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2016年5月

バプテスマを受けるとは?

バプテスマ(洗礼)とは、キリスト教の礼典の一つです。

 

 宗派によって、解釈は様々なようですね。

 

ここでは、聖書に従って意味を考えていきたいと思います。

 

キリスト教におけるバプテスマ自体は、聖書によれば洗礼者ヨハネからイエスが受けた故事に由来するとされます。

 

 そう言えば、ヨハネにバプテスマを受けた人たちもイエスの弟子になるにあたって、バプテスマを使徒から受けなおしていますね。

 

ヨハネのバプテスマも天の神である御父に由来しているのは確かですが、使徒たちはイエスから受けた権能に基づくというところが違っています。

 

この話の前に、まず、イエスのバプテスマで何が起きたのかを、振り返る必要があります。

 

イエスが洗礼者ヨハネのところにバプテスマを受けようとしたとき、ヨハネは、パリサイ人やサドカイ人が大ぜいバプテスマを受けようとしてきたのを見て、彼らに言っていました。

「まむしの子らよ、迫ってきている神の怒りから、おまえたちはのがれられると、だれが教えたのか。」

パリサイ人やサドカイ人がバプテスマを、立場上受けに来たにすぎないと見抜いていたのです。

心から神に清めと許しを求めてきた人以外に、バプテスマを受ける資格がないことを洗礼者ヨハネは言いたかったのです。

 

ここを踏まえて、次の話を聞いてください。

 

マタイによる福音書3 13節から15

そのときイエスは、ガリラヤを出てヨルダン川に現れ、ヨハネのところにきて、バプテスマを受けようとされた。

ところがヨハネは、それを思いとどまらせようとして言った、「わたしこそあなたからバプテスマを受けるはずですのに、あなたがわたしのところにおいでになるのですか」。

しかし、イエスは答えて言われた、「今は受けさせてもらいたい。このように、すべての正しいことを成就するのは、われわれにふさわしいことである」。そこでヨハネはイエスの言われるとおりにした。

 

洗礼者ヨハネの戸惑う姿が、目に浮かびますね。

悔い改めも清めも必要がないはずのイエスが、バプテスマを受けたいと望んでいるのですから。

 

すると、奇跡が起きます。

 

マタイによる福音書3 16節から17

イエスは洗礼を受けると、すぐ水の中から上がられた。そのとき、天がイエスに向かって開いた。イエスは、神の霊が鳩のように御自分の上に降って来るのを御覧になった。

そのとき、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と言う声が、天から聞こえた。

 

イエスは生まれた時から神の御子であったはずでしょ。

 

それなのに、天の神である御父の声がこう告げたのです。

「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」

 

これは事実上、天の神である御父による新たな教会の設立宣言であって、イエスをその会員第一番に確認したと告げた瞬間と言ってよいでしょう。

 

 天の神である御父は、イエスの下に新たな教会を設けると、宣言したわけですね。

 

洗礼者ヨハネは、天の神である御父がイエスの下に新たな教会を設けるための道を備えるために遣わされた預言者だったわけです。

 

聖書にはこうあります。

 

マタイによる福音書3 1節から3

洗礼者ヨハネが現れて、ユダヤの荒れ野で宣べ伝え、

「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言った。

これは預言者イザヤによってこう言われている人である。「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。』」

 

ですから、イエスの下に新たな教会に加わるためにはイエスから召された使徒たちによるバプテスマを受けることが必要だったのです。

 

さて、なぜ、イエスの下に設けられた新たな教会に加わるために、使徒たちからバプテスマを受ける必要があるかを見ていきましょう。

 

マタイによる福音書 10 1

イエスは十二人の弟子を呼び寄せ、汚れた霊に対する権能をお授けになった。汚れた霊を追い出し、あらゆる病気や患いをいやすためであった。

 

バプテスマを受けるとは、罪から洗い清められることですが、洗礼者ヨハネのバプテスマとイエスや使徒たちによるバプテスマの決定的な違いは聖霊が受けられるかどうかなのです。

 

 バプテスマのあとで聖霊を受けられるためには、天の神である御父からイエスの名によって受けた権能のある人が間に立つことが必要なのですね。

 

聖書には、こうあります。

 

