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旧石器時代人の遺伝子は何処に近い可能性があるか。

日本人の遺伝子を全体としてヨーロッパよりに引き寄せているのは、縄文人であることがわかってきました。

 

そこで気になるのは、さらに前の石器時代人です。

 

旧石器時代を生きた日本人としては、港川人が知られています。

港川人の名は、沖縄県具志川村港川遺跡から出土した日本でもっとも保存状態のよい旧石器人骨から付けられました。

港川人は、出土地層から約2万年前と推定されています。

顔の彫りが深く、手足が長い特徴は、縄文人と通じることから、これまで縄文人の祖先ではないかという位置づけがされてきました。

となると、彼らの遺伝子を調べれば縄文人同様にヨーロッパよりの特徴が見つかりそうに思えます。


ところが、CTなど最新の技術でみつかった当初の復元のゆがみを補正すると、むしろ縄文人とは異なる特徴が顕著だと言います。

現代人と比べると、むしろ、オーストラリア先住民やニューギニア人に近い風貌となりました。

 

これは、面白いことになってきました。

 

旧石器時代人はオーストラリア先住民やニューギニア人に近い風貌であるにもかかわらず、現代の日本人の遺伝子はヨーロッパ寄りなのです。

 

縄文人は旧石器時代人を圧倒する大勢力で、日本に乗り込んできて日本人の遺伝子をヨーロッパ寄りに引き寄せてしまったのでしょうか。

 

だとしたら、旧石器時代人の遺伝子を相当程度薄めることができる大勢力が縄文人であったか、旧石器時代人の人口は相当少なかったか、どちらかでしょう。

 

しかしながら、それはかなり非現実的な設定であるように感じられます。

 

遺伝子の調査結果を待つ必要はあるだろうが、旧石器時代人の遺伝子もまた、ヨーロッパ寄りであったと見た方がより自然でしょう。


何しろ、縄文人の遺伝子はヨーロッパ寄りだが、その程度はアジアの民族の中では飛びぬけているのです。

 

石器時代人の遺伝子もまたかなりヨーロッパ寄りだったとすれば、縄文人と石器時代人の比率がどうあろうとも、日本人の遺伝子をヨーロッパ寄りにした縄文人の遺伝子の特徴にあうことになるでしょう。


日本人には古代中東の遺伝子もまた、あると指摘されます。

 

古代中東の遺伝子はどの程度の頻度で見つかるかにもよるが、かなり高い場合には、縄文人、さらには、石器時代人の可能性さえも考える必要が出てくるかもしれないのです。

 

石器時代人の遺伝子がいつ解読されるか、そして、どのような結果が出るか、注目したいです。

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