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2016年10月

預言者としての詩人。

詩人の“詩”は、“私”ではなく“師”。

 

だから、イメージを”降りてくる”ものとしばしば表現する。

 

“詩”の表現手段は言葉に限らない。

 

人によって、音楽であったり絵画や造形であったりする。

 

普遍のメッセージが表現された“詩”を感じられる芸術は、時代を超える。

 

普遍の“詩”は、“師”に対して素直で謙虚でへりくだった心に降りてくる。

 

普遍の“詩”を私たちに降ろしてくれる詩人は、永遠の子供として生きている人達なので限りなく純粋であり、それだけに、大きな賛美も大きな無理解も、受けざるを得ない。

 

なんだこれはが芸術ではなく、芸術がなんだこれは。

 

“なんだこれは”が即ち芸術ではない。

 

だが、芸術は“なんだこれは”が付き物。

 

それは降りてきた“詩”に心が痺れを感じた瞬間。

 

それは、感動。

 

ここを取り違えると、神を見失ったのと大差がなくなる。

 

ここをはき違えると、いつまで経っても芽が出ない独り善がりの自称芸術家に堕落する。

 

普遍を感じられる“詩”のある作品は、降りてきた存在という点で、その作品の表現者はある意味では“預言者”と言える。

 

作品と呼ばれるものは山ほどあるが、多くの人が心を痺れさせる感動を得られる“詩”のある作品は、それ程多くない。

 

“預言者”は召された者がなれるからだ。

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平城京とペルシャ

読売新聞に興味ひかれる記事が載っていました。

かつて、井本英一著「古代の日本とイラン」を面白く読んでいたことを思い出し、やはりいましたかと言う気持ちになりました。

奈良の都にペルシャ人役人がいた…木簡に名前

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平城宮跡で出土した木簡。ペルシャ人とみられる名前が書かれていた=奈良文化財研究所提供

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 奈良市の平城宮跡から出土した8世紀中頃の木簡に、ペルシャ(現代のイラン付近)を意味する「破斯はし」という名字を持つ役人の名前が書かれていたことが、奈良文化財研究所の調査でわかった。

 国内でペルシャ人の名前を記した出土遺物が確認されたのは初めてで、奈良時代の日本の国際性を裏付ける成果となる。

 木簡は1966年、人事を扱う式部省があった平城宮跡東南隅の発掘調査で出土した。文字が薄く肉眼では一部が判読不能だったが、今年8月、赤外線撮影をした結果、役人を養成する「大学寮」でのペルシャ人役人の宿直に関する勤務記録とわかった。

 表側の上部に「大学寮解 申宿直官人事」、下部に、定員外の特別枠で任じられた役人「員外大属いんがいだいさかん」という役職名、中国語でペルシャを表す「波斯はし」と同じ読み・意味の「破斯」という名字を持つ「破斯清通」という人名と、「天平神護元年(765年)」という年号が書かれていた。

沖縄県ではローマ帝国やオスマン帝国のコインが見つかっているし、日本と中東の古代における繋がりの深さを改めて感じます。

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重国籍批判を放置していては危ないことになる。

民進党代表選をきっかけにして、重国籍批判の動きが広まっています。

 

それは、日本の国籍法が重国籍を認めていないからです。

 

だが、現実にはすでに、かなりの数で重国籍の人はいるはずです。

 

例えばブラジル国籍は、自らの選択で抜けることは制度上不可能と指摘されています。

 

ブラジル国籍者は自ら又は国家の意思でブラジル国籍を剥奪又は放棄される事をブラジル憲法は認めていません。

 

つまりブラジル国籍は一生消えないという事です。

 

移民受け入れの上で制度的な制約がまだ多い日本は、ブラジルから多くの日系人を受け入れることで制度上の制約を回避しようとしました。

 

もし彼らから帰化が出れば、重国籍になる可能性は多いはずです。

 

この課題をどう扱ったのでしょう。

 

日本の国籍法には国籍選択を行わなかった場合は、自らの意思で日本国籍を選択したものと見なすという規定があります。

 

日本国籍とブラジル国籍との重国籍の人たちを中心に受け入れて、帰化の際の難問を回避したのでしょうか。

 

もしそうなら、重国籍を認めないと言う規定は事実上空文化していることになります。

 

アメリカ生まれの日本人の子供たちは殆ど国籍選択をしてないから、大人になっても事実上の日米の二重国籍者となって日米双方のパスポートを有している若者が大勢いると言います。

 

二重国籍を認めている国で生まれた日本人の子供たちの多くが国籍選択をしないまま、日本との二重国籍を持っている可能性は十分にあり得ます。

 

そして事実、自民党議員の中にアメリカとの重国籍の人がいました。

 

これまで国籍法上何の問題にもならないで、その人はこれまで生きてきたことになります。

 

穴だらけの国籍法のおかげで、重国籍が問題にされなかった人は今でも相当数いるはずではないでしょうか。

 

日本が国際化すればこういう子供たちが増えて、重国籍禁止は実態や実情に合わなくなるでしょう。

日本の国際化が進めば、重国籍保有者も増えるはずです。

 

有名無実化している穴を放置して、重国籍を認めないと言ってもダブルスタンダードではないでしょうか。

 