ヨハネによる福音書 15 16

あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そして、あなたがたを立てた。それは、あなたがたが行って実をむすび、その実がいつまでも残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものはなんでも、父が与えて下さるためである。

 

聖霊を受けさせることができる権能を授かるには、神から召されなければならず、それには神に召された預言者の存在が欠かせません。

 

イエスも、救世主(メシア あるいは キリスト)として召されただけでなく、預言者としても召されています。

 

しかし、バプテスマを受けることは、単に、教会員としての確認の儀式をうけるにとどまらない意味をもっているのです。

 

それを、次に見ていきましょう。

 

ローマ人への手紙 6 3節から4

それとも、あなたがたは知らないのか。キリスト・イエスにあずかるバプテスマを受けたわたしたちは、彼の死にあずかるバプテスマを受けたのである。

すなわち、わたしたちは、その死にあずかるバプテスマによって、彼と共に葬られたのである。それは、キリストが父の栄光によって、死人の中からよみがえらされたように、わたしたちもまた、新しいいのちに生きるためである。

 

バプテスマを受けるとは、実は、イエスとともに贖罪の死と復活をしているのだということです。

 

イエスの贖罪の死と復活により、永遠の過去から永遠の未来までの全ての人に、罪からの清めが神から認められるわけですね。

 

ただしそれには、バプテスマを受ける必要があるわけです。

 

バプテスマを受けることにより清められたので、その人の一生の罪は神の御前でなくなったので、たとえ何年も道に迷って神から離れてしまったとしても、悔い改めて神の導きについていく道を選ぶなら、神は許してくださる。

 

ルカによる福音書15章にある、有名な放蕩息子の譬えをみれば、よくわかることと思います。

 

全ての人は神から見て、みな、放蕩息子ですから、神は戻ってきてくれた人々をみな「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」として、心から受け入れてくださいます。

 

そして、心の迷いによって神のもとを離れ何年も彷徨っていたとしても、天の神である御父は、一度バプテスマによって我が子として受け入れた人々に再びバプテスマを受けることはもはや求めません。

 

 バプテスマを受けることで、人は一生の罪からの清めが受けられるわけですね。

 

ただしそれには、絶えず悔い改めを忘れないことと、象徴としてイエスの血と肉の証を受ける聖餐式に努めて参加することが求められていますけどね。

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古代エジプトと古代南米は日本を絡めると繋がりが見える?!

古代エジプトと古代南米には、ピラミッドとミイラという文化の共通点が知られています。

 

奇妙なことに、カフェインがこの共通点に加えられそうになっているというのです。

 

だが、カフェインと言う共通点が見つかったにもかかわらず古代エジプトと古代南米には、これまで一切、文化や文物の交流の痕跡は見つかっていないというのです。

 

カフェインは、ミイラ、それも、専門家が本物と認定したミイラの皮膚や髪の毛から検出された以上、生前の摂取以外原因を見いだすことは不可能なのです。

 

ミイラが発掘された当時のずさんな管理や、横行した偽物に原因を求める試みはことごとく否定されたというのです。

 

多くの研究者は、納得できる理由をいつになったら見出せるのか、今の時点では見通しを立てられないでいると言います。

 

ところが、アメリカで奇妙な文献が見つかっています。

 

神の導きによって奇跡的に見出された書であると主張されている、モルモン書がそれです。

 

ここには、出エジプト記に記された民であるイスラエルの民の一部が、アメリカ大陸に渡ったと記され、この書は彼らのたどった歴史をほぼリアルタイムで記されていると、主張されています。

 

実はアメリカには、現在のイリノイ州セントルイス近郊にあたるミシシッピ川の氾濫原カホキアに興味ひかれる遺跡があるのです。

 

カホキアをある考古学者は,宗教が社会のあらゆる面に浸透していたように思われるところから「北アメリカのエルサレム」と称したそうです。

 

別の文献は,「最盛期(西暦10001150)に,カホキアは高度に中央集権化した神権政治の本拠地であった」と述べているといいます。

 

カホキア人にとって宗教と社会が不可分のものであったことを示す、人工遺物も発見されたそうです。

 

このカホキアは洪水で滅んだとみられているが、このカホキアの最期を生々しく描いたと思いたくなるような記述があるのです。

 

それを記している書が、モルモン書です。

 

