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重国籍批判を放置していては危ないことになる。

民進党代表選をきっかけにして、重国籍批判の動きが広まっています。

 

それは、日本の国籍法が重国籍を認めていないからです。

 

だが、現実にはすでに、かなりの数で重国籍の人はいるはずです。

 

例えばブラジル国籍は、自らの選択で抜けることは制度上不可能と指摘されています。

 

ブラジル国籍者は自ら又は国家の意思でブラジル国籍を剥奪又は放棄される事をブラジル憲法は認めていません。

 

つまりブラジル国籍は一生消えないという事です。

 

移民受け入れの上で制度的な制約がまだ多い日本は、ブラジルから多くの日系人を受け入れることで制度上の制約を回避しようとしました。

 

もし彼らから帰化が出れば、重国籍になる可能性は多いはずです。

 

この課題をどう扱ったのでしょう。

 

日本の国籍法には国籍選択を行わなかった場合は、自らの意思で日本国籍を選択したものと見なすという規定があります。

 

日本国籍とブラジル国籍との重国籍の人たちを中心に受け入れて、帰化の際の難問を回避したのでしょうか。

 

もしそうなら、重国籍を認めないと言う規定は事実上空文化していることになります。

 

アメリカ生まれの日本人の子供たちは殆ど国籍選択をしてないから、大人になっても事実上の日米の二重国籍者となって日米双方のパスポートを有している若者が大勢いると言います。

 

二重国籍を認めている国で生まれた日本人の子供たちの多くが国籍選択をしないまま、日本との二重国籍を持っている可能性は十分にあり得ます。

 

そして事実、自民党議員の中にアメリカとの重国籍の人がいました。

 

これまで国籍法上何の問題にもならないで、その人はこれまで生きてきたことになります。

 

穴だらけの国籍法のおかげで、重国籍が問題にされなかった人は今でも相当数いるはずではないでしょうか。

 

日本が国際化すればこういう子供たちが増えて、重国籍禁止は実態や実情に合わなくなるでしょう。

日本の国際化が進めば、重国籍保有者も増えるはずです。

 

有名無実化している穴を放置して、重国籍を認めないと言ってもダブルスタンダードではないでしょうか。

 

特に問題を起こしていない人の帰化を認める際、すでに持っている国籍の放棄は当人の自由意思に任せることや、在外日本人の外国籍取得の際日本国の放棄をするかどうかも当人の自由意思に任せることを、法的に定めて重国籍禁止の原則を廃止した方が良いのではないでしょうか。

 

その後仮に問題行動があったとしても、個別の法規で対応すれば良いだけの話だと思います。

 

重国籍排除の動きは、言ってみれば国籍浄化の動きではないでしょうか。

 

ナチスがアーリア人種の優越を叫んで反ユダヤを行った時代を彷彿させる展開に思えるのです。

 

ニーメラーの詩は、他人事と思っているとやがて自分が危ないと言うのがメッセージと思うのです。

 

ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった

私は共産主義者ではなかったから

 

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった

私は社会民主主義ではなかったから

 

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった

私は労働組合員ではなかったから

 

そして、彼らが私を攻撃したとき

私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった

 

共産主義者を重国籍と読み替えてニーメラーの詩を書き換えて見れば良いでしょう。

 

次は生活保護で読み替えて見るとかでも良いかもしれません。

 

勿論今も反共は根強いから、元の詩のままで読んでも十分、教訓を得られると思うのです。

 

重国籍排除の次は、どこへ排除の動きが広がるかわからないです。

 

私は重国籍じゃないから関係ないと言わないで、今、彼らを擁護しないと危ない展開が待っているのではないでしょうか。

 

反共攻撃への警戒を避けて迂回している可能性が大きいのではないでしょうか。

 

ハードルが低そうなところから狙うのが常套手段と覚えておいた方が良いのではないでしょうか。

 

重国籍狩りにストップをかける国民的な動きを早急に広めた方が良いのではないでしょうか。

 

相手は、「反日」「非国民」「売国奴」のレッテルはってくるかもしれないが、ひるんではいけないと思うのです。

 

彼らの挑発的な言動にのっても怯んでもいけないと思うのです。

 

自由と人権と民主主義と平和の旗を、高く掲げ守り抜く声を上げようではないですか。

 

 

重国籍批判の本当の狙いは、国民の中に混乱と分断を持ち込み、改憲勢力に対する反対の動きを牽制することにあると、見ておいた方が良いと思うのです。

 

重国籍批判の顔ぶれの中心的メンバーと改憲勢力の中心的メンバーは、ほぼ重なっていることが見て取れるはずと思うのです。

 

重国籍批判の人たちは、反論する人たちに「反日」「非国民」「売国奴」のレッテルはってくるでしょう。

 

彼らの真の狙いはこれらのレッテルで改憲勢力に反対する動きを牽制することにこそあるのは、これからの重国籍批判の展開を見れば明らかになるはずだと思うのです。

 

重国籍批判に安易に乗ってはいけないと思うと思うのです。

 

それは後で、自分を窮地に追い込むことになるでしょうから。

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