精神か、明らかになり貫かれるなら、一貫性は保たれてブレることはありません。

 

何が自分にとって憲法でありその他の法に当たるのか、はっきりさせるならブレないのです。

 

憲法に当たるものまで、現実主義の名のもとにブレてしまえばどうなるでしょう。

 

周囲に振り回されて、永遠に、自らの運命の主人公にはなれないでしょう。

 

自らの運命の主人公になってこそ、信頼をされる存在となれ、道を切り開けるものとなるのです。

 

さて、あなたの軸は、なにですか。

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