このモルモン書には、何度かの船出のあと消息を絶った人々の記録もあるが、ヨーロッパやアフリカに彼らの足跡を見いだすことはできていません。

 

一方、日本先住民とアメリカ先住民には以前から繋がりが指摘されています。

そして、遺伝子でも繋がりの強さが裏付けられたのです。

 

さらに、北米やメキシコで古代日本人とみられる人骨も見つかり、南米からは縄文土器や古代エジプト土器との強い類似性が指摘される土器も発見されています。

 

そして、日本は古代中東の遺伝が多く残る地域の一つであり、先住民とみられる縄文人の段階にもその原因は求められているが、縄文人は環太平洋文化圏を営んでいた可能性があるのです。

 

しかも、縄文人の血を引くとみられるアイヌの生活文物に古代イスラエルとの類似が指摘されるのです。

 

そして、日本人の足の多くにエジプトタイプが見られ、味の好みもエジプトに似ているうえに、神道は太陽神を中心に三神構造の神々の世界が動物を含んで展開している点で古代エジプトにそっくりなのです。

 

傍証でしかないと言えば、その通りです。

 

だが、ここまで、古代南米と古代エジプトの繋がりを示すとしか思えない事実が日本を交えると見えてくるというのが、なんとも面白いですね。

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和え物について考えてみた。

行きつけのお店で、デザートを頼んでみました。
シェフが挙げた本日のデザートの中に、あれっと思うものがありました。
イチゴのサラダ...。
 
気になって頼んでみました。
日本人の奥さんと結婚して日本に住んでる外人シェフ、どんなもの出してくるんでしょ。
デザートで、サラダってと思っていたら、スプーンを出してきました。
しばらくして、おもむろに出てきたのは、ブランデーグラスの中にきれいにカットされて盛り付けられたイチゴ…。
下はカスタードプディングみたいで、イチゴには、これまた、イチゴのアイスがきれいに丸まって乗っていて、かわいらしくまとまっています。
自分で和えながら食べてくれというわけです。
確かに、サラダは和え物です。
カットした野菜などを、ソースに絡めて食べるのがサラダだから間違ってはいません。
もちろんのこと、おいしくいただきましたが、ふと、こんな考えが浮かびました。
 
和え物文化圏ともいえる地域って、あるんでしょうか。
 
それほどいろんな国の料理食べたことがないので、うっかり断言出来ないけど、ありそうな気がします。
でも、アジアでは、日本以外で和え物ってあるのかしら。
 
カットした野菜などを、ソースに絡めて食べるのが、和え物であり、サラダだとしたら、アジアでもあるように感じるけど、ちょっと待ってくださいね。
 
ウィキペディアでは、調理法の「和える」が独立項目として立てられていますが、゛和える"は英語で゛Dress"なので和える調味料はDressing"になるわけです。
ところが、項目としての゛Dress"は衣装、とりわけ女性服になってしまうし、゛Dressing"だと調味料になってしまいます。
 
つまり、調理法の「和える」は日本サラダ史の一ページとして、認識される必要があり、リンクを貼る先の項目は、「サラダ」ということになります。
 
ところが、サラダに分類される料理は、世界各地のものが認識されているけど、日本の和え物は盛り付け方による見た目の問題でしょうか、それとも、ソースの問題なんでしょうか、サラダとしては認識されてはいないようなのです。
 
和え物は調理法としては、まぎれもなくサラダです。
 
そして、サラダが食卓でなじんでいる国や地域は現在では、ヨーロッパやアジアを中心に日本を含め、現代では世界に広まっています。
和え物はサラダという形で世界にあるにもかかわらず、独自の展開ゆえにサラダとして認知されてこなかった日本の和え物。
 
もっと、ジャパニーズサラダとして日本人も和え物を認識して、世界に紹介していってもいいような気がします。
 
余談ですが、和え物はいつごろからあるんでしょうね。
 
御浸し、ひたし、ひたし物とも呼ばれるおひたしとは、調理法の1種で、出しに浸す過程より派生した調理名です。
出しに浸す工程は省かれることも多く、単に茹でた食材に醤油をかけたものも、おひたしと呼ばれます。
 
この出しに浸す工程の省かれたおひたしを、醤油にからしや山椒、出しや味醂などを加えて和えたり、醤油と基本的に同じ工程でできる味噌で和えたり、おからや、さらに、ケシの実や大根や青豆などをすったもので和えたりと、変化をつければ和え物になるわけです。
 
