言わなくて済むものなら人を馬鹿と言わない方が良いかも。
マタイによる福音書 7章 1~2節
人をさばくな。自分がさばかれないためである。
あなたがたがさばくそのさばきで、自分もさばかれ、あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられるであろう。
この聖句見るたびに、「馬鹿と言う方が馬鹿」と言う俗語を思い出すのです。
「こいつ馬鹿だな」と思ったら、「馬鹿」とは言わないでしょ。
だって、馬鹿を相手に言い合いしたってしょうがないでしょ。
しょうがないのに、「馬鹿」と口に出してしまうのが馬鹿だと思えるのです。
馬鹿な人たちとは、まともに論議はできないのですから。
馬鹿だと思ったら、もう相手にしない事が賢いってことなのかもしれません。
なるほどその通りですね。
つまり、人を見下し上から目線で馬鹿呼ばわりしながら絡んでくる人に対しては、無視して相手にしない方が賢い対応ってことかもしれません。
相手にするだけ、時間と労力の無駄でしょうね。
何言っても、自分の考えに凝り固まって見下して罵詈雑言返してくるだけなのは目に見えてますからね。
この手の人たちのようにならないために、聖書にはこれらの聖句があるのでしょうか。
ヤコブの手紙 4章 11節
兄弟たちよ。互に悪口を言い合ってはならない。兄弟の悪口を言ったり、自分の兄弟をさばいたりする者は、律法をそしり、律法をさばくやからである。もしあなたが律法をさばくなら、律法の実行者ではなくて、その審判者なのである。
ルカによる福音書 6章 37節
人をさばくな。そうすれば、自分もさばかれることがないであろう。また人を罪に定めるな。そうすれば、自分も罪に定められることがないであろう。ゆるしてやれ。そうすれば、自分もゆるされるであろう。
ルカによる福音書 6章 41~42節
なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。
自分の目にある梁は見ないでいて、どうして兄弟にむかって、兄弟よ、あなたの目にあるちりを取らせてください、と言えようか。偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい、そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目にあるちりを取りのけることができるだろう。
| 固定リンク
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- AIを恐れる必要があるのはどういう人か考えてみよう。(2025.11.08)
- 蛇のように賢く、鳩のように素直に ― 愛の知恵としてのバランス(2025.11.05)
- 人間の三重世界観 ― 原初信仰から三位一体教義への流れ(試論)(2025.11.05)
- 旨味という発見 ― 科学が見つけた第五の味(2025.11.05)
- UMAMIとDelicious ― 言葉が語る味覚の哲学(2025.11.05)
「思想」カテゴリの記事
- AIを恐れる必要があるのはどういう人か考えてみよう。(2025.11.08)
- 蛇のように賢く、鳩のように素直に ― 愛の知恵としてのバランス(2025.11.05)
- 合わせ鏡としてのキリスト教と神道の響き合い(2025.11.01)
- なぜ欧米人は神道に心を奪われるのか ― 生活と精神を結ぶ新鮮な体験(2025.11.01)
- マルクスとイエス ―実践による理想の追求者たち(2025.10.31)
「聖書・コーラン」カテゴリの記事
- 蛇のように賢く、鳩のように素直に ― 愛の知恵としてのバランス(2025.11.05)
- 人間の三重世界観 ― 原初信仰から三位一体教義への流れ(試論)(2025.11.05)
- 合わせ鏡としてのキリスト教と神道の響き合い(2025.11.01)
- なぜ欧米人は神道に心を奪われるのか ― 生活と精神を結ぶ新鮮な体験(2025.11.01)
- マルクスとイエス ―実践による理想の追求者たち(2025.10.31)
「言葉」カテゴリの記事
- ユーラシア言語記憶 言葉の環(わ) ― 祈りに還る言語 (統合編:思考と信仰の再会)(2025.11.08)
- ユーラシア言語記憶 「動詞と存在 ― 時間をめぐる文法の哲学」 (文法編:世界を感受する形式)(2025.11.07)
- ユーラシア言語記憶 「文明的収斂」として読み解く文化の奥にある言語構造の類似 (構造偏:構造としての言語) (2025.11.07)
- ユーラシア言語記憶 太陽と和 ― ラテンと日本に響く情の文明 (文化編:感覚と生活の共鳴)(2025.11.07)
- 蛇のように賢く、鳩のように素直に ― 愛の知恵としてのバランス(2025.11.05)


コメント