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漢字は誰が作ったのか。

漢字は聖書で読み解けるのではないか、そういう議論には何度か出会ってはいました。

何人もの人たちがそう指摘するなら誰かが一冊の本にまとめているのではないか、そう思って探してみたところ、この二冊が見つかりました。

 

旧約聖書は漢字で書かれていた―「創世記」が語る中国古代文明の真実

C.H.カン&エセル.R.ネルソン

 

漢字に秘められた聖書物語

ティモシー.ボイル

 

興味深いことに、著者はいずれも漢字文化圏の人ではありません。

正確に言えば、著者の一部と言うべきですが。

 

「旧約聖書は漢字で書かれていた」の方はオリジナルの研究は中国人牧師だったが、その人と連絡を取り合いながら執筆したのが非漢字文化圏の人でした。聖書と漢字のただならぬ関係に気付いて研究を始めた中国人の仕事に興味ひかれた著者が、協力したと言います。この本はそのようにして集まった数人の人たちが関わったプロジェクトの成果として出されたものです。本書は、この議論が本当に成り立つのかと言う検証に重点を置いているので、その手の話に興味がある人には、こちらをお勧めします。

 

「漢字に秘められた聖書物語」の方は面白いことに、漢字を覚えるのに自分にとって身近な聖書の知識が使えないかとやってみたところ、あまりにも多くの漢字が解釈できてしまうので、どんどん進めてとうとう一冊の本になってしまったと言う事なようです。多くの外国人から漢字学習に使いたいので英語版が欲しいと言う声に応えて、自費出版で英語版まで出してしまったと言うことです。聖書で読み解けると言うなら実例を見せろと仰る方には、解読例の多さでこちらをお勧めします。

 

全く違う動機から漢字を聖書で読み解く仕事をまとめた本が複数執筆されたという事実は、聖書と漢字の関係がただならないものである可能性があると言っているような気がするのです。

 

そこで、白川静の「文字講話」を開いてみました。

 

すると、この記述に目が留まりました。

 

許慎の「説示解字」にこうあると言うのです。

易の八卦を作ったのが文字の起源であると。

 

易は陰陽と深いかかわりがあります。

 

そして、陰陽はタントラなどとならぶ、古代の弁証法思想なのですが、陰陽やタントラとユダヤ教神秘思想であるカッバーラとは、実は深い関連を指摘できるのです。

 

聖書自体の編纂は、漢字の誕生より時代が下ると指摘されます。

 

しかし、やがて聖書に結実することとなる伝承や思想が、その編纂に先立って東方に伝わることは、大いにあり得る事なのです。

ペルシャとインドの民族の起源は極めて近いことは、よく知られていることです。

古代中東の思想がベースとなって、インドではタントラが、中国では陰陽や易が、生まれたことは十分に考えて良い事ではないでしょうか。。

 

日本人の祖先は、東アジアや南アジアの民族が分かれるより前に中東を旅立ち、日本にたどり着きました。

 

実際中国古代の民族の移動を見ると、西方から来た白人的風貌な民がいたことがわかっています。

 

例えば、楼蘭故城の西170㎞で見つかった小河墓です。

集団墓地には眠っていたのは、彫りの深い白人に似た容貌なミイラたちでした。

赤く塗られた棒状の男性を象徴する墓標に女性が、黒く塗られた扇状の女性を象徴する墓標に男性が、葬られているのです。

これは陽の男性原理には陰の女性原理、陰の女性原理には陽の男性原理が配されると言う、陰陽に極めて近い思想が示しています。

大陸内部で彼らの消息を辿ることはできていないが、滅びた痕跡も見つかっていない以上どこかに移住したと見るのは自然であり、その先が日本であることは十分あり得るのです。

 

神道の哲学もまた極めて陰陽に近く、随神(かんながら)の思想は経典こそないがこれまた聖書の教えに奇妙な程似通っているのです。

そして、アイヌの生活文物に古代イスラエルとの類似が、沖縄にいたっては文化と聖書の類似が、指摘されるのです。

 

縄文人のルーツも一筋縄ではいかぬところがあって、複数の集団が合わさっているのではないかと見られています。

そうなれば、そのうちの一つにアジアルートがあると考えるのはごく自然です。

そして、そのルートが古代中東のカッバーラに通じる思想の伝播と深く関わっていたとみても良いのかもしれません。

 

実際、釈迦を生んだ地域と近いチベットも日本人と共通の古代中東の遺伝子が残っているのです。

 

「旧約聖書は漢字で書かれていた」のなかで、キリスト教と驚くほど似通った上帝に注目しています。

もしかすると、この上帝思想も日本の天皇の思想の下敷きになっているかもしれないと考えてみても面白いでしょう。

この上帝思想から、天孫降臨の発想も生まれたのかもしれません。

 

古代中東から東アジア、さらには日本への民族の移動の過程で、やがて聖書に結実することになる伝承が古代中国の地に伝わり、漢字の成立に多くの影響を与えているのかもしれません。

 

彼らは興亡の激しい大陸を逃れ、日本に渡ってきたがやがて自らの出自を忘れ、日本に同化してしまったのかもしれないですね。


漢字を簡単に簡体字に替えてしまった現代中国と、古い字体を伝え続けている日本と台湾。

そう考えてみると、不思議な気がするのです。

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