サラダも基本的には塩で和えたものから、多彩に展開したのでしょうか。
もしかすると、塩ゆでする代わりに、塩で和えたところからサラダは出発したのかも知れないですね。
塩は貴重なので、軽くふりかけて野菜などがしんなりして食べごろになるまで和えたのかも知れません。
 
塩といっても、ミネラルを含んだまろやかな甘みのある自然塩ですから、実は醤油と見た目は違っても実際には似たものといっても、間違えないように思えます。
やがて、多種多様なドレッシングが工夫され、今のようなサラダへとなってきたのでしょう。
 
ひょっとすると、味噌や醤油とは、自然塩の代用として編み出されやがて独自の展開を遂げたために起源が忘れられているものなのかも知れません。
 
そうしてみると、実は、サラダも日本のおひたしや和え物も、共通のルーツを持った料理なのでしょうか。
日本のおひたしや和え物は、日本人のたどってきたどんな歴史の証人なのか、改めて気になります。

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複雑な多細胞生物の誕生は一体いつ?

AFP通信から2016年05月18日、興味ひかれる記事が配信されました。

現在の学説では地球が誕生してから6億年ほど経った頃、つまり今からおおよそ40億年くらい前、そして最初誕生した単細胞生物から多細胞生物が誕生するまでにおよそ25から30億年とみられてきたのです。
 
ところが、複雑な多細胞生物の誕生はもっと早く、従来の説より10億年はさかのぼれる可能性があると言うのです。
生命誕生の時期が従来の説通りで、複雑な多細胞生物の誕生が10億年はさかのぼれるとするなら、進化全体の速度も見直しを迫られることになるかもしれません。
今後の展開に注目したいと思います。
 

複雑な多細胞生物、従来説より10億年早く誕生か 化石研究

2016年05月18日 13:11 発信地:パリ/フランス

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中国で発見された化石の母岩から採取された有機体の一部。ネイチャー提供

(2016517日提供)

 

(c)AFP/NATURE PUBLISHING GROUP/Maoyan Zhu

 

【5月18日 AFP】地球上に複雑な生命体が誕生し始めたのは、従来の説を10億年近くさかのぼる15億年以上前だということを示す化石を発見したとの研究論文が17日、発表された。

 

 だが、英科学誌ネイチャー・コミュニケーションズ(Nature Communications)に発表された論文をめぐっては、瞬く間に論争が巻き起り、信頼できると評価する科学者もいれば、全く納得できないととすする科学者もいる。

 

 生命は、原始スープから最初に誕生してから数十億年は原始的な単細胞のままだったが、やがてそれらの単細胞の一部が、コロニー内のクローン細胞群のような集合体を形成した。

 

 科学者らは、そうした集合体の形成が発生するまでの期間の後期を、進化が止まっていたかのように思われたことから「退屈な10億年」と呼んでいる。

 

 だが、ある時点で、複雑性を持つ多細胞生物(複合生物)への大きな進化が起きた。これはほぼ間違いなく、生命の出現に次いで2番目に重要な出来事と考えられる。

 

 この進化によって漸次的に、これまで地球上に存在したすべての動植物が誕生してきた。

 

 それぞれが膜で覆われた遺伝物質を含む核を持つ分化した細胞から成る「多細胞真核生物」が出現した正確な時期がいつかという問題は長年、科学者たちの感情を刺激してきた。今回発表された論文は、議論をさらに過熱させるに違いない。

 

■中国で167個の化石を発見

 

 中国・南京地質古生物学研究所(Nanjing Institute of Geology and Paleontology)の朱茂炎(Maoyan Zhu)教授は、AFPの取材に「われわれの発見により、肉眼で確認できる多細胞真核生物の出現の時期が、従来の研究より10億年近くさかのぼることになる」と語った。

 

 化石が発見されたのは、中国・河北(Hebei)省の塩山(Yanshan)地域で、朱教授と研究チームは、計測可能な大きさの化石を167個発見した。このうち全体の3分の1は、4種類の規則的な形態のどれかに属しており、これが、複雑性を示す証拠とされている。

 

 見つかった化石の中で最大のものは、全長30センチ、幅8センチに及んだ。

 