特に問題を起こしていない人の帰化を認める際、すでに持っている国籍の放棄は当人の自由意思に任せることや、在外日本人の外国籍取得の際日本国の放棄をするかどうかも当人の自由意思に任せることを、法的に定めて重国籍禁止の原則を廃止した方が良いのではないでしょうか。

 

その後仮に問題行動があったとしても、個別の法規で対応すれば良いだけの話だと思います。

 

重国籍排除の動きは、言ってみれば国籍浄化の動きではないでしょうか。

 

ナチスがアーリア人種の優越を叫んで反ユダヤを行った時代を彷彿させる展開に思えるのです。

 

ニーメラーの詩は、他人事と思っているとやがて自分が危ないと言うのがメッセージと思うのです。

 

ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった

私は共産主義者ではなかったから

 

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった

私は社会民主主義ではなかったから

 

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった

私は労働組合員ではなかったから

 

そして、彼らが私を攻撃したとき

私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった

 

共産主義者を重国籍と読み替えてニーメラーの詩を書き換えて見れば良いでしょう。

 

次は生活保護で読み替えて見るとかでも良いかもしれません。

 

勿論今も反共は根強いから、元の詩のままで読んでも十分、教訓を得られると思うのです。

 

重国籍排除の次は、どこへ排除の動きが広がるかわからないです。

 

私は重国籍じゃないから関係ないと言わないで、今、彼らを擁護しないと危ない展開が待っているのではないでしょうか。

 

反共攻撃への警戒を避けて迂回している可能性が大きいのではないでしょうか。

 

ハードルが低そうなところから狙うのが常套手段と覚えておいた方が良いのではないでしょうか。

 

重国籍狩りにストップをかける国民的な動きを早急に広めた方が良いのではないでしょうか。

 

相手は、「反日」「非国民」「売国奴」のレッテルはってくるかもしれないが、ひるんではいけないと思うのです。

 

彼らの挑発的な言動にのっても怯んでもいけないと思うのです。

 

自由と人権と民主主義と平和の旗を、高く掲げ守り抜く声を上げようではないですか。

 

 

重国籍批判の本当の狙いは、国民の中に混乱と分断を持ち込み、改憲勢力に対する反対の動きを牽制することにあると、見ておいた方が良いと思うのです。

 

重国籍批判の顔ぶれの中心的メンバーと改憲勢力の中心的メンバーは、ほぼ重なっていることが見て取れるはずと思うのです。

 

重国籍批判の人たちは、反論する人たちに「反日」「非国民」「売国奴」のレッテルはってくるでしょう。

 

彼らの真の狙いはこれらのレッテルで改憲勢力に反対する動きを牽制することにこそあるのは、これからの重国籍批判の展開を見れば明らかになるはずだと思うのです。

 

重国籍批判に安易に乗ってはいけないと思うと思うのです。

 

それは後で、自分を窮地に追い込むことになるでしょうから。

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琉球王国とローマ帝国とオスマン帝国!?

琉球新報で気になる記事が掲載されていたのです。

勝連城跡から

ローマ帝国時代コイン 

オスマン帝国時代も出土

ローマ帝国時代のコイン
オスマン帝国時代のコイン

 【うるま】うるま市教育委員会は26日午後1時半から市役所で会見を開き、市勝連にある世界遺産「勝連城跡」内で、ローマ帝国とオスマン帝国時代のコインが発見されたと発表した。市教育委員会は「中世から近世初期の遺跡からは、国内初になるものだろう」とし、日本史だけでなく世界史研究などに大きく寄与すると分析している。

 調査はエックス線検査や専門家らによる鑑定などの方法で行われた。コインにはローマ文字やアラビア文字、人物像があることが確認された。

 コインが持ち込まれた経緯や使用方法などについては、今後の研究課題としている。

 発見されたコインは鋳造製の銅貨計10枚。そのうち4枚は3~4世紀代のローマ帝国時代、1枚は1669~79年に製造されたオスマン帝国時代のコインと推測される。そのほか5枚の年代については調査が進められている。

 確認されたコインのうち、ローマ帝国時代のコインは直径最大2センチ、重さ3・6グラム。一方、オスマン帝国時代のコイン直径は2センチ、重さ1・2グラム。

 市教育委の横尾昌樹主任主事は「勝連城が西洋との接点があったことは確かだ。勝連城の廃城後の歴史は分からないことが多々あり、今後の解明につながる貴重な資料になる」とした。

 会見に出席した島袋俊夫市長は「沖縄のグスク時代における勝連の流通、交易を考える上で重要な資料。世界史研究全般の研究に大きく寄与する発見となる」と研究の成果を評価した。
【琉球新報電子版】


東アジアの国で、ローマ帝国との強いつながりが指摘されるのは新羅です。

ローマ文化王国‐新羅 由水 常雄 (著)と言う書を知った時にはびっくりしたけど、今回の記事はそれ以上に驚いてしまったのです。

百済・新羅・高句麗のいずれも、日本に亡命しているくらい、日本とは繋がりが深いです

新羅を介してのローマ帝国と琉球の繋がりは、気になるところです。

さらに、オスマン帝国時代のコインまでと言うことは、貿易立国であった琉球の交易範囲の驚くべき広がりへの想像を掻き立てられます。

今後の調査は要注目です。

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