 総合すると、これらは「肉眼で確認できるほどの大きさの生命体の初期進化に関する有力な証拠」だとし、「これは、初期の地球生命史に関する現在の知識を完全に刷新する」と朱教授は語った。

 

 今回と同程度の大きさの真核生物はこれまで、化石記録には約6億年前以降にならないと登場しなかった。

 

 一方で、今回の論文に懐疑的な専門家もいる。

 

 英オックスフォード大学(University of Oxford)動物学部の上級研究員、ジョナサン・アントクリフ(Jonathan Antcliffe)氏は「その化石が真核生物であり、細菌ではないことを示唆するものは何もない」と話す。

 

 細菌は定義上、単細胞生物で、遺伝物質を含む明確な核を持たないとされる。

 

 今回発見された化石は、単一の複合生物というより、複数の細菌性細胞からなるコロニーに相当するものである可能性の方が高いと、アントクリフ氏は語った。(c)AFP/Marlowe HOOD

 

 

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蕎麦と日本人の長いお付き合い。

蕎麦は、日本では、麺として細長く切るだけでなく、蕎麦掻きとして食べることもあります。

蕎麦掻き(そばがき、蕎麦掻)とは、蕎麦粉を使った初期の料理であり、蕎麦が広がっている現在でも、蕎麦屋で酒の肴とするなど広く食されています。

蕎麦切りとも呼ばれる蕎麦のように細長い麺とはせず、塊状で食する点が特徴です。

 

日本の蕎麦の歴史は古く、5世紀の文献にあらわれるが、縄文土器から蕎麦料理を食べていた形跡が発見されている程です。

蕎麦掻きは鎌倉時代には存在し、石臼の普及とともに広がったと見られています。

蕎麦料理は、江戸時代半ばまでは蕎麦掻きとして食べられていたが、江戸中期頃には麺状にした「蕎麦切り」が庶民の生活に広がり、日本全国に広がっていたようです。

なお、17世紀ごろ蕎麦切りが禁じられていた農村が多かったようで、これらの農村では蕎麦掻きや蕎麦もちが食べられていたといいます。

蕎麦もちとは、蕎麦粉を団子にしてたき火で焼いたものです。

今でこそ酒の肴となっている蕎麦掻きは、当時の農村では、ご飯の代わりとして雑穀や根菜を混ぜたり、鍋料理に入れるなど食べごたえのある形に調理されたものが多かったようです。

 

縄文にさかのぼれる蕎麦も、都の上流階層である貴族や僧侶からは食べ物として認識されていなかったらしいです。

鎌倉時代に書かれた『古今著聞集』には、藤原道長の甥で平安時代中期の僧・歌人である道命が、山の住人より蕎麦料理を振舞われて、「食膳にも据えかねる料理が出された」として、素直な驚きを示す和歌を詠んだという逸話を記してるといい、鎌倉時代まで都の上流階層には蕎麦は食べ物であるという認識すらなかったことの反映とも言えそうです。

 

この事実は、当時の支配階層となった人々の出自は蕎麦食文化圏ではない可能性を示しているとみえ、興味深いことです。

 

日本や朝鮮や中国では麺として食べられている食材としての蕎麦は、スラブ系の国々ではカーシャとしてお粥のように食べられたり、フランスのガレットとして食べられています。

とはいえ蕎麦は、小麦粉で作られる饂飩などパスタの仲間と違い、他の地域ではあまり食べられていません。

 

スラブ系の国々で食べられているカーシャは、アメリカ合衆国では、面白いことに東欧ユダヤ系のソバの実の料理として知られています。

挽き割りのソバの実をセロリ、タマネギ、卵などと炒めてからスープで炊いたもので、お粥よりも水分が少ないのが特徴です。

蝶ネクタイ型のパスタが入ると、「カーシャ・ヴァーニシュケス」と呼ばれます。

 

ガレットはフランス北西部の郷土料理である料理・菓子の名称で、「円く薄いもの」を意味するが、特にそば粉のガレットを指すことが多いそうです。

ガレット・ブルトンヌ(ブルターニュ風ガレット)は、フランスのブルターニュ地方発祥の、そば粉で作られるガレットであり、主に小麦粉で作られるクレープのもとになった料理です。

そば粉・水・塩などを混ぜて寝かせた生地を熱した平鍋またはガレット調理専用の鉄板に注ぎ、こてで薄い円形に伸ばし、正方形に折りたたんで完成となります。

 

中国が原産の蕎麦は、やせた土地でも冷涼な地域でも乾燥した土地でも育ち、しかも育ちが早いので早く収穫できることから、世界中で作られています。

中国が原産ですが、東アジア・チベットも含め中央アジア・中東さらにはヨーロッパまでが主要な産地です。

生産量で言うと、たぶん世界一はロシア次いで中国、旧ソ連のウクライナで、東欧のポーランドも生産が多いし、フランスでもイタリアでも、南アフリカでも栽培しています。

ただし南アフリカは白人の入植地としてはじまったことを思えば、蕎麦の栽培はヨーロッパ由来の可能性が大きいかもしれません。

 

それとあまり知られていないが、最近ではカナダやアメリカでも栽培がされています。

 

蕎麦の栽培地の多くがやせた土地であることを思えば、平安時代の都の上流階層が蕎麦を知らないということは彼らの出自となった地域が肥沃であったことを物語っています。

 

騎馬民族征服王朝説も含め放牧民が天孫族の正体とする見方と合わせると、放牧は牧草の自生地を渡り歩くことになるので、腰を据えて蕎麦を育てる必要のあるやせた土地を避けてきたことになって、蕎麦を知らないのもある意味当然ということになるでしょう。

 

これは、蕎麦を栽培せざるを得ない地域を通ってきた日本先住民と、肥沃な土地を渡り歩いてきた天孫族という構図が見えてくるということかもしれません。

 

もしそう見てもいいなら、中東から地中海沿岸特にヨーロッパ側を通って、アメリカを横断し太平洋を横切ってきた縄文人が過去にたどってきた地域で知った蕎麦を栽培したのでしょうか。

例外はあるものの、蕎麦食文化は縄文文化の影響が強い東日本に中心に根付いたことは面白いです。

 

蕎麦は、もともと米や小麦が育ちにくい寒冷地で代替食として育てられていたものなので、比較的気候の温暖な関西以南ではうどんが主流になったと考えられるので、縄文と蕎麦を結びつけて論じるのは物事を単純化しすぎた一面的な議論との反論もあるでしょう。

 

だが、縄文とヨーロッパやアメリカの繋がりは見えるが、アジアとの繋がりは弱いように見えるのです。

 

縄文土器は日本とアメリカからは出るが、類似を指摘されるものは今のところ他には古代エジプトくらいのものなのです。

 

縄文の周辺を探れば、アメリカ出土の人骨の傍にフランスとスペインの様式の矢じりがあり、しかも当初イギリス人と見間違えられたエピソードもあります。

実際、縄文人の骨でDNAを見るとヨーロッパ人と別れた頃の原アジア人に近いのです。

現日本人をヨーロッパよりに大きく引っ張っているのが、限りなくヨーロッパ人に近い縄文人なのです。

縄文人がアジアよりヨーロッパに近いことは、日本がヨーロッパの遺伝子病の飛び地であることからも、裏付けられるのです。

 

蕎麦の歴史から、日本人のルーツにまで話が行ってしまいました。

 

蕎麦は調べてみればもっと興味ひかれる話題がありそうですが、長くなりそうなのでひと休みしますか。

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基本は見失うととんでもないことになる。

休みを取りながら、何気なくテレビを見ていて思ったのです。

 

テレビで本当に実力ある芸人だそうとしたら、一時間番組で数組に絞って拘束時間に見合ったギャラ出しても、今の日本でどれだけ視聴率とれるかですよね。

 

最後まで付き合ってくれる数少ない視聴者にために、高い金かけてもペイしないから、結局、トークバラエティと情報番組頼みになるのではないかしら。

 

活気のあった高度成長期でも、もっと本格的な芸をみせる人がテレビに出ていた気がするのです。

 

忙しいように見えても、心に余裕があったってことかしら。

 

今は忙しい上に心に余裕がない人が増えたってことかしら。

 

高度成長期の莫大な富は一体どこにいったのかしら。

 

少なくとも国民には来てないってことですよね。

 

高度成長期の莫大な富が今でも国民の中にとどまって回っていれば、もっと国民はゆとりが持てているはずですね。

 

その時期を知らない世代は実感がない以上、知っている世代が富の再配分の必要性を声を大にして訴えていくべきじゃないかしら。

 

社会は人が作る、だから、人が変えられるはずですよね。

 

民主国家の主人公は国民であって、政府のトップとは、公僕である公務員のトップなわけですよね。

 

そこをはき違えていたら、それは「権勢症候群」つまり「ボスは自分と勘違い症候群」ってことですよね。

 

主人の忠実な友であるべきという点では、犬も公務員も基本的には同じじゃないかしら。

 

公務員は基本的にポチで良いのではないかしら。

問題は、誰のポチかってことではないかしら。

 

公務員は、国民、住民のポチとして、可愛がられる忠実な公僕であるべきと思うのです。

国民にとって「日本を取り戻す」とは、ポチであるべき公僕のリードを、アメリカと財界から、国民の手に取り戻すことじゃないのかしら?

 

何がだれのためにあるのか、取り違えてしまうと、物事はおかしな方向に行ってしまいますね。

 

箴言 3 21

わが子よ、確かな知恵と、慎みとを守って、それをあなたの目から離してはならない。

 

総理大臣も「国民の皆様の為に働かせていただきます」という言葉を、選挙期間中だけでなく国会の会期中にも言わなくちゃいけないのではないかしら。

最近の首相の言い草は「国民に理解させる」って、目上の人には決して使ってはならない使役の助動詞平気で使っている、おかしいのではないかしら。

 

「権勢症候群」つまり「ボスは自分と勘違い症候群」そのものになっている総理大臣を、 国民は意識を変えて、主人は自分だと公僕の長としてしつけなきゃいけないのではないかしら。

主人として、毅然としてなきゃだめではないかしら。

やたら威張る必要はないですけど。

 

箴言 3 31

暴虐な人を、うらやんではならない、そのすべての道を選んではならない。

 

国民の側も、多様な声があるからと諦めることなく国民的な合意をじっくりと腰を据えて作っていく構えが必要ではないかしら。

焦らずに合意形成していくことが、結局は近道じゃないのかしら?

 急がば回れ、急いては事を仕損じる。

昔の人良い事言っていますね。

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日本にもシヴァ崇拝が息づいている?

「諏訪神社七つの謎 古代史の扉を開く」皆神山すさ著。

今読んでいる本の一部だけれど、気になった箇所がいくつかあります。

 

たとえば、ここです。

 

国史大系本では「大神社」を「オホムハノ」と訓み、『神名帳考証』では「ヲホムハノ」、九条家本、武田本では「オホノ」と訓をつけている。

 

「ノ」は後に続く「ヤシロ」との接続詞とみれば、「大神」の訓は「オホムハ」「ヲホムハ」「オホ」ということになります。

 

さらに「ハ」は「オホ」についてないところから、丸唇で発音したために聞こえてしまったおまけの音が名前の一部と勘違いされて定着したとみて良いでしょう。

 

そうなると、「大神」の訓は「オホム」「ヲホム」「オホ」ということになります。

 

「オホ」で「ム」が欠落しているのは閉口音であるために聞き取りにくいためとみれば、もとは「オホム」であったものがどこかで、あるいは過去の段階で、転化したとみなせるでしょう。

 

つまり「大神」の訓は「大神」の訓は「オホム」「ヲホム」ということになります。

 

「オホム」「ヲホム」「オホ」とは何でしょう。

 

よく似た音に、ヨガで唱えるマントラ『オーム(OM)』があります。

オームという言葉は、インドでは聖なる音として崇拝されています。

言霊には霊的な力が宿るといわれるように、ヨガでは最も神聖なマントラ(呪文)が、このオームとされています。

オームとは、宇宙の始まりの音とされているのです。

 

オームはもともと、仏教の「唵」、キリスト教の「アーメン」という言葉と同じものを指しているという説もあるようです。

「阿吽(あ・うん)の呼吸」もオームからきていると言う説もあります。

 

オームという音はアルファベットにすると、「a」・「u」・「m」に分けられ、ヨガでは維持・破壊・創造を象徴していると考えられています。

維持・破壊・創造を象徴している神と言えばシヴァです。

ヒンズーでは創造神ブラフマー、維持神ヴィシュヌに対してシヴァ神は破壊神ではないかと思う方もいると思うが、バラモン教では神々の上に立つ最高神とされ、「自らを創造したもの(スヴァヤンブー)」「生類の王(プラジャーパティ)」と呼ばれます。

創造神ブラフマー、維持神ヴィシュヌ、破壊神シヴァの三位一体崇拝とよく言われるが、実際は三神による一神界をシヴァが代表する形と見た方が実態に合っているように見えます。

 

シヴァは大黒天に転じ、大黒天は大国主命と神仏習合して出来た神道の神ともなりました。

大国主といえば、大神神社の祭神で大己貴神や大物主とも習合されている神です。

 

三輪山の神のエピソードの中に蛇が登場するが、シヴァにも蛇は欠かせない存在となっていて、ここでも重なり合います。

 

日本にシヴァ信仰をもたらした一団が来たのでしょうか。

 

そういえば、日本語とインドの一方言であるドラビダ語との繋がりが指摘されたこともあるし、インドはペルシャとの繋がりがあるが、日本には中東やインドを連想できる顔の人も結構いるし、日本建国には多くのイラン人が参加しています。

 

インドの神々も元を辿れば、その多くは中東の神であり、日本に多くの古代中東の遺伝子が残る事を思えば、日本は古代中東の神々を今でも崇拝していることと合わせ、非常に面白い国ということになりそうです。

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弱さを強さに変えるには自己責任論はかえって邪魔になる。

自己責任論者って、実はまるっきり他人に責任転化しまくりの責任逃げまくりの無責任論者って思ってはいけないのかしら。 

自己責任で頑張って出来なくって助けを求められても何にもできない無能ぶりをさらけ出すのが怖い、弱虫って思ってはいけないのかしら。

自己責任論って聞いていると、聖書のこの言葉連想します。

マタイによる福音書 7 3節~5 

 

なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら自分の目にある梁を認めないのか。 

 

自分の目には梁があるのに、どうして兄弟にむかって、あなたの目からちりを取らせてください、と言えようか。

偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい。

そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からちりを取りのけることができるだろう。

マタイによる福音書 23 15

偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。

あなたがたはひとりの改宗者をつくるために、海と陸とを巡り歩く。

そして、つくったなら、彼を自分より倍もひどい地獄の子にする。

自己責任論者が本当に強いなら、こう言えるのではないですか。 

ーマの信徒への手紙151

わたしたち強い者は、強くない者たちの弱さをになうべきであって、自分だけを喜ばせることをしてはならない。

けれど、私たちはこう言えるほど、強いでしょうか。

むしろ自分の無能と無力をさらけ出して、それでも助けを必要とする誰かを助けたいから誰か手を貸してって、走りだしてしまう人の方が滅茶苦茶カッコいいって思ったら変ですか。

そうやってみんなを巻き込んで一人じゃ出せない力をみんなに助けられて発揮できる人って羨ましすぎます。

こういう人は、聖書のこの聖句を思い起こさせてくれます。

コリント人への第二の手紙 11 30 

もし誇らねばならないのなら、わたしは自分の弱さを誇ろう。

コリント人への第二の手紙 12 5

わたしはこういう人について誇ろう。しかし、わたし自身については、自分の弱さ以外には誇ることをすまい。

コリント人への第二の手紙 12 9

ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。

コリント人への第二の手紙 12 10

だから、わたしはキリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。

コリント人への第二の手紙 13 4

すなわち、キリストは弱さのゆえに十字架につけられたが、神の力によって生きておられるのである。このように、わたしたちもキリストにあって弱い者であるが、あなたがたに対しては、神の力によって、キリストと共に生きるのである。

自己責任論者って、結局みんなを自分は何もできない無力で無能なダメな人何だって委縮させて、無力な自分を免罪したいだけなのではないのでしょうか。

そんな生き方つまらないでしょ。

人って、助け合って力を貸しあって、はじめて成長できるのではないかしら。

自己責任論が日本をダメにしてると思うのです。

自分は何もできないから、足ひっぱるだけなんて、委縮していまったらつまんないでしょ。

だったら、余計に大勢集まって、微力を強力な力に変えてしまえば良いじゃないの。

どんな大河も小さな一滴から始まって大勢集まって、あの姿になっているって知っているでしょ。

人の力だって同じじゃないのかしら。

